ナチスは何としても倒さなければならないという決意


Mein-Kampf-by-Adolf-Hitler けれども,この態度(注:「良心的兵役忌避」)は,知らず知らずのうちに,誠意のないものになっていった。(第一次大戦の時)私は,カイゼル(ドイツ皇帝ウィルヘルムII世, 1859-1941)のドイツによる覇権の可能性を不本意ながらも黙認するという考えを持つこともできた。即ち,たとえそれが悪だとしても,世界戦争とそれによってひきおこされるものほど,大きな害悪ではないだろうと考えた。しかし,ヒトラーのドイツは別問題だった。ナチスは,実に不快であり,残酷で頑迷で愚劣だということがわかった。道徳的にも知的にも,同様に,憎むべき存在であった。私は,平和主義者としての信念’を固守していたが,そうすることの困難さがしだいに増していった。1940年に英国が侵略の脅威を受けた時,第一次大戦の間中はまったく(英国の)完全なる敗北の可能性というものを心に描いていなかった,ということを実感した。このような可能性は堪え得られないと思った。そしてついに,第二次大戦においては,勝利を達成することがいかに困難なものであっても,そしてその結果がいかに苦痛なものであろうとも,勝利のために必要なことは全て支持しなければならないということを,意識的に,そしてはっきりと決意した。
これが,1901年の「回心」に際して私が持つにいたった多くの信念を,徐々に放棄していく最後の段階であった。私は,無抵抗の信条を完全に固執してきたわけでは決してなかった。即ち,私は常に,警察と刑法の必要性を認識していた。第一次大戦中においてさえ,戦争の中には正当化できるものもあるということを公に主張していた。けれども,その後の経験が容認する以上に,無抵抗という手段,あるいはむしろ非暴力による抵抗という手段に大きな領分を許容していた。非暴力による抵抗は確かに重要な役割をもっている。たとえばガンジーが反英国闘争においてインドを勝利に導いたようにである。しかしながら,それは,その無抵抗手段,もしくは非暴力抵抗手段が適用されるその相手に対して何らかの確実な効果があるかどうかにかかっている。インド人が鉄道線路に身を横たえ,襟き殺されようと当局に挑んだ時,英国人はそのような残酷な行為はとても堪えられないと考えた。しかしナチスはそれと類似の情況にあっても何のためらいも示さなかった。トルストイは,権力の保持者も無抵抗手段にあえば道徳的に再生させられるだろうということを,非常に偉大な説得力をもって説いたが,1933年以降のドイツに対してはそれは明らかに真理ではなかった。トルストイは,権力の保持者がある点を越えてまで冷酷ではないという場合にのみ正しい。しかし,ナチスの冷酷さはこの限界点をはるかに越えていた。

This attitude, however, had become unconsciously insincere. I had been able to view with reluctant acquiescence the possibility of the supremacy of the Kaiser’s Germany; I thought that, although this would be an evil, it would not be so great an evil as a world war and its aftermath. But Hitler’s Germany was a different matter. I found the Nazis utterly revolting – cruel, bigoted, and stupid. Morally and intellectually they were alike odious to me. Although I clung to my pacifist convictions, I did so with increasing difficulty. When, in 1940, England was threatened with invasion, I realized that, throughout the First War, I had never seriously envisaged the possibility of utter defeat. I found this possibility unbearable, and at last consciously and definitely decided that I must support what was necessary for victory in the Second War, however difficult victory might be to achieve, and however painful in its consequences.

This was the last stage in the slow abandonment of many of the beliefs that had come to me in the moment of ‘conversion’ in 1901. I had never been a complete adherent of the doctrine of non-resistance; I had always recognized the necessity of the police and the criminal law, and even during the First War I had maintained publicly that some wars are justifiable. But I had allowed a larger sphere to the method of non-resistance or, rather, non-violent resistance than later experience seemed to warrant. It certainly has an important sphere; as against the British in India, Gandhi led it to triumph. But it depends upon the existence of certain virtues in those against whom it is employed. When Indians lay down on railways, and challenged the authorities to crush them under trains, the British found such cruelty intolerable. But the Nazis had no scruples in analogous situations. The doctrine which Tolstoy preached with great persuasive force, that the holders of power could be morally regenerated if met by non-resistance, was obviously untrue in Germany after 1933. Clearly Tolstoy was right only when the holders of power were not ruthless beyond a point, and clearly the Nazis went beyond this point.
[From: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 5: Later Years of Telegraph House, 1968]
http://russell-j.com/beginner/AB25-030.HTM

[寸言}
ラッセルが第二次世界大戦を支持したことについて、「平和主義者」なのに「変節」したと非難する評論家がたまにいる。しかし、ラッセルは「‘絶対’平和主義者」であったことはない。原則的には「平和主義者」であることを公言はしても、民族絶滅を平気で行うようなナチス政権を見て見ぬふりをすることはできなかった。ナチスは600万人ものユダヤ人を毒ガス室で殺害したが、「絶対」平和主義者はそのような残虐行為も、自国が戦争に巻き込まれないためには、見て見ぬふりをすべきと言うのであろうか?

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