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沢田允茂「バートランド・ラッセルと論理学」p.13

表紙 発刊のことば 目次  p.1 p.2 p.3 p.4 p.5 p.6 p.7 p.8 p.9 p.10 p.11 p.12 p.13 p.14 p.15 p.16 p.17 p.18 p.19 p.20 p.21 p.22 p.23 p.24 p.25 p.26 p.27 p.28 p.29 p.30 p.31 p.32 p.33 p.34 p.35 p.36 p.37 p.38 p.39 p.40 p.41 p.42 p.43 p.44 p.45 p.46 p.47 p.48 p.49 奥付
(p.13)ところでこの三段論法ですが、これは前述のような三つの文章の組み合わせの中で、それぞれの文の中で主語、述語として現われている概念の外延関係をたどって正しい言い方ができるようなそういう型を示しているわけで、例えば、⑤では人間というクラスは死すべきもののクラスに含まれる、それから、⑥ではギリシア人は、人間というクラスに含まれることを意味しています。そして結局は、⑦においてギリシア人というクラスは死すべきもののクラスに含まれてしまうということが示されているわけなのです。
 ところがこの三段論法というのは、人間が実際におこなっている推理のなかのごくわずかなものにしか適用できないことが判ってきます。つまり人間の推理はもっと雑多なもので必ずしも三段論法に都合よくおさまるようなものではないということが分かります。その一例として、関係をあらわすような「AはBより大きい」「BはCより大きい」「とすればAはCより大きい」というような、ごくあたりまえの推論が、従来の三段論法の論理の型にあてはまらないのです。そこでデカルトはかつて、「こういう三段論法は、最初から分かりきっていることを、或いは良く知られている真理を、(次のページに続く)