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バートランド・ラッセル落穂拾い 2016

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R落穂拾い-中級篇


索引(出版年順 著者名順 書名の五十音順

* ラッセル関係文献「以外」の図書などでラッセルに言及しているものを拾ったものです。


  • ノーム・チョムスキー(講演及び対談),福井直樹・辻子美保子(共訳)『我々はどのような生き物なのか』(岩波書店,2015年9月)(2016.1.23)
    *
    ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky, 1928 - ):世界的な言語学者,政治活動家。

     本書で,ラッセルに触れているのはたったの一行だけです。それも,訳者の福井直樹氏が言及しているところだけです。しかし,チョムスキーの部屋にはラッセルの大きな肖像写真が掲げられ続けていることからもわかるように、チョムスキーはラッセルに大変親近感を抱いています。また、チョムスキーの基本思想と行動はラッセルに大変似通っており,チョムスキーはよくラッセルを引用します。
     専門分野は,チョムスキーの場合は言語学であり,ラッセルの場合は論理学や理論哲学であるという違いはありますが,チョムスキーの思想と行動を語ることはラッセルの思想と行動を語ることに通じます。
     そういった目で以下の引用を読んでいただければ幸いです。(松下


    (p.185)チョムスキーがかなり明確な反ボルシェヴィズムの立場を取っていることもマルクス主義およびマルクス・レーニン主義の影響が強かった日本の左派知識人を彼の政治社会思想から遠ざけた理由のひとつとして挙げられるかも知れない。これはちょうと,バートランド・ラッセルが政治思想家としては日本で今ひとつ人気がないのと同様の事情であると言える。ちなみに,本書所収の「対話」でも少し述べられているように,チョムスキーはマルクスの思想そのものを全否定しているわけではない。マルクスに関しては,学問的にもまたその政治的行動においてもいくつかの間違いは犯したものの,同時に優れた仕事も行なった重要な思想家という評価をしている。ただ,「マルクス主義」の教祖として彼を祭り上げることには,(これは別にマルクスに限ったことではないが)個人崇拝を導く傾向として反対する。
     最後に,チョムスキーの言語理論を盛んに論じる日本の研究者が彼の政治思想に関しては一切興味を示さない大きな理由は,日本の社会が政治について語ることを決して奨励していないことに求められるのではないだろうか。欧米に行くと,大学院生の集まりであろうが,大学教員のパーティーであろうが,明確に自分の立場を打ち出して国内および国際政治について口角泡を飛ばして議論する場面にしばしば出くわすが,こういった光景は日本の大学ではまず見られない。意見の相違を明確にして議論をするのは,日本では奨励される行為ではないし,ましてや立場が非妥協的に異なる可能性がある政治の話題は非常に危険なのである。チョムスキーのように,極めで明確に反権力的な立場を取る学者の場合,その政治思想には触れないでおくのが,日本の社会では安全な,大人の態度であるという判断が多くの言語学者の頭に浮かんだとしても不思議ではないだろう。
     日本において,チョムスキーの科学者としての主張と彼の政治社会思想がほぼ完全に切り離されて,相互に全く関係がないかのように一方は(ある意味)熱狂的に受理され,もう一方は無視されてきたといってもいいような状況だったのは,おそらく,いま述べたような諸要因が複合的に作用して生じたこととして説明できるのだろう。・・・。