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沢田允茂「バートランド・ラッセルと論理学」p.7

表紙 発刊のことば 目次  p.1 p.2 p.3 p.4 p.5 p.6 p.7 p.8 p.9 p.10 p.11 p.12 p.13 p.14 p.15 p.16 p.17 p.18 p.19 p.20 p.21 p.22 p.23 p.24 p.25 p.26 p.27 p.28 p.29 p.30 p.31 p.32 p.33 p.34 p.35 p.36 p.37 p.38 p.39 p.40 p.41 p.42 p.43 p.44 p.45 p.46 p.47 p.48 p.49 奥付
(p.7) ところで、話は一寸ずれますが、このアリストテレスの考え方は、その後の西洋の哲学の歴史に決定的影響を与えたようでありまして、とくに哲学の花形である形而上学の歴史はこのアリストテレスのこの実体の性質をめぐっていろいろ議論が展開したと言えるのであります。つまり、その後の哲学史においては、このアリストテレスの基本的な言語或いは論理と存在との構造の一致という問題点については、それほど疑問をいだかないで(勿論これに疑問をいだいた小数の哲学者もありましたけれども、多くはこれに疑問をいだかないで)むしろこの実体を認めた上で、一体、この実体は普遍者なのか個物なのかという点にまず議論は集中しました。これが有名な唯名論(nominalism)と、実念論(realism)の争いであり、本当に存在するのは個物なのか、或いは普遍概念が存在するのか、というような形で中世を通じて非常に大きな論争になりました。或いはまたこの実体は、一体心的なものなのか物的なものなのか、ということを問題にすると唯心論と唯物論という形で形而上学的議論が展開されてきたわけであります。
 またこの実体というものが、世界中にたった一つなのか、・・・、或いは沢山あるものなのかということが問題になると一元論対多元論という形で、やはり形而上学の問題になってきたわけです。それからまた、この実体をもう少し認識と関係させて問題にしますと、一体この実体は知られ得るものなのか、或いは人間にとって全く知ることの出来ないものなのかという問題が生じます。(次ページに続く)