バートランド・ラッセルのポータルサイト
HOME (Top)
シェアする

松下彰良(編)「バートランド・ラッセルの言葉366(一覧版)」

[ Bertrand Russell, 1872.5.18 - 1970.2.2 ]

 以下は、現在電子書籍版(Kindle版)の1~3月及び8月分のサンプルです。

ラッセル関係電子書籍一覧
 [1月] Jump to  2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
【1月】

 
1月1日(元旦)

 善い人生とは,愛によって鼓舞され、知識によって導かれる人生である。

 出典:What I Believe, 1925, chap.2.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/GOODLIFE.HTM
1月2日(初夢/初荷)

 私は,人類の文明は改善され続けると考えたいが,時々起こるように,まったく逆の考えにとらわれると憂鬱になる。(しかし)今日,当面の見通しが幾分暗い時には,より遠い将来のことを考えると,しばしば元気づけられる。

 出典:Taking long views, Mar. 30,1932. In: Mortals and Others, v.1, 1975
 詳細情報:https://russell-j.com/LONGVIEW.HTM
1月3日(戊辰戦争始まる(1968))

 女性によって影響を受けることを怖れる男性が多いが,私の経験による限りでは,これは'ばかげた怖れ'である。肉体的と同様に精神的にも,男は女を必要とし女は男を必要とする,と私には,思われる。自分のことをいえば,私はかつて愛した女性たちのおかげを非常に受けており,彼女たちがいなければ,私は今よりもずっと狭量な人間になっていたであろう。

 出典:The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 7: Cambridge Again, 1967]
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/AB17-050.HTM
1月4日(御用始め/仕事始め)

(ものを作る)過程に喜びがある場合,そこには必ずスタイルがあり,従って生産活動はそれ自体,美的特質を持つに至るだろう。しかし,人間が機械に同化し,仕事の結果のみに価値をおき,仕事それ自体を軽視するならば,スタイルは姿を消し,機械に同化した人間には普通に思われるが実際はただずっと野蛮なもののみがそれに取って代わる。

 出典:In praise of artificiality, Sept. 9, 1931. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
 詳細情報:https://russell-j.com/ARTIFICI.HTM
1月5日(漱石誕生日/囲碁の日)

 本を書いたり何らかの形で人に説教したり,思想を広めたりしたいと考えている人は,朝食前に1時間の穴掘りかもしくはその他の野外での肉体労働を自らに強いるとよい。そうすれば朝食は非常に美味となり,朝食以後その日は一日中,世の中のことが全て空虚であるなどと思うことはできなくなる,と私は信じる。
★ラッセルのアドバイスに従っていれば漱石も早死しなくてすんだのではないか?

 出典:Why are we discontented? In: Mortals and Others; Bertrand Russell's American Essays, v.1 (1975)
 詳細情報:https://russell-j.com/YOKKYU.HTM
1月6日(良寛忌)

 '勇気'は、私が真剣に愛そうとする女性には不可欠な性質である。

 出典:The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 1: The First War, 1968]
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/AB21-190.HTM
1月7日(七草)

 子供たちは,概して,その置かれている状況に応じて,良い方向にも悪い方向にも展開可能な衝動を有している。さらに,子供たちは,新しい習憤を身につけることがいまだ容易な年頃にある。そして,よい習慣は,'徳'のほとんどを自動的なものとする(良い習慣を身に着ければ,良い行いをしようと意識的に努力しなくても,良い行いを自動的・無意識的にする(できる)ようになる。)

 出典:On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 1: Postulates of modern educational theory.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE01-130.HTM
1月8日(「平成」元号施行日)

 不幸な人間の典型は,若いときに何らかの正常な満足を奪われたため,その一種類の満足を他の何よりも価値があると思うようになり,それゆえ,自分の人生に一方的な方向性を与え,その目的に関連した活動ではなく,その目的の達成のみをまったく不当に強調するようになった人である。
 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.1: Waht makes people unhappy?
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA11-040.HTM
1月9日(頓智の日(一休にちなんで))

 どのような形にせよ、陶酔を求める人は、忘却以外の希望をあきらめてしまっている。
 出典:The Conquest of Happiness, 1930 chap.1:What makes people unhappy?
 ★詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA11-040.HTM
1月10日(110番の日)

 望ましくない行為を罰することは,(望ましくない行為の)防止または改善のためだけになされるべきであって,悪者が苦しむべきだということそれ自体が善いことだと考えて,罰せられるようなことがあってはならない。人間に地獄を信じさせたのは,このような復讐的な刑罰を信じることによるのである。

 出典:What is an Agnostic? , Nov. 3, 1953]
 詳細情報:https://russell-j.com/cool/agnostic_1953.html
1月11日(鏡開き)

 もしあらゆるものが原因をもたねばならないなら、神にも原因がなければなりません。もし原因なしに何かが存在できるならば、その何かは、神でも世界でも(松下注:悪魔でも)よいことになります。それはまったく例のインド人の意見と同じです。それによりますと,世界は一頭の象の上にあり,その象は一匹の亀の上にあるというのです。ところで,「亀はどうなんですか」と聞かれた時、そのインド人は「話題を変えたらどうでしょうか」といったということです。

 出典:Why I am not a Christian, 1927.
 詳細情報:https://russell-j.com/0399WINC.HTM
1月12日(スキーの日(日本人が初めてスキーをした日))

 愛情のある無知な人は、愛情はないが育児の知識に明るい人よりも、幼児にとって多分より良いあろう。しかし子供が好きでしかも育児の知識がある人のほうが、いずれかしかない人よりも、子供にとってはるかに良いであろう。

 出典:Marriage, Nov. 13, 1931. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
 詳細情報:https://russell-j.com/MARRIAGE.HTM
1月13日(ジェイムズ・ジョイス没)

 過度の受動的な態度をさけることは,教育上の課題である。それには,子供の遊びにおいては手のこんだ用具を与えるべきではなく,特別な技能に対して決して過度にほめないようにする必要がある。勉強においては,講義によって与えられる知識ばかりに耳を傾けず,自分で能動的に調べて勉強することを勧めなければならない。不幸にして権力者は,自分にとって都合が良いため,(多くの人間が)受動的であることを好む。

 出典:Are we too passive?, Feb. 3, 1932 . In: Mortals and Others, v.1 (1975)
 詳細情報:https://russell-j.com/PASSIVE.HTM
1月14日(タロとジロの日)

 あなたが古風な教師であるならば,あなたは誰に対しても博愛心でいっぱいであると自認したいと同時に,子供たちを鞭打つことに大きな喜びを得ているかも知れない。この2つの欲望を両立させようとすれば,どうしても,鞭打ちには矯正効果がある,と自ら思いこまなくてはならない。

 出典:Human Society in Ethics and Politics, 1954, preface.
 詳細情報:https://russell-j.com/cool/47T-PREF-02.HTM
1月15日(第二月曜日に変更/ 年賀ハガキ抽選)

 自分の不幸を大まじめに自分の世界観のせいにする人びとは,本末を転倒している,と私は固く信じている。真実は,彼らは自分では気づいていない何か別の理由で不幸なのであり,この不幸のために,自分が住んでいる世界のあまり気に入らない特徴についてくよくよ考えるようになるのである。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.2: Byronic unhappiness.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA12-010.HTM
1月16日(藪入り)

 私自身も,一切が空しいと感じるような気分をしばしば経験した。そんな気分から脱出できたのは,何らかの哲学によってではなく,どうしても行動を起こさなければならない何らかの必要性に迫られたからであった。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.2: Byronic unhappiness.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA12-020.HTM
1月17日(阪神・淡路大震災/明大創設記念日)

 インテリ層の懐疑主義は彼らの無力観の原因であり,それ自体は彼らの怠慢の結果である。即ち,行動に価するものがこの世に何も存在しないのであれば,それは'拱手傍観'の口実となる。しかし,破滅が切迫している時には,それでもなお傍観するいかなる口実も正当な根拠を持たない。インテリ層は,彼らの懐疑主義から脱却し,全ての人々が嘆き悲しんでいる悪についての責任を分担しなければならない。そうして,彼らは学術上の不平や,ひねくれた衒学的態度を捨てなければならない。なぜなら,民主主義が正当に評価できる言葉を語る方法を,彼らが学ばないかぎり,彼らが何を言おうとも,何の役にも立たないということを彼らは悟るべきである。

 出典:On modern uncertainty, June 20, 1932. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
 詳細情報:https://russell-j.com/MODERN-U.HTM
1月18日(都バスの日)

 子供や若者は,彼らの幸せを純粋に願う人と,彼らを何らかの計画のための原材料(素材)としか考えない人との違いを,本能的に感じとる。教師に愛情が欠けている場合には,'性格'も'知性'も,十分に,またのびのびとは発達しないだろう。そうして,この種の愛情は,本質的に言って,子供を'目的'として感じることの中にある。

 出典:On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2 The Aims of Education
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE02-090.HTM
1月19日(キング牧師誕生日)

 我々はいつも変化は必要だと口癖のように言うけれども,そのことを頭のなかでは(理屈の上では)分かっていても,現実における変化には耐えられない。それゆえ,年取った急進派は,彼が無力であるかぎり幸せになれるという悲しい身の上にある。

 出典:The menace of old age, Aug. 27, 1931. In: Mortals and Others, v.1, 1975.)
 詳細情報:https://russell-j.com/RONEN.HTM
1月20日(二十日正月 )

 「理性」には完全に明晰かつ精確な意味がある。それは我々が達成したいと思う目的に対して正しい手段を選ぶということを意味している。理性は目的の選択とは何らの関わりもないのである。しかし,理性を敵とする者はこのことを理解せずに,合理主義の唱道者は,手段同様目的に対しても理性に指図させたがっている,と考えるのである。

 出典:Human Society in Ethics and Poltics, 1954, preface.
 詳細情報:https://russell-j.com/cool/47T-PREF-01.HTM
1月21日(この頃,大寒)

 私見では,我々にとって最悪なのは,あらゆる人間を分類して(仕分けして)明瞭なレッテル(ラベル)を貼ること(行為)である。この不幸な習性の持主は,自分が相手に適切だと思うタグ(札)を貼りつける時に,その相手について(タグをはりつけるに足る)完全な知識をもっている考える。

 出典:On labelling people , Aug. 10, 1932. In: Mortals and Others, v.1. (1975)
 詳細情報:https://russell-j.com/LABEL.HTM
1月22日(カレーライスの日)

 もし自分の子供が病気になったら,あなたは不幸になるかもしれないが,いっさいが空しいとは感じないだろう。あなたは,子供の健康を回復させることこそ注意を払うべき事柄であって,人間の命に究極的な価値があるかどうかという疑問などはどうでもよいと感じるだろう。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.2: Byronic unhappiness.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA12-020.HTM
1月23日(ふみの日)

 もし,彼が哲学者気質の人であれば,人生は本質的にみじめである,なぜなら,欲しいものは何でも持っている人でも,なお不幸なのだから,と結論する。彼は,欲しいものをいくつか持っていないことこそ,幸福の不可欠の要素の一つである,ということを忘れているのである。

 出典: The Conquest of Happiness, 1930, chap.2: Byronic unhappiness
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA12-020.HTM
1月24日(法律扶助の日/24~30:学校給食の日)

 結婚に際して新郎新婦は,今後末永くたがいに愛しあうことが「義務」だと教えられるが,所詮愛情は一つの情緒であって,意志の働きに服する余地はなく,したがって義務の部類には入りえない。思慮深い振舞いは,義務に属すると言えても,愛は天与の資質である。この感情が消滅する時,それを喪失した人を憐れむのはよいが,非難することは筋違いである。

 出典:On expected emotions,July 13, 1932. In: Mortals and Others, v.1, 1975.
 詳細情報:https://russell-j.com/EXPECTED.HTM
1月25日(左遷の日/菅原道真に因む)

 活力(Vitalty)は,外界に対する興味を増進する。また,困難な仕事をする力を増進する。さらに,活力は自分が生きていることを楽しいものにするため,'ねたみ'に対する安全装置になる。'ねたみ'は,人間の不幸の大きな源泉の一つであるので,このことは,活力の非常に重要な長所である。

 出典:On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2 The Aims of Education
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE02-110.HTM
1月26日(文化財防火デー)

 退屈の本質的要素の一つは,現在の状況と,想像せずにはいられない他のもっと快適な状況とを対比することにある。また,自分の能力を十分に発揮できない(状態にある)ということも,退屈の本質的要素の一つである。命を奪おうとしている敵から逃げ去るのは,さぞかし不愉快だろうが,退屈でないことは確かだろう。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.4:Boredom and excitement.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA14-010.HTM
1月27日(モーツアルト誕生日)

 退屈は,本質的には,事件を望む気持ちのくじかれた状態をいい,事件は必ずしも愉快なものでなくてもよく,倦怠の犠牲者にとっては,今日と昨日を区別してくれるような事件であればよい。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.4:Boredom and excitement.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA14-010.HTM
1月28日(コピー・ライターの日)

 我々は自殺の問題をその当否よりも,人命の尊さに関連づけて考える傾向がある。しかし,この'人命尊重'という言葉を真面目にとるのは不当(ルール違反)だと思う。なぜなら人命の尊重を真剣に考える人は,戦争を非難しなければならないことになるからである。今の世の中で戦争が我々の制度の一部分になっている限り,惨めな人生を送り自殺までも企てなければならない不幸な人たちに対して人命尊重を引き合いに出すことは,全くの偽善である。

 出典:llegal?, Mar. 9, 1932. In: Morals and Others, v.1 (1975)
 詳細情報:https://russell-j.com/ILLEGAL.HTM
1月29日(チェーホフ誕生日)

 将来に期待して,現在の意味はすべて未来の(もたらすものの)中にある,と考える習憤は,有害である。(なぜなら)部分に価値があるのでなければ,全体に(も)価値はありえない。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.2:The Byronic unhappiness.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA12-030.HTM
1月30日(ヒトラー,独首相に就任/1933年)

 人生は,ヒーローとヒロインが,信じられないような不運(逆境)を乗り越え,最後にはハッピーエンドで報われる,といったメロドラマの類推で思い描かれるべきではない.

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.2:The Byronic unhappiness.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA12-030.HTM
1月31日(シューベルト誕生日)

 現代の映画スターの名声は,最盛期のアレクサンダー大王やジュリアス・シーザーの名声をはるかに上まわる。アルキメデスの名前を彼が生きていた時代から今日までに知った人の数よりも,現在アインシュタインの名を知っている人の数の方が多いだろう。全てがこのようであるため,その結果,現代人は昔の人に比べてはるかに'短命な形の賞賛'を追い求めることになる。人間の行いは今では昔とことなり威厳がなくなり,広く大衆にアピールすることに努力がなされるようになる。

 出典:Whose admiration do you desire?, Dec. 12, 1931. In: Mortals and Others, v.1, (1975)
 詳細情報:https://russell-j.com/ADMIRE.HTM
[2月]
Jump to   1月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
【2月】

2月1日(TV放送記念日/1~7日:生活習慣病予防週間)

 余暇(時間)'と'健康'を努力して獲得したとしても,誰もそれらの活用(の仕方)を心に留めない(注意を払わない)とすれば,それらに,いかなる善さがあるというのだろうか?

 出典:On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 1:Postulates of modern educational theory.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE01-060.HTM
2月2日(ラッセル死亡)

 賢い人間が言ったことを愚かな人間が伝えると(とき),正確であったためしがない。なぜなら,愚かな人間は,自分が聞いたことを自分が理解できる内容(もの)に無意識に翻訳(誤変換)してしまうからである。

 出典:A History of Western Philosophy, 1945, chap. 11 (Socrates), p.101.
 詳細情報:なし
2月3日(福沢諭吉命日)

 恐怖は,行動だけでなく,感情においても克服されなければならない。しかも,意識された感情だけでなく,無意識の感情においても同様に克服されなければならない。貴族主義的な道徳律を満足させる(だけの)恐怖に対する単なる外面的な勝利は,意識下で働く(作用する)恐怖の衝動を残し,恐怖の申し子として認識されない'邪悪なねじれた反応'を生じさせる。

 出典:On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2 The Aims of Education
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE02-130.HTM
2月4日(この頃,立春)

 自分の思うままに自然に振る舞える職業は,概して,かなりの欺瞞を要する職業に比べて,金銭的利益が少なくなるのは当然のことである。企業の顧問弁護士,腐敗した政治家や人気のある精神科医は,道徳的な感想(や意見)を,ごく真面目に頻繁に述べなければならないが,こういった困難な仕事の見返りに,彼らはそれ相応の報酬が与えられる。

 出典:On being edifying, June 11, 1931. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
 詳細情報:https://russell-j.com/EDIFY.HTM
2月5日(長崎二十六聖人殉教の日(1596))

 人びとは,逃げ場のないメカニズムにしっかり捕まっているのではなく,踏み車を踏んでいるのであり,いつまでもそれをやめないのは,踏み車で自分を高いレベルに引き上げることはできないということに気づいていないからにほかならない,という事実である。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.3:Competition
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA13-020.HTM
2月6日(台湾征討を閣議決定/1874年)

 私が金銭から得たいと思うものは,安心して楽しめる余暇である。ところが,典型的な現代人が金で手に入れたがっているものは,もっと金をもうけることであり,なんのためかといえば,人に見せびらかし,豪勢さほこり,これまで対等であった人たちを追い越すことである。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.3:Competition
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA13-030.HTM
2月7日(トマス・モア誕生日)

 自制の効用は,列車のブレーキの効用に似ている。誤った方向に進んでいることに気づいたときには役に立つが,方向が正しいときには害になるばかりである。列車はつねにブレーキをかけたまま走るべきだ,とはだれも主張しないだろうが,それでも,困難な自制をする習慣は,有用な活動にあてるべきエネルギーに対して,きわめてよく似た有害な影響を及ぼす。

 出典:Marriage and Morals, 1929, chap. 21: Conclusion.
 詳細情報:https://russell-j.com/cool/27T-2101.HTM
2月8日(針供養

 家柄崇拝は,それが誤った価値基準や社会的不平等の容認に結びつく時,重大な悪となる。父親の七光りで特別扱いされる人間は,有益な努力をしようとする正常な動機を失なってしまう。そのような人間は名家に偶然生れたという事実に不当な重要性を与える人生観を身につけがちであり,また,自分が存在するだけで周囲の尊敬を受ける資格があると考えがちである。

 出典:On snobbery, Dec. 30, 1931. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
 詳細情報:https://russell-j.com/SNOB.HTM
2月9日(ふぐ/ふくの日/服の日)

 本人に固有な長所にもとづかない差別待遇は全て,人間性に悪影響を与えるために,他に理由がなくてこの理由一つだけしかないとしても,廃止すべきものである。

 出典:On snobbery, Dec. 30, 1931. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
 詳細情報:https://russell-j.com/SNOB.HTM
2月10日(ロシアに宣戦布告=日露戦争(1904))

 哲学者や政治家のなかに,国家は単に市民の福祉の手段としてばかりではなく,それ自体として優れた点をもち得ると考える人たちがいます。私は,この見解に同意する理由をみつけることができません。国家というのは抽象的なものです。国家は喜びも痛みも感じません。国家は希望も恐怖も持っていません。また,我々が国家の目的と考えているものは,実際は,国家を指揮する個人の目的です。抽象的にではなく,具体的にもの(国家)を考えるとき,国家の代わりに,大部分の人間以上に権力をもっている,ある一定の人々をわれわれは発見します。そうして,国家礼讃は,実際は少数支配者の礼讃であるということが明らかになります。

 出典:Authority and the Individual, 1949, chap. 6: Individual and Social Ethics.
 詳細情報:https://russell-j.com/cool/40T-0601.HTM
2月11日(建国記念日/大日本帝国憲法発布(1889))

 いかなる国家も,国民としての誇りを助長したいと望んでおり,この国民的誇りは偏見のない歴史(教育)によってはなすことができないという意識を持っている。(そこで)無防備の子供たちは、事実の曲解とか,ある種の事実の隠蔽とか,種々の暗示とかによって教えられることになる。
 
 出典:Principles of Social Reconstruction, 1916, chap. 5:Education.
 詳細情報:https://russell-j.com/cool/10T-0501.HTM
2月12日(ダーウィン及びリンカーンの誕生日)

 私が主張したいのは,成功は幸福になるための一つの要素にしかなりえず,成功を得るために他の要素がすべて犠牲にされたとすれば,あまりにも高い代価を支払って手に入れたことになる,ということである。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.3:Competition
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA13-040.HTM
2月13日(ドレスデン爆撃/苗字の日)

(ベルリンの破壊よりも)いっそう弁解できない同国人(英国人)によるドレスデンの完全破壊を熟視し,私は胸が悪くなった。私は,ドイツが明らかに降伏しようとしていたのであるからそれで十分だと思うとともに,135,000人のドイツ人(注:ドレスデン市民)を殺すだけでなく,ドイツ人の住居全てと無数の財産を破壊することは野蛮行為であると思った。

 出典:The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 1: Return to England, 1969]
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/AB31-070.HTM
2月14日(聖バレンタインデー)

 恋愛(男女間の愛情)は,協力を生み出す感情の,第一のそして最も一般的な形であって,いかなる程度であっても,恋愛を経験したことのある人ならば,自分の最高の幸福(善)が愛する人の幸福(善)とは無関係であるとするような哲学には,満足しないだろう。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.2:Byronic unhappiness
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA12-070.HTM
2月15日(世界初の電子計算機完成)

 恋愛は,人間の生涯の大部分を通じて,大部分の男女が苦しんでいる孤独から逃れるための主な手段である。

 出典:Marriage and Morals, 1929, chap.9: The Place of Love in Human Life.
 詳細情報:https://russell-j.com/cool/27T-0901.HTM
2月16日(西行忌)

 自然は,人間を孤独で生きるものとして構成しなかった。人間は,もう一人(ここでは異性)の援助者なしには,自然の生物学的な目的を果たすことができないからである。また,文明人は,愛なしには,自分の性本能を完全に満足させることはできない。肉体的であるだけでなく同程度に精神的に,人間の全存在が男女の関係の中に入っていかないかぎり,この本能は完全には満足されないのである。

 出典:Marriage and Morals, 1929, chap.9: The Place of Love in Human Life.
 詳細情報:https://russell-j.com/cool/27T-0901.HTM
2月17日(森鴎外誕生日)

 幸福な,相互的な愛という,深い親密さと強い交わりを経験したことのない人びとは,人生が提供する最上のものを失ったことになる。彼らは,意識的ではないにせよ,無意識的にこのことを感じており,その結果生じる失望のために,ねたみや抑圧や残虐に傾いていく。

 出典:Marriage and Morals, 1929, chap.9: The Place of Love in Human Life.
 詳細情報:https://russell-j.com/cool/27T-0901.HTM
2月18日(法然,親鸞,島流し)

 子供の旺盛な知識欲(知識に対する渇望)は,最も知的なおとなもしのぐ。この衝動は,年をとるにつれて弱くなり,ついには,おなじみでないものは嫌悪感を抱かせるだけで,もっとよく知りたいという欲望はまったく抱かなくなる。人々が,この国は没落しつつある(going to the dogs)とか,「いろんなことが,自分の若い頃とは違ってしまっている」などと言い出すのは,この段階である。遠い昔と同じでない(変わってしまった)のは,そのようなことを言い出す人の好奇心である。

 出典:On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2 The Aims of Education
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE02-190.HTM
2月19日(コペルニクス誕生日/日本人強制収容を忘れない日)

 私たちは,先祖ほど退屈していないが,先祖よりもより退屈を恐れている。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.4:Boredom and excitement
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA14-030.HTM
2月20日(石川啄木誕生日)

 過剰に興奮に満ちた生活は,心身を消耗させる生活であり,そこでは,快楽の必須の部分と考えられるようになったスリルを得るために,絶えずより強い刺激が必要となる。過度の興奮に慣れた人は,胡椒(コショウ)を病的にほしがる人に似ており,そのような人は,ついには,ほかの人なら誰でも窒息しそうなほど多量の胡椒でさえ味がわからなくなる。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.4:Boredom and excitement
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA14-040.HTM
2月21日(日本最初の日刊新聞創刊)

 基本的な理念(考え方)は単純である。(即ち,)正しい'躾(しつけ)'(の基本)は,外部からの強制にあるのではなく,望ましくない活動よりも,望ましい活動へ'自発的'に向かう'心の習慣'にある。

 出典:On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 1:Postulates of modern educational theory.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE01-090.HTM
2月22日(猫の日)

 禁欲主義の聖者は,自分自身の快楽を放棄(否定)したあとで,他人の快楽も否定する。(そして)他人の快楽の否定は,自分の快楽の否定よりももっと容易である。

 出典:On Education, especially in early childhood, 1926, Chap. 2 The Aims of Education
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE02-150.HTM
2月23日(税理士記念日)

 競争は最高の徳であるという信仰(思い込み)のため,少年少女も青年も,酷すぎる緊張を伴うようなものに従事させられるべきではないということに,誰も思いいたらなかった。たとえ,緊張はただ知的なものだけでさえも,十分悪いが,(実際は)さらに感情的な緊張も加わるのである。即ち,少年でも少女でもその子の全将来は -経済的な将来だけでなく社会的な将来も- 長い間の準備のあとのほんの短時間の試験で左右されてしまう(という感情的な緊張がある)のである。

 出典:Education and the Social Order, 1932, chap.12: Competetion in Education.
 詳細情報:https://russell-j.com/cool/30T-1201.HTM
2月24日(フルシチョフ,スターリン批判(1956))

 第一級の名声を勝ちうるのは,オールラウンドの教育や幅広い興味によってではない。感情と知性の両面における,精神力の集中と目標の限定が必要である。すべての若者が同じ環境にあり,同一の基準を受けいれなければならない世界においては,このような条件は容易に起こらない。傑出した人物を生み出すには多様性が必要であり,画一的な教育は,平凡な大人を生みだす傾向がある。

 出典:The influence of fathers, June 1, 1932. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
 詳細情報:https://russell-j.com/FATHER.HTM
2月25日(道真忌)

 ある日,学校(注:ラッセルが一時期経営していた Beacon Hill School)で,中くらいの背格好の少年が自分より小柄な少年をいじめているのを見つけた。たしなめたところ彼は次のように答えた。「自分より大きな奴が自分をなぐる。そこで私は自分より小さい奴をなぐる。公平だよ。」 この言葉によって,この少年は,「人類の歴史」を要約してみせた。

 出典:Education and the Social Order, 1932, p.32
 詳細情報:なし
2月26日(二・二六事件/1936)

 退屈に耐える力をある程度持っていることは,幸福な生活にとって不可欠であり,若い人たちに教えられるべき事柄の一つである。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.4:Boredom and excitement
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA14-040.HTM
2月27日(スタインベック誕生日)

 多少とも単調な生活に耐える能力は,幼少期に獲得されるべきものである。この点で,現代の親たちは大いに責任がある。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.4:Boredom and excitement
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA14-060.HTM
2月28日(利休忌)

 現代社会においては,専門家の重要性がしだいに増してきているが,その予期しない,また意図しない結果の1つは,かつては自分の力を発揮しえた人間生活のほとんどの分野で,'平均的な普通の人間'は皆「受身」になっているということである。

 出典:Are we too passive?, Feb. 3, 1932. In: Mortals and Others, v.1. (1975)
 詳細情報:https://russell-j.com/PASSIVE.HTM
2月29日(閏日)

 あらゆる種類の知的体系--(たとえば)キリスト教,社会主義,愛国主義など--は,孤児院のように,隷属の見返りに'安心感'を与えようと待ち構えている。自由な精神生活は,何らかの信条(教義)に包まれた生活のように,暖かく,快適で,愛想のよいものではない。外で冬の嵐が吹きすさんでいる間は,信条のみが,ヌクヌクとした炉端にいる感情を与えてくれる。

 出典:On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2 The Aims of Education
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE02-210.HTM
[3月] 
  Jump to 1月 2月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
【3月】

3月1日(ビキニ・デー/芥川龍之介誕生日/映画ファン感謝デー)

 本物の科学者に対しては,私は最高度の尊敬を抱いている。本物の科学者は,現代世界において,真に建設的であると同時に,心底から革命的な一つの力である。科学者は,一般の人たちと同様に持っている偏見に関係ない専門的な問題を扱っている場合は,他の誰よりもずっと正しい判断を下す傾向にある。だが,残念ながら,個人的に強い感情を抱いている問題に取り組む場合に,公平無私な立場を維持できる科学者がほとんどいない。

 出典:Are men of science scientific?, Feb. 24, 1932. In: Mortals and Others, v.1, 1975
 詳細情報:https://russell-j.com/KAGAKSHA.HTM
3月2日(ミニの日(小さなものを愛する日))

 真の美徳は,力強く、真実から目をそらさぬものであって,きれい事だらけの空想ではない。われわれは教職に就く者にさまざまな制限を設けてきたので,今日教職を仕事として選ぶ男女は,たいてい現実との接触を恐れる人々に限られてしまったが,われわれがこのような政策をとる理由は,自分たち大人には現実との接触が有益だったことが分っているのに,子供が現実と接触することが良いと思う勇気ある人が少ないからである。

 出典:Does education do harm? , Feb. 17, 1932. In: Mortals and Others, v.1, 1975.)]
 詳細情報:https://russell-j.com/EDU-HARM.HTM
3月3日(雛祭り/耳の日)

 近年,販売抵抗(sales resistance)を乗り越えるために,即ち,控えめな人たちに働きかけ,彼(彼女)等の財布のひもをゆるませ,自ら欲しいと全然思わない物品を購入させようと,厖大なお金と時間と頭脳が費やされてきた。そしてこういった事柄(たくさん物を売って営業成績をあげること)が立派なことであるかのように考えられるのが,我々の時代(現代)の1つの特徴である。

 出典:On sales resistance, June 22, 1932. In: Mortals and Others, v.1, 1975.]
 詳細情報:https://russell-j.com/SALES-R.HTM
3月4日(ミシンに日)

 高等動物は全て,喜びを表現する方法を持っている。しかし,喜びを実際に感じない時に,喜び表わすのは,人間のみである。これは「礼儀(politeness)」と呼ばれ,徳目の一つに数えられている。乳幼児の(人を)当惑させる特性の一つは,彼等は本当に喜びを感じた時だけ笑うという事実である。乳幼児は,来客を真剣なまなざしで(目を見開いて)みつめ,相手があやそうとすると,大人の愚かな滑稽な動作(仕草)に対し怪訝な表情を表す。しかし彼らの両親は,即座に乳幼児に,彼とはまったく無関係で無関心な人々が出現しても嬉しいような表情をするように教えこむ。

 出典:On smiling, Aug. 17, 1932. In: Mortals and Others, v.1, 1975.)]
 詳細情報:https://russell-j.com/SMILING.HTM
3月5日(スターリン没(1953) )

 幼少期の喜びは,主として,子供自身が多少の努力と創意工夫によって,自分の環境から引き出すようなものでなければならない。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.4:Boredom and excitement
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA14-060.HTM
3月6日(ミケランジェロ誕生日)

 子供が最もよく育つのは,若い苗木と同じく,邪魔されないで同じ土壌の中に置かれているときである。多すぎる旅行やあまりにも種々雑多な印象は,幼い子供たちにとってよくないし,大人になった時に,実りある単調さに耐えることをできなくしてしまう。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.4:Boredom and excitement
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA14-060.HTM
3月7日(消防記念日)

 自己欺瞞に支えられているときにしか仕事のできない人たちは,自分の職業を続ける前に,まず最初に,真実に耐えることを学習したほうがよい。なぜなら,'神話'にささえられる必要があるようでは,おそかれ早かれ,彼らの仕事は,有益どころか,有害なものになってしまうだろうからである。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.16: Effort and resignation.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA27-060.HTM
3月8日(国際婦人デー)

 有害な行為をするよりも(するくらいならば),何もしないほうがいい。世界における有益な仕事の半分は,有害な仕事と闘うことから成り立っている。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap. 16: Effort and Resignation.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA27-060.HTM
3月9日(記念切手記念日)

 事実を正当に評価する'ことを学ぶために少し時間を費やしても,それは時間の無駄とはならない。その後(学習後)になされる仕事は,活力を刺激するために絶えず自我を膨張させる必要のある人たちがする仕事よりも,ずっと有害でなくなる傾向がある。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap. 16: Effort and Resignation.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA27-060.HTM
3月10日(東京都民の日/東京大空襲)

 自分自身についての真実の姿に進んで向き合おうとする態度には,ある種の'諦め'が伴っている。この種の'諦め'は,初めのうちは苦痛を伴うかもしれないが,最後には,自己欺瞞に陥っている人が陥りやすい'失望と幻滅'に対する防御--事実,唯一可能な防御--を与えてくれる。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap. 16: Effort and Resignation.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA27-060.HTM
3月11日(東日本大震災)

 日毎に信じがたくなる事柄を日毎信じようとする努力ほど,疲れるものはないし,長い眼でみれば,苦痛をつのらせるものはない。こうした努力をなくすることは,確実かつ永続的な幸福の不可欠の条件である。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap. 16: Effort and Resignation.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA27-060.HTM
3月12日(世界反サイバー検閲デー)

 何らかの真面目かつ建設的な目的を持っている青少年は,目的の達成の途上で必要だとわかれば,自主的に多くの退屈に耐えるだろう。だが,建設的な目的は,娯楽と浪費の生活を送っている少年の精神の中では,容易には芽ばえない。なぜなら,そのような場合は,考えがつねに次の快楽に向いており,遠くにある目的達成には向かわないからだ。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.4:Boredom and excitement
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA14-060.HTM
3月13日(青函トンネル開業記念日)

 退屈に耐えられない世代は,小人物の世代,即ち,自然のゆったりした過程から不当に切り離され,生き生きとした衝動が,花びんに生けられた切り花のように徐々にしなびていく世代となるだろう。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.4:Boredom and excitement
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA14-060.HTM
3月14日(アインシュタイン生まれる/ホワイトデー/数学の日)

(夫婦や恋人などの)カップルは,ブラウニング夫妻がそうしたように,相互にほめあう社会を作るかもしれない。ほめられる価値があってもなくても,身近に必ずほめてくれる人がいることは,非常にうれしいことである。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.2:The Byronic unhappiness.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA12-050.HTM
3月15日(マゼラン,フィリピンに到着)

 私は決して恋愛を信じなくなったわけではないが、私が信じることのできる恋愛の種類は、ヴィクトリア朝時代の人々が賛美したような性格のものではない。私が信じている恋愛は、冒険心に富み、目を大きく見開き、善(とは何か)についての知識を与える一方で、悪の存在も忘れないし、神聖ぶったり、高徳ぶったりもしない(ものである)。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.2:The Byronic unhappiness.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA12-060.HTM
3月16日(国立公園指定記念日)

 心の道徳律は,主に思いやりの感情と気だての良さからなると,私は思う。しかしこれらの性質はお説教によっては生み出されず,十分な消化力と健全な分泌腺と恵まれた環境によって生みだされる。 「関係者がみな不愉快な思いをしたとしても,自らの義務を果たせ」というのは教化(善導)であり,迫害本能に訴えるものである。

 出典:On being edifying, June 11, 1932. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
 詳細情報:https://russell-j.com/EDIFY.HTM
3月17日(聖パトリック・デー(英国)

 (ラッセル作「(小説)郊外町の悪魔」より) マラコ博士は応えた。「ああ,残念ながら,恐らく,我々の神聖なる宗教(キリスト教)には,あなたが十分に理解していないことが,たくさんあります。何ひとつ懺悔をする必要のない九十九人の正しい人間が,神のふところに帰った一人の罪人よりも,天国では喜びを得ることが少ないという寓話を,よくよく考えたことがおありでしょうか? 」

 出典:Satan in the Suburbs, and Other Stories, 1953.
 詳細情報:https://russell-j.com/cool/45T-0101.HTM
3月18日(明治村開村記念日)

 妻と私は、夕食後、交互に音読するのを習慣とし、私たちは、そのようにして、おびただしい数の標準的な巻数の多い歴史書をこつこつと読んだ。このようにして読んだ最後の歴史書は、グレゴロヴィウスの「ローマ市史」(全8巻)であったように思う。この時期は、私の生涯のうちで、知的に最も実り多い時期であり、それを可能にしてくれた最初の妻に、恩があり感謝している。

 出典:The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 5: First marriage, 1967]
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/AB15-050.HTM
3月19日(東京駅完成/カメラ発明の日)

 自分のライフスタイルを選択できるほど裕福な人々の間において,特に彼らが苦しんでいる耐え難い退屈は,逆説的であるように思われるかもしれないが,退屈への恐れにその原因がある。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.4:Boredom and excitement
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA14-070.HTM
3月20日(上野動物園開園記念日/東京国立博物館開館記念日)

 実りある退屈から逃げることで,別のより悪い種類の退屈の餌食になる。幸福な生活は,大部分,静かな生活でなければならない。なぜなら,真の喜びは,静かな雰囲気の中でのみ,生きながらえることができるからである。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.4:Boredom and excitement
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA14-070.HTM
3月21日(国際人種差別撤廃デー/この頃,春分の日)

 心理学や生理学の観点から見ると,恐怖と激怒は,非常に類似した感情である。激怒を感じる人は,最高の勇気を持っていない。黒人暴動,共産主義者の反乱,その他,貴族制度(特権階級)に対する脅威を鎮圧する際に必ず顕になる残酷さは,臆病(な心)から出たものであり,もっと明確な形の臆病に与えられるのと同様の軽蔑に値する。

 出典:On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2 The Aims of Education
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE02-140.HTM
3月22日(放送記念日=日本で最初のラジオ放送)

 人間が受動的になったのは,娯楽面ばかりではなく,自分が専門家でないありとあらゆる技術と知識の形態においてそうである。昔の農民は天候に詳しかったが,現代人は明日の天気について自分の意見をもちたいときには(新聞掲載の)公的な天気予報を読む。現代人は新聞(注:現代なら,テレビやネット)を見なければ,「現在」雨が降っているか晴れているかさえわからないらしいという印象を私は時折持ったことがある(皮肉)。現代人はまちがいなく新聞を通して政治や世界情勢や昔の厳格な美徳にもどる必要性について自分の意見をつくりあげる。現代人が大部分の事柄についてあえて自分の意見を持とうとしないのは,特別な学識や経験を持つ人々の権威の保障のもとに物を言ったほうが安全だ,と確信しているからである。

 出典:Are we too passive?, Feb. 3, 1932. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
 詳細情報:https://russell-j.com/PASSIVE.HTM
3月23日(世界気象デー)

 当面ほとんど実行されそうもないある種の改革を唱えることで現在生計を立てている知的かつ高潔な無数の男女が,万一魔法使いの一撃で彼らの唱道する種々の施策が達成された際には,一体どういう境遇になるかを考えると身震いする。失業者数は危険なまでに増えるだろう。

 出典:On societies, June 8, 1932. In: Mortals and Others, v.1, 1975.
 詳細情報:https://russell-j.com/SOCIETY.HTM
3月24日(壇ノ浦の戦い/世界結核デー)

 団体の幹事(注:'常務理事'など)のモットーは,「希望を持って旅することは,目的地に到着することよりも良いことである」とすべきである。なぜなら,'到着'は破滅を意味するからである。

 出典:On societies, June 8, 1932. In: Mortals and Others, v.1, 1975
 詳細情報:https://russell-j.com/SOCIETY.HTM
3月25日(電気記念日)

 科学者は仕事の上で幸福であるが、その理由は、現代世界において科学は進歩的かつ強力であり、またその重要性は科学者自身にも一般人にも全く疑われていないからである。それゆえ--単純な感情は、障害物にぶちあたることがまったくないので--、科学者は複雑な感情を持つ必要がない。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.10: Happiness still possible?
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA21-020.HTM
3月26日(復活祭(この頃))

 自発的であれそうでないにせよ、自ら選んだにせよ必要に迫られたにせよ、現代人の大部分は、神経をすりへらす生活を送っている。そして、いつも疲れすぎている状態にあるため、アルコールの助けなしでは楽しむことができなくなっている。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.5: Fatigue.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA15-010.HTM
3月27日(世界演劇の日(World Theatre Day))

 きちんとした精神を養うことで、どれほど幸福と効率が増すかは、驚くほどである。きちんとした精神は、ある事柄について24時間不十分に考えるのでなく、考えるべき時に十分に考える。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.5: Fatigue.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA15-020.HTM
3月28日(スリーマイル・デー)

 困難な、あるいはやっかいな結論を出さなければならない時には、すべてのデータが集まり次第、その問題について十分に考え抜いた上、決断を下すとよい。決断した以上は、何か新しい事実が出てきた場合を除いて、修正してはならない。優柔不断くらい心身を疲れさせるものはないし、不毛なものはない。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.5: Fatigue
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA15-020.HTM
3月29日(八百屋お七の日)

 いかなる隔離された情熱も,隔離された状態のままでは,(一種の)狂気である。正気とは,種々の狂気を総合(統合)したものとして定義してよいだろう。

 出典:Nightmares of Eminent Persons, 1945, Introduction.
 詳細情報:https://russell-j.com/cool/46E-INTR01.HTM
3月30日(ゴッホ誕生日)

 第一次世界大戦中,ケンブリッジ大学においてさえ,'知的誠実さ'に限界があることを発見したのは,私にとって打撃であった。それまでは,私は,どこに住んでいようと,ケンブリッジ大学だけがこの地上において安息所(我が家)とみなせる唯一の場所であると感じていた。

 出典:The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 3:Cambridge, 1967]
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/AB13-340.HTM
3月31日(年度末/教育基本法公布記念日/この頃,復活祭 Easter)

 教育を'ある明確な信念を注入する手段'であると考えている人びとと,教育は自立的な判断力を養う(←生み出す)べきものであると考えている人びととの間には,意見の一致はまったくない。

 出典:On Education, especially in early childhood, 1926, Introduction.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE-PREF.HTM
. [4月]
  Jump to 1月 2月 3月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
【8月】

8月1日(第一次世界大戦はじまる/観光の日)

 高潔な人たちが,自分は正当にも「道徳的な悪」を懲らしめているのだと思いこんで行ってきた'戦争'や'拷問'や'虐待'のことを考えると,私は身震いする。

 出典:On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 1:Postulates of modern educational theory.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE01-110.HTM
8月2日(学制発布記念日/シベリア出兵を宣言(1918))

 真の美徳は,力強く、真実から目をそらさぬものであって,きれい事だらけの空想ではない。われわれは教職に就く者にさまざまな制限を設けてきたので,今日教職を仕事として選ぶ男女は,たいてい現実との接触を恐れる人々に限られてしまったが,われわれがこのような政策をとる理由は,自分たち大人には現実との接触が有益だったことが分っているのに,子供が現実と接触することが良いと思う勇気ある人が少ないからである。

 出典:Does education do harm? , Feb. 17, 1932. In: Mortals and Others, v.1, 1975.
 詳細情報:https://russell-j.com/EDU-HARM.HTM
8月3日(学制発布記念日(1872))

 協力は,一つの理想としては欠点がある。自分ひとりのためではなく,社会とともに生きることは正しい。しかし,社会のために生きるということは,社会(一般)がやることと同じことを自分も行うということを意味しない。たとえばあなたが劇場にいて,火災がおこり,観客が出口に向かって殺到したとしてみよう。いわゆる''協力 '(の美徳)以上の道徳観を持ち介わせない人は,群衆に抵抗することを可能とするような気迫を持たないために,群集と一緒になって逃げるだろう。戦争に乗り出す国民の心理(状態)は,すべての点でこれと同じである。

 出典:Of co-operation, May 18, 1932. In: Mortals and Others, v.1, 1975
 詳細情報:https://russell-j.com/KYORYOKU.HTM
8月4日(箸の日)

 フランス革命期の,恐怖政治が終った時,政治家で生き残ったのは,斬首されないようにすばやく意見を変えた,抜け目のない臆病者だけだった。その結果,政治家の中に将軍たちの秩序を保つ勇気のある人物はまったくいなくなり,軍部の栄光が二十年間続くこととなっ た。

 出典:The advantages of cowardice, Nov. 2, 1931. In: Mortals and Others, v.1, 1975.
 詳細情報:https://russell-j.com/COWARD.HTM
8月5日(世界ビール・デー)

 組織が存在するところではどこでも,勇気よりも'臆病であること'の方が(のし上がっていくためには)より有利であることが見いだされるだろう。会社(企業),学校,精神病院等の長になる人たちの十中八九は,独自の判断力を持ち率直に自分の考えを言う人間よりも,従順な胡麻すりを好むだろう。政治の世界では,党の綱領を信奉すると公言し,指導者たちにお世辞を言う必要がある。

 出典:The advantages of cowardice, Nov. 2, 1931. In: Mortals and Others, v.1, 1975.
 詳細情報:https://russell-j.com/COWARD.HTM
8月6日(広島に原子爆弾投下)

 アインシュタインのような人物が戦争に関する自明な真理を世間に向かって言っているのに世間は耳をかさない。アインシュタインの言うことが難しくて理解できないかぎりは,彼は賢明な人物だと考えられるが,彼がすべての人が理解できることを述べると彼の知恵はもう底をついたと考えられる。この種の愚行において,各国政府は指導的役割を果たす。政治家は政権にしがみついていたいために,自国を破滅に導いても構わないと考えるらしい。これ以上の邪悪さは容易に想像できない。

 出典:Do governments desire war? , Aug. 24, 1931. In: Mortals and Others, v.1, 1975.
 詳細情報:https://russell-j.com/DESIRE-W.HTM
8月7日(鼻の日/仙台七夕まつり)

 達成の喜びを得るためには,'最後には通例達成されるにしても,事前には,成功は疑わしいと思うような困難が存在する'必要がある。これは,多分,なぜ過度にならない程度に自分の能力を高く評価することが幸福の一つの源であるとかという理由のなかの,主なもの(理由)である。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.10:Is Happiness still possible?
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA21-010.HTM
8月8日(この頃,立秋/そろばんの日/笑いの日(ハッハッハ))

 自分を過小評価する人は,成功するといつも驚くが,これに対し,自已を過大評価する人は,失敗するといつも驚く。前者の場合の驚きは愉快であるが,後者の場合は不愉快である。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.10:Is Happiness still possible?
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA21-010.HTM
8月9日(長崎に原爆投下)

 我々の本能には残酷さが潜んでおり、狂信は残酷さをかくすカモフラージュである。狂信主義者はめったに心から人間的であることはなく,残酷さを心から恐れる人はなかなか狂信的な信条を抱かないであろう。

 出典:The Practice and Theory of Bolshevism, 1920, chap.1:What is hoped from Bolshevism,
 詳細情報:https://russell-j.com/cool/15T-1011.HTM
8月10日(道の日)

 権力のいいなりになる者(従順な人間)は,思想と行動の両面において進取の気性を失う。さらに,出鼻をくじかれているという感情によって引き起こされる怒りから,自分より弱い者をいじめることにはけ口を見つけがちである。これが圧政的な慣例がいつまでも続いている理由である。

 出典:In Praise of Idleness, 1935, chap. 12: Education and Discipline
 詳細情報:https://russell-j.com/cool/32T-1201.HTM
8月11日(吉川英治生まれる)

 歴史や社会学を学んでみると,世の中にもっとも害悪を流す者は刑務所に入れられる罪人ではなくて,銅像となって馬上で雄姿を見せる種類の人物であると知って誰もが愕然とするにちがいない。

 出典:Are criminals worse than other people? , Oct. 29, 1931. In: Mortals and Others, v.1, 1975
 詳細情報:https://russell-j.com/CRIMINAL.HTM
8月12日(日、英、米、仏、シベリア出兵/日中平和友好条約調印日)

 個人的な交際においては常に非常に思いやりのある人も、戦争を扇動したり、「後進国」の子供たちを虐待することによって、収入を得ているかもしれない。このようなお馴染みの現象はすべて、大部分の人は単なる抽象的な刺激では共感(同情)をかきたてられない、という事実によっている。

 出典:On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2: The Aims of Education
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE02-170.HTM
8月13日(左利きの日)

 政治的指導者たちの大部分は,自分たちは利他的欲求のために行動していると多くの人々を信じ込ませてその地位を得ている。そのような信念も,興奮の影響下では一層容易に受け容れられることはよく理解できる。ブラスバンド,集団祈祷,私刑(リンチ)の執行,そして戦争(注:オリンピックの招致,国会議員団による靖国集団参拝,マスコミによる集団リンチ,仮想敵国による国土侵略の恐怖,その他)と,段階を追って興奮は高まる。不合理を唱道する者たちは,どうやら,大衆を興奮状態においておけば,自分たちに都合のよいように彼らをだますずっと良い機会がでてくる,と思っているようである。

 出典:Human Society in Ethics and Politics, 1954, Preface.
 詳細情報:https://russell-j.com/cool/47T-PREF-02.HTM
8月14日(札幌農学校開校(1876年)/御前会議でポツダム宣言受諾)

 大衆ヒステリアは,人間だけに限られていない現象である。それはいかなる群居性の種族にも見られるであろう。わたくしはかつて中央アフリカの野生の象の大群が,はじめて飛行機を見て,みな激しい集団的恐慌の状態におちいっている写真をみたことがある。象はたいがいの場合,落ち着いた賢い動物である。しかしこの前古未曽有の,騒々しい未知の空の動物という現象は,群れ全体を完全にあわてさせたのである。すべての象はそれぞれ,みな恐怖にとらえられた。そして一匹一匹の恐怖は他の象に伝わり,ひどく増大した恐慌を引き起こした。しかしながら,彼らのなかにはジャーナリストはいなかったので,その恐怖は飛行機が見えなくなったとき消滅した。

 出典:To Face Danger without Hysteria .In: New York Times Magazine, 21 Jan. 1951.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/KAMI-43.HTM
8月15日(終戦(敗戦)記念日)

 戦争を回避するための(組織的な)方法を発見することは,我々の文明にとって必須である。しかし,人びとが不幸なあまりに,日中(の光)のまぶしさを耐え続けるよりも(現実を直視し耐え続けるより),'相互殺戮'のほうが恐ろしくないと思われるうちは,戦争を回避するための(組織的な)方法を発見する機会はない。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.1:What makes people unhappy?
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA11-020.HTM
8月16日(京都・大文字送り火)

 (一時的な)流行追求や趣味は,多くの場合,多分大部分,根本的な幸福の源泉ではなく,現実からの逃避のための手段になっている。即ち,直視するには大きすぎる苦痛を当面の間忘れるための手段になっている。根本的な幸福は,ほかの何にもまして,人(間)や事物に対する'友好的'な関心とも言うべきものに依存しているのである。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.10:Is Happiness still possible?
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA21-060.HTM
8月17日(フェルマー誕生日 )

 人に対する友好的な関心は,深い愛情のひとつの形であるが,欲深で所有欲が強く常に強い反応を求める形はそうではない。後者は,しばしば不幸の源泉となる。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.10:Is Happiness still possible?
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA21-070.HTM
8月18日(太閤忌 (辞世の句:「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」)

 幸福に寄与するものは,人びとを観察することを好み,個々人の特徴に喜びを見いだす種類のものであり,(また)接触するようになった人びとの興味や楽しみのための機会を与えたいと願い,その人たちに対する影響力を獲得したいとか,その人たちの情熱的な称賛を得たいとかいうことは願わない種類のものである。他人に対して真にこうした態度をとれる人は,(他人にとっての)幸福の源泉になるだろうし,またお返しの親切の受け手になるだろう。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.10:Is Happiness still possible?
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA21-070.HTM
8月19日(ドイツ飛行船ツェッペリン号来日)

 肉体的な危険以外の事柄について勇気のある男性は,それがどのような事柄であれ,良くは思われない。たとえば,世論を無視することは,一つの挑発(行為)とみなされ,その権威をあえて馬鹿にした人を,世間は,あらゆる手段をつくして罰しようとする。これらはすべて,あるべき姿にまったく反することである。  (しかし)男女を問わず,あらゆる形の勇気は,軍人において肉体的な勇気が称賛されるのと同様に,称賛されなければならない。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.5: Fatigue.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA15-070.HTM
8月20日(NHK創立記念日(1926))

 戦争,虐殺,迫害は,すべて退屈からの逃避の一部(→逃避から生まれたもの)であり,隣人とのけんかさえ,何もないよりはましだと感じられてきた。それゆえ退屈は,人類の罪の少なくとも半分は退屈を恐れることに起因していることから,モラリスト(道徳家)にとってきわめて重要な問題である。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap. 4: boredom and excitement.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA14-030.HTM
8月21日(生麦事件起こる/献血記念日)

 国家主義的な型の愛国心は,学校教育で教えられなければならない型の愛国心とはかけ離れたものであり,人々が不幸にして陥りやすい集団ヒステリーの一形態だと言わなければならない。また,そのような愛国心(教育)に対し,知的にも道徳的に防備を固めなければならない。国家主義は疑いもなく現代の最も恐ろしい害悪である。

 出典:Education and the Social Order, 1932, chap. 10:Patriotism in Education.
 詳細情報:なし
8月22日(藤村忌)

 いかなる国も例外なく悪いことをやってきたし,その大部分は馬鹿げた過ちであったことを,子供たちに教えなければなりません。集団がヒステリックに興奮すると,どんなふうに国民全体を愚劣な行動に追いこんだりするか,また,波及する気狂い状態にも押し流されずに毅然たる態度をとる少数者をどのように迫害するか子供たちに教えるべきです。

 出典:What is Democracy?, 1953.
 詳細情報:なし
8月23日(奴隷貿易とその廃止を記念する国際デー)

 文明化された人々の間では,画一性を強制したいというこの盲目的衝動は,次第に弱まっていきます。しかし,多くの人は決して文明化されず,生涯,小中学生の持つ,粗野な迫害本能を保持し続けます。もし政治的自由が存在すべきであるならば,この迫害したいという感情を,法律のなかに具現化してはいけません。

 出典:What is Freedom?, 1952.
 詳細情報:https://russell-j.com/cool/0984_what_is_freedom/htm
8月24日(ポンペイ最期の日)

 義務感は,仕事においては有用であるが,人間関係においてはいやなものである。人は,他人に好かれることは望むが,我慢強いあきらめをもって耐えてもらうことは望まない。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.10:Is Happiness still possible?
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA21-070.HTM
8月25日(川柳発祥の日)

 多くの人びとを無意識かつ努力しないで好きになれることは,おそらく個人の幸福のあらゆる源泉のなかで最大のものであろう。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.10:Is Happiness still possible?
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA21-070.HTM
8月26日(人権宣言の日)

 私は自分が一夫多妻制に賛成していると思われたくありません。しかし,自由の愛好者であるかどうか調べる正真正銘のテストは,その人が嫌う物事についてその人が示す態度との関係を見ることにあります。自分の好きなことに対して寛容であることは容易です。自由主義的な態度を特徴づけるものは,自分の嫌う物事に対して寛容であることです。

 出典:What is Freedom?, 1952.
 詳細情報:https://russell-j.com/cool/0984_what_is_freedom/htm
8月27日(宮沢賢治誕生日/寅さんの日)

 'ねたみ'が、異なる階級、異なる国家、また異なる性の間に、'公正・公平'をもたらす主な動因になっていることは事実であるが、同時に、ねたみの結果として期待される'公正・公平'は、最悪の種類のものになりがちであることも、また事実である。つまり,'公正・公平'といっても、不幸な人たちの楽しみを増すよりも、むしろ、幸運な人たちの楽しみを減らすようなものになりがちである。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap. 6: Envy.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA16-070.HTM
8月28日(ゲーテ誕生日)

 しかし,残酷と搾取によって財産を獲得した人は,たとえ規則的に教会に行き,不正に獲得した収入の一部を公共的な目的(対象)に寄付したとしても,"不道徳な人間"と見なされなくてはならない。

 出典:The Harm That Good Men Do,1926
 詳細情報:https://russell-j.com/0393HGMD.HTM
8月29日(文化財保護法制定記念日)

 けれども,世の中には,女を憎むもっと複雑な別のタイプの男がいる。それは,ドンファン・タイプの男(Don Juan type)である。彼は絶えず女性の中に理想(像)を追い求め,失敗し,相手の女に欠点を見つけるやいなや,その傷ついた偶像を捨ててしまう。正直に言って,私はこのタイプの男に我慢がならない。

 出典:Our woman haters, May 25, 1932. In: Mortals and Others, v.1, 1975
 詳細情報:https://russell-j.com/HATE-W.HTM
8月30日(マッカーサー進駐記念日(1945))

 あまりに多くを求めることは,入手可能なものよりも少ないものしか得られない(得られるものも得られなくなる)一番確実な方法である。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.10:Is Happiness still possible?
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA21-080.HTM
8月31日(野菜の日)

 幸福の秘訣は,こうである。あなたの興味・関心をできるかぎり幅広くしなさい。そうして,あなたの興味・関心をひく'事物'や'人'に対する反応を敵意あるものではなく,できるかぎり友好的なものにしなさい,と。

 出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.10:Is Happiness still possible?
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA21-080.HTM
[9月]
  Jump to 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 10月 11月 12月

[ Copyright © 2015 Akiyoshi Matsushita. All Rights Reserved. ]