1904年のある時、私が道もない広大な荒地(ムーア)の中の一軒家(小さなコテージ風の家)に住んでいた時のことであるが、彼(経済学者ケインズ,1883-1946)は手紙で私の家で週末の休息をとってもいいか尋ねて来た。私ははっきりとどうぞと返事したところ、彼は(週末を過ごすために)やってきた。(注;ケインズの生没年から考えると、ケインズはこの時21歳頃です。)
彼が着いて5分たつかたたないうちに、ケンブリッジ大学の副総長(松下注:英国の大学では、総長は名誉職であり、副総長が実際上の総長=学長にあたる。)が大学の仕事をいっぱいかかえてひょっこりやってきた。他の連中も何の連絡もなしに --日曜日に朝食にやってきた6人も含め-- 食事ごとにやって来た。月曜の朝までに、予期せぬ客の数は26人に達した。多分、ケインズは、私の家に来た時よりももっと疲れて帰って行ったと思われる。
Once in the year 1904, when I was living in an isolated cottage in a vast moor without roads, he wrote and asked if I could promise him a restful weekend. I replied confidently in the affirmative, and he came. Within five minutes of his arrival the Vice Chancellor turned up full of University business. Other people came unexpectedly to every meal, including six to Sunday breakfast. By Monday morning we had had twenty-six unexpected guests, and Keynes, I fear, went away more tired than he came.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 3:Cambridge, 1967]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB13-280.HTM
[寸言]
ケインズは、1883年生まれなので、ラッセルから見れば11歳年下。
「ラッセルとケインズとストレイチー(著名な文芸評論家)の3人が写っている写真」はとても有名でよく引用されています。ケインズもストレイチーも両性愛(バイ・セクシュアル)ということで有名ですが、この写真も影響しているためか、ラッセルも同じだと断定している人も散見されます。特にひどい決めつけは、慶応大学教授で文芸評論家の福田和也氏です。いかにひどい決めつけ(誤解・曲解・下衆の勘繰り)であるかは、次のページに詳しく書いてありますので、興味のある方はお読みになってください。
http://365d-24h.jp/turezure_2011-2014.html#2014-05
ラッセルは,感情の上ではどうしても同性愛者に嫌悪感を持ってしまいそうであったようですが、理論の上ではどのような趣味・嗜好をもとうと尊重しないといけないという気持ちが強かったために、嫌悪感を言葉にあらわすことはなく、それどころか、そういった人たちを擁護する発言を何度もしています。
しかし,愛人のオットリンに対しては、嫌悪感をもらしており、オットリンからたしなめられていました。その証言が記録されている、オットリン・モレルの非常に興味深い生涯については、『オットリン,ある貴婦人の破天荒な生涯』からの抜書で次のページで詳しく紹介していますので、興味のある方はお読みになってください。
https://russell-j.com/cool/kankei-bunken_shokai2013.html#br2013-3