そうは言っても,子供に悪についての知識を与える適切な方法は,簡単には見つからない。もちろん,大都会のスラムに住んでいる子供たちは,酔っぱらいや,けんかや,妻をなぐることなど全てについて,早くから知るようになる。このことも,ほかの影響を与える人やもの(注:influences 複数形)によって(反作用で)中和されるならば,あるいはまったく害を与えないかもしれない。
しかし,注意深い親なら,ごく幼い子供にわざわざこのような光景を見せつける(光景に晒す)ようなことはしないだろう。そういう光景は,その子供のその後の人生全体を色づけてしまうほどなまなましい恐怖を起こさせる,というのが大きな反対理由であると思われる。子供は,無防備なので,子供に対しても残酷な仕うちが行なわれる可能性があることを初めて知ったときには,恐怖を感じないではいられない。
私が初めて(ディケンズの)『オリヴァー・トゥイスト』(Oliver Twist)を読んだのは,十四歳の頃であったが,その小説は,もっと幼いころなら到底耐えられなかったような恐怖感で私の心を満たした。恐ろしい事柄は,ある程度の平静さをもって直面できるほどの年頃になるまでは,幼い子供に知らせるべきではないだろう。この時期は,一部の子供の場合,他の子供よりも早く訪れるであろう。(それゆえ)想像力に富む子供や臆病な子供は,鈍感な子供や生まれつき勇気に恵まれた子供よりも,長い間保護してあげなければならない。子供が不親切の存在に直面しないうちに,親切を期待するために恐怖(心)を持たないという心の習慣をしっかりと確立してあげなければならない。
その(子供に悪についての知識を与える)時期と方法を選ぶには,臨機応変と(子供の)理解力が必要である。即ち,それは杓子定規で決められることではない。
Nevertheless, the right way of giving children a knowledge of evil is not easily found. Of course, those who live in the slums of big cities get to know early all about drunkenness, quarrels, wife-beating, and so on. Perhaps this does them no harm, if it is counteracted by other influences; but no careful parent would deliberately expose a very young child to such sights. I think the great objection is that they rouse fear so vividly as to colour the whole of the rest of life. A child, being defenceless, cannot help feeling terror when it first understands that cruelty to children is possible. I was about fourteen when I first read Oliver Twist, but it filled me with emotions of horror which I could scarcely have borne at an earlier age. Dreadful things should not be known to young people until they are old enough to face them with a certain poise. This moment will come sooner with some children than with others : those who are imaginative or timid must be sheltered longer than those who are stolid or endowed with natural courage. A mental habit of fearlessness due to expectation of kindness should be firmly established before the child is made to face the existence of unkindness. To choose the moment and the manner requires tact and understanding; it is not a matter which can be decided by a rule.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 11: Affection and Sympathy
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE11-130.HTM
[寸言]
高校生になっても、世の中の悪の存在及びそれによって苦しんでいる多くの人々がいることについて知らないというのではなさけない。かといって、まだ冷静に自分の頭で考えられない時期にそういった諸悪について多量の情報を与えるのもよくない。
幸か不幸か現代においてはマスコミが発達しており、(時の政権さえ批判しなければ、また支配層に不都合な事実を報道しなければ)民主主義国においては「報道の自由」がそこそこあるので、子どもたちにも、大量の、諸悪に関する情報が日々与えられている。そういった意味では、子どもたちは、悪に関する情報を大量に浴びている。
従って、そういった情報の受け止め方、処理の仕方を学ぶこと(いわゆるメディアリテラシー教育)がとても重要となっている(ただし、日本では「メディアリテラシーといっても、PCのハードとソフトの使い方の教育に堕している)。しかし、日本では、(機械的/形式的に)「客観性」にこだわる学校教育やマスコミに対する不当な監督及びマスコミ関係者側の(政府を始めとした支配層に対する)忖度によって、そういった教育ができない状況となっている。「客観的な」報道に形式的にこだわるのではなく、正反対の意見を紹介し、恣意的な判断を加えずに、情報の受け手が適切な判断をすることができるような論理的な思考能力を身につけるための訓練をすればよいのであるが・・・。