コンラッドとの最後の接触


 私は,その年(1921年)の大部分をコーンウォールで過ごしたので,彼(Joseph Conrad,1857-1924)にあまりあわなかった。そうして,彼の健康は悪化しつつあった。しかし,彼からの何通かの魅力的な手紙を受け取った。特に私が出した中国に関する本(注:The Problem of China, 1921)についての彼からの手紙は魅力的なものであった。彼は,手紙のなかで次のように書いている。

「私は,常に中国人を愛してきました,チャンタブリ(注:Chantabun チャンタブン = Chantaburi チャンタブリ)のある人の家で私(や何人かの他の人)を殺そうとした中国人でさえ,また,(それほど大金ではなかったですが)ある夜バンコックで私の金を全部盗んだが,シャム(注:当時のタイ)の奥深くへと消え去る前に,私が朝着るための服に丁寧にブラシをかけて畳んでおいた中国人でさえ,私は愛しました。また,私は,多くの中国人から直接親切を受けました。このことと,あるホテルのベランダで 陳氏の秘書(注:His Excellency Tseng と “His” がついているのでよくわからないが,当時の中国人の有名な共産主義者らしい)と一晩談話したことと,「異教徒の中国」という詩を一ついいかげんに勉強したことが,私の知っている中国の全てです。しかし,あなたの極めて興味深い「中国の問題」に関する見解を読んだ後では,私の中国の将来に対する見方は暗くなります。

彼はさらに続けて,私の中国の将来に対する見方は,「心に悪寒を感じさせる(ぞっとさせる)」ものであり,私が国際的社会主義に希望を託しているだけにますますそうだと言った。彼は次のようにコメントした。「(それは)私がいかなる種類の明確な意味を与えることができないものです。私は,いかなる人の本にも,いかなる人の話にも,人間が住んでいるこの世界を支配する根深い宿命感を,一瞬たりとも否定することができると十分確信させてくれるものをまったく見い出すことができません(これまで発見できていません)。」 彼はさらに続けて,人間は飛ぼうとしてきたが,「人間は鷲のように(ゆったりと堂々と)飛ばないで,甲虫のように(ばたばたとうるさく)飛んでいます。あなたは,甲虫の飛び方が,いかに醜く,馬鹿げていて,間が抜けているか気づいているに違いありません。」 このコンラッドの悲観主義的な言葉のなかで,彼は,私が中国の幸福な状態へのやや不自然な希望で示したものよりも,より深い知恵を示していると感じた。これまでに起こった出来事は,彼の方が正しかったことを証明している,と言わなければならない。(注:このエッセイは1953年に発表されているが,1949年には中国に共産主義国家が成立している。ラッセルは社会主義者ではあるが,共産主義には強く反対した。)
この手紙が私と彼との最後の接触(コンタクト)であった。私は,(それ以後)彼と話すために,再び会うことはなかった。一度,彼が,通りの向う側で,以前私の祖母の家だったが彼女が死んだ後に美術クラブ(The Arts Club)となっていた建物のドアの外に立って,私が知らない人と熱心に話しているのを見かけた。真面目な会話をしているように見えたので,私は会話の邪魔をしたくなかった。そこで私は立ち去った。それからしばらくして彼が死んだので,もっと勇気があればよかったと残念に思った。今は,その家は,ヒットラー(ドイツのロケット弾)によって破壊されてしまい,消え去ってしまった。コンラッドは,忘れられかけているように思われる。しかし,彼の強烈で情熱的な高貴さは,私の記憶の中で,井戸の底から眺める星のように輝いている。私は,彼が私の上でかつて輝いたように,他の人々の上でも輝かせたいと思う。

I did not see much of him, as I lived most of the year in Cornwall, and his health was failing. But I had some charming letters from him, especially one about my book on China. He wrote:

“I have always liked the Chinese, even those that tried to kill me (and some other people) in the yard of a private house in Chantabun, even (but not so much) the fellow who stole all my money one night in Bangkok, but brushed and folded my clothes neatly for me to dress in the morning, before vanishing into the depths of Siam. I also received many kindnesses at the hands of various Chinese. This with the addition of an evening’s conversation with the secretary of His Excellency Tseng on the verandah of a hotel and a perfunctory study of a poem, ‘The Heathen Chinee’ is all I know about Chinese. But after reading your extremely interesting view of the Chinese Problem I take a gloomy view of the future of their country.”

He went on to say that my views of the future of China “strike a chill into one’s soul,” the more so, he said, as I pinned my hopes on international socialism.–“The sort of thing,” he commented, “to which I cannot attach any sort of definite meaning. I have never been able to find in any man’s book or any man’s talk anything convincing enough to stand up for a moment against my deep-seated sense of fatality governing this man-inhabited world.” He went on to say that although man has taken to flying, “He doesn’t fly like an eagle, he flies like a beetle. And you must have noticed how ugly, ridiculous and fatuous is the flight of a beetle.” In these pessimistic remarks, I felt that he was showing a deeper wisdom than I had shown in my somewhat artificial hopes for a happy issue in China. It must be said that so far events have proved him right.
This letter was my last contact with him. I never again saw him to speak to. Once I saw him across the street, in earnest conversation with a man I did not know, standing outside the door of what had been my grandmother’s house, but after her death had become the Arts Club. I did not like to interrupt what seemed a serious conversation, and I went away. When he died, shortly afterward, I was sorry I had not been bolder. The house is gone, demolished by Hitler. Conrad, I suppose, is in process of being forgotten. But his intense and passionate nobility shines in my memory like a star seen from the bottom of a well. I wish I could make his light shine for others as it shone for me.
出典: Joseph Conrad, 1953.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/1040_CONRAD-060.HTM

<寸言>
寛容であった時代の中国へのノスタルジーも少し。ラッセルは社会主義者ではあるが、共産主義には反対した。自由を尊ぶラッセルとしては、非人間的な共産主義や全体主義は受け入れることができないものであった。

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