これらの老政治家は皆、物事を経験する前に彼らが既に思いこんでいたことを信ずる(再確認する)ことを経験から学んできたのである。というのは、大部分の人は、自分の偏見(予断)を再確認するだけで経験からは何も学ばないからである。経験から何ものかを学ぶためには、科学者気質の本質とも言える一種の偏見のない広い心(開かれた心)が必要である。ただし、科学者の多くも、この偏見のない広い心がいくらか欠けているが。
All these men have learnt from experience to believe what they already believed before they had experience, for most people learn nothing from experience, except confirmation of their prejudices. To learn anything genuinely from experience requires a kind of open-mindedness which is the essence of the scientific temper, though many men of science are somewhat lacking in it.
From:The lessons of experience, Sept. 23, 1931. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
http://russell-j.com/EXPERIEN.HTM
[寸言]
ラッセルが嫌う「確信過剰」(cocksure)です。政治家だけではないですが,政治家は権力があるために,後の世の人々に,大きな被害を及ぼす可能性があります。
よく引用されるラッセルの次の言葉も同じ趣旨です。
揉め事(トラブル)の根本原因は、現代世界においては知的な(聡明な)人々が懐疑心でいっぱいである一方、愚かな人々が’確信過剰’である(cocksure)ということである。
(The fundamental cause of the trouble is that in the modern world the stupid are cocksure while the intelligent are full of doubt.)