理性と感性(あるいは情熱)との葛藤 - 第一次大戦と第二次大戦との相違


BR-REVRS 私は,物事を誇張したいとは思わない。1932年から1940年までの間,(戦争と平和の問題に関する)私の意見は徐々に変わっていったが,それは大変革というようなものではなかった。それは量的な変化及び強調点の変化に過ぎなかった。私は,無抵抗の信条を絶対的なものとして抱いたことはなかったし,今や絶対的に拒否するということもしなかった。しかし,第一次大戦に反対したことと第二次大戦を支持したこととの間にある実際上の相違は,事実存在した(戦争と平和の問題に関する自分の意見の)理論的な一貫性をほとんど覆い隠してしまうほど非常に大きかった。
私は,自分の理性には全面的に確信を持っていたが,自分の感情は不承不承理性に追従した。第一次大戦に反対した時は,(自己に分裂はなく)自分の全精力がつぎ込まれていた。一方,第二次大戦に賛成(支持)した時の自己は分裂していた。
私が1914年から1918年までの間(第一次世界大戦中)に持っていたのと同程度の,’意見と感情の一致(調和)‘というものを,1940年以後は一度もまだ回復していない。そのような一致を以前自分に許した時は,科学的な知性が正当化する以上,自分自身に対し,一つの信条を容認させたのだと思う。科学的知性が導くところどこまでもそれに従うということが,私には常に,自分にとって,道徳的教訓のうちで最も肝要であると思われた。そうして,私は,深い精神的洞察力と自分で考えていたものを失うことが伴う時ですら,この教訓に従ったのである。

I do not wish to exaggerate. The gradual change in my views, from 1932 to 1940, was not a revolution; it was only a quantitative change and a shift of emphasis. I had never held the non-resistance creed absolutely, and I did not now reject it absolutely. But the practical difference, between opposing the First War and supporting the Second, was so great as to mask the considerable degree of theoretical consistency that in fact existed.
Although my reason was wholly convinced, my emotions followed with reluctance. My whole nature had been involved in my opposition to the First War, whereas it was a divided self that favoured the Second. I have never since 1940 recovered the same degree of unity between opinion and emotion as I had possessed from 1914 to 1918. I think that, in permitting myself that unity, I had allowed myself more of a creed than scientific intelligence can justify. To follow scientific intelligence wherever it may lead me had always seemed to me the most imperative of moral precepts for me, and I have followed this precept even when it has involved a loss of what I myself had taken for deep spiritual insight.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 5: Later Years of Telegraph House, 1968]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB25-040.HTM

[寸言}
事実をよく見ずに感情に流されるのは危険だが、残酷な事実を眺めているだけで何もしないというのも一人の人間として恥ずべきことである。どうすべきかはっきりと割り切れる時には疑いをはさまずに行動を起こすことができるが、判断に迷う事態である時には、理性と感性(情熱)とか調和せずに苦悩することになる。ナチスの残虐さを見るにつけ、「絶対」平和主義の立場をとることができず、ついに、ナチス打倒に協力するように立ち上がるラッセル。それに対し、第一次世界大戦の時に反戦の立場だったのに、第二次世界大戦の時には主戦論に立ったラッセルを「変節(者)」呼ばわりをした「絶対」平和主義者たち。ナチスを黙認した彼らは戦後反省したかどうか?

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