バートランド・ラッセル「善い人生」
* 出典:牧野力(編)『ラッセル思想辞典』所収 * Source:What I Believe, 1925, chap.2.様々の時代に、多様な人々の間で、「良い生活(善い人生)」について種々の考えがあった。・・・。意見の相違は、ある程度までは、目的と手段についての見解の違いから生じている。
私は良い生活(善い人生)についての私の意見を正しいと(理論的に)「証明する」ことは出来ない。なるべく多くの人々に同意してもらえればと願うだけである。私の考え方を簡潔に述べれば:
'善い人生'とは、愛に力づけられ、知識によって導びかれた人生のことである。
(The good life is one inspired by love and guided by knoledge.)
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知識と愛との一方だけでは善い人生(良い生活)にはならない。
ある意味で「愛」の方が根本的である。しかし、もし人々が聡明でなく、教えられた知識だけで満足してしまえば、この上ない純粋な「博愛心(benevolence)」があっても、害悪を防げないだろう。医学がおそらく、私の意味するところの最も良い例を与えるだろう。有能な医者は、最も親愛な友人より、患者にとっては有用であろう。そして、医学知識の進歩は、知識の不十分な慈善より、共同社会の健康増進のためにはより貢献するものである。・・・。
善い人生(良い生活)の定義をさらに厳密に説明すると、自分の願望する善い人生(良い生活)には、自他共にその人生(生活)を送れるようにという意味がある。論理的には、自他共に愛に力づけられ、知識によって導びかれた人生を送る(生活をする)人々の共同社会は、愛も知識もない社会より一層多くの欲望が満たされるということになる。・・・。
「愛」とはいろいろな種類の感情にわたる言葉であり、私はそれらのすべてを含めたいと思っている。(親の子に対する愛、性愛、プラトニック・ラブ、慈愛、博愛、人類愛、・・・等々)
また、善い人生(良い生活)の要素である知識とは、倫理的な知識を指すのではなく、科学的な知識と個々の(森羅万象の)事実についての知識のことを私は考えている。知識は人間に目的達成への手段を示してくれる。
厳密にいって、(理論的な)倫理的知識などというものがあると私は思わない。
もし「正しい行為」の定義が「広く好感を抱かれる行為」と仮定すれば、目指すべきは、人類の大部分に「広く好感を抱かれる行為」でなければならない。