ホイット・バーネット(編著)「疑問を抱く哲学者,バートランド・ラッセル」
* 出典:ホイット・バーネット(編著),村松仙太郎・山川學而(共訳)「現代に生きる信条』(荒地出版社,1958年12月刊)pp.9-12.* 原著:This is My Philosophy, ed. by Whit Burnett (New York; Harper & Brothers, 1957)
* Whit Burnett: アメリカのジャーナリスト出身で,本書出版当時(=1957年)ニューヨークで著述業。本書は,1956年バーネット氏が西欧を旅行しながら,各界の一流人物から,彼等の信条や現代文明への批判を(インタビュー,手紙等により)聞き,1冊にまとめたもの。
* 邦訳の一部が丹羽小弥太(編著)『科学者の言葉』(pp.158-160)に丹羽(訳)?で収録されている。
一九五〇年のノーベル賞*1(文学部門)の受賞者バートランド・ラッセルは,イギリスの哲学者,数学者,著述家で,また,その多方面な活動がノーベル賞の表彰文の中で,「常に人間性と思想の自由の擁護者として活動した彼の多方面な,重要な,著作活動を表彰して」と,とくに言及されている,現代の世界的思想家の一人である。
一八七二年に生れ,したがって,まもなく八十五歳のバートランド・ラッセルは,この本の中では,長老格の一人である。彼は英語が読まれている大部分の地域の読書家に知られているだけでなく,合衆国,中国,ヨーロッパの講演会の聴衆にもよく知られている。生涯を通じて二回,母校であるケンブリッジ大学のトリニティ学寮(Trinity College)で教鞭をとった。第一次大戦中,平和運動をしたかどでそこの教員資格(fellowship)をとり消された。また小冊子に印刷した記事のために告訴され,罰金を課せられたうえ,六ヵ月の懲役を宣告された。一九四四年,ふたたび教員資格をうけてトリニティ学寮にもどりそこで,彼の代表作の一つであり「哲学的遺書」でもある『人間の知識,その範囲と限界』(Human Knowledge; its scope and its limits, 1948)を完成した。彼は『西洋哲学史』(A History of Western Philsophy, 1945)の著者であるが,その本のもとになった一連の講義のため,一九四二年,ペンシルヴェニア州,メーリアン市のバーンズ財団との,五年間教授契約を解消されたが(松下注:おかしな日本語。バーンズ財団との間で5年間の契約を結び,1941年1月から講義を開始したが,1942年末に途中解約されたことを言っている。),彼は告訴して損害賠償を得た。アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドとの合作になる『数学原理(Principia Mathematica)』(一九一〇~一九一三)は彼の最大の著作と一般に考えられているが,それは,「記号論理学」つまり,数学的論理学*2の中に数学と哲学の接合点を発見しようと企てたものである。
晩年,ラッセル卿は,政治的著述やエッセイの執筆に力をそそぎ,また,一冊(2冊のまちがい)の短篇小説集も書いた。
「私の知能は,現在ご覧のごときものであるが,二十歳の年から年々確実に低下してきた。若い頃,私は数学が好きだった。それが難しくなると,哲学に夢中になった。哲学が難しくなると,政治学に没頭した。それから後は,探偵小説に専念するようになった」と,彼は一九五一年に書いている。(松下注:もちろんこれは,半分本気で半分冗談)
八十一歳の時,ラジオ放送でこう言った。
「世界の禍いの一つは,なにか特定のことを独断的に信ずる習慣である,と私は思う。そして,(実際は)それらはすべて疑問に満ちており,理性的な人間なら,自分が絶対に正しいなどとむやみに信じたりはしないだろう。私たちは,常に,私たちの意見に,ある程度の疑いを混えなければいけないと思う。」この哲学者は四回結婚した。彼は,ウェールズの先祖伝来の家で,彼の言葉によると,イギリスの田舎の「静かな老年期」を過している(松下注:先祖がウェールズ出身ということだけであり,先祖伝来の家に住んでいるわけではない。右写真は,ウェールズにある,ラッセルが晩年に住んだ山荘=1980年撮影)。
彼は一九三一年にラッセル家の称号をついだ。最近の離婚は一九五二年,八十歳の時である。同じ年に,彼はニューヨーク市のイーディス・フィンチ(Edith Finch)と結婚した。
彼は本書のシンポジアムに対して,時間と精力の許す限りの速さで返事をくれた。専門の仕事によって彼の人生観が変化したことがあるか,という質問に対して,
「多くの人がそう考えるほどではない。私の専門の仕事は,既知のあらゆる宗教の独断を拒否し,有機体の観念を濫用する哲学*3に対して懐疑的になるように私を導いてくれた」と答えた。「歴史上に,現在よりよいと思える時代,あるいは場所があったか?」という質問には,彼は次のような返事をくれた。
「その答は収入の額による。ペリクレス時代のアテネは金持にとっては快適だったが,奴隷と女性にはそうでなかった。革命前十年間のフランスは,哲学者と自由主義的な貴族には快適だった」「エリザベス時代のイングランドはフィリップ・シドニー卿には快適だった,と思う。しかし,それ以前に,現在西ヨーロッパやアメリカにある以上に,安楽な生活が広まっていた時代があったかどうかは疑わしい*4」。「現在の私たちの時代を,歴史的展望の中において眺めるとしたら,貴方はそれをどう特徴づけたいと思うか?」という質問には,次のように答えた。
「今の時代がどうなって行くかを見るまでは,それに答えることはまったく不可能である。西暦千年まで,人々は世界の終りが迫っていると考えていた。このことが自分たちの時代に対する彼らの判断を誤らせた。私たちの前には二つの入口がある。一つは天国に,もう一つは地獄に通じている。私たちがどちらを選ぶことになるかは,判断できない」ラッセル卿の研究者は,哲学者としての彼の見解が,多くの著書,とくに『数理哲学入門』一九四八年(一九一九の誤植)(Introduction to Mathematical Philosophy),『人間の知識』一九四八年(Human Society in Ethics and Politics),『哲学概論』一九二七年(Outline of Philosophy)<,『西洋哲学史』一九四五年(A History of Western Philosophy)の中に具体的に示されているのを見るだろうが,ラッセル自身は,この『現代に生きる信条』においては,『倫理学及び政治学に於ける人間社会』(Human Society in Ethics and Politics,1954)の最後の章「開幕か,終幕か?(Prologue, or Epilogue)」を選んで,自分の見解を示すものとしている。該書は,イギリスではアレン・アンド・アンウィン社により,アメリカではシモン・アンド・シュースター社(松下注:Simon & Schuster であるので,シモン=simmon ではなく,サイモンと言うべきだろう。)によって出版されている。
ラッセル(著),村松仙太郎・山川學而(共訳)
原 文
人間がこの地球上に出現したのは,地質学や進化史の時間の観念からいえば,きわめて最近のことである。何億年の間は非常に単純な生物だけが存在し,その後の何億年の間に,新しいタイプの生物,すなわち,魚,爬虫類,鳥,それから最後に哺乳動物が次第に進化してきた。私たちがたまたま属している人間という種*5は,せいぜい百万年以前から存在してきたものに過ぎない。また,現在の知能をもつようになったのは,そのまた半分ほどの期間からである。しかし,人間の出現が,宇宙の歴史において,あるいは生命の歴史においてさえも,最近の出来事であるにしても,人間の恐るべき,また同時にすばらしい巨大な力の出現はもっともっと最近の出来事なのである。人間が人間だけに与えられた能力を発見してから約六千年しか経っていない。その始まりは文字の発明と政治体の組織であると言ってよいだろう。歴史が書かれはじめて以来,進歩は着実どころか,時々思いだしたように進むだけだった。エジプトにピラミッド*6が造られた時代以後,真に注目すべき前進がなされた最初の時代はギリシャ時代であった。そして,その後,それに比較できるだけの進歩は,今から約五百年前までなかった。ここ五百年間,変化は加速度的に頻繁に起るようになり,ついには老人には自分の住んでいる世界を理解しようと望むこともできないほど速くなった。生物の出現以来存在したいかなることともそのように根本的に異る状態が,ある種の迷い,ある種の悲惨な混乱をもたらし,その結果,気狂いじみた加速度で心と頭脳をいっそう疲労困憊させてしまうことなしに,継続してゆけるとはとうてい考えられない。そういう不安は根拠のないことではない。世界の状態が不安を助長しているし,思慮のある歴史家は,騒々しい現在と穏やかだった過去との比較から,そのことに思いあたる。しかし,私たちが現在の悩みを忘れて,天文学者の眼でこの世界を眺める時,未来は地質学で予測された過去の時代もおよばないほど長く続いてゆくように思われる。今後何億何兆年の間,この地球が生物の棲息可能な場所であることを妨げる理由は,その(=地球の)物質的性質の中には見当らない(松下注:habitable for another million million years: 数億年~数十億年位。現代宇宙物理学では,太陽は100~150億年後に大爆発を起こし,地球も宇宙のもくずになると予言している。「何兆年」というのは誤訳といわなければならない。)。また,もし人間が,自分達の狂気がつくりだす危険をものともせず生きつづけることができるならば,最近始まったばかりの勝利の歩みを中止すべき理由はない。来るべき何百万年の人間の運命は,私たちの現在の知識が示す限りでは,彼自身の手の中にある。悲惨の中に飛びこむか,あるいは夢想だにしない高みに登りうるかを決定することは,彼自身に委ねられている。シェイクスピア*7は
未来を夢みる広い世界の予言的魂
ということを言っている。夢は予言的だと考えてはならないだろうか? 夢は死とともに消えさる欺瞞的な幻影に過ぎないだろうか? それとも,劇はまだ始まったばかりで,私たちは開幕の言葉の最初の一音節を聞いたに過ぎない,と考えてよいだろうか? 人間は,オルフェウス教徒*8の言ったように,大地と星空の子である。また,もうすこし新しい言葉で言えば,神と獣の結合である。ある人はその獣(性)に眼をつぶり,またある人はその神(性)に眼をつぶる。混り気のない獣性だけの人間像を描くことは簡単にできる。スウィフトは「ヤフー」(Yahoo)*9でそれをやった。そのやり方が真に迫っているので,私たちの多くはその印象を消すことができない。しかし,スウィフトのヤフーは,知力をもっていないから,嫌悪すべきものではあっても,近代人のもつもっとも悪質なものを欠いている。人間を神と獣の混合と考えるのは,獣に対して不当である。人間はむしろ神と悪魔の混合と考えるべきだ。どんな獣も,また,ヤフーでさえも,ヒットラーやスターリンの犯したような犯罪を行うことはできないだろう。私たちがヒットラーやスターリンが行った拷問を考える時,また彼らの辱しめたのが私たちと同じ種族であることを思う時,ヤフーは下劣であるにもかかわらず,現に近代の大国家の権力を握る人間たちの恐ろしさには遠くおよばないことを感じる。人間の想像力が地獄を描きだしたのはずっと昔のことであるが,彼らがその想像していたものを現実化できたのは,ただ最近の技術によってのみである。人間の精神は,天国の明るい空と地獄の暗い底との間で,奇妙な平衡を保っている。そして人間の精神はその両方を眺めることに満足を感じることができるが,一方が他方よりも人間の精神にとって自然であるなどと言うことはできない。
私は,恐怖に直面した瞬間に時々,人間のような生き物が存在しつづけることを願うべき理由が果してあるだろうか,という疑問をもちたくなる。人間を腹黒く残酷なものと考えたり,悪魔的な力の化身とか,宇宙の清らかな顔の一つの汚点のように見なすことは容易にできる。しかしそれが真相の総てではないし,真の知恵の語る最後の言葉でもない。
人間は,オルフェウス教徒の言葉が示すように,星空の子でもある。天文学的世界の偉大さに比べれば,人間の肉体は無意味で無力であるが,しかし,その世界を映すことはできるし,想像や科学的知識の中で時間と空間の底知れない深淵をめぐり歩くこともできる。自分の住んでいる世界について人間知っていることは,一千年前の祖先たちには信じられなかったことだろう。もし人間が現在の歩みをつづけるとすると,人間が知識を獲得する速度から推して,今から一千年後に人間が知ることは,また現在の私たちに想像もできないものになるだろう,と考えるべき十分の根拠がある。しかし,人間がもっとも良い場合に賞讃に値するのは,ただ単に,あるいは主に,知識にあるのではない。人間は美を創造した。彼らははじめて不思議の国を垣間見るときのような不思議な視力をもっていたし,また,全人類に対する愛や同情をもつことも,全体としての人類のために大きな希望をもつこともできたのである。これらの仕事は例外的な人間のものであって,たえず衆愚の反抗にぶつかったことは事実である。しかし,現在は例外的である人間が,来るべき時代には,普通の人間にならないとは限らない。また,もしそういうことになれば,新しい時代の例外的な人間は,今シェイクスピアが普通の人間より高いところにいるのと同じように,シェイクスピアを越える高みに登るだろう。知識は今まであまりに悪用されてきたので,私たちの想像力はなかなかその善用ということに考えおよばないが,それは現在天才的な人間だけが到達している水準にまで一般大衆の質を高めることによって可能になる。世界が現在の苦悩から脱却し,また,事態の処理を残忍な山師に委せず,真の知恵と勇気とをもつ人間に委せることを知る日のやがて来ることを私は期待しているが,その時,私の眼の前には明るい想像世界が浮んでくる。すなわち,飢えた者のいない世界,親切な感情がゆきわたり,不安から解放された精神が眼と耳と心を楽しますものを創造する世界である。それは不可能だ,などと言ってはいけない。不可能ではないのだ。それが明日にも実現されるとは私も言わないが,人間が人間に固有の幸福の実現に心を傾けるならば,千年以内には実現される,と私はあえて言いたい。人間に固有の幸福と私が言うのは,エピキュラス(エピキュロス)の敵が,彼がそれを追求しているといって非難した,あの豚の幸福というものは,人間には不可能だからである。諸君がもし豚の幸福に満足しようとするならば,諸君の可能性は抑圧され,ために諸君は惨めになるだろう。人間の真の幸福は神に等しい可能性を最大限に発展させる人間にのみ可能である。今日のごとき世界では,そのような人達にとって,幸福は多くの苦痛が混っているものであるに違いない。何故なら,彼らは他の人間の苦しみをみてそれに共感する苦しみから脱れることができないからである。しかし,こういう苦痛の原因が除去された世界には,現在の暗い時代に生きるべく運命づけられた人間に許されているいかなるものよりも,もっと完全で,もっと想像力と知識と同情によって生気を与えられた,人間的な幸福があるだろう。こういう希望はすべて無意味だろうか? 私たちは依然として,同情も,知識も,想像力ももたない。また,憎悪の技術や罵詈の熟練さ以外になんら取得のない人々に,私たちの将来を委ねるべきだろうか? (私は政治家すべてを非難するつもりでこう言うのではなくて,それが,ソ連の運命を導く人々や,その他の国で勢力のある幾人かの人にあてはまるというのである。) オセロはデズデモナを殺そうとする時に,それはあんまりだ,イヤゴオー! イヤゴオ,あんまりだ!*10」と言う。ソ連の支配者やその反対派が人類の絶滅を準備する時,この叫びを発するだけの,あるいはせめて自分がしていることの性質をわきまえるだけの憐憫(の情)が彼らの性格の中にあるかどうか,私は疑問だと思う。人間が,それを実現することも,阻止することもできるいろいろな可能性をもった唯一の種であることを,彼らが一瞬間でも考えたことがあるとは,私は思わない。彼らの心は,わずかの期間つづく権力のための偏狭な争いの中で,刹那的便宜主義のその日その日の思慮以上の高みに上ったことはないのだ。しかし,どこの国にも,もっと広い視野に立てる人間が沢山いるにちがいない。どこの国の人間であれ,そういう能力をもった人々にこそ,人間に味方しようとするものは呼びかけるべきである。人間の将来は危険にさらされている。そして,もし多くの人々がそのことに眼覚めるなら,その将来は確固たるものになる。世界をその苦悩から救出しようとする者は,勇気,希望,愛をもたねばならない。彼らが勝利を博するかどうか私は知らない。しかし,理屈はぬきにして,彼らの勝利を信ずる心を私は抑えることができない。
訳註
*1 スウェーデンの化学者,ダイナマイトの発明者,アルフレッド・ノーベル(1838~1896)は,生涯独身で読書を好み,その関心はひろく哲学・文学にもおよび,とくに人類進歩の熱烈な信奉者だった。晩年,戦争否定の平和運動に心をひかれ,その遺産3,500万マルクを平和運動家の資金に提供して,いわゆるノーベル平和賞を設けた。後,さらに物理学賞,化学賞,医学賞,文学賞が追加され,賞金は遺産の年利息を五部門に等分授与されることになっている。
*2 数学的論理学は記号論理学,論理計算ともよばれ,その着想者はドイツの哲学者ライプニッツである。彼は,概念を記号で,判断,推理の命題を計算式で,定義演繹の体系を演算の体系であらわす普遍学 characteristica Universalis なるものを構想したが,イギリスの数学者ド・モルガン,ブール,イギリスの論理学者ジェヴォンズ,アメリカの哲学者パースが精細な研究を加え,その成果をドイツの数学者シュレーダーが大成した。しかし,その研究とは別に,純粋数学のすべてを自然数の性質に還元しようとする試みが,ドイツの数学者デデキント,フレーゲ,イタリアの数学者ペアーノなどによってなされた。前者の研究方法を用いて,後者の成果を統一完成したのが,ラッセルとホワイトヘッドの業績である,それは,「アリストテレス以来進歩せず」とカントをしていわしめた論理学を,単なる主辞・賓辞の命題の論理学から,命題函数と関係の論理学へと発展させるとともに,実在論の新しい形態を生みだすのに与って力あった。
*3 十九世紀後半を支配した進化論,実証主義の思想にかわって,二十世紀初頭から,生命現象のもつ本質的意義を中心観念にすえた思想が勃興した。フランスの哲学者ベルグソンの創造的進化の哲学がその代表的なものであるが,ラッセルの数学研究の協力者で,後に哲学的立場を異にして袂を分ったアルフレッド・N.ホワイトヘッド(1861~1947)の有機体の哲学もその一つである。ホワイトヘッドのいう有機体の哲学とは,「具体的に持続する存在はオーガニズムであり,したがって,全体のプランはその中に入ってくるさまざまな従属的オーガニズムの性格そのものにも影響する。動物の場合,その精神状態が全オーガニズムのプランの中に入ってきて,順次に従属的オーガニズムのプランを変更し,さいごに電子のような究極最小のオーガニズムに至る。こうして,生体内の電子は,その身体のもつプランの故に,生体外の電子とは異なる。電子は,身体の内外をとわず盲のごとく進むが,身体内では,身体内でそれがもつ特性にしたがって進む。すなわち,身体の一般的プランにしたがって進むのであり,このプランは精神状態を含んでいる。しかし,この変更の原理は自然全体に遍在しているものであって,生体のみの特性を表わすものではない」(『科学と近代世界』第5章)という観念に基づくものである。この観念に対しては,ラッセルとは別に,文学の方面からT.S.ニリオットが批判を試みているし,また,ベルグソンの思想に対しても,現象学のサルトル,新トマス主義のマリタンなどの批判がある。
*4 ペリクレス(B.C.490-429)は,古代アテナイの大政治家で,内政において民主主義の徹底につとめ,外交ではアテナイの地中海海上権を確立するとともに,パルテノン,プロプユライア宮殿を造営し,フェイディアス,ソフォクレス,ヘロドトス,アナクサゴラスなど芸術家学者とも交友して,文化の興隆に力をつくしたので,古代文明の一高潮期をつくった。フランス革命以前のフランスは,いわゆる理性の時代,啓蒙の時代として,自由なる討議,学問研究の精神が横溢したが,その中心は,ヴォルテール,ルソー,ディドロなどの思想家で,彼らの努力が近代民主主義への道をひらいた。またエリザベス一世女王(1533-1603)の治世四十五年間は,イギリスが,国教の完成,イスパニア艦隊撃滅,東インド会社の設立によって,近代国家への第一歩を踏みだすとともに,シェイクスピアを生んでその文化のもっとも盛んな時代であった。その時代の権力と栄光の象徴として讃えられたのが,フィリップ・シドニー卿(1554~1586)で,詩人,政治家,軍人と,その短いが多彩な生涯はその時代のために燃えつきたものであった。
*5 創造主の傑作として,自然界に孤立優越しているものと考えられていた人間に,はじめて生物学上の位置を与えたのは,スウェーデンの植物学者リンネである。彼は,種(species)を固定不変と考え,いろいろな種を比較分類して,その類似の一群を属(genus),属の類似の一群を科(family),以下,目(order),綱(class),門(phylum),界(kingdom)と命名した。すなわち,人間は,哺乳綱霊長目ヒト属サピエンス種(homo sapiens)である。種を進化するものと考えたのが,後のチャールス・ダーウィンである。
*6 ピラミッドは,もと王・貴族の墓であったマスタバ(瓦,煉瓦を長方形に積み,東面に凹所の入口を設け,階段で地方(他方?)の玄室に通じていた)が,第三王朝以後(B.C.3000),その死と彼岸の信仰が太陽崇拝と結びついて,数百年にわたり大規模に造営されるようになったもので,エジプト史のこの時代をとくにピラミッド時代と呼ぶ。第三王朝のジェセル王のサッカラにある階段式,フニ王のダフシュールにある屈折式,第四王朝のスネフル王のメイドゥームにあるピラミッド,ギゼーにあるクフ王,カフラ王,メンカウラ王の三大ピラミッドをはじめ,第五,第六王朝の諸王の小ピラミッドなど,その大小の区別・構造の精疎,美醜の相違はいろいろあるが,いずれも古代エジプト文明の壮厳雄大な性格をしのばせるものがある。クフ王の最大のピラミッドは,一年の間三カ月,十万人ずつの奴隷が二十年にわたって使役された,とギリシヤの歴史家ヘロドトスは伝えている。
*7 ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)は,イギリスの劇作家,詩人で,戯曲三六篇,詩七篇の作品を残している。ウォリックのストラッド・オン・エイヴォンに生まれ,生家の没落にあうと,小学校を出たのみで,十八歳の時八歳年上の女と結婚し,二十三歳の頃,単身ロンドンへおもむき,劇場の馬番となった。のち俳優として一座に加わり,一方座附作者として上演台本の加筆の仕事をしたが,二十七,八歳頃から自作を書きはじめ,四十八,九歳頃まで活躍した。その後,故郷に隠退し,以前から買っておいた邸宅・農場で悠々たる余生をおくって没した。その人柄,「やさしいシェイクスピア」と呼ばれていたごとく,円満酒脱であったが,その作品は,人間の情熱と行動が生みだす人生模様のあらゆる面を描いて,迫真の域に達し,『シェイクスピアは自然と競争する」とまでいわれている。ドイツのゲーテととともに,近代の世界文学,思想に与えた影響は量りしれない。『ロミオとジュリエット』『ウィンザの陽気な女房たち』『マクベス』『オセロ』『ハムレット』などはわが国にも親しい。
*8 オルフェウス教は,トラキア生れの神人的詩人,音楽家オルフェウスが神霊の啓示で創立したと伝えられるギリシヤの密儀宗教である。オリンポスの国民宗教とことなり,個人の心霊を重んずるもので,その教義によれば,人間は,オルフェウスの啓示した禁欲浄斎の儀式を行うことによって,霊魂が浄化され,その肉体の緊縛を脱して,不死なる存在として永遠の幸福に与えることができるといわれ,当時,アテナイを中心に,イタリア南部,シクチリスなどにも,多数の信者がいた。
*9 ジョナサン・スイフト(1667-1745)は,アイルランドのダブリンの聖パトリック教会の副監督牧師であったが,ジョージ一世治下のイギリスの政治,社会に激しい怒りをいだき,諷刺小説『ガリヴァー旅行記』を書いた。その第四部『フィヌム国渡航記』に登場するのがヤフーで,理性と慈悲をそなえた馬族フィヌムに飼われている動物である。姿形は人間と似ているが,「我輩の見るところでは,まずヤフーぐらい,これほど教育の見込のないものはない。能力といえば,せいぜい荷物を牽いたり,舁いだり(担いだり?),それ以上に出なかった。思うに,これは主として彼等の依怙地(意固地)で,強情な性質に原因するものであろうと思う,というのは,一方ではどうして狡猾で,腹黒で,不信で,しかも復讐心が強いからである。身体は逞しくて頑丈だが,根は臆病者だ,だもんでまた傲慢,卑劣,残忍でもあるのである。ことに赤毛のものは牝牡ともに好色,好侫(こうねい?)で,その上,力や活動力の点でもきわだって勝っていた』(中野好夫氏訳『ガリヴァ旅行記』)。これはイギリス人の悪徳の暴露であるとともに,人間嫌悪の力強い表現でもある。
*10 正確には,シェイクスピアの『オセロ・ヴェニスのムーア人』の第4幕1場で,誠実寛大なムーア人の将軍オセロが,部下の狡猾,邪悪な旗手イアゴーの中傷とも知らず,純心な妻デズデモアが副官キャシオと密通したと聞かされて,思わずイアゴーにむかって叫ぶ言葉で,妻を殺す場面(第5幕2場)ではない。人間の悔恨,憐憫,絶望などをまじえた複雑な感情を表現する言葉として,古来有名である。