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沢田允茂「バートランド・ラッセルと論理学」p.17

表紙 発刊のことば 目次  p.1 p.2 p.3 p.4 p.5 p.6 p.7 p.8 p.9 p.10 p.11 p.12 p.13 p.14 p.15 p.16 p.17 p.18 p.19 p.20 p.21 p.22 p.23 p.24 p.25 p.26 p.27 p.28 p.29 p.30 p.31 p.32 p.33 p.34 p.35 p.36 p.37 p.38 p.39 p.40 p.41 p.42 p.43 p.44 p.45 p.46 p.47 p.48 p.49 奥付
(p.17) さて、この考えを、今迄の古典的な論理学の表現、例えば、「すべてのXはYである」、とか「あるXはYである」にあてはめて考えてみます。そして「XはYである」というような命題を問題にするとき、私たちは私たちの話題の世界を
 XであってそしてYであるようなもののクラス (X・Y)
 XであってそしてYでないようなもののクラス(×・notY)
 XでなくてそしてYであるようなもののクラス(notX・Y)
 XでなくてそしてYでないもののクラス(notX・notY)
の四つのクラスに分けて考えること(図3参照)にします。
 さて、「すべてのXはYである」というのは、「XであってYでないようなものはない」ということと論理的に同じであるから、図3における(X・notY)のクラスのなかには何もないということ、つまりそのクラスは空集合であるということを意味します。そしてこれを数学的に表現しますと
 x(1-y)=0
となります。(次のページに続く)