バートランド・落穂拾い・索引 - 出版年順
以下の著者名順の索引にリストアップしたのは「R落穂拾い」の初級篇及び中級篇(赤字のものはラッセル関係文献)でとりあげた(ご紹介した)本です。興味深いラッセル関係文献(ただし、哲学や論理学関係の論文等の専門的なものでないもの)がありましたら、松下()まで教えていただければ幸いです。<索引 -著者名 -書名(五十音順)>
1945年以前(戦前)
かんそうしゅう 島崎藤村『感想集 春をまちつつ』(アルス,1925年3月刊)
1945年~1949年
大塚金之助『解放思想史の人々-国際ファシズムのもとでの追想,1935-1940』(岩波書店,1949年4月/岩波新書no.1)
1950年代
「政治を動かす・原水爆禁止論 --ラッセル,人類の危機警告」 [『読売年鑑1955年版』第五部「世界の文化」の冒頭]
市井三郎「分析哲学--論理実証主義を含む運動の歴史と西欧民主主義」[『岩波講座現代思想VI 民衆と自由』(岩波書店,1957年9月刊)
荒垣秀雄「人口惑星第1号(と地上の生活) 『朝日新聞-天声人語欄』(朝日新聞,1959年1月5日付)
江戸川乱歩(編著)『推理教室』(河出書房新社,1959年)
1960年代
「イギリス精神」 西脇順三郎『あざみの衣-西脇順三郎エッセイ集』(大修館書店,1961年)
R. K. マートン(著),森東吾(他訳)『社会理論と社会構造』(みすず書房,1961年9月第1刷;1990年10月第17刷発行)
「外国語の本を読む「解読術」」 加藤周一『読書術』(岩波書店,1962年)
石井清「英語教育42年に学んだこと」【『長野大学紀要』14(1)(1962)
「二十世紀の思想」 荒正人『思想の流れ』(毎日新聞社,1963年)
小田実『壁を破る-世界のなかの体験と思想』(中央公論社,1964年7月)
戒能通孝『自由と権利の法構造』(日本評論社,1965年4月)
上山春平「中江兆民の哲学思想」 桑原武夫(編)『中江兆民の研究』(岩波書店,1966年2月)
「平和運動」 『高群逸枝全集第5巻:女性の歴史II』(理論社,1966年)
「現代における理性の回復」 藤田省三『維新の精神』(みすず書房,1967年3月)
貝塚茂樹『古代の復活』(講談社,1967年10月)
マーシャル・マクルーハン(著),後藤和彦,高儀進(共訳)『人間拡張の原理-メディアの理解』(竹内書店新社,1967年11月刊)
臼井吉見「解説」[現代の教養・第16巻『日本のヴィジョン』(筑摩書房,1968年)巻末]
石田雄『平和の政治学』(岩波書店,1968年4月)
岡一男『古典の再評価 -文芸科学の樹立へ-』(有精堂,1968年6月刊)
『小泉信三全集・第2巻』(文藝春秋,1968年9月)
「持続する志(pp.55-59の一部)」 大江健三郎『持続する志』(株式会社文藝春秋,1968年10月)
岡田渥美「新実在論の教育思想」 森昭(編著)『現代教育思潮』(第一法規,1969年3月)
佐藤忠男「少年の理想主義について-大正期『少年倶楽部』の分析から」【鶴見俊輔(編集・解説)『大衆の時代』(平凡社,1969年3月刊/現代人の思想シリーズ第7巻>]
1970年代
ヴェド・メータ(著),河合秀和(訳)『ハエとハエとり壺』(みすず書房,1970年1月)
「学問における東と西」 福原麟太郎『文学的人生-福原麟太郎対話集』(研究社,1970年3月刊)
ベトナムにおける戦争犯罪調査 [日本弁護士連合会(編)『日弁連二十年』(日本弁護士連合会,1970年5月刊)
田中慎次郎,朝永振一郎,山内恭彦(対談)「核時代と人間-シラード『イルカ放送』をめぐって」 『逆説としての現代-みすず・対話篇』(みすず書房,1970年6月)
「安楽死の問題」 『鈴木茂三郎選集』第2巻(労働大学,1970年)
梅棹忠夫「文化分析の構想」 [加藤周一,久野収(編)『学問の思想』(筑摩書房,1971年6月刊/戦後日本思想体系v.10)]]
「政防法反対市民会議」の構想 高畠通敏『政治の論理と市民』(筑摩書房,1971年11月)
「科学と人間」 末川博『教学半世紀』(栗田出版会,1971年12月)
「オーウェルからリチャード・リースへの手紙(1949年2月4日付)」 [ジョージ・オーウェル(著),鮎沢乗光(他・訳)『ジョージ・オーウェル著作集 VI: 1945-1950』(平凡社,1971年)]
オーウェルちょさくしゅうIV, 「オーウェルからリチャード・リースへの手紙(1949年3月3日付)」 [ジョージ・オーウェル(著),鮎沢乗光(他・訳)『ジョージ・オーウェル著作集 VI: 1945-1950』(平凡社,1971年)]
上木敏郎「杏村とラッセル」 土田杏村『象徴の哲学』(新泉社,1971年)
「日本の作家たち」 ドナルド・キーン『日本の作家』(中央公論社,1972年2月)
「Egocentric Words」 毛利可信『意味論から見た英文法』(大修館書店,1972年4月)
「1923年(大正12年)2月1日の日記」 片山敏彦『自分に言う言葉』(みすず書房,1972年6月)
渡辺照宏『維摩経講話(改訂新版)』(大法輪閣,1972年10月)
「バートランド・ラッセルの無神論」 山内清海『現代人と無神論』(中央出版社,1972年)
中井久夫「数学嫌いだった天才数学者-ラッセルとウィーナーの病跡学」『無限大』(日本アイビーエム)no.11(1972年)]
井村恒郎・他(編)『精神病理学3』く(みすず書房,1973年5月刊)
上野雅和「市民的婚姻観の成立と展開--イギリスを中心として--」][『講座家族3 婚姻の成立』(弘文堂,1973年12月)所収]
立野信之『黒い花(下巻)』(ぺりかん社,1974年5月)
『矢部貞治日記-銀杏の巻』(読売新聞社,1974年5月刊)
「大衆文化論における二つの虚像--変革と余暇」 『大岡昇平全集・第13巻』(中央公論社,1974年9月)
「諸価値の二者択一」 日高六郎『戦後思想と歴史の体験』(勁草書房,1974年10月)
野間宏「分子生物学と文学」 [『茨城文学』1975年2月]
坂野正高「中国と日本-バートランド・ラッセルの『中国の問題』(1922年)をめぐって」[『アジアの中の日本』(東京大学出版会,1975年3月刊/東京大学公開講座・第20巻)pp.245-284]
三島由紀夫「新ファッシズム論」[出典:三島由紀夫全集第26巻『評論』(新潮社,1975年6月刊)
鎮目恭夫『性科学論』(みすず書房,1975年6月刊)
北岡寿逸(編)『友情の人・鶴見祐輔先生』(発行=北岡寿逸,1975年11月刊/
『G. H. ハーデイ(著),柳生孝昭(訳)『一数学者の弁明』(みすず書房,1975年)
青木薫久「精神病犯罪者の'治療処分'」 青木薫久『保安処分と精神医療』(社会評論社,1975年)
「環境保全技術の課題」 『環境・エネルギー・技術への挑戦-三菱化工機四十周年を記念して』(三菱化工機株式会社,1975年)
ディック・フランシス(作),菊池光(訳)『(小説)興奮』」(早川書房,1976年4月刊/早川ミステリ文庫)]
加藤周一「文学概念の比較文化的考察」 『表現の方法1-世界の文学(上)』(岩波書店,1976年6月)
E.T.ベル(著),田中勇・銀林浩(共訳)『数学をつくっった人々-下-』(東京図書,1976年10月刊)
山田正紀『(SF小説)神狩り』(早川書房、1976年11月/ハヤカワ文庫JA-88)
碧海純一「社会秩序とことば」[芳賀綏(編)『社会の中の日本語』(大修館書店,1976年11月刊/日本語講座・第3)
三宅鴻「代名詞的表現」 鈴木孝夫(編)『日本語の語彙と表現』(大修館書店,1976年12月)
『現代天皇制』(日本評論社,1977年2月)
井上ひさし(作)『(小説)ドン松五郎の生活』(新潮文庫,1978年5月)
細川幹夫「ラッセル, B. A. W.」 [細谷俊夫・他(編)『教育学大事典』第5巻(第一法規出版株式会社,1978年7月刊)] 『深代惇郎の青春日記』(朝日出版社,1978年9月)
『武田芳一『熱い港-大正十年・川崎三菱大争議』(太陽出版,1979年3月)
「アメリカ英語雑感」 『今川憲次『もんく・もんく・もんく』(中日新聞社,1979年9月)
S.A.メドニック,J.ヒギンズ,J.キルシェンバウム(著),外林大作,島津一夫(翻案)『心理学概論-行動と経験の探求』(誠信書房,1979年9月)
『柳父章『比較日本語論』(バベル・プレス,1979年11月)
『開高健『開高閉口』(新潮社,1979年)
1980年代
「当世文士心得」 『加藤周一『真面目な冗談』(平凡社,1980年6月)
『森川金寿『昭和人権史への証言』(時事通信社,1980年3月)
『柳瀬尚紀『翻訳困りっ話』(白揚社,1980年9月)
「話半分、嘘半分」 『井上ひさし『私家版日本語文法』(新潮社,1981年3月)
「ラッセル=アインシュタイン宣言」 『金子務『アインシュタイン・ショック2-日本の文化と思想への衝撃』(河出書房新社,1981)
小野修『政治における理性と情念』(世界思想社,1982年1月)
朝永振一郎『物理学と私』(みすず書房,1982年1月/朝永振一郎著作集・第2巻)
鈴木祥蔵「バートランド・ラッセル-平和教育の先駆者」[白石晃一・三笠乙彦(編)『現代に生きる教育思想2 イギリス』(ぎょうせい,1982年2月)
安西徹雄『英文翻訳術』(ちくま学芸文庫,1995年5月/1982年にバベル・プレス社から出された『翻訳英文法』を改題したもの)
「国家と道徳(天野貞祐・野上弥生子・長谷川如是閑の3人の対談)」 『(野上弥生子)対談・座談1』(岩波書店,1982年6月)
小林一郎『田山花袋研究-「危機意識」克服の時代(2)』(桜楓社,1982年6月刊)
上木敏郎「杏村の教育論とラッセル」[上木敏郎『土田杏村と自由大学運動--教育者の生涯と業績』(誠文堂新光社,1982年7月刊)]
秋山安永「(研究ノート)翻訳についての一考察」[『八幡大学論集』(八幡大学法経学会)v.33,n.1/2(1982年9月)pp.63-82]
ジェレミー・リフキン(著),竹内均(訳)『エントロピーの法則-21世紀文明観の基礎』(祥伝社,1982年11月)]
せかいのきげきじん 小林信彦『世界の喜劇人』(新潮社,1983年1月刊/新潮社文庫版(=1973年に晶文社から刊行されたものを大幅に加筆したもの)
エーリッヒ・フロム(著),佐野哲郎(訳)『反抗と自由』(紀伊國屋書店,1983年2月)]
掛川トミ子「『ジャパン・クロニクル』とロバート・ヤング」』 [「内村鑑三全集・月報n.32」(岩波書店,1983年5月発行)](
「誰のために書いているのか」 『中野好夫集IV:逆臣は歴史によみがえる』(再掲)(筑摩書房,1984年1月)
井上ひさし「だれのための教育か」 『毎日新聞』1984年1月5日[]
中村雄二郎『術語集-気になることば-』(岩波書店, 1984年9月刊/岩波新書・黄版276)
「怠惰の論理」 『加藤秀俊『余暇の社会学』(PHP研究所,1984年)
ロビン・ギル(著),E.O.ライシャワー(序文)『反日本人論』」(工作舎,1985年2月)
小島直記『志に生きた先師たち』(新潮社,1985年3月)
碧海純一「東大を去るに当たって- 一法哲学者の信仰告白:「自然主義的な」人間観」[『東京大学新聞』n.2552:1985年4月2日号)
「1957年8月27日、ラッセル卿訪問」 『ヒロシマ四十年-森滝日記の証言』(中国新聞社(編),1985年7月)
J-C.ブランギエ(編著),大浜幾久子(訳)『ピアジェ晩年に語る』(国土社,1985年9月)
「(森敦における)小説の変容」 富岡多恵子『表現の風景』(講談社,1985年)
「'猫と鼠の倫理学'から学ぶこと」 矢野暢『国際化の意味-いま「国家」を超えて』(日本放送出版協会,1986年)
やすかわ・じゅのすけ 安川寿之輔『<増補>日本近代教育の思想構造』』(新評論,1986年4月刊)
マーガレット・A.ボーデン(著),野崎昭弘・村上陽一郎・廣松毅(監訳)『人口知能と人間』』(サイエンス社,1986年4月)
いしきのかがく ケネス・ペレティエ(著),吉福伸逸・他(訳)『意識の科学ーホリスティックなヒーリングへの道』(工作舎,1986年10月刊)(
小川環樹『談往閑語』(筑摩書房,1987年1月刊)
「時代錯誤的日本」 『内田魯庵全集・補巻1:随筆・評論V』(ゆまに書房,1987年5月)
「ヴェトナム戦争の影」('斉藤眞'との対談「新保守主義台頭の歴史的背景」の一部) 宇沢弘文『現代経済学への反省-対談集』(岩波書店,1987年5月)
峰島旭雄『西洋は仏教をどうとらえるか-比較思想の視座』」(東京,1987年6月)]
「クリスマス・キャロル」 飯島宗一(著)『学窓雑記I』(名古屋大学出版会,1987年6月刊)
佐藤喬「(解説)詩人ラフカディオ・ハーン」 『ラフカディオ・ハーン著作集・第13巻^』(恒文社,1987年8月)
山田光成「私の履歴書」(『私の履歴書・経済人』第24巻/日本経済新聞社,1987年)pp.85-169.
チャード・ディーコン(著),橋口稔(訳)『ケンブリッジのエリートたち』(晶文社,1988年1月)
ハワード・レヴァイン,ハワード・ラインゴールド(著),椋田直子(訳)『コンピュータ言語進化論-思考増幅装置を求める知的冒険の旅』(アスキー出版局,1988年3月刊)]
佐高信『師弟-教育は出会いだ』(講談社文庫-さ33,1988年11月刊)
「ヨーロッパから学ぶこと」 松本重治『国際日本の将来を考えて』(朝日新聞社,1988年1月刊)
「イノベーションの時代」 総合研究開発機構(編)『新聞に見る社会資本整備の歴史的変遷:昭和期』(日本経済評論社,1989年1月)
村田基「山の家」 [村田基『恐怖の日常<ホラー小説集>』(早川書房,1989年2月刊/ハヤカワ文庫)pp.9-44]
「レーニンの印象」 [馬場恒吾『自伝点描』(中公文庫,1989年8月)]
「農民芸術」 原子朗(編著)『宮沢賢治語彙辞典』(東京書籍,1989年10月)
レーリンク「ラッセル:戦争の廃棄の主張」 [細谷千博・他(編)『(国際シンポジウム)東京裁判を問う』(講談社学術文庫, 1989年)]
1990年代
ハーバードのせいき リチャード・ノートン・スミス(著),村田聖明,南雲純(共訳)『ハーバードの世紀--アメリカを作った名門大学』(早川書房,1990年1月)
大里恭三郎「「宣言一つ」論 -- 階級への挽歌--」] [近代日本文学の諸相- 安川定男先生古稀記念』(明治書院,1990年3月)]
「社会主義はいま」 石堂清倫『続・異端の昭和史』(勁草書房,1990年10月)
渡辺二郎「西洋思想から見た秩序と混沌」 『混沌』(東京大学出版会,1991年6月)
「(ケース・スタデイNo.9)92歳にして立つ」富永直久『彼らは何歳で始めたか』(ダイヤモンド社,1991年10月刊)
同上 その2
「読みやすい文章、内容のない文学-『ノルウェーの森』をめぐって」 『居酒屋の加藤周一』(かもがわ出版,1991年)
斉藤鶴子「(1962年日記)第8回原水爆禁止大会前後」」 [『高度成長の時代 女たちは』(イザラ書房,1992年2月刊/銃後史ノート・シリーズ・戦後篇第6回配本)]
「若き日の T.S.エリオット」 小野寺健『英国文壇史-1890~1920』(研究社出版,1992年2月)
湯浅赳男「社会主義の命運を予見した知性たち(ケインズ,ラッセル,デューイ,ジイド」」【『This is 読売』1992年3月号]
足立恒雄『無限の果てに何があるか-現代数学への招待』(光文社,1992年5月刊)
[藤岡真(作)「笑歩」]『小説新潮』1992年12月号
「バートランド・ラッセル(著)『西洋哲学史』 和尚(講話),スワミ・パリトーショ(訳)『私が愛した本』(和尚エンタープライズジャパン株式会社,1992年12月刊
森博「バートランド・ラッセル」 [盛岡清美・他(編)『新社会学辞典』(有斐閣,1993年2月刊)](
加藤正明(編集代表)『新版 精神医学事典』(弘文堂,1993年2月刊)]
安川悦子『アイルランド問題と社会主義--イギリスにおける「社会主義の復活」とその時代の思想史的研究 』(御茶ノ水書房,1993年2月)
姫野カオルコ『終業式 the closing ceremony』(新潮文庫,1993年3月刊/角川文庫,2004年2月刊)
「最も狭義の経験とその純粋型」 後義輝『死刑論の研究』(三一書房,1993年9月)
井上義夫「政治の季節--オットリーヌ・モレル、バートランド・ラッセル」 [井上義夫『新しき天と地--評伝D・H・ロレンス II』(小沢書店,1993年10月)第9章(pp.150-165)に所収]
J. L. ボルヘス(作),鼓直(訳)『伝奇集』」(岩波書店,1993年11月刊/岩波文庫・赤792-1)
「怠惰の思想」 多田道太郎『日本人の美意識』(筑摩書房,1994年4月)
アンドレ・ヴェイユ(著),稲葉延子(訳)『アンドレ・ヴェイユ自伝(下巻)-ある数学者の修行時代』(シュプリンガー・フェアラーク東京,1994年5月)
「バートランド・ラッセル -若い人に学ぶ謙虚な反戦家」 鶴見俊輔(著)『悼辞』(SURE,1994年10月)
「学校」 [テッド・ネルソン(著)『リテラリー・マシン - ハイパーテキスト原論』(ASCII,1994年10月)
「逃避行」 『尾崎士郎(自伝)』(日本図書センター,1994年)
「『世界』1950年9月号掲載「私の信条」へのまえがき」 吉野源三郎『平和への意志-『世界』編集後記、1946~1955年』(岩波書店,1995年2月)
パウンドストーン「チキン」 [ウィリアム・パウンドストーン(他著),松浦俊輔(他訳)『囚人のジレンマ--フォン・ノイマンとゲームの理論』(青土社、1995年3月)]
「仕事かレジャーか」 尾高邦雄『仕事への奉仕』(夢窓庵,1995年4月/尾高邦雄選集・第5巻)
エドワード・W・サイード(著),大橋洋一(訳)『知識人とは何か』[平凡社,1995年5月]
ヨースタイン・ゴルデル(著),須田朗(他訳)『ソフィーの世界-哲学者からの不思議な手紙』(NHK出版,1995年6月)
菊池寛『恋愛と結婚の書』(文藝春秋,1995年7月/菊池寛全集第21巻)
まつざわ・ひろあき 松沢弘陽「『丸山眞男集6』の解題」[『丸山眞男集6 1953-1957』(岩波書店,1995年12月)(]
「酩酊(めいてい)は一時的な自殺である(B.ラッセル)」 『成語大辞苑-故事ことわざ名言名句』(主婦の友社,1995年)
「20世紀の経験主義-ラッセル、エイヤー、ウィトゲンシュタイン他」 ジョン・T.ウィリアムズ(著),E. H. シェパード(挿絵),小田島雄志(他訳)『クマのプーさんの哲学』(河出書房新社,1996年)
「現代における人間と政治」 『丸山眞男集第9巻(1961-1968)』(岩波書店,1996年)
丹羽小弥太(編著)『科学者の言葉』(講談社,1966年9月刊/講談社現代新書91) ジョナサン・ローチ(著),飯坂良明(訳)『表現の自由を脅かすもの』(角川書店,1996年9月)
クラーク・カー(著),小原芳明(他・訳)『アメリカ高等教育の大変貌、1960-1980年』(玉川大学出版部,1996年12月)
松原仁「ロジック・セオリスト」[市川伸一(編)『認知心理学4 思考』(東大出版会,1996年初版,2009年10月刊=第7刷)]
中井久夫「いじめの政治学」 [栗原彬(編)『共生の方へ』(弘文堂,1997年3月)]
「抽象的で厚みのない哲学のテクスト」 門脇俊介「哲学の言葉の翻訳」[川本皓嗣,井上健一(編)『翻訳の技法』(東京大学出版会,1997年4月刊)pp.247-260]
「文の構造の誤解」 冨田達彦『(小説)科学哲学者・柏木達彦の冬学期-原子論と認識論と言語論的転回の不思議な関係、の巻』(ナカニシヤ出版,1997年8月)
「アメリカ哲学と出会う」 鶴見俊輔『期待と回想(上巻)』(晶文社,1997年8月)
鶴見俊輔『期待と回想(下巻)』(晶文社,1997年8月)
「生活の中に品位を求める」 中野孝次『老年の愉しみ』(文春文庫,2000年11月/単行本:海竜社、1997年)
「反戦の立場-'愛国心'に抗して」 加藤周一『歴史としての二十世紀』(平凡社,1997年)
和田春樹「ソ連システムの挑戦とコスト」 東京大学社会科学研究所『20世紀システム1:構想と形成』(東京大学社会科学研究所,1998年1月)
ハーバート・A・サイモン(著),安西祐一郎・安西徳子(共訳)『学者人生のモデル』((岩波書店,1998年1月刊)
三浦俊彦(作)『エクリチュール元年』(海越出版社,1998年2月)
塚本明子「バートランド・ラッセル-「核」に人類の危機を感じ,パグウォシュ会議を提唱」 [樺山紘一他(編)『人物20世紀』(第一法規出版株式会社,1998年10月刊)] 「バートランド・ラッセルの波乱万丈」 ノーマン・マクレイ(著),渡辺正,芦田みどり(共訳)『フォン・ノイマンの生涯』(朝日選書n.610,1998年/原著:John von Neumann, by Norman Macrae, c1992)
「歴史教科書への問いかけ」 近藤孝弘『国際歴史教科書対話-ヨーロッパにおける「過去」の再編』(中公新書n.1438,1998年刊)
「ローゼンバーグ夫妻の減刑を嘆願」デニス・ブライアン(著),鈴木主税(訳)『アインシュタイン-天才が歩んだ愛すべき人生』(三田出版会,1998年12月)
柄谷行人「村上春樹の「風景」-『1973年のピンボール』」(『村上春樹スタディーズ01』(若草書房,1999年6月)
有本卓「脳からみた未来のロボテックス --人間にどこまで近づきうるか」[近畿化学協会(編)『化学の未来へ-ケミカルパワーが時代をつくる』(化学同人,1999年6月)]
ベイトソン-ちのきょくちとしてのメタローグ 中村雄二郎:G.ベイトソン-知の極地としてのメタローグ][『新しい科学・技術を拓いたひとび』(岩波書店,1999年12月刊/岩波講座「科学・技術と人間」別巻)]
2000年代
[善積京子(編)『結婚とパートナー関係-問い直さえる夫婦』)」(ミネルヴァ書房,2000年5月刊)]
「お釈迦様(岩崎民兵)の掌の孫悟空」 [斎藤兆史『英語達人列伝-あっぱれ、日本人の英語』(中公新書,2000年5月)]
[善積京子(編)『結婚とパートナー関係-問い直される夫婦』)」(ミネルヴァ書房,2000年5月刊)]
ロン・チャーナウ(著),井上廣美(訳)『タイタン - ロックフェラー帝国を創った男』(日経BP社,2000年9月刊/上下2巻本)
宮澤俊義『憲法講話』(国書刊行会,2000年10月刊/岩波新書-青627)]
中田幸子『前田河廣一郎における「アメリカ」』(国書刊行会,2000年10月刊)
鶴見俊輔×河合隼雄×埴谷雄高「文学の無限性」 『埴谷雄高全集第17巻 隠された無限』(講談社,2000年11月刊)
モーリス・フリードマン(著),黒沼凱夫(他訳)『評伝マルティン・ブーバー-狭い尾根での出会い』下巻(ミルトス,2000年12月刊)
「チョムスキーによるラッセル記念講義『知識と自由』」 [菊池久一『差別表現とは何か』(勁草書房, 2001年1月)
アントニー・ホーア「コンピュータと共に歩んで(受賞記念講演)」 『稲盛財団2000-第16回京都賞と助成金』(稲盛財団,2001年5月)
「近代兵器の変遷と戦争の性質と変容」 樺山紘一(他・編)『生きること/死ぬこと』(岩波書店,2001年5月)
B. C. バーント,R. A. ランキン(編著),細川尋史(訳)『ラマヌジャン書簡集』(シュプリンガー・フェアラーク東京,2001年6月刊)
「政府と学者」 [加藤周一・鶴見俊輔(対談)『二十世紀から』(潮出版社, 2001年9月)]
デイビッド・バーリンスキ(著),林大(訳)『史上最大の発明 アルゴリズム-現代社会を造り上げた根本原理』』(早川書房,2001年12月. 393pp.)
「女性国際戦犯法廷」 高橋哲哉『歴史/修正主義』(岩波書店,2001年)
田中眞紀子「日本に目覚めたアメリカ留学」 『早野透(インタビュー)『政治家の本棚』(朝日新聞社,2002年5月)
「懐疑する哲学者の孤独感:ラッセル(著)『西洋哲学史』」 佐高信『私を変えた百冊』(講談社,2002年5月/講談社文庫,2005年5月)
「日本語は日本語です」と「英語は日本語です」 『大人になるって何?-鶴見俊輔と中学生たち』(晶文社,2002年5月)
高杉良『不撓不屈(ふとうふくつ)』(新潮社,2002年6月)
『チョムスキー、世界を語る』(田桐正彦(訳)/トランスビュー,2002年9月)
「押しつぶされたアメリカ」 ディヴィッド・ナソー(著),井上廣美(訳)『新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストの生涯』(日経BP社,2002年9月)
「耳の形式」 外山滋比古『短詩型の文学』(みすず書房,2002年12月)
「カフェの娘」 猪瀬直樹『マガジン青春譜-川端康成と大宅壮一』(小学館,2002年)