ラッセル『権力-その歴史と心理』第9章 世論に対する影響力 n.7


 合理的な(理性的な)訴え不合理な(理性的でない)訴え(注:人に注目すれば「理性的な」,内容に注目すれば「不合理な」)との間の対立(opposition)は,実際には,右の(上記の)分析ほどはっきりしたものではない。(いかなる訴えにも)通常,何らかの合理的な証拠が存在しているけれども,決定的な証拠としては(結論を出すためには)十分ではない。(そうして)不合理(性)(irrationality)は,そのような何らかの合理的な証拠に過大な重要性(重み付け)を与えることにある。信念は,単に伝統的なものでない場合には,それはいくつかの要因の産物である。それらの要因には,欲求,証拠,繰返しがある。欲求も,証拠も,いずれもゼロであれば(なければ),信念は生れてこないであろう。(一般人に)外部に対する主張(outside assertion 対外的な主張)がまったくない場合には,宗教の創始者とか,科学上の発見者とか,狂人のような例外的な人物(characters 複数形になっていることに注意)の中においてのみ,信念は生じるであろう。社会的に重要な何らかの大衆的信念を生みだすには,上記の三つの要素(欲求,証拠,繰り返し)が全てある程度なくてはならない。しかし,たとえ一つの要素が増して他の要素が減じたという場合にも,結果として生ずる信念の(総)量に(は)変化がないかも知れない(注:”If” = “Even if”)。もし2つの信念が等しく満足な場合には(欲求を満たしてくれる場合には),強い証拠がある信念よりもほとんど証拠がない信念を受け入れさせるためには,より多くの宣伝が必要である,といった具合である。

The opposition between a rational and an irrational appeal is, in practice, less clear-cut than in the above analysis. Usually there is some rational evidence, though not enough to be conclusive ; the irrationality consists in attaching too much weight to it. Belief, when it is not simply traditional, is a product of several factors: desire, evidence, and iteration. When either the desire or the evidence is nil, there will be no belief; when there is no outside assertion, belief will only arise in exceptional characters, such as founders of religions, scientific discoverers, and lunatics. To produce a mass belief, of the sort that is socially important, all three elements must exist in some degree; but if one element is increased while another is diminished, the resulting amount of belief may be unchanged. More propaganda is necessary to cause acceptance of a belief for which there is little evidence than of one for which the evidence is strong, if both are equally satisfactory to desire; and so on.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER09_070.HTM

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