私の哲学の発展』第11章 知識の理論 n.3


 第二(の先入見)。行動主義の方法を支持する(in favor of 賛成する)先入見に加えて、可能な場合には常に物理学の言葉(用語)で説明することを支持する、もうひとつの先入見があった。宇宙的観点から見れば、生命や経験は、因果的には(causally)大した重要性をもたない、という深い確信を私はずっと抱いて来た(訳注:個々の生命や経験は宇宙に対してまったくといってよいほど影響を与えない、ということ)。天文学の世界は私の想像を支配しており(支配的な影響を与えており)、我々の(住んでいる)惑星(注:地球は恒星である太陽のまわりを回っている惑星)は諸銀河系と比較すればまったくもってちっぽけなものだということを、私は強く意識している。私は F. ラムジーの『数学の基礎』の中に、私が感じないことを述べている一節を見つけた。それは次のとおりである。  「私と幾人かの私の友人とが違っていると思われるところは、私が物理的な大きさというものをほとんど重要だとは考えないということである。天空の巨大さを前にして、私は自分の卑小さをまったく感じない。星々は大きいかも知れないが、それらは考えたり愛したりできない。そうして、考えたり愛したりすることこそ、大きさよりもはるかに強い感銘を私に与える特性(qualities)である。私の体重が100kg近くもあるからといって、それが私の価値になるとはまったく思わない。」(訳注:stone 体重測定用の単位として使われているもので、one stone は14ポンド(約6.35kg)。したがって seventeen stone は約100kg。)  「私の世界像は、遠近法によって描かれており、それは一定の縮尺に従って作られた模型(model to scale)には似ていない。(私の世界像の)前景は人間によって占められ、星々は全て3ペニー硬貨(threepenny bit 旧3ペンス硬貨=銀貨)のように小さい。私は天文学を真実なものだと信じない。それは、人間の有するところの、またおそらくは動物ももつところの、感覚(作用)の過程の一部の、複雑な記述である、と思うだけである(except)。私はこの遠近法を、空間だけでなく時間にも適用する。いずれ(in time やがて)世界は冷えて万物は死滅するであろうが、それはまだずいぶん先のことである。そうして、そういう未来に起るべき事実が現在においてもつ価値は、複利法で割引きして考えると(at compound discount 先であればあるほど現時点での価値が低くなる、つまり複利で計算すると・・・といった意味合い)、ほとんど無に等しい。さらに、未来が空白(blank まったくわからない)であるだろうからといって、それだけ現在の価値が減ずるわけでもない。人類(humanity)は私の世界像の前景を満たしており、私は人類に興味をもっており、そうして、全体として見て、称賛にあたいするものである。」  感情(の良し悪し)について議論しても仕方がない(注:ラッセルとラムジーの感情のどちらがよいかと論じても仕方がない)。また、私は自分の感じ方がラムジーの感じ方よりすぐれていると一瞬たりとも考えたことがあると言うつもりはないが( I do not pretend for a moment )、ラムジーの感じ方は私の感じ方とはひどくかけはなれている。私は人類と人類の多くの愚行とを沈思黙考して満足を感ずることはほとんどない。私は、成吉思汗(ジンギスカン)のことを考えるよりもアンドロメダ星雲のことを考える方が、私はより楽しい。私はカントのように(人間社会の)道徳法を星空と同列に置くことはできない(on the same plane 同一の平面に)。「観念論」と名のる哲学の底にひそんでいるところの、宇宙を人間化しようとする試みは、それが真であるか偽であるかの問いとは全く独立に、私にとって不愉快である。世界はヘーゲルの多くの時間と労力(lucubrations)から生まれた、またヘーゲルの天体のプロトタイプから生れた、などとは思いたくない(訳注:ヘーゲルの大学教授就職のための論文『惑星の軌道についての哲学的論稿』(Dissertatio Philosophica de Orbitis planetarum,1801) について言っていると思われるが詳細不明。この中でヘーゲルは、ニュートンの重力論を非難しているらしい)。いかなる経験的な問題(empirical subject-matter)においても、私は、完全な確信をもってではないが、我々にとって重要な因果法則も、理解を完全にすれば、物理学の因果法則に還元されるであろう、と期待する。ただし、問題がきわめて複雑である場合は、そういう還元を実際上実行可能であるかどうかは疑わしい。

Chapter 11 The Theory of Knowledge, n.3
Second. Along with the prejudice in favour of behaviourist methods there went another prejudice in favour of explanations in terms of physics wherever possible. I have always been deeply persuaded that, from a cosmic point of view, life and experience are causally of little importance. The world of astronomy dominates my imagination and I am very conscious of the minuteness of our planet in comparison with the systems of galaxies. I found in Ramsey’s Foundations of Mathematics a passage expressing what I do not feel: ‘Where I seem to differ from some of my friends is in attaching little importance to physical size. I don’t feel the least humble before the vastness of the heavens. The stars may be large, but they cannot think or love; and these are qualities which impress me far more than size does. I take no credit for weighing nearly seventeen stone. ‘My picture of the world is drawn in perspective, and not like a model to scale, the foreground is occupied by human beings and the stars are all as small as three penny bits. I don’t really believe in astronomy, except as a complicated description of part of the course of human and possibly animal sensation. I apply my perspective not merely to space but also to time. In time the world will cool and everything will die ; but that is a long time off still, and its present value at compound discount is almost nothing. Nor is the present less valuable because the future will be blank. Humanity, which fills the foreground of my picture, I find interesting and on the whole admirable.’ There is no arguing about feelings, and I do not pretend for a moment that my way of feeling is better than Ramsey’s, but it is vastly different. I find little satisfaction in contemplating the human race and its follies. I am happier thinking about the nebula in Andromeda than thinking about Genghis Khan. I cannot, like Kant, put the moral law on the same plane as the starry heavens. The attempt to humanize the cosmos, which underlies the philosophy that calls itself ‘Idealism’, is displeasing to me quite independently of the question whether it is true or false. I have no wish to think that the world results from the lucubrations of Hegel or even of his Celestial Prototype. In any empirical subject-matter I expect, though without complete confidence, that a thorough understanding will reduce the more important causal laws to those of physics, but where the matter is very complex, I doubt the practical feasibility of the reduction.  Source: My Philosophical Development, chap. 11:1959.  More info.:https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_11-030.HTM

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