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バートランド・ラッセル落穂拾い 2013

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R落穂拾い-中級篇


索引(-出版年順 著者名順 書名の五十音順



  • 小林信彦『世界の喜劇人』(新潮社,1983年1月刊/新潮社文庫版(=1973年に晶文社から刊行されたものを大幅に加筆したもの)(2013.11.5)
    *
    小林信彦(こばやし・のぶひこ,1932~ ):小説家,評論家,コラムニスト。早稲田大学第一文学部英文学科卒業。
    [(新潮文庫版pp.58-60:破壊 -極楽コンビ, ローレル&ハーディの『素敵な商売』]

    (p.58) 最後の極楽コンビによる『素敵な商売 (Big Business)』(レオ・マッケリイ監督)は,「破壊」というテーマに徹している。ローレル,ハーディがクリスマス・ツリー用のヒマラヤ杉売りになり,ケチなスコットランド人と大喧嘩。スコットランド人が二人の車をこわし出すと同時に,二人はスコットランド人の家をこわし出す。これが実にえんえんとつづき,ローレルが家の中から品物を投げると,ハーディがシャベルをバットのように振ってそれを打ち砕く。一方,スコットランド人は地面におちた小さいヒマラヤ杉と取っ組む,という有様で,轟々(ごうごう)たる笑いの渦の中から,<人間の愚かしさ>があらわれて来,現代の米ソの核爆発実験競争を連想せざるを得ないのだ。両者のこわす物品をいちいちメモしながら,いっこうに止めようとしない警官は,国連事務総長というところか
     この四十年以上前に作られた短篇は,このように,実に見事に,バートランド・ラッセルのいわゆる<大国の虚栄>を諷刺しているのだ。しかもこのサタイア(風刺)たるや,このフィルムの魅力のほんの一部に過ぎないのである。ここに,ファース(喜劇)の強みがある。

  • 姫野カオルコ『終業式 the closing ceremony』(新潮文庫,1993年3月刊/角川文庫,2004年2月刊)(2013.11.3)
    *
    姫野カオルコ(ヒメノ・カオルコ, 1958~ ):小説家。度々直木賞候補になるが受賞なし。青山学院大学文学部卒。
    [(角川文庫版 p.89:『終業式』第1章 「制服」の最後のところ]

    ・・・。
     ユングって作家の名前? 受験出題率の高い作家の一覧表にはこの人の名前は見当たりません。不必要なことに時間を割くのはいけないと思う。ユングとかいう人のを読むより,小林秀雄江藤淳を読んだほうが受験のためになります。外国人作家ではラッセルが出題率が高いそうです。わたしは家の人にたのんで新聞を読売から朝日に変えてもらいました。朝日の社説は入試出題率が高いですから。
     とにかく都築くん,今は感傷的になってないで,目前のハードルをクリアーすることに全力彼球しましょうよ。ファイト!
         お互いの合格を祈って

      都築宏様   二月四日 悦子

  • 鈴木孝夫研究会(編)『鈴木孝夫の世界・第2集 -ことば・文化・自然-』(富山房インターナショナル,2011年7月刊)](2013.10.30)
    *
    鈴木孝夫(すずき・たかお,1926~ ):慶應義塾大学名誉教授,(財)日本野鳥の会顧問。言語社会学専攻。
    [(pp.8-15) 私には専門はない,私の学問はゲリラ的]

    (p.8) そもそも私は「ご専門は何ですか」と言われるのが一番嫌なんです。私には専門はありません。つまり何でもやるけれど,すべてにおいていわゆる専門というわけではないのです。一番のいい証拠は,私の書くものにはほとんど他の学者の研究の引用がないのです。学術論文では,先行研究をたくさん引用するというのが決まりごとのようになっています。だいたい近年のアメリカの人文・社会科学の論文では,やたらと他人の文章を引用しては「Chomsky(1958)」などと書いたりして,読んでいておもしろくない。
     イギリスのスタイルはちょつと違っていました。一番いい例は,バートランド・ラッセルというノーベル賞も受章した数学・論理学の学者の書いたものです。バートランド・ラッセルは,言語にも非常に詳しくて,著作のなかにはエッセイというか誰でもが読めるものがあります。そのなかに猛烈におもしろい言語学の問題が入っていたりするので,私はそれを若い頃にずいぶんと読んで,それにあこがれて,引用をしないでエッセイスタイルで書くようになりました。
     そうするとそれは論文審査の対象にならないわけです。私に博士の学位をくれるという話が慶応では何遍もあったのですが,その際必ず私が引用文の多いいわゆる「論文スタイル」のものを書かないことが壁になるわけです。で,引用文の入った論文を出してくれないかという話にもなったのですが,私はそんなくだらないことまでして博士になろうなんて,これっぼっちも思わない。さらに言えば,私を審査する能力と資格をもっている学者がどこにいるのかという根本的な疑義もあった。で,本当にそういうことを明言したら,以後,私を博士にしようという動きはばつになりこなくなりましたね。

  • 村田基「山の家」[村田基『恐怖の日常<ホラー小説集>』(早川書房,1989年2月刊/ハヤカワ文庫)pp.9-44](2013.10.27)
    *
    村田基(むらた・もとい,1950~ ):SF・ホラー作家
    (p.10)・・・。
     そこでぼくはわれに返った。今はそんなことをしているときではないのだ。
     ぼくはため息をつくと,机の上に広げてあった数学の参考書をかたづけ,英文解釈の問題集を取り出した。
     ぼくは予備校に通っていない浪人,いわゆる宅浪だ。どうせのことなら,静かな場所のほうが勉強しやすいだろうと,この山の中の家にやってきたのだが,豊かな自然に恵まれた環境というのは,必ずしも勉強するのに向いていないようだ。
     しかし,そんなわがままはいっていられない。
     ぼくは砂時計をひっくり返し,問題に取り組んだ。次の英文を読み,一~六の設問に答えよ,というやつだ。
     三行ほど読むと,前に一度読んだ文章であることに気がついた。確かバートランド・ラッセルの文章だ。ラッセルの文章はよく試験問題に使われるから,こういうことがあっても不思議ではない。
    ′それでもぼくは,自分の勉強量もまんざらではないと思い,ニヤリとほくそえんだ。
     同じ文章を読んでもあまり効果がない。ぼくは次の間題へと目を移した。
     その瞬間,妙な不安が生じた。
     この問題も以前にやったものだったらどうしよう。
     その不安に胸が引き裂かれるように痛んだ。ぼくの存在が根底から揺り動かされる感じ--。
     ぼくは机の上につっぷし,身を固くして,不安が通りすぎていくのを待った。
     このごろぼくは,こうした意味のない不安にしばしば襲われる。恐らく,受験生なら誰もが持っている,目指す大学に合格できるだろうかという大きな不安が,心の底にあるからだろう。
     それとは別に,焦燥感もある。こうして勉強だけに明け暮れする生活を送っていると,青春の貴重な時を無駄にしているのではないかという焦りが生じるのだ。
    ・・・。
    (p.43)・・・。
     そう・・・こうしてはいられない。ぼくは勉強しなけれはならないのだ。そして,いい大学に入るのだ。
     ぼくは机の上に目をやった。問題集が広げられている。英語だ。ラッセルの文章だ。ぼくはそれをすらすらと訳した。
    過度に所有欲の強い母親は・・・子どもが世間に立ち向かっていく能力を持つことより,自分に依存してくれることを願うかもしれない。 (参考:ラッセル『幸福論』該当箇所
     なんだ,これは。さっばり意味がわからない。ぼくはとても頭が悪くなってしまった。ずいぶん勉強したのに,なんにもなっていない。こんなことではどこの大学にも入れない。どうしよう。どうすればいいのだろう。
     ランプの火が急に暗くなった。
     つまみを回して芯を出す。でも,少しも明るくならない。ますます暗くなる。
     もう油も切れた。(終)

  • 久木田水生氏の博士論文「ラッセルの論理主義」について -2006年1月23日,京都大学博士学位授与式における尾池和夫学長式辞から-
    * 出典:
    https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/profile/intro/president/archive/060123_1.htm
    ・・・。2006年を迎えて,このようなことを考えながら,皆さんの学位論文審査報告を私も読ませていただきました。 「ラッセル・アインシュタイン宣言」の1人,バートランド・ラッセルは,イギリス生まれの論理学者,数学者,哲学者です。1950年にノーベル文学賞を受賞しました。

     文学研究科思想文化学専攻の久木田 水生(くきた みなお)さんの論文題目は,「ラッセルの論理主義」です。主査は,伊藤 邦武(いとう くにたけ)教授です。本論文は,20世紀前半における数学の基礎をめぐる哲学的反省のなかでも,もっとも代表的理論とみなされるラッセルの論理主義について,その最初の定式化から最終的な立場までの変遷を追って,その理論がいかなる立場であったのかを包括的に検討しようとした研究です。1903年の『数学の原理』から1910年のホワイトヘッドとの共著『プリンキピア・マテマティカ』に到るまでの,ラッセルの論理主義の主張の変化を追跡して,その変化の意義を考察し,従来の批判に対して,『プリンキピア』の理論が論理主義の修正版ではあるとしても,決してその放棄や妥協ではなく,数学についての新しい観点にもとづく洗練された数学の哲学の提唱であったという主張をした論文です。ラッセルの論理主義をめぐる広範な問題について包括的に考察した明解な研究であると評価されました。 

  • T.・シック・ジュニア,L.・ヴォーン(共著),菊池聡,新田玲子(共訳)『クリティカル・シンキング-不思議現象篇』(北大路書房,2004年9月刊)(2013.7.31)
    * 原著: How to Think About Weird Things; Critical Thinking for a New Age, 3rd ed., by Theodore Schick, Jr. & Lewis Vaughn.
    * セオドール・シック・ジュニア
    (Theodore Schick, Jr.):米国ミューレンバーグ大学哲学科主任教授。
    [第5章 知識,信念,証拠]

    (p.94) 英国の哲学者バートランド・ラッセルは,信念を証拠に比例させることが,私たちの多くには簡単でないことを強く意識していた。彼は,この状況を改善したいなら,次のような原則を採用するよう提案している。すなわち,「ある命題を真実だと支持する何の根拠もない場合,それを信じるのは好ましくない」というものだ。[注:ラッセル『懐疑論集』序説(「 懐疑主義の価値について」)冒頭]
     ラッセルは,「もしこの意見が常識になれば,私たちの社会生活や政治形態は完全に変容するだろう」と考えた。なぜなら,そうなれば私たちが非常に大切にしている多くの信念が否定されざるを得なくなるだけでなく,「人々の不合理な願いを食い物にする,透視超能力者や賭博の胴元,司教などの収入が激減する傾向が生じる」からである。もっと肝要なのは,この提案が採用されるなら,多くの不要な苦しみが和らげられるだろうということである。
     ラッセルの主張によれば,彼の提案を採用するには,次に挙げる命題を容認するだけでよい。
    1. 専門家の意見が一致する場合は,それを否定する意見は確実性を持ち得ない。
    2. 専門家の意見が一致しない場合は,素人が確かだと言える意見はない。
    3. すべての専門家が,十分な裏づけ証拠がまったくないと考える意見については,一般人は判断を保留する方がよい.
     ・・・中略・・・。
     残念ながら,ラッセルは正しいように見える。確信の度合いと証拠の信憑性の間にはしばしば反比例が見られる。すなわち,命題を支える証拠が少なければ少ないほど,それだけ熱狂的に信じられるのである。ラッセルが認識したように,そのような状態は調和の取れた人間関係を導き出すものではない。
     したがって,正当化されない信念を持たないようにするためには,健全な常識的懐疑主義を身につけることが重要である。哲学的懐疑主義と異なり,常識的懐疑主義は確実性を欠くすべてのものがあやしいとはみなさない。それはむしろ,十分な証拠がないすべてのものをあやしいとみなす。常識的懐疑主義は何かを信じるよい理由が得られるまではそれを信じようとはしない。そして彼らの信念の度合いは証拠の信憑性に比例する。
     ・・・後略・・・。

  • 盛岡清美・他(編)『新社会学辞典』(有斐閣,1993年2月刊)(2013.7.28)
    * 森博
    (もり・ひろし,1929-1999年1月30日):東北大学名誉教授(社会学者)。甲南女子大学教授在職中に死去。
    (p.1460) バートランド・ラッセル(森博)

     ・・・。フェビアン協会に参加し,女性参政権運動を推進,第二次大戦後は原水爆の開発に反対して「ラッセル=アインシュタイン声明」をだし(1955),積極的な抵抗運動を行い,しばしば逮捕される。(松下注:「しばしば」ではなく,「2回」だけ。)1950年にノーベル文学賞受賞。社会思想家として彼は徹底した個人主義,反権威主義,反集産主義(注:集産主義)の立場を貫き,社会悪の根源を所有衝動による創造衝動の圧迫にあるとし,創造衝動が最大限に発揮できるような多元的社会を構想し,肥大化する権力を統制しうるのは徹底的な民主主義と科学的な批判精神である,と説いた。
     [主著]・・・省略・・・

  • 細谷俊夫・他(編)『教育学大事典』第5巻(第一法規出版株式会社,1978年7月刊)(2013.7.26)
    * 細川幹夫
    (ほそかわ・みきお,19?~ ):元・麗澤大学教授?。
    (p.294) ラッセル, B. A. W. (Bertrand Arthur William Russell, 1872-1970)

     イギリスの数学者・哲学者・社会評論家・教育思想家。有名な自由主義政治家ジョン・ラッセルの孫として伯爵家に生まれる。人間の自由と理性に対する強い信頼は,この血統のもたらすところ。3歳で孤児となり,主として祖母の手で育てられた。18歳でケンブリッジ大学に入学するまで,学校教育は受けなかった。11歳でユークリッド(幾何学)を学び,以後数学を精力的に研究した。師ホワイトヘッドとの共同研究によって,数学を記号論理に還元する研究を試み,不朽の名著『数学原理』を著した。1894年,ケンブリッジを卒業後,哲学や歴史にも興味を持ち始め(松下注:卒業してから興味を持ち始めたのではなく,15,16歳ころから),研究するようになった。
     第一次世界大戦の勃発は,政治的雰囲気の濃い家に育った彼には,無関心でいられる事件ではなく,激烈な反戦論・平和論を展開し,そのため投獄されもした。2回目の夫人との間に子どもが生まれるや,彼の関心は教育に注がれるようになり,1927年に私財を投じて私立学校(注:Beacon Hill Shcool)を経営し,自ら校長を務めた。彼によれば,文明国で行われている教育は,時の権力に支配されて,現在の体制を維持するための強力な武器になっている。即ち,ある特定の信条だけが真理として若き魂に注入されている。このことは,第一次世界大戦の勃発によって,国民大衆の好戦的心理のなかに読み取ることができた。従って,ラッセルは,教育とは真理への意欲を強化する仕事にほかならないと考え,人間の自由を助長し,創造性を開放する教育を力説した。そのためには,教師の思想の自由と時代の悪弊と対決する良心が重要となってくる。ラッセルは80歳を越えても活躍し,平和論者として原子力戦争絶対反対を叫び続けた。
     主な著書として次のようなものがある。<省略>(細川幹夫)

  • 樺山紘一他(編)『人物20世紀』(第一法規出版株式会社,1998年10月刊/定価=15,000円)(2013.7.15)
    *
    塚本明子(つかもと・あきこ,1941~ ):哲学博士。東京大学名誉教授。
     本日(2013.7.15),BOOKOFF(北浦和店)で本書をみかけました。索引をみたところ,バートランド・ラッセルが10ケ所ほどに引用されていることがわかりました。しかも,定価15,000円のところ,値札は2,750円となっていました。
     宣伝文句に,「無数の人間のつながりが20世紀をつくった! 画期的な20世紀史が誕生。 臨場感あふれる1550本の記事と450本の年表,36テーマの特集,500本のコラム,3200点のサイン・手稿などで多元的に構成する。2000人の人生ドラマを1901年から編年的に「年表+記事・コラム+ビジュアル資料方式」で多元的に構築,画期的20世紀史。21世紀を生きるヒントがきっと見つかる。」とあり,写真も豊富で役立ちそうでしたので,ラッセルのところを全部読んでみてから買うかどうか決めることにしました。
     そうして,塚本明子氏(当時東大教授)が書いた記事
     「バートランド・ラッセル-「核」に人類の危機を感じ,パグウォシュ会議を提唱」
    を読み,購入する気がそがれてしまいました。本文の記載内容が気に食わないというのではありません。原因は2つあります。一つは,右上の有名な写真のキャプションに「付き添っているのはラッセルの娘」と書いてあったことです。ラッセルにある程度親しんだ人であれば,ラッセルと腕を組んでいるのは4人目の妻(Edith Finch)だということを知らない人はほとんどいないと思われますのでいただけません。もう一つは,年表のなかなどに10ケ所ほど引用されているにもかかわらず,ラッセルが死んだ1970.2.2が年表に載っていないということです。
     というわけで,今のところは購入する予定はありません。
      引用のかわりに,画像を掲載します。

    の画像
    enlarge(拡大する!)

  • 丹羽小弥太(編著)『科学者の言葉』(講談社,1966年9月刊/講談社現代新書91)(2013.7.8)
    *
    丹羽小弥太(にわ・こやた,1917~1983):科学評論家,翻訳家。本書出版当時,駒沢大学教授・早稲田大学講師。
    [pp.158-160は,ラッセルが1948年に出版した Human Society in Ethics and Politics (倫理と政治における人間社会), の終章( prologue or epirogue )からの抜粋。pp.160-163は,訳者による解説]
     本サイトには,ホイット・バーネット(著),村松仙太郎・山川學而(共訳)『現代に生きる信条』(荒地出版社,1958年12月刊)に収録されたもの[ラッセル「開幕か,終幕か?(人類の未来)」]の邦訳(抜粋ではなく全訳)をアップロードしてありますので,ラッセルの文章については,そちらをご覧ください。また,原文も掲載してあります。
    <丹羽氏による解説>
    (p.162)・・・中略・・・。
     ラッセルは共産主義者ではないし,単なる反戦主義者でもない。第一次大戦のときは戦争反対を叫び,ケンブリッジの名誉あるトリニティ・コレッジ教授の職を追われ,あまつさえ六か月(注:結果的には5ケ月)の獄中生活をすら送らなければならなかった。このラッセルも,第二次大戦が勃発したときはイギリス政府を支持し,ナチスを元凶とする国家主義者たちを屈服させるために全力をつくした。枢軸陣営との戦いに勝たなければ,,民主主義と平和を守りぬくことはできないと考えたからである。そして第二次大戦後は,世界政府の確立以外に永続的平和は保証されないと考えるようになった。しかし,世界政府樹立以前に全面核戦争のおこる可能性があること,それは全人類を破滅にみちびくことは必至であることを確信,一瞬のためらいもなく,核兵器反対運動の陣頭に立ったのである。ラッセル・アインシュタイン声明の一節に「われわれは選択を迫られている。幸福,知識,知性の絶えざる進歩を選ぶか,それともまた,争いごとの好きな人間のつねとして,死を選ぶか? われわれは,ここに人類の一員として,人類のすべてに訴える。人間性を忘れるな,そしてその他のことは忘れてしまえ,と。もし諸君がそうできるなら,諸君の前には新しい楽園への道がひらけている。しかし,さもなくば諸君の前には,世界の死という危険が横たわっている。」とうたわれている。
     ラッセルはおそらく死の瞬間まで,平和を願い,平和のための運動をやめないであろう。ラッセルの著作は,哲学的労作であれ,評論的なものであれ,そのほとんどが邦訳されている。みすず書房からは『バートランド・ラッセル全集』も刊行されている。(松下注:「全集」ではなく,「著作集」。ラッセルの著作は厖大であり,丹羽氏がこの文章を書いた頃は,単行本として出版されているものよりも,出版されてないものの方が多かった。その後, Colleted Papsers of Bertrand Russell が出版されるようになり,利用できるラッセル文献が増え続けている。)

  • 富永直久『彼らは何歳で始めたか -ドラマティック・エッセイ』(ダイヤモンド社,1991年10月刊)(2013.6.29)
    *
    富永直久(とみなが・なおひさ,1933~ ):著作家。
     本書は,内外の著名人10「組」について,それぞれが社会的あるいは個人的に重要なことを何歳で始めたか,についてドラマ仕立てで描いた作品(エッセイ)です。
     ラッセルに関してここに書かれていることは,ラッセルについてある程度知っている人にとっては目新しいものはありません。しかし,ラッセルが重要な行為・行動を高年齢にやることができたことの意義や意味合いを正当に評価していない(気づいていない)人が少なくないように思われますので,再認識のためには役立つと思われます。
     なお,ラッセルに関する記述は,5,6ケ所,年号の間違い等ありますが,内容理解には問題はありません。
     ラッセル以外に取り上げられているのは,以下の9組です。
     1)トキワ荘の住人(石ノ森章太郎,藤子不二雄,赤塚不二夫,寺田ヒロオ),2)小説家とその小説家を売り出した出版人(松本清張+佐藤義亮ほか),3)シュリーマン,4)平塚らいてう(+心中未遂相手の)森田草平,5)ジョージ・フォアマン(有名なボクサー),6)杉田玄白,7)生まれも育ちも対照的な二人(グラマン・モーゼス+チャーチル),8)映画関係者(黒澤明+三船敏郎+山本嘉次郎+森岩男),10)小説家(夏目漱石+二葉亭四迷)。

    [pp.195-212:九十二歳でスクットと立って - Case study of Bertrand Russell]
    ・・・。
    (p.209) 頑なに,かつ柔らかく

     最後の質問に入ろう。
     バートランド・ラッセルは何歳で始めたか?
     七十八歳でノーベル賞を受賞した人間の場合,そのスタートは,その受賞以前の時期が選ばれるのが一般的であろう。しかし,彼の場合は当てはまらない。
     従って,彼が何歳で始めたかという質問に対しては,次の五つの質問とその回答によって,その答としたい。

    ●エディス・フィンチと四回目の結婚生活に入った時,彼は何歳だったか?
     →  八十歳である。

    ●国境もイデオロギーも越える,世界的に著名な科者10人による核兵器廃絶のアピール,「ラッセル=アインシュタイン声明」を提唱し,発表した時,彼は何歳だったか?
     → 八十三歳である。

    ●核兵器廃絶政策を推進しない国家に対する,市民的不服従運動を唱えて,ハイド・パークの演壇に立ち,-般市民扇動の嫌疑で警察に召喚され,判決を受け,一週間の投獄に処せられた時,彼は何歳だったか?
     → 八十八歳である。

    ●アメリカのベトナム戦争介入に反対し,その侵略と残虐行為を告発する世界的キャンペーンに立ち上がった時,彼は何歳だったか?
     → 九十二歳である。

    ●一九六八年八月,チェコスロバキアへのソ連東欧五か国軍の侵入に対して,直ちに世界的規模の抗議運動を展開した時,彼は何歳だったか?
     → 九十六歳である。

     だから,私は確信して疑わない。一九七〇年二月二日,北ウェールズはプラスペンリンの山荘でエディス夫人に看取られつつ,九十七歳の生涯を全うしたバートランド・ラッセルは,その時,決して死ぬことをではなく,断固として生きることを,また新たなるスタートを切る時のことを,考えていたに相違ない,と。

  • サイモン・クリッチリー(著),国領佳樹/杉本隆久(共訳)『哲学者たちの死に方』(河出書房新社,2009年8月刊)(2013.6.9)
    *
    サイモン・クリッチリー(Simon Critchley,1960~):英国の哲学者。1994年から1999年までイギリス現象学会の会長。
     ラッセルは1920年冬,中国滞在時に重篤な肺炎のため九死に一生を得ますが,早とちりの日本の新聞記者が「ラッセル死亡」と日本に打電(注:「病死したラッセルについて」)したために,そのニュースが世界中に伝わりました。宗教(特にキリスト教)を批判し続けてきたラッセルが死んだということで,キリスト教の某新聞が「(ラッセルの死亡で)キリスト教徒は安堵してよいだろう」という記事をのせました。
     善良な人間は苦しまずに死ぬ(あるいは,たとえ苦しんで死んでもあの世では安楽な生活が送れる),悪い人間は死んでから煉獄で苦しむ,などというように,人間の死(死に様)や死後について意味づけを行うこと(公言すること)は馬鹿げています。そういった意味で言えば,本書の意義がどれだけあるかよくわかりませんが,多くの哲学者の死に様をまとめて読んでみれば,何らか得るところがあるかもしれません。
     ただし,やはり,個々の人間(哲学者)の死に様に関する証言には,その証言者の人間観や価値観が反映されますし,肉親の証言だからといって信用できるとはかぎりませんので,要注意です。(M)



    [pp.281-283: バートランド・ラッセル,1872.5.18-1970.2.2]

     私が自分で買ったのを覚えている最初のハードカバーの本は,ラッセルの『宗教は必要か』[『なぜ私はクリスチャンでないか』](1957)の初版であった(松下注:Why I am not a Christian, and Other Essays on Religion and Related Subjects (London; Allen & Unwin, 1957)のこと)。今やボロボロになった青いカバーの本のなかで,ラッセルはエピクロスとルクレティウスに共鳴する言葉で,以下のように書いている。
     私は死んだときに腐敗するであろうし,そして私の自我の何ものも生き残ることはないであろうと確信している。私は若くないし,生を愛している。だが,私は霊魂消滅の思想に恐怖して身震いすることを潔しとしないだろう。それでもなお,幸福は終わりがあるために,真の幸福なのであり,思考や愛は永続するものでないゆえに,その価値を失うことがないのである(松下注:原文を参考まで。 Happiness is nonetheless true happiness because it must come to an end, nor do thought and love lose their value because they are not everlasting.)
     それゆえ,霊魂の不死性に関するいかなる考えも,真実でないために正しくはないし,幸福の可能性を破壊することになる。幸福は私たちに自らの有限性を受け入れることを要求するのである。こうしてラッセルは,世界中のすべての宗教が誤った推論に基づくものであり,道徳的に有害であると考える。私たちが暮らす世界は,ある神の計画によって形づくられたものではなく,混乱と偶然の混合である。このとき,世界が必要とするのは宗教的教義ではなく,混乱と偶然をわずかにしか理解できないかもしれない科学的探究の態度である。
     ラッセルは急性気管支炎を患った後(松下注:厳冬でインフルエンザにかかったと言われている。),四番目の妻エディスに看取られて死んだ。葬儀は必要ないし,火葬の場所も公表すべきでないと彼は生前主張していた。また,遺言には音楽も必要ないと明記されていた。ラッセルの遺灰は,ウェールズの山から撒き散らされた。孫娘のルーシーは,ラッセルの幾分か憤慨していた二番目の妻ドーラに向けて,「もし静めるための幽霊がいるなら,置いて行きましょう。私たちの子供時代と一緒に,雄大なこの山のなかに」と手紙のなかで書いている。ラッセルの伝記作家であるレイ・モンクが明らかにしているように,彼の生涯は狂気の幽霊によって定義され,そしてこれらの幽霊は彼の死を切り抜けて生き残ったようだ。モンクは,以下のように書いている。
     ラッセルは死んだとき,二人の惨めな先妻と疎遠になった精神分裂病の息子と三人の孫娘を遺した。そして,彼女たちは「狂気の幽霊」に取りつかれたように感じていた。かつて一八九三年に,ラッセルが家族(松下注:ラッセルの父親やロロ叔父さんなど)をそう看倣していたのと同じように。
    (松下注:エディスは生前,モンクによるラッセルの伝記に否定的でした。)
     ラッセルの死から五年後に,(孫娘の)ルーシーはコーンウォールのセント・バーヤンでバスを降りた後,灯油を被り,アメリカ占領時のベトナムの仏道修行僧のように自らに火をつけた。そして彼女は,激しい苦痛で叫び声を上げながら鍛冶屋に駆け込んだ。鍛冶職人たちは炎を消すために毛布と大袋で彼女を包んだが,彼女はそのまま意識を失い,病院に到着する前に死んだ。(松下注:このような書き方では「ベトナム戦争に抗議」したことがまったく抜けてしまっています。参考まで,そのことを報じる新聞記事をあげておきます。「ラッセル卿の孫娘,焼身自殺-インドシナ戦に絶望?-」『朝日新聞』1975.04.15 夕刊掲載

      ラッセル夫妻と3人の孫娘-- プラス・ペンリンにて

  • 市川伸一(編)『認知心理学4 思考』(東大出版会,1996年初版,2009年10月刊=第7刷)(2013.6.6)
    *
    市川伸一(いちかわ・しんいち,1953~):東京大学教育学研究科教授。専門は認知心理学。
    * 松原仁(まつばら・ひとし,1959~):1986年に東京大学大学院工学系研究科(情報工学専攻博士課程)修了。工学博士。現在,公立はこだて未来大学システム情報科学部教授。専門は人工知能研究。著書に『将棋とコンピュータ』『鉄腕アトムは実現できるか?』,J. マッカーシー 他との共著に『人工知能になぜ哲学が必要か―フレーム問題の発端と展開』がある。
    [pp.137-138: 6.2 松原仁「ロジック・セオリスト」]

    (p.137) ロジック・セオリスト(logic theorist)(Newell & Simon,1956)はニューエル,サイモン,ショー(J.C.Shaw)が作成したシステムで,思考をコンピュータ上でシミュレーションした最初のもの(人工知能における最初の完成プログラム)といわれている。1956年にアメリカのダートマスで思考のシミュレーション・モデルに興味を持つ若い研究者が集まった。マッカーシー(J.M.McCarthy),ミンスキー(M.Minsky),シャノン(C. E.Shannon),ニューエル,サイモンらが集まって会議をし,この分野を'人工知能'と名づけたのである。・・・ この会議で問題解決のシミュレーション・モデルとして動いた唯一のプログラムがロジック・セオリストであった。
     ロジック・セオリストはその名前のとおり命題論理における定理証明を行なうプログラムである。ホワイトヘッド(A.N.Whitehead)とラッセル(B. Russell)の『数学原論』の中の定理を証明することができたなお,Vは「または」,⊃は「ならば」,¬は「ではない(否定)」の意味である。

      (pVp)⊃p
      p⊃(qVp)
      (pVq)⊃(qVp)
      pV(qVr))⊃(qV(pVr)
      (p⊃¬p)⊃((rVp)⊃(rVq))

    という5つの公理から,たとえば
       (P⊃¬P)⊃¬P
    という定理を証明した。・・・ロジック・セオリストは定理の証明を後向き推論(backward reasoning)によって行なった。 証明すべき定理から後向きに公理へと遡っていく推論方法である。逆に公理から証明すべき定理へと向かって証明するのを前向き推論(forward reasoning)という。後向きにするか前向きにするかのちがいは計算量に大きく影響を与える。
    ・・・
    (p.138) ロジック・セオリストは盲目的な探索を後向きに行なうモデルである。盲目的というのは,既知の定理に近づけようという意思がなく,手当たりしだいに作用素を適用していることをさしている。はじめて命題論理式の証明という問題解決のタスクをコンピュータで解いたという意味で偉大な業績である。人間が行なっている知的活動の少なくとも一部は,コンピュータでシミュレーションできることが示されたのである。しかしその中身を見ると,数学者が命題論理を証明するプロセスとロジック・セオリストの推論はかけ離れたものである。また,盲目的な探索をしているために,時間計算量も爆発してしまっている。現在の視点からはあまりよいモデルとはいいがたい。・・・
     ロジック・セオリストのプログラムを記述するために,ニューエルらはIPL(information processing language)という人工知能向きのプログラミング言語をはじめて開発した。記号処理で生じる任意の形の不定個のデータを扱うために,IPLではリスト構造という有用なデータタイプを導入した。このリスト構造のアイデアは,その後マッカーシーのLISPへと発展していった。

  • ケネス・ペレティエ(著),吉福伸逸・他(訳)『意識の科学ーホリスティックなヒーリングへの道』(工作舎,1986年10月刊)(2013.5.21)
    *
    ケネス・ペレティエ(Kenneth R. Pelletier, 1937?~ ):2013年現在,アリゾナ大学医学部等教授(臨床医学)。
    今回とりあげた『意識の科学』はほんの一部しか読んでいません。ニュー・サイエンス系の著作らしく,今では時代遅れになっている(ずれている)部分も少なくないかもしれません。あくまでも,ラッセルの著作の引用の仕方に興味があり,ご紹介するしだいです。(M)
    [pp.133-140: 創造性とヤヌス的思考]

    (p.136) もちろん,真に創造的な行動を準備するにはその分野をよく知り,広く知られたどの事実が重要で,どの事実がなんらかのレベルで対立や矛盾を被りやすいかを知る必要がある。葛藤や対立,それ自体は創造性の本質ではない。むしろ,創造性は表面的に相容れない分離した諸事実を論理的,合理的,分析的(な?)かたちで獲得したのち,ふたたび秩序づけるところから生じてくる。創造性には論理的能力の豊饒(ほうじょう)さは要求されず,知的な力に対するある程度の謙虚さが関連してくるものである。バートランド・ラッセルはその著作『西洋哲学史』のなかで,おもしろい逸話を披露している。創造的仕事の生みだされる瞬間に体験される自然発生的な神秘的洞察の,よく知られたすばらしさを議論するなかで,ラッセルは催涙ガス(松下注:これは誤訳 → 笑気ガス=笑気麻酔ガスのこと)によって神秘体験をした人物を描写したウィリアム・ジェームズの例を引いている。この人物は催涙ガスの影響下にあるときには宇宙の秘密を知っていたが,それが去ると忘れてしまっていた。たいへんな努力の末ついに彼はそのヴィジョンが消え去る前にその秘密を書き留めた。完全に回復したのち,自分が書いたことを大急ぎで見ると,そこには「石油の臭いが全体に染みわたっている」と書かれていた。要するに'たわごと'である。創造性には(大脳の)左右両半球の機能の総合化が不可欠なように思われる。

    [松下注:ラッセル『西洋哲学史』(A History of Western Philsophy, 1945)のなかの該当部分の原文 p.138の最後の行以降(chapter XV: The theory of ideas) 及び邦訳(ラッセル協会発起人の故・市井三郎氏の訳)を以下転載しておきます。
    (A History of Western Philosophy, by Bertrand Russell, p.138-)
    This experience, I believe, is necessary to good creative work, but it is not sufficient; indeed the subjective certainty that it brings with it may be fatally misleading. William James describes a man who got the experience from laughing-gas; whenever he was under its influence, he knew the secret of the universe, but when he came to, he had forgotten it. At last, with immense effort, he wrote down the secret before the vision had faded. When completely recovered, he rushed to see what he had written. It was: "A smell of petroleum prevails throughout." What seems like sudden insight may be misleading, and must be tested soberly, when the divine intoxication has passed.

    (市井三郎・訳) この経験は,優れた創造的仕事に必要なものだとわたしは信じているが,それだけでは充分ではない。そのような経験がもたらしてくれる主観的確信というものは,まさにとんでもなく誤まっていることがあり得るのだ。ウィリアム・ジェイムズ(訳注: William James は一九一〇年に死んだアメリカの心理学者,哲学者。プラグマティズムのある型の創唱者)は,笑いガス(松下注:laughing-gas 笑気=亜酸化窒素の俗称→笑気麻酔ガス)からそのような経験を得たある男のことを書いている。その男は,笑いガスの影響下にある時はいつも,宇宙の秘密を知ったように感じるのだが,正常に復すると,それがどんな秘密だったか憶い起せなかった。ついにその男は異常な努力を払って,その幻が消え去るまでにその私密を書きとめたのである。完全に正常に復した時,彼は自分が何を書いたか,急いで読み下してみたのだが,そこには,「石油の臭いがいたるところに立ちこめている,」とあるだけだった。突然やってきた洞察とも見えるものは,誤まりを招きうるものであるから,その神々しいまでの陶酔が去った時には,しらふで験してみなければならないのである。

  • 村上和雄(著)『科学者の責任-未知なるものとどう向き合うか』(PHP研究所,2012年3月刊)(2013.5.19)
    *
    村上和雄(むらかみ・かずお, 1936~ ):筑波大学名誉教授。専攻は,分子生物学・遺伝子研究。1996年に日本学士院賞受賞。
    *
    村上和雄氏は天理教の熱心な信者とのことで,無神論者であるラッセルとは宗教に対する考え方はかなり異なっていると思われます。村上氏は,核兵器撤廃に取り組まない母国イギリスに対しラッセルは次のように警告した,としています。即ち,「一体,文化,文化といって威張っているが,イギリ人の威張っている文化は頭の文化だけであって,もう一つ大事なこころの文化はどうなんだ。昔に比べて少しもよくなっていないではないか。知的文化,科学技術文化だけ進んでも,人間としてのこころの文化,信仰とか,道徳とかいう面について忘れてしまうようではイギリスの将来はない!」と。
     出典をあげていないので,今確かめることはできませんが,ラッセルが実際言ったこととはニュアンスが異なっているものと想像されます。
     そういうことはあるにしても,原発や核兵器に対する考え方や態度はそれほど異なるとは思われません。そこで,参考になると思われますので,ご紹介しておきたいと思います。(M)
    [pp.36-40: いま,湯川秀樹先生が教えてくれること]
    (p.36)・・・。1955年(7月9日)に「ラッセル=アインシュタイン宣言」という文書が出されています。イギリスの数学者,バートランド・ラッセルとアインシュタインが,アメリカとソ連が水爆実験競争に明け暮れていた当時の危険な状況を憂えて,核兵器の廃絶を訴えた宣言文です。・・・。
    (p.37) 11人の著名な科学者が署名しており(10名はノーベル賞受賞者),その最後に湯川先生の名前もあります。・・・。アインシュタインと一緒にこの宣言文の起草者となったラッセルは,優れた数学者であり哲学者でもあります。私は尊敬の念を抱いています。
    ・・・。
    (p.38) このラッセルという骨のある哲学者とアインシュタインの組み合わせというのは,まことに魅力的で,私もすぐにこの宣言文にサインしたくなります。
     この宣言文の署名者の一人である湯川先生は,その20年後,朝永坂一郎先生とともに,「湯川・朝永宣言」を出しています。その中で,ラッセル=アインシュタイン宣言が出されても一向に核軍縮が進まない世界に向けて,核兵器を廃絶することを訴えています。
    「私たちの究極目標は,人類の経済的福祉と社会正義が実現され,さらに,自然環境との調和を保ち,人間が人間らしく生きることのできるような新しい世界秩序を創造することであると考える」
     この宣言の中の言葉に,科学者の役割というテーマを見ることができます。
     湯川先生は,原発の建設に対しても危倶していました。「湯川・朝永宣言」が出される19年前に遡りますが,1956年に正力松太郎氏の発案で原子力委貞会が発足しました。  正力松太郎氏は読売新聞の元社主で,日本テレビを創設した人です。当時,正力氏は衆議院議員という立場にもあり,原発を日本に根づかせることに情熱を燃やした人です。原子力委員会ができたとき,湯川先生も委員となりました。委員になってすぐ,湯川先生は正力氏と議論を交わします。正力氏は,とにかく一刻も早く日本に原発を導入したいと考えていました。
     それに対して,湯川先生は慎重論を唱えておられました。
    原子力発電の実用は急いではならず,基礎研究から始めるべきだ
     そう主張しました。これに対して,正力氏は,「外国から開発済みの原子炉を輸入すればすむことだ」と譲りません。すでに原発の早期導入シナリオは,政財界主導で既定路線として進んでいました。湯川先生を原子力委員会の委員にすることによって委員会の権威づけを図り,早期導入を実現しようとしたのでしょう(松下注:原子爆弾の開発にアインシュタインを「利用」しようとした発想と同じ/(産業界や学界の有志が組織する)エネルギー・原子力政策懇談会の有馬朗人会長(元文相・元東大総長)が「原子力から逃げず,正面から向き合え」という「原子力政策の再構築の提言」を安倍首相にだしたのは「確信犯」でしょうか? 原子核物理学専攻の元東大総長が座長の懇談会の提案だから間違いないとでもいいたいのでしょうか?)。しかし,湯川先生は慎重な姿勢を崩しませんでした。・・・。
     ・・・
    (p.40) 結局,科学者の警告は聞き入れられませんでした。その結果,湯川先生は1年で委員を辞めることになります。
    ・・・。

  • 泉谷閑示『反教育論-猿の思考から超猿の思考へ』(講談社,2013年2月刊/現代新書n.2195)(2013.5.12)
    *
    泉谷閑示(いずみや・かんじ, 1962~ ):精神科医。泉谷クリニック(東京広尾)院長。舞台演出も手掛けるとともに,作曲活動もしている。
    * 泉谷クリニックのホームページ
     本書で著者の泉谷氏は「理性」という言葉をどちらかというと否定的な意味合いで使っています。ラッセルは,「理性は感情の奴隷である。」とか「理性は目的まで示さない。」といったような言い方をよくしますが,「理性」という言葉を肯定的に使う場合がほとんどです。両者の間でそのような違いはあっても,「美しい嘘」を許容しつつ大人の態度で上から指示されたことを着実に実行することを求める権力者(やそのような心性を持つ追従者)に対する怒りは共通のようです。
     泉谷氏は本書でラッセルの著書から多数引用しています。以下,著者の序文からの抜書きに続けて,ラッセルに関係した部分を1ケ所だけ引用させていただきます。興味のある方は購入されるか図書館で借りてお読みください。(M)
    ・・・。
    [pp7-17: 序説]
    < (p.10)。・・・。また,ひたすら多読に努めたり,インターネット上の情報をかき集め,それらを組み合わせ並べ替えることを知的な活動と勘違いしているような,文字通りの「知識人」も目立つようになった。・・・。
     その一方で,真っ当な懐疑的精神を失っていない人間は,今日の社会や組織から不都合な存在と見なされやすく,排除されてしまうことも珍しくない。そのため,真の思考力を備えた人間が育つこと自体が,大変難しいことになってしまっているのだ。・・・。
    (p.11) 外から「こういう人間になりなさい」と言われて,それに従順にうなずくような人間は決して「自分できちんと考えられる人間」には成り得ない,という原理的な矛盾について,教育側が無自覚だったのである。
     自分という主体を持てず,真の思考ができなくなってしまった彼らは,ひたすら目先の有益性や効率性によって,物事の判断をするようになってしまった。・・・。
     このように,要求されたことに従順に応える受動性を徹底的にトレーニングされた彼らは,試験管のホイッスルでピタリと遊びを止めることができるような「優秀な」子供となり,やがて組織の歯車として従順に機能する「優秀な」大人に育っていく。・・・。
    (p.15)・・・。自分より力が上の者にはゴマをすり,力の劣る者に対しては不遜な態度をとり,自分の支配下に置こうとする。・・・。
      (p.16) せめてわれわれは醜悪な猿レベルの理性を乗り越えて,人間の人間たる価値を確保しようではないか。・・・。
    (ラッセル『教育論-特に幼児教育について』からの引用)
    (p.189) 私たちは,インチキにみちた世界に住んでいる。インチキなしに育てられた子供は,普通尊敬に値すると考えられている多くの事柄を軽蔑するにきまっている。軽蔑は悪い感情だから,これは残念なことである。子供の好奇心がそういう事柄に向いたときには満足させてやらなければいけないが,私は,わざわざそういうことに子供の注意を促すようなことはしたくない。真実を語ることは,偽善にみちた社会においては,ちょっとしたハンディキャップになる。しかし,このハンディキャップは,恐怖心を持たないという長所によって,十二分に補われる。恐怖心があれば,だれ一人として,真実を語ることはできないのだ。私たちは,わが子が公平で,正直で,率直で,自尊心のある人間になってほしいと願っている。私一個(人)としては,わが子が奴隷の技能で成功するよりも,むしろ,こういう性質をもって失敗するのを見たいと思っている。すばらしい人間になるためには,生まれつきの誇りと高潔さがある程度不可欠である。そういう性質があれば,ある(種の)寛容な動機から嘘を言う場合は別として,嘘をつくことは不可能になる。私は,たとい世俗的な不幸を招くとしても,わが子たちには思想と言葉において真実を語ってほしいと念じている。なぜなら,富や名誉よりも重要なものが問われているからである。(出典:On Education, Especially in Early Childshood, by Bertrand Russell, 1926
     家庭のみならず,初等教育の場などにおいて気がかりなのは,この「私たちは,インチキに満ちた世界に住んでいる」ということを十分認識していない大人が案外少なくないようだということである。
     「美しい嘘をインチキと自覚して,子供たちを守るための「泡」として「善」なるものを教えるところまでは理解できるが,自らの中に潜む「闇」や「悪」に無自覚なまま大人になり,そのまま親や教師となって,何の葛藤もなく子供に道徳を説くようなことは,むしろとても有害なことではないだろうか。
     これでは,表面的に「嘘をつかない」子供を少しは作り出せるかもしれないが,内的な「大嘘つき」を作るようなものである。つまり,自分の内部に,嫉妬心やエゴイズム,怠惰な気持ち,保身をはかる気持ち,憎しみ,恨み,弱者をいじめたくなる気持ち,好き嫌い,等々の「闇」の感情が潜んでいることを率直に認めることができず,「そんなものは自分にはない」と考えるような表面的人間,すなわち,偽善者を作ることになってしまぅ。・・・。
     ラッセルの「わが子が奴隷の技能で成功するよりも,むしろ,こういう性質をもって失敗するのを見たいと思っている」という言葉は,とても重要で貴重なメッセージだと思う。なぜなら今日では,わが子が「奴隷の技能」を高めてでも世俗的に成功してくれさえすれば良いと望んでいるような親の方が,圧倒的多数を占めているからである。・・・。

  • 『オーウェル著作集 IV:1945-1950』(平凡社,1971年)(2013.5.7)
    *
    ジョージ・オーウェル(George Orwell, 1903~1950.1.21):イギリスの作家,ジャーナリスト。全体主義的ディストピア(注:ユートピアの反対)の世界を描いた『1984年』や『動物農場』などで有名。因みに,下記の手紙を出した1949年には1949年に小説『1984年』を書き終えている。
    * Richard Rees (1900 -1970):英国の外交官。
    ・・・。
    [pp.460-461: リチャード・リースへの手紙(1949.3.3日付)]

    (p. ) ラッセルの本(Human Knowledge, 1948)で当該個所を調べてみました。もし特称命題(some を使う陳述)のアンチテーゼがかならず全称命題(all を使う陳述)であるというのなら,「ある人は尻尾をもっていない」のアンチテーゼは「すべての人は尻尾をもっている」でなく「すべての人は尻尾をもっていない」となるべきであるように思われます。ラッセルはこの個所で,一方が誤っている陳述の対だけを引用していますが,言うまてもなく,「ある」陳述と「すべて」陳述の両方とも正しく,ただ「ある云々」というのが控えめな言い方になっている場合がたくさんあるに違いありません。たとえば「ある人は尻尾をもっていない」というのは,「ある人は尻尾をもっている」ということを意味しないかぎり正しいのです。しかし,どうもこういう議論は苦手です。こういう例にぷつかると法律で哲学を禁止したらいいという気持ちになります。・・・。

  • 『オーウェル著作集 IV:1945-1950』(平凡社,1971年)(2013.5.6)
    *
    ジョージ・オーウェル(George Orwell, 1903~1950.1.21):イギリスの作家,ジャーナリスト。全体主義的ディストピア(注:ユートピアの反対)の世界を描いた『1984年』や『動物農場』などで有名。因みに,下記の手紙を出した1949年には1949年に小説『1984年』を書き終えている。
    * Richard Rees (1900 -1970):英国の外交官。
    ・・・。
    [pp.458-459: リチャード・リースへの手紙(1949.2.4日付)]

    (p.458) 今,バートランド・ラッセルが最近出した「人間の知識」のことを論じた本(Human Knowledge, 1948/邦訳書:みすず書房版「バートランド・ラッセル著作集」第9巻及び第10巻)を読んでいるところです。そのなかで,彼は,シェイクスピアを引用しているのです。すなわち「星々が火であることを疑え,地球が動くことを疑え」(そのあとは,たしか「真実が嘘つきであると疑え,しかし私の愛を決して疑うな」だったかと思う)という個所です。ところがラッセルは,これを「太陽が動くことを疑え」として,これをシェイクスピアの無知の例としてあげているのです。それでいいのでしょうか? どうも私は「太陽」でなく「地球」だったように記憶しているのです。ところが今手元にシェイクスピアはなし,その引用がどの作品からだったか思い出すこともできない始末です(喜劇のひとつだったように思うが)。それで,もしあなたがこの引用の出所を思い出せるようでしたら,確かめて下さいませんか(訳注:ラッセルのほうが正しかった。引用は,『ハムレット』第二幕二場,116-119行から)。ラッセルの話が出たついでにもうひとつ。ロシアの新聞は最近,B・R(バートランド・ラッセルのこと)のことをタキシードを着た狼だとか,哲学者の衣装をまとった野獣,というふうに言っているんですよ。・・・。

  • 日本総合研究所(編),寺島実郎(監修)『日本でいちばんいい県 -都道府県別幸福度ランキング』(東洋経済新報社,2012年12月)(2013.4.28)
    2 *
    寺島実郎(てらしま・じつろう, 19478.11~ ):早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了後,三井物産入社。現在,日本総合研究所理事長および多摩大学学長。
    <pp.2~9: 寺島実郎「人間にとって地域に生きる幸福とは」>

    (p.5)・・・。「20世紀最高の知性の一人」とされる英国の思想家,バートランド・ラッセル(1872~1970年)の58歳の時の作品に『幸福論』(邦訳,岩波文庫)がある。疾風怒涛の20世紀を理性をもって生きたラッセルの幸福論は,過剰に宗教的・道徳的ではなく,かつ過剰に哲学的・文学的でもなく,「合理的・実用主義的(プラグマティック)な幸福論」とLて,我々にとって示唆的だと思う。彼は「幸福は,一部は外部の環境に,一部は自分自身に依存している」と言い切る。そして,「たいていの人の幸福にはいくつかのものが不可欠であるが,それは単純なものだ。すなわち,食と住,健康,愛情,仕事上の成功,そして仲間から尊敬されることである」と語る。確かに,圧倒的に分かりやすく,そんなものだろうと思う。そして,「幸福な人とは,客観的な生き方をし,自由な愛情と広い興味を持っている人である」というラッセルの言葉に深く共鳴せざるをえない。つまり,独りよがりな幸不幸ではなく,「自我と社会が客観的な関心や愛情によって結合されること」の重要性を改めで思うのである。
     この視座に立って,「地域における幸福」を再考するならば,正に自我と社会を適切につなぐことのできる基本条件を整備することの大切さに気付く。おそらく,「県民幸福度」の指数化という作業も,そうした視界を拓くための入り口にすぎないのであろう。自分たちの考え方を計量化して解析する作業を通じて得られた結果を手にし,私は深く息を吸い込みながら大きな刺激を受けている。・・・。<べ>

  • ポール・サガード(著),武藤隆(監訳),松井由佳/松井愛奈(共訳)『脳科学革命-脳と人生の意味』(新曜社,2013年1月)(2013.4.23)
    * 原著:The Brain and the Meaning of Life, by Paul Thagard, c2010.
    *
    ポール・サガード(Paul Thagard, 1950~ ):哲学で Ph.D.(トロント大学),コンピュータ・サイエンスで M.S.(ミシガン大学)を習得して,現在カナダのウォータール大学教授。哲学及び認知科学専攻。
    (p.i~iii)「はじめに」

     15歳のときに読んだ本で,私の人生は大きく変わった。そのときから,哲学と認知科学という,心の作用を研究する学際的分野へと向かう私の知の旅が始まったのである。(カナダの)サスカチュワン州サスカトゥーンの公共図書館で書架整理の仕事をしていたときに,バートランド・ラッセルの『宗教は必要か?』を目にしたのである。カトリック系高校の生徒であり,ミサの侍者を務めたこともあった少年にとって,このタイトルは刺激的であった。特に,当時の私は,学校で聞く尼僧や司祭の教えに対する疑念が膨らんでいた。私は,神の存在に関する標準的な議論を打ち壊すラッセルの著作をむさぼるように読み,さらにジョン・スチュアート・ミルやジャン・ポール・サルトルなどの,同様の無神論的な哲学者の本を読み始めた。・・・。

    [★神の存在に関する標準的な議論に対するラッセルの反駁の例

  • エドワード・W・サイード(著),大橋洋一(訳)『知識人とは何か』(平凡社,1995年5月)(2013.4.7)
    * 原著:Representations of the Intellectual; the 1993 Reith Lectures, by Edward W. Said, published by Vintage, 1994.
    *
    エドワード・W・サイード(Edward W. Said, 1935-2003):1963年~2003年の間,コロンビア大学において英文学と比較文学の教授を務めた。
    * 大橋洋一(おおはし・よういち,1953 ~):学習院大学教授を経て東京大学大学院人文社会系研究科教授。2007~2009年の間,日本英文学会会長を務める。
    (pp.3~17)「はじめに」
    (p.3) アメリカ合衆国に(英国BBCの)リース講演(=連続講義)に相当するものは存在しないが,この講演(連続講義)は,1948年にバートランド・ラッセルによって口火を切られて以来,すでに数人のアメリカ人を,たとえばロバート・オッペンハイマー,ジョン・ケネス・ガルブレイス,ジョン・サールらを講師に招いている。(注:本書は1993年のサイードによるリース講演を出版したもの。)

    (pp.23~50)「第一章 知識人の表象」
    (p.35) ・・・。したがって,結局のところ,重要なのは,代表的(representive: 代弁する)人物としての知識人のありかたである。-- つまり,知識人たる者,なんらかの立場をはっきりと代表=表象(represent)する人間,また,あらゆる障害をものともせず,聴衆に対して明確な言語表象をかたちづくる人間たるべきなのだ。わたしの論旨とは,知識人が,表象=代弁する技能を使命としておびた個人であるということにつきる。この使命は,どのようなかたちで実現されてもよい。おしゃべりでも,ものを書くことでも,教えることでも,テレビに出演することでも。そして,この使命が重要なのは,それが公的に認知されたものであり,それには責務とリスクがともない,また大胆さと繊細さも必要となるからである。たしかにジャン・ポール・サルトルやバートラン・ラッセルの書いたものを読むとき強く迫ってくるのは,その論じかたではなく,彼ら特有の個人的な声であり,その存在感であるが,これは,彼らが自己の信ずるところを,臆せず語っているからである。彼らが,顔のない役人やことなかれ主義の官僚によもやまちがわれることはあるまい。・・・。(注:つまり,いわゆる「学識経験者」や御用学者は「知識人」ではないということですね。)

  • ブライアン・クリスチャン(著),吉田晋治(訳)『機械より人間らしくなれるか? - AIとの対話が,人間でいることの意味を教えてくれる>』(草思社,2012年6月)(2013.3.31)
    * 原著:The Most Human Human, by Brian Christian, c2011
    * ブライアン・クリスチャン(Brian Christian, 1984~):科学ジャーナリスト? コンピュータ・サイエンスと哲学の博士号及び美術学の修士号を持つ。
    * 吉田晋治(よしだ・しんじ,1972~ ):翻訳家。東京大学理科1類中退。
    各章の最初に自分が気に入っている思想家の言葉を引用するスタイルはよく見られますが,本書でもそのスタイルを踏襲しており,ラッセルからは The Coquest of Happiness, 1939(『幸福論』)と In Praise of Idleness, 1935(怠惰への讃歌)から引用されています(もちろん,本文中にも引用されています)。
     クリスチャンがこの本を出版したのは27歳です。今後の活躍が期待されます。(松下)


    (pp.201)「目的を持たない」という目的
     たとえば,18世紀フランスのサロンで完成された一般的な会話の技術は,40年ほど前まではまだ実際に習慣として使われていた。これは,会話という完全にはかなく消え去ってしまうもののために最高の能力を働かせるという,非常に優雅な技術だった。だがいまや,そんな悠長なものに関心を持つ人間がいるだろうか?
     ・・・。競争という心の習慣は,本来は競争と無関係だった世界にまで容易に侵入する。たとえば読書というものが挙げられる。
     安藤貞雄(訳)『ラッセル幸福論』(岩波書店)より
     僕(B.クリスチャン)はなぜか,本を読んでいるときに,最初は楽しめるのに,読み終わりそうになるとほとんど楽しめなくなる。心のどこかで「終わること」に切なさを感じはじめるからだ,本の最初は喜びと探検だが,本の終わりは結末と完了であり,僕は後者にあまり興味が湧かない。・・・。

    (p.203) 20世紀の哲学者バートランド・ラッセルは「子どもだけでなく大人にも遊びが必要だ。つまり,なんの目的もなく活動する期間を持たなければならない」(強調は筆者による)と主張する(ラッセル「無用の知識」→ ラッセル『怠惰への讃歌』に収録)。アリストテレスは人間から微生物まで,あらゆるものの「目的論」を重視したが,友情の最善の形とは特に目的も目標も持たないものだとわざわざ述べている。聞くところによると,人間以外の動物ではイルカやボノボだけが「快楽のために」セックスをするらしい。人間には,自分たちを除いてこれらの動物が最も賢いと考える傾向もある。実際,「最も賢い」動物の一覧と日常生活になんらかの「遊び」や娯楽を取り入れている動物の一覧はほとんど一致しているように思える。


    (pp.267)「人間は相手の影響を受けずにはいられない」
     だれもが自分の内心をさらけ出さないよう努めている。だれもが根本的な孤独を保ち,他人の影響を受けないようにしており,それゆえ不毛である。このような経験のなかには,根本的に価値のあるものはなにもない。
     安藤貞雄(訳)『ラッセル幸福論』(岩波書店)より

    (pp.295-296)「二人が一つになる」ことと「一人が一つでいる」こと
     本当に価値のある性的関係とは,一切の遠慮がなく,二人の全人格が1つの新しい集合的な人格にまで融け合うような関係だけである。
     安藤貞雄(訳)『ラッセル幸福論』(岩波書店)より

    (pp.369)「ガラス食器棚の得も言われぬ美しさ」
     好奇心を持って学べば,つまらなかったものがそれなりに面白くなってくるばかりでなく,面白かったものはさらに面白くなってくる。わたしが桃や杏(あんず)を一段とうまいと思えるようになったのは,これらの果物がまず漢のはじめに中国で栽培され,カニシカ大王に捕らえられていた中国の人質がインドに伝え,そこからペルシアに伝わり,西暦一世紀にローマ帝国に達したこと,さらに,杏は早く熟すため,杏を意味する「apricot」と早熟を意味する「precocious」のラテン語の語源は同じであり,「apricot」という単語の先頭にある「a」は語源学の誤りによって付加されたことを知ってからだ。こうした事実を知ったからこそ,これらの果物はますます甘く感じられるのである。
     堀秀彦・柿村峻(訳)『(ラッセル)怠惰への讃歌』(平凡社)より

     以上の他に,p.193の注に,[バートランド・ラッセルは,「成功したあとでどうするかということを教えられていなければ,成功しても退屈の餌食になるより他ない」と述べている。」というのもあります。

  • S.A.メドニック,J.ヒギンズ,J.キルシェンバウム(著),外林大作,島津一夫(翻案)『心理学概論-行動と経験の探求』(誠信書房,1979年9月)(2013.3.10)

    * 出版社の宣伝文句: 定評のある米国の概論書を我国の実状に即して翻案した新形式の本書は,平易な記述,百数十もの豊富な図版,概説書として新鮮な用例,さらに斬新なレイアウトにより,心理学の全体像を眺望する概論書の決定版。
    (pp.234~)
    問題解決の諸相

     洞察の経険の主観的印象について,二つのことに注意しておかなげればならない。第一に洞察は主観的に正しい解答で,絶対に確からしいように思えるものである。しかし,一般の仮説とおなじように,あやまりがないというわけにはいかない。第二に,洞察は青天の霹靂(へきれき)のようにあらわれると考えられるが,多くの思考過程を観察してみると,洞察はいつでも,特殊な文脈のなかにはめこまれているものなのである。この過程は四段階にわげて考えられる。すna
     わち,準備期,艀化期,解明期,検証期である。
     準備期では,状況が探索され,そこにあるいろんな事物やその事物間の関係がしらべられる。こうした探索は,しばしば目的のない遊びのようなものであったり,直接的で,明白な解決法をあれこれと試みたりするものである。これは,(実験猿の)ズルタンが手や短い棒でくだものを引きよせようとした時期である。最初のこうした試みに失敗して,ズルタンは無活動の時期になるが,これが孵化(ふか)の段階である。人間を被険者とする実験の被険者の報告によると,問題解決のこの相では,問題についての意識的思考は含まれすらしていない。思考は,孵化期よりは準備期に属するものである
     次のラッセルのことばはこのことをよく示している。
     わたしは,なにか非常に困難な論題について書かなければならなくなると,最良の方法は,まず,その問題について微底的に,自分のできるかぎり,数時間あるいは数日間,考えてみることであり,それが終る頃には仕事は,いわば地下ですすめられるように,順序立てをするのだということがわかった。数カ月してから,わたしは意識的にその論題にたかちえり,仕事ができあがっていることを見出すのである。
     孵化期についで,解明期があらわれる。これは「ああ」経験によって代表されるもので漫画などでは「閃光的に」よく示されているものである。最後の相である検証期は,洞察といえどもあやまりを犯すことのあることを示すものである。洞察もテストされなげればならない。検証もズルタンの場合のように,たぺるという簡単なこともあるが,閃光的にひらめいた科学的理論をテストしようとすれば,複雑な実験をいくつもつみかさねる必要もある。

  • 栗原彬(編)『共生の方へ』(弘文堂,1997年3月)(2013.2.13)
    *
    栗原彬(くりはら・あきら, 1936~):立教大学名誉教授で政治社会学専攻。日本ボランティア学会代表。
    * 中井久夫(なかい・ひさお,1934~):神戸大学名誉教授で精神科医。専門は精神病理学。


    (pp.226~243:中井久夫「いじめの政治学」

    (p.226) 長らく'いじめ'は日本特有の現象であるかと思われていた。私はある時,アメリカのその方の専門家に聞いてみたら,むろんありすぎるほどあるので,こちらでは学校の中の本物のギャングが問題だという返事であった。学校に銃を持ってくるなということを注意し,実際に校門で検査しているのが一部高校の実情である。こうなっては大変であるが,銃はともかく,日本でもいじめ側の一部はギャング化しているのは高額の金員を搾取していることから察せられる。
     外国では,英国のエリート学校であるいくつかのパブリツク・スクールのいじめがよく知られている。英国の数学者・哲学者バートランド・ラッセルの自伝にもケンブリッジ大学への準備に通っていた学校で,これは高級軍人コースのためのエリート校であったからなおさらであったが,毎日いじめられては夕陽に向かって歩いていって自殺を考え,「もう少し数学を知ってから死のう」と思い返す段がある。(『ラッセル自伝』の該当箇所「戦場のメリー・クリスマス」という映画をごらんになった方は,パブリツク・スクールでいじめられていた弟を見殺しにした罪悪感が主人公を死へのゆるやかな過程に駆り立てるのをみることができる。・・・。

  • 峰島旭雄『西洋は仏教をどうとらえるか-比較思想の視座』(東京,1987年6月)(2013.2.10)
    * 峰島旭雄
    (みねしま・ひでお, 1927- ):早稲田大学教授,同・社会科学研究所長を経て,早稲田大学名誉教授。

    (pp.185-188-:ラッセル - 二ーチュと仏陀の対話」
    「ある人々は,仏陀のように,どのような生き物が苦しんでいても,それが苦しんでいるかぎり自分は完全に幸福とはなりえない,と感じている。・・・キリスト教あるいは仏教が持っているような倫理は,その感情的基礎が普遍的同情にあるのであって,ニーチェの倫理は同情の完全な欠如ということにある。・・・。
     仏陀ならば,次のような者たちについて語ることから議論を始めるであろう。すなわち,癩病人(注:らい病患者)や放逐された人々,四肢を痛めて骨折り仕事をし,乏しい栄養のために生きているのがやっとというような貧者たち,じわじわ迫る瀕死の苦闘の中にいる戦闘での負傷者,残酷な後見人に虐待されている孤児たち,また,もっとも成功しているにもかかわらず,失敗と死の想いにとり憑かれている人々である。すべてこのような悲しみの重荷からの救いが,どこかに見出されねばならず,救いは愛によってのみ到来しうるのだ,と仏陀はいうであろう。

     ニーチェは・・・次のように叫び立てるであろう。「こりゃ驚いた,お前さん。貴方はもっと強靱な資質になられんといげませんな。とるに足りない人々が苦しむからといって,なぜそうメソメソして廻りなさる? いやさ,偉いお方が苦しんでいても,同じことですがの。とるに足りない者どもは,その苦しみもとるに足りないし,偉い人間はその苦しみも偉大なんで,偉大な苦しみというものは,高貴なものであるゆえに遺憾とすべきものじゃありませんな。貴方の理想は苦しみがないというまったく否定的な理想であって,そんな理想なら存在しないことで完壁に達成されるわけだ。それに反して,わたしは積極的な理想を持っていて,アルキビアデスやフリードリッヒニ世や,ナポレオンを讃美しているんです。」・・・。

     仏陀は落ち着いた典雅さで次のように答える。「あなたなら,そうかも知れません。あなたは苦痛を愛していらっしゃるのだから。そしてあなたが生命を愛するとおっしゃるのはマユツバですからね。しかし,ほんとうに生命を愛する者たちは,わたしの世界に住むことによって,現在あるがままの世界ではとうてい不可能なほどの幸福を感じることでしょう。」

     わたし(ラッセル)としては,わたしの想像したかぎりでの仏陀に賛成する。しかしわたしは,数学や科学の問題で用いるようなどのような議論をもってすれば,仏陀が正しいことを証明できるか,を知らないのである。・・・。
     ニーチェは普遍的な愛を軽蔑する。だが,わたしは,その愛が,世界に関してわたしが望むすべてのことに対する起動力であるように感ずる。ニーチェを信奉する人々は,現在までに得点を稼ぎはしたが,われわれは,それが急速に終焉することを,希望していいであろう。
    (ラッセル『西洋哲学史』(みすず書房))
     私どもはすでに,ニーチェ自身の言葉やその思想については,見てきた。ここでは,バートランド・ラッセル(1872-1970)が『西洋哲学史』のなかでニーチェを扱っている箇所を取り上げる。それは,ニーチェと仏陀との対話を通しての,ラッセル自身の主張(注:上記引用)でもあるのである。
     中村元博士はつとにこのラッセルの哲学史が,わざわざ「西洋哲学史」と断ってあることに注目された。それまでのヨーロッバの哲学史家によって書かれた西洋哲学史は,みな,ただ「哲学史」と題されただけであった。つまり,東洋を意識せず,哲学は西洋の専売という先入観があったから,わざわざ「西洋」と冠しなかったのである(ここにもヨーロッパ普遍主義がある)。じじつ,ラッセルは,このように,東洋を意識した西洋哲学史において,ラッセルの思想や哲学からはあまり思いつかないと考えられる,「ニーチェと仏陀との対話」を試みているのである。そして,どうも軍配は仏陀にあがっているようである。それはなぜか。ラッセルは戦後,世界連邦の主張をかかげた。その根底にあるのは人類への普遍的な愛である。そのかぎりにおいて,ニーチェをしりぞけ,仏陀に与(くみ)するのであろう。
     しかし,ラッセルは,本来,哲学者としては非常に「批判的な立場」をとり,単純に普遍的なもの,まして超越的・理念なものを認めなかったはずである。『哲学の諸問題』(1911)(注:「1912年」の誤記。現在出されている邦訳書のタイトルは『哲学入門』)を著わして,カント的な「批判の立場」を表明,現象はとらえられるが,実在(リアリティ)そのものは不可知であるとしている。しかし,その同じ著述のなかで,ラッセルは,宇宙の大いなる静けさ,豊かさのうちにひたる幸福感をも表明している。
     これは矛盾であろうか。そうではないと思う。数理哲学,言語分析哲学の精密な実証的態度と,人類愛にもとづく世界連邦の主張ならびに宇宙への没入による一種の神秘的な幸福感とが,ラッセルという偉大な天才思想家のうちに共存しうるのである。

  • 大内裕和(編著)『愛国心と敎育』(日本図書センター,2007年6月/「リーディングス・日本の敎育と社会」第5巻)(2013.2.3)
    *
    大内裕和(おおうち・ひろかず, 1967 - ):東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。現在,松山大学人文学部教授。
    * 高橋哲哉(たかはし・てつや,1956 - ):哲学者。東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授。

    (pp.362-378:高橋哲哉「愛国心敎育-私が何を愛するかは私が決める」
    出典:高橋哲哉『敎育と国家』(講談社,2004年)第2章

    [pp.368-367:ラッセルの愛国心]
    (p.368)・・・。そのラッセルが,1916年,第一次世界大戦中に書いた「プリンシプルズ・オブ・ソーシャル・リコンストラクション(社会的再編成の諸原理)」(松下注:第一次世界大戦後の荒廃した社会の「再建の原理」)という文章の中で次のように述べています。少し長いのですが,引用してみましょう。
    「生まれ育った土地,懐かしい家族や近隣の人々への偽りのない愛情からほとばしる家庭愛,郷土愛の根は,地理風土や生物学的感情にある。この素朴な愛情自体は政治的なもの,経済的なものではない。自分の国を思う感情であり,他国を排斥するものではない。非難される点は何もない。しかしそれは現代国家に見られる愛国心とは異なる。西欧の少年少女にとって,最も重要な社会的忠誠は,彼らが市民(引用者(=大内裕和)による注:これは日本語流に言えば「国民」です)として所属する国家への忠誠であり,国家への義務は政府の命令どおりに行動することだと教えられている。この教えに疑問を抱かせないように,歴史,政治,経済で偽りを教え,外国の過失は必ず指摘し,自国は善良な防衛戦争に立ち上がったと吹き込まれる。
     自国が戦火を交え,外地を占領するのは文明を広め,福音を伝えるためだと信じ込ませようと努めている。この政策に立脚する国家主義者が願う愛国心を注入するために,民衆のヒステリーや情動性を利用する。これは国家的利益を握る人々が行う最も恐るべき現代の悪の源泉である。これは国際関係に精通する人々にはだれにも明白な事実である」
     このように,ラッセルも,パトリオティズムはもともと自分の生まれ育った共同体に対する愛着の感情であって,自然なものだと言います。しかし,それがとりわけ国家によって,戦争をするための精神的な準備として国民に注入されること(注:愛国心敎育)は,まったく間違ったことだというのがラッセルの考え方です。
     私(高橋哲哉)も,自分の生まれ育った共同体に対する愛着の感情は,確かに,いわゆる近代国家における愛国心に比べて普遍性をもっていると思います。ラッセルは,それは「政治的なもの,経済的なものではない」と言っていますし,「自分の国を思う感情であり,他国を排斥するものではない」とも言っています。しかし,パトリオティズムがもともとそういうものだとしても,政治的なもの,経済的なものになりうる,そして他者を排斥するものになりうることは,近代国家以前の共同体についても言えることでしょう。どんなに小さな集団であっても,集団への帰属の感情が他集団との抗争において戦いのエネルギーになることは常にあったはずで,出発点にあったパトリオティズムが無垢(むく)な平和なものであり,それが近代になってスケールの大きな国民国家に拡大されたときに悪になったと考えるのは,物事を単純化しすぎているのではないでしょうか。逆に,近代国家における愛国心はすべて百パーセント悪かと問われれば,私は必ずしもそうではないと答えます。
    (松下注:後半は少し混乱した書き方がされている。「近代国家における愛国心はすべて百パーセント悪」などとラッセルは言っていません。高橋氏が言おうとしているのは,「近代国家における愛国心は★政治的なものであっても★百パーセント悪とは言えない」ということかもしれません。しかし,ラッセルは「悪」という言葉を使っていても,それは「近代における政治的愛国心(敎育)は非常に危険である」と言っているのであり,「百パーセント悪(=絶対悪)」などとは言っていません。どうも言葉尻を捉えた物言いのように思えてしまいますが,ただ書き方の問題だけでしょうか?。
    ★参考:ラッセル「郷土愛と愛国心」)

  • ジェレミー・リフキン(著),竹内均(訳)『エントロピーの法則-21世紀文明観の基礎』(祥伝社,1982年11月刊)(2013.1.14)
    *
    ジェレミー・リフキン(Jeremy Rifkin, 1945 - ):文明批評家。カーター大統領在職時のブレーンの一人。
    (pp.38-40:バートランド・ラッセルが行った哲学的考察)

    (p.8)・・・。たとえば,アインシュタインの相対性理論にしても,あくまでも仮説であり,将来,この理論を包括する原理が発見されることが,すでに予測されている。つまり,エントロピーの法則以外の物理法則は,すべて,「暫定原理」と呼ぶべきものにすぎないのである。・・・。

    (p.38) エネルギー・レベルおよびエントロピーを別の方法で観察する手段として,先に「集中」という言葉を用いたが,これをわかりやすい例で見てみるとどうなるか。たとえば,香水の瓶を開けると,香りが洩れ,やがて部屋中に漂うが,これはどうしてだろうか。あるいは,今度は部屋のドアを開けてみる。隣の部屋はもっと広い部屋となっている。すると香りは,ドアを開ける前ほど強くはないが,二つの部屋に広がる。
     バートランド・ラッセル(1872-1970。イギリスの哲学者,数学者)は,この過程について,次のように説明している。
    「ある部分に大量のエネルギーが集中し,その隣接部分にはほとんどエネルギーがない場合,エネルギーは一様になるまで,ある部分から他の部分へ流れる。こうした全過程を,デモクラシーへ向かう傾向ということができる。
     これは,まさしく熱力学の第二法則を理解するための別の方法である。エネルギーは常に,より集中した状態(この場合,香水の入った瓶)から,より集中していない状態(隣り合った二つの部屋)へと流れる。その過程において,自由な,あるいは使用可能なエネルギーが,使用もしくは消費される(香りがその潜在力を失う)。・・・。
     このように,「エントロピーの法則」をめぐって,一つの定式を見いだそうとする試みは,数多くなされてきた。科学者にとっても哲学者にとっても,これは格好の研究材料であったことは確かである。そのうちで,最も果敢にこの法則に反論を試みたのは,19世紀の偉大な科学者J・C・マクスウェル(1831~1879。イギリスの物理学者)とルートビック・ボルツマン(1844~1906。オーストリアの理論物理学者)の二人であろう。・・・。

    (p.77) ところで,生命反応が第二法則と,どれだけ合致しているかについて解明するのに,科学者らは苦労してきたわけだが,その理由は,生命活動は他の化学反応とは違い,外部の環境から新たにエネルギーを採り入れる力を自らが備え持っているという点にある。つまり,生命反応は「開かれた系」であり,物質やエネルギーを外部と交換するといった複雑な変化を繰り返すからである。
     しかも,生命反応は,生きているかぎり平衡状態に達することはなく,周囲の使用可能なエネルギーを摂取しつづけることによって,平衡状態を回避しながら生命を維持しているのである。この状態は「安定した状態」と呼ばれ,もし物質とエネルギーが生物組織の中を流れなくなれば,この状態が失われ,生物は平衡状態となり,''に至るわけである。
     したがって,生命反応においては,エントロピーではなく,自由なネルギーの流れが最も重要となる。これは非平衡熱力学と呼ばれている科学の一分野である。平衡熱力学の系と同じやり方で非平衡熱力学の系を説明することはできないが,後で述べるように,生命反応も第二法則の広大な概念と合致していることは確かな」のである。
     バートランド・ラッセルは,この間の事情を「あらゆる生物は,一種の帝国主義者みたいたものだ。なんとかして,自分を取り巻く環境を自分そのものに,そして自分と同じ種に変えてしまおうと狙っている。」といった表現で説明している。
     この地上に生きるあらゆる生物は,ほんのちっぽけな植物ですら,すべての環境に大きな無秩序をもたらしながら,植物は植物自身の秩序を維持している。・・・。

    (p.245) ・・・。
    おもしろいことに,通りを歩く人間が科学を完全に信じ始めたとたんに,実験室にいる人間は信念を失い始めた。私がまだ若いころには,物体の運動はすべて物理学の法則に従うものであり,その変化は方程式どおりの数値で表わすことができるという確信を,すべての物理学者が抱いていたにもかかわらず・・・」
     これは,バートランド・ラッセルの著書『科学の展望』(松下注:Scientific Outlook, 1931/ちなみに,邦訳書のタイトルは『科学の眼』,すなわち,outlook は「展望」ではなく,「物の見方」の意)の中にある言葉である。このように,現代物理学者たちの頭の中を一般の人々が覗いてみるなら,力学的宇宙体系への信仰は根底から覆ってしまうことだろう。われわれは古典物理学によりかかって,綿密に生命を系統化する方法を編み出してきた。しかし今日の科学者に言わせれば,当の古典物理学の仮定は,そもそも大きな過ちを犯しているというのである。・・・。

    落穂拾い 2009年 2010年 2011年 2012年