Google Alert に「バートランド・ラッセル」や「Bertrand Russell」というキーワードを登録しているため、毎日、Web上にラッセル関係の情報がアップロードされると Google から自動的にアラートが送られてきます。
先日、某書店で「「希望文庫 48 平和主義の礎『バートランド・ラッセル』」という本を売っているとのアラートがきましたので、早速注文してみました。しかし、物理的なものとしては初見ですが、中身は私が早稲田大学教育学部のラッセル文庫に昔寄贈した 「ポケット偉人伝・第7巻・哲学思想家篇」(5分冊入)のなかの1冊(1971年7月刊)と同じものでした。つまり、残念ながら、同年4月に「希望の星」という雑誌(?)の付録としてだされたものの再販でした。
平澤興『論語を楽しむ-己を生かし、人を生かす書』(PHP,1995年3月/PHP文庫)(2011.12.4)
* 平澤興(ひらさわ・こう, 1900-1989):京大医学部卒。1957〜1963まで京都大学第16代総長を務める。
* 本書は、昭和45年から昭和50年の間になされた平澤氏の「講話」を収録したもの。以下の平澤氏の話のなかの「五十年前のラッセルの警告」とは、1922年に出版された The Problem of China (邦訳:ラッセル(著),牧野力(訳)『中国の問題』(理想社,1970年9月刊))のことを指しているものと思われる。
(pp.256-261:「チキン」) バートランド・ラッセルは、この「チキン(弱虫)」(チキンゲームのチキン)に、核戦争の手詰まり状態の一つの比楡を見た。1959年出版の『常識と核戦争』(Common Sense and Nuclear Warfare)のなかで、ラッセルはこのゲームについて(以下のように)説明しているだけでなく、このゲームを実際に地政、国政レベルで応用している人々に対し、忌憚のない意見も書いている。ちなみに、ラッセルが解説した方のゲームが、今では(少なくともゲーム理論の世界では)「正統的」なチキンゲームとされており、映画の崖から落ちる方のチキンゲーム(例:ジェームス・ディーン主演の映画『理由なき反抗』のなかのチキンゲーム)とは区別されている。
・・・。また同じ時期、リベラルなアメリカ人知識層とカトリック高位聖職者の間の公的道徳をめぐる論争は、検閲および学問の自由という具体的争点をめぐって表面化し、両者の関係をより悪化させることになる。バートランド・ラッセルが、1940年に性と結婚に関する自らの見解を糾弾されて、ニューヨーク市立大学の職を追われたとき、ラッセルは、この処遇がカトリック政治勢力によってもたらされたとみなした。これはもっともであった。たとえば、主要なカトリック雑誌や、大司教フランシス・スペルマン Francis Spellman は、ラッセルの「反宗教的見解」を問題視し、執拗に攻撃したのだ。ただし、この事件では他の宗教指導者も同じように関与していた。事実、ラッセルの第一の論敵は、むしろ英同国教会であった。ただし、リベラルな考えを持つカトリックの高位聖職者や知識人が、ラッセルの弁護のために声を挙げることがなかったのも確かである。したがって、リベラル派がアメリカの政治生活におけるカトリック・ヒエラルキーの影響力に懸念を持ち、教区学校が検閲を支持する教育を行っているのではないかと疑いにかかったのも、それ相応の理由がないわけではない。実際に、思慮分別をもった多くの人たちが以下のような結論に到達したのである。すなわち、かりに最高裁が教区学校の存在を容認するとしても、少なくとも私たちだけは、教区学校に対するほんの僅かの公的助成にも断固反対の立場をとるべきである、と。・・・。
(pp.5-13:はじめに)
(p.5冒頭) 1948年のバートランド・ラッセルからはじまった由緒あるリース講演(Leith Lecture)に、初の医師・実験心理学者の講演者として2003年に招かれたのは、私にとって名誉なことでした(注:ラッセルの第1回講演 Authority and the Individual は1948に出版されている。また、南雲堂から1959年に『権威と個人』という訳書名で出されている。全6回の講演(肉声)の録音の視聴)。リース講演は過去50年間、イギリスの知的・文化的に名高い場所で開催されており、また、招待を受けた私にとっては、ティーンエイジャーの頃にその業績から大きな影響を受けた、そうそうたる歴代の講演者たち、ピーター・メダワー、アーノルド・J・トインビー、ロバート・オッペンハイマー、ジン・K・ガルブレイス、バートランド・ラッセルほか多数のリストに、仲間入りができるのもうれしいかぎりでした。
しかし、歴代の講演者たちが、私たちの時代の知的風潮を決定づけるのに重要な役割をはたした偉大な人びとであるだけに、そのあとに続くのは容易なことではないという認識もありました。さらにリース卿(BBC初代会長)がこの事業を始められたそもそもの趣旨に沿って、専門家だけでなく「一般のひとびと」にもよくわかるような講演をしなくてはならないという手ごわい課題もありました。・・・。
(p.254) まず,B.ラッセルの『数理哲学序説』(Bertrand Russell, An Introduction to Mathematical Philosophy(London: Allen and Unwin, 1919. repr. London and New York: Routledge, 1993)から,英語の原文とそれに対応する日本語の訳文を挙げます。
Returning now to the definition of number, it is clear that number is a way of bringing together certain collections, namely, those that have a given number of terms. We can suppose all couples in one bundle, all trios in another, and so on. In this way we obtain various bundles of collections, each bundle consisting of all the collections that have a certain number of terms. Each bundle is a class whose numbers are collections, i,e. classes; thus each is a class of classes.
*1:Bertrand Russell, The Problem of China(London: George Allen and Unwin, 1922; reprint, 1966), 260pp. 邦訳としては、牧野力訳『中国の間題』(理想社、1970年)。この訳書には、「バートランド・ラッセルと中国」と題する新島淳良氏による解説(全55頁)が収められている。なお、本稿においてラッセルのこの書物から引用する場合は、冒頭にモットゥとしてかかげた三つの引用文をふくめて、ぺージ付はすべて英文原書の1966年リプリント版による。
本書は彼の中国・日本での旅行体験をふまえて書かれたものであるが、単なる印象や場当りの思いつきを記したものではない。行動的な哲人ラッセルの欧米近代社会に対する辛辣で機智に溢れた批判にしっかり裏打ちされた歴史的・比較文化論的な発想を理論的な粋組として書かれたすぐれた「同時代史」である。中国を主たる対象としているが、全15章のうち4章を日本にあてている。ところで、私のねらいは、この本の内容について詳しく述べることではない。むしろ、この本を歴史の流れのなかにおいてみること、そして、ラッセルその人の思想および行動と関連させて、それを背景において位置づけてみること、−いわばこの本を額縁に入れてみるという*2ことである。
*2:ラッセルの人と思想については碧海純一『ラッセル』(動草書房、1961年、全247頁)がよい参考になる。また、彼の思想ないしは中国における活動が、どのような影響を中国に残したかという点については、訳書にある新島氏の解説がすぐれているので、その方に譲って、本稿では触れない。
・・・。
ノーマン・マクレイ(著),渡辺正,芦田みどり(共訳)『フォン・ノイマンの生涯』(朝日選書n.610,1998年/原著:John von Neumann, by Norman Macrae, c1992)(2011.9.5)
* ノーマン・マクレイ(Norman Macrae, 1923-2010):ケンブリッジ大学卒。記者。日本から勲三等旭日中綬章(1988年)、英国政府から上級勲爵子授与。
The man who feels himself unloved may take various attitudes as a result. He may make desperate efforts to win affection, probably by means of exceptional acts of kindness. In this, however, he is very likely to be unsuccessfu], since the motive of the kindness is easi]y perceived by their beneficiaries. The man, therefore, becomes disillusioned by experience of human ingratitude.
-- Bertrand Russell
バートランド・ラッセルは『教育と社会体制』(松下注:Education and the Social Order (London; Allen & Unwin, 1932))のなかで、このように述べている。
これはヨーロッパの帝国主義諸国を念頭に置いての発言だが、いわゆる教科書検定のみならず、政治家・知識人による過去を美化する発言をたびたび耳にしてきた日本国民には、容易に実感をもって受け止めることができるであろう。確かに侵略戦争は悪いことだが、朝鮮半島から大陸への進出は、ロシアの脅威に対して自衛するうえで必要不可欠の措置であり侵略戦争ではなかったと考える人々、そしてそのように次世代の日本国民に信じさせたい人々は、いまも少なからず存在している。こうした現象は、「教科書問題」という言葉が示すように、戦後の日本社会の未解決の問題として取り上げられる例が多いが、ラッセルのさきの言葉は、国家による自国史の美化という行為が、必ずしも日本に限られるものではないことを示している。それは、むしろアメリカやヨーロッパ諸国にもかなりの程度に共通した現象と認められるであろう。