バートランド・ラッセル落穂拾い 2010
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(ラッセル関係文献「以外」の図書などでラッセルに言及しているものを拾ったもの)
* 再録:『天声人語4(1958.7-1963.4)』(朝日文庫て2-4,1981年)
* 荒垣秀雄(あらがき・ひでお、1903-1989):朝日新聞論説委員。
(pp.52-53)
月ロケットでもやはりソ連がアメリカの先を越した。米国の月ロケットが四回も不成功に終わったのを尻目に沈黙していたソ連が、正月のお年玉に打ち上げた宇宙ロケットはアレヨアレヨというまに月の近くを通り越し、太陽に向かって'猪突猛進'、太陽のまわりを公転する人工惑星第一号となるらしい。米国の発射した月ロケット'パイオニア'第一号は二万四七〇〇余キロまで行ったが、地球の引力を振り切れず、引きもどされて消滅した。・・・。
去年の暮れ、米国は'もの言う人工衛星'アトラスで気をよくしていたが、月ロケットでまたソ連にすっかり引き離され、新年早々やりきれない気持ちで沈みきっているようだ。二度目の'宇宙の真珠湾'だという。宇宙ロケットでは何年かの立ちおくれといえよう。
それにひきかえ、フルシチョフソ連首相は「月への道を初めて開いた」と社会主義体制の勝利を誇り得意満面である。が、バートランド・ラッセルが「ここ数世紀間は人類はやはり自分の住み家として地球で満足せねばならぬ。宇宙旅行は可能かより、人間は果たして今後も地球の上に生きていかれるかが問題だ」というように、地上の人間生活の安全が保障されなければ、宇宙時代も何の意味もないのである。
* 内田魯庵(うちだ ・ろあん、1868年-1929年6月29日):明治期の評論家、翻訳家、小説家。多磨霊園に墓がある。
(pp.463-473)「時代錯誤的日本」
* このエッセイは博文館刊行の『太陽』大正10(1921年)年1月号に掲載されたもの。
(p.463~ )
1.ラッセルと支那及び日本
支那ではラッセルを招待した。其序にラッセルが日本へも来るという噂が立った時、文部省だか大学だかの或る高官は、ラッセルの思想は日本の国体を容れないから縦令(たとえ)来ても公開的講演を許す事は出来まい、或は上陸をすらも許されないかも知れないと言ったそうだ。
が、ラッセルは民間某々氏(注:改造社社長・山本実彦)の懇囑で愈々来春(1921年)は日本へ来て東京及び京阪各地で何十回とかの講演をする事に定ったそうだ。(注:結局慶應義塾大学大講堂での講演だけとなった。)我が官憲はドウいう風にラッセルを待遇するだろうか。マサカ上陸を禁止する事もあるまいが、其講演をドウいふ風に取締るだろうか。堺、大杉等の社会主義者を取締ると同様に初めから公開不許可とするだろうか、或は許可しても高圧的に発言するかしない中に中止解散を命ずるだろうか。マサカ制服や角袖の警察官を何百人も派してクーデターを行うような騒ぎも外国人に対してやり憎かろうと思うが、ドウいう風に取締るだろう?
尤も天性常識に富むアングロサクソン人の事だから、郷に入れば郷に従うで、日本にくれば日本の国情と妥協するような微温説でお茶を濁すかも知れず、案外官憲の懸念するような心配は無かろうと思う。旁々外国人、殊に英国人に対しては極めて遠慮深い我が官憲の事だから、結局通訳を許さない位の所で納まるだろう。が、余が弦に云はんと欲するは我が官憲対ラッセルの問題では無い。
2.支那人の新思想吸収
支那ではラッセルのみならず、続いてオイッケン、ベルグソン等、現代思想の中堅たる欧州碩学を代わる代わるに迎える予定だそうだ。北京大学を東洋一の最高学府とする渠等の抱負だそうだ。之に反して日本は戦前にオイッケンが来遊する噂あったが、之も我が政府又は学界の自発的招待というようなオイッケン自身の漫遊希望であった。夫すらも戦争の爲め沙汰止みとなったが、今やラッセル来るの予報に接しても官憲は拒斥の意を仄めかし、学界も亦或は雲煙過眼視するかをも計られないのだ。・・・。
(p.474~ )喫煙語
ラッセルは夫人に非ざる一女性を同件しているそうだ。或人の問に答へて、法律とか結婚とかいう無用の手続きを除いては完全なる我が妻であると明言したそうだ。ゴリキーが真実の細君を故国に残して女優を同行したのと違って、法律の手続きだけを履まない夫人だから、内縁の妻というものを認めている日本では格別不思議に思はない筈だが、雷鳥(注:平塚雷鳥のころ)の同棲を問題とした我が道学先生輩はドウ考えるだろう。
道学先生は咄にならぬが、雷鳥の同棲を否認しないまでも正認するに躊躇した者は新人を任ずるものの中にも少なくなかった。夫婦に非ざる夫婦は因襲道徳を外にしても社会の綱紀上疑問であった。且今日の戸籍法上、産児を私生児とするは将来の教育上の疑問であった。が、此種の疑惑者の爲めにはラッセルの夫人に非ざる夫人の帯同が必ずや無言の解決となるでろう。
尤も日本では法律や結婚の儀式や形式上の手続きを嚴ましく云うくせに、一夫多妻が事実上黙認されている為に、男女の関係に就ては割合に寛大に見られている。唐紹儀が孫のような若い第何番目かの夫人を連れて来ても、貴夫人社会は正式に迎えて夫人としての相当の待遇をした。支那は夫婦道徳の特殊国だから風俗上よんどころないとしても、セミヨーノフ夫人と称するものが何人来ても夫程不思議がらない。であるからラッセル夫人に非ざるラッセル夫人も案外問題にはならないかも知れない。尤もラッセル其人からして或る方面からは毛蟲扱いされるだろうから、夫人の如きは猶更貴夫人社会に歓迎される筈は無いだろう。・・・。
* 大西泰斗(おおにし ・ひろと、1961年~ ):東洋学園大学教授。
(pp.211-221)「イメージの見せる世界(Bertrand Russell の英語が教材)」
* 大西氏は、バートランド・ラッセルの New Hopes for a Changing World (1958) から下記の文章を引用し、どのようにイメージし、意味をとらえていくべきか詳述しています。
The present time is one in which the prevailing mood is a feeling of impotent perplexity. We see ourselves drifting towards a war that hardly anyone desires -- a war that, as we all know, must bring disaster to the great majority of mankind. But like a rabbit fascinated by a snake, we stare at the peril without knowing what to do avert it. (Bertrand Russell, New Hopes for a Changing World)以下、少し抜き書きします。
「(松下訳)今日、どうしようもない無力感が世界に行き渡っている。誰も望んでいない戦争--人類の大多数に惨劇をもたらすことが誰の目にも明らかな戦争--に向かって流されている自らの姿を眺めている。しかし、蛇に睨まれた蛙(←蛇に睨まれたウサギ)のように、為すすべなく立ち竦んでいるのである。」
(p.212)・・・。この(ラッセルの)文章から私たちが学ぶべきテクニックは「イメージを集める」ということ。表現を注意深く選択し、ある特定のイメージを読者に繰り返し繰り返し植え付けていく、このテクニックをじっくり「舐めて」いきます。
(p.213)'perplexity'(困惑):相反する情報を与えられるなどして、何をしてよいのか分からず立ち往生している状態です。理性による思考が停止していると考えていいでしょう。・・・。この 'impotent perplexity' がこの文章のキーフレーズ。・・・。これ以降使われる表現-- drift, rabbit (stare)-- のイメージが、この impotent perplexity に「集まってくる」ことを見逃さないでください。
(p.216)・・・。'The present time is the one' ...
・ この文章の書き出しは、実に heavy です。・・・。なぜ、Russell は好き好んでこのような heavy な形にしたのでしょうか?・・・。
→ 著作権の関係で全文を引用できませんので、あとは図書館で借りるか、書店で立ち読みをしてください。
* 出典:『村上春樹スタディーズ01』(若草書房,1999年6月)
(p.132~) 村上春樹は、したがって、'名'(固有名)にこだわっている。彼の作品においては、'名'とは何かかたえず問われている。
「よしよし」と運転手は猫にむかって言ったが、さすがに手は出さなかった。「なんていう名前なんですか?」
「名前はないんだ」
「じゃあいつもなんていって呼ぶんですか?」
「呼ばないんだ」と僕は言った。「ただ存在してるんだよ」
「でもじっとしてるんじゃなくてある意志をもって動くわけでしょ? 意志を持って動くものに名前がないというのはどうも変な気がするな」
「鰯(いわし)だって意志を持って動いてるけど、誰も名前なんてつけないよ」
「だって鰯と人間とのあいだにはまず気持の交流はありませんし、だいいち自分の名前が呼ばれたって理解できませんよ。そりゃまあ、つけるのは勝手ですが」
「ということは意志を持って動き、人間と気持が交流できてしかも聴覚を有する動物が名前をつけられる資格を持っているということになるのかな」
・・・中略・・・。(村上春樹『羊をめぐる冒険』)
だが、ここでは、神が命名するという神話に、すべてを超越論的主観が構成するという神話がとってかわっただけである。この種の議論では、'一般名'と'固有名'がいつも混同されている。基本的にいって、右のような幼稚な議論は、ノミナリスト(唯名論者)のものだといってよい。ノミナリストは'個物'が実体であり、それは固有名で言い表されると主張してきた(この場合、'個物'とは物だけを意味するのではない。たとえば、一九六九年の学園闘争といった出来事もふくまれる。'個物' individual とは、それ以上分解すれば消えてしまうような事物や事実の単位のことである)。この考えはラッセルによって徹底された。ラッセルによれば、いわゆる固有名は斥けられねばならない。真の主語=実体を指示する固有名は、「これ」とか「それ」といったものであり、普通の固有名は、たとえば、富士山という名が「日本一高い山」という確定記述に置き換えられるように、述語の束に解消されると考えたのである。こうして、ソシュールの場合とは別の意味で、固有名が解消された。
(p.134)・・・。村上春樹が懸命に試みているのは、'固有名を消す'ことであり、それは、いいかえれば、この世界を任意的なものたらしめることである。
ところで、ラッセルのような考えを批判し固有名の問題を回復させたクリプキは、それを可能世界という様相論理を導入することによって果たした。たとえば、反事実的可能世界では、「富士山は日本一高い山ではない」ということができるだろう。しかし、「日本一高い山は日本一高い山ではない」ということはできない。可能世界を考えること自体が固有名に依存するのである。こうして、クリプキは、固有名がたんにものを指示するのではなく、指示を固定するのだと考える。
これにかんしては、私は『探究II』で詳しく考察しているので、ここでは、たんにつぎの点に注目するにとどめる。それは、「現実」というものが、認識論的に考えられたときと、可能性や必然性や偶然性といったものに対して、即ち様相論的に考えられたときとは、まったく異なるということである。ソシュールやラッセルのいう世界や現実はもっぱら認識論的に見られている。たとえば、「1973年という年は存在するのか」という村上春樹の問いも、認識論的なものだ。その答えは、それはわれわれが勝手に構成したものでしかないというものである。しかし、固有名としての「1973年」はいわば、ある出来事がありかつその出来事は他でもありえたが現にこうであったという現実性を支持するのである。それは任意性に解消されない。・・・。
* 尾高邦雄(おだか・くにお、1908年-1993年9月11日):社会学者。東京大学文学部名誉教授。
(pp.199-243)「第五章 仕事かレジャーか」
* 初出:1967年の春、『中央公論』の特集「新しい職業倫理」のために執筆された。
(p.205)・・・。ある著名な経済学者は、その近著のなかで、つぎのようにその主張を要約する。「人生は消費である。」そして「人は消費するために働く。」だから、働くことを美徳であ<B>Rると考えるのは「前時代的な観念」である。人生の生きがいは仕事にあるのではない。「人生に楽しみがあるとすれば(それは)レジャーのうちにある。」
この主張を裏づけるために、この書の著者は、イギリスの哲学者バートランド・ラッセルの「無為のたたえ」(注:1932年発表)と題する論文を援用する。ラッセルは、そこでつぎのように言っている。「わたくしの考えでは、世の中には必要であるよりもはるかに多くの仕事がなされている。仕事は美徳であるという信念は非常な害毒を流している。」 勤労中心の考え方はもはや現代には通用しない。「働く道徳は奴隷の道徳だが、現代社会には奴隷は不必要だ」と。
レジャーの享楽を重視するこの新しい価値観は、疑いもなく、一面では、上に見た国民の客観的な生活諸条件の向上という事実を背景として形成されたものである。だが、他面では、それが支配的なひとつの価値観として普及してきたということが、ますます国民大衆をレジャーの享楽に駆り立てる結果となつている。・・・。
* 大岡昇平(おおおか・しょうへい、1909年-1988年12月25日):小説家、評論家、フランス文学の翻訳家・研究者。
(pp.162-173)「大衆文化論における二つの虚像--変革と余暇」
(p.205) ・・・。加藤秀俊氏(注:京大人文科学研究所)によれば、若きレジャークラスはラジオ、テレビにもっともよくスイッチを入れるそうである。三十パーセントから四十パーセントが、夜のゴールデンアワーを聞いている。
「ひとは、若者のエネルギーが、マス・メディアに吸収されるというが、じつは若ものたちは、このマス・メディアを処理するだけのエネルギーがあるのだ、という言い方をするほうが適切であろう。」
「処理」とは一体なんの意味か。加藤氏の柔軟な修辞は、こういうナンセンスに陥るのは珍しくないが、しかしこれでは少なくとも氏がレジャーをうずめる「実力」がないという大衆文化が、少なくともティーンエージャーに関しては、その役割を果していることを認めることになりはしないか。「処理」しているのだから、それはメディアのせいではないといいたいのかも知れないが、どっちにしても、彼等にとってその間に時間が経っていることは同じである。
こうして若きエネルギーをたたえる一方、アメリカのいわゆる「アーリイー・ソフィストケーシォン」(日本語でいえば、'早熟'ということになるらしい)によって、世をはかなんで自殺する傾向を指摘することを忘れない。寿命が延びすぎた老人が、退屈のあまり自殺する数も増えているそうである。従って加藤氏の結論はバートランド・ラッセルを引用しながら、 次のように悲劇的な調子を帯びる。
「レジャーからの救いは、まさしく人生の余白における、こうした知的好奇心の'養成'であろう。その自律的回転のみが、レジャーというおそるべき試練に人間がたえる原動カであり、かつそこにこそ人間のあかしがあるというべきではないか」
アルカイックな知的好奇心を除けば、なんとこれは針生氏の極限状況、檜山氏の自主的創造と似ていることか。変革を意図する民主主義者と、外国種の余暇論を日本的風土に合わせて調味する人文科学者が、似たようなことを言っている図こそ、今日の大衆社会状況の象徴かも知れない。
くどいようだが、こういう現状にあっては、1957年度~1960年度に行われたような、総括的な調査研究を、もう一度望まずにいられぬ。マスコミの行う顧客調査や職種別調査だけではなく、町ぐるみ調査のような形のものが行われるのが望ましいのである。哲学的方面では、近くホイジンガの『ホモ・ルーデンス』の全訳が出るそうだから、半端な理論は自然に淘汰されるであろう。翻訳に期待するなんて、情ない話だが、事態はそれほど新しく、受売り業者は、当然、文献の公開をサボっているから、こういうことになるのである。大衆文化論に関する限り、日本は明治の文明開化時代の段階にあると、前に書いたのは、この意昧である。
菊池寛全集第21巻(文藝春秋,1995年7月刊)に所収。
・最初『婦人サロン』昭和6年3月号~5月号まで3回に渡って「実用経済学」として「婚前篇」が、また、(ラッセルに言及している)「結婚篇」を書き加えたものが、昭和9年2月、『婦人倶楽部』の別冊付録として、「実用結婚学」の名で発表されている。
・菊池寛(きくち・かん/本名は「きくち・ひろし、1888年~1948):小説家、劇作家、ジャーナリストで、文藝春秋社の創立者。
(pp.57-58)・・・。 妻以上にもっと美しい女性、妻以上にもっと聡明な女性、妻以上にもっと自分を理解して呉れる女性、さう云ふ女性と、毎日接触することになると、
「妻以外の女性を愛するな」
と云ったところで、それは無理な註文になって来るのである。
英国の有名な社会批評家バートランド・ラッセルは、シェリーの、
私はあの偉大な宗門に心を牽かれたことがない
--人は、一人の恋人を、友人と、群集の中から選べ、
ほかの者はいかに賢く、いかに善良な人であっても、
すべて冷やかな忘却の中に葬れと云ふあの教義、
実にこれは現代道徳の法典、
また、あの哀れな奴隷たちの疲れた足をひきずって、
踏み固めた途である、
--あの奴隷たちは
鎖につながれた一人の友を伴ひ(それは或は嫉妬に燃えてゐる敵であるかも知れないが)
世界の大通りを彼等の死の家へと
わびしい長い旅を続けるのだ。
> と云ふ詩を引用して、
「結婚以外の点から接近して来るすべての愛を、悉く拒絶してしまふことは、感受性や同情や、その他色々の価値ある人間的なものを削減することになって、理想主義的な考へ方から云へば、決して全人生に対してよい結果をもたらしはしない。だから、自分の配偶者が、他の異性に対して性的な情慾を感じたとしても、愚かしく騒ぎ立てるべきではない」
と説いてゐる。そして一方では、
「だが結婚する者は安心してよい。長い間苦労を共にして来た結婚生活と云ふものの内容には、それがどんなに楽しいものにせよ恋愛の場合には存在してゐない、豊富な霊的結合がある。だから、他に一時的な愛の現象が起きたとして、それを取立てて気にすることはないのだ」
と云ふ意味のことを云ってゐる。
然し、かう云ふ考へ方は、かなり極端で、日本の社会では、容易に許せないことであるし、妻の嫉妬心を抑制することは至難でゐると思ふ。だから、三角関係の危険を防ぐのには、消極的ではあっても、やはり出来るだけ、さう云ふ機会を作らないと云ふ心掛けが、肝腎なのである。
*小谷野敦(こやの・あつし/こやの・とん、1962年~ ):比較文学者、評論家.
(p.97)・・・。つまり恋愛結婚だからといってその恋愛が永続するという保証はどこにもないのであって、もし与謝野晶子のように、恋愛の上に成り立たない結婚は不道徳であると主張するなら、信也はまさに加代と結婚すべきだということになるし、さらに他に恋愛の相手ができたらまたそちらと結婚すべきだということになってしまうのだ。どのような成り立ちをもっていようと結婚した以上は貞操義務があるというなら主張として一貫しているけれども、恋愛結婚こそが正しい結婚であるという主張と、いったん結婚したならば何があろうと貞操を守るべきであるという主張とは矛盾している。この矛盾には、たとえばバートランド・ラッセルなどは気づいていたし、気づいた者はラッセルにせよ谷崎潤一郎にせよ、離婚と結婚を繰り返した。しかし一般には、1920年代以来、日本にはこの矛盾した二つの主張が行われ、浸透し、1980年代になって疑問視されるようになるまで、支配的だったのである。・・・。
(p.166)・・・。自分の家庭ではすっかり妻から幻滅されている、という男も多いだろう。この当時、経済的に自立している妻などというものは少ないから、慰謝料請求が妻から来るのは当然だったが、実際に戦後、経済的に自立する妻が増えると、離婚が増えた。早くからこんな結婚の実態を見て取ったのは、前にも触れたバートランド・ラッセルである。恋愛結婚でなければ、夫は妻に家政を守る以上のことは期待しない。要するに恋愛結婚というものが、高学歴階層の夫婦関係を危うくするのだ。・・・。
(pp.56-61)「(2) イノベーションの時代」
(p.56)「ラジオの普及と統制」
・・・。交通機関のスピード化や都市の膨張など、この時代の激しい社会変化を裏で支えたのがイノベーション(技術革新)である。特に情報・メディアの発達は著しく、それがまた一層の社会の大衆化を促す結果となった。その代表がラジオであろう。
大正14年(1925年)7月から本放送を開始したラジオ(NHK)は昭和に入って急速に普及、昭和6年(1931年)には東京、大阪などのほか福岡、京都などに小放送局ができ、第1次のラジオ網計画がほぼ完成している。・・・。
こうしたラジオの急速な普及は、またラジオの様々な利用法を生み出した。その典型が教育への利用、つまりラジオによる学校放送の開始である。・・・。
だが一方で、ラジオを使った思想教育もこの時期にさかんに企てられている。たとえばNHKは小学校放送とは別に昭和4年「全国の既設の専門学校から小学校に至るまでの各学校を対象に(中略)国家的意識を滋養し統一ある国民運動を起す」目的で新しい計画を打ち出している。
この種の放送が当時の時代的雰囲気を反映して、国家的、軍事的色彩を濃厚にしていくことは見やすい事実で、国家によるラジオの統制はますます顕著・露骨になって戦争にからめとられていく。
こうした傾向に朝日(新聞)の昭和7年(1932年)1月13日の社説は「画一の傾向を促進する現代的発明はラジオである」というバートランド・ラッセルの言葉を引いて次のように言う。(松下注:たとえば、1930年に発表したエッセイ「一本調子の現代」には次のような記述がある。「大都会ばかりでなく、大草原にある淋しい農園やロッキー山脈のなかの鉱山の宿営地では、ラジオがあらゆる最新の情報をまきちらしているので、その日の話題の半分はこの国中のどの家庭でも同じである。私が平原を横断している列車の中でのことであるが、拡声器が石鹸の広告をがなりたてているのを聞くまいと頑張っていると、年とった農夫がにこにこして私のところにやってきて、『今日は、どこに行っても、文明から逃れることはできませんよ。』と言った。」)
「現在のやうな政治的意見に対する放送の統制ぶりでは、ラジオは(中略)まだ少しも社会公衆の利福と、社会的進歩とのために、本当に役立っていないといっても過言でないのである」
国家や政治に利用されるラジオに対する精一杯の抵抗であろう。
* 初出:『毎日新聞』1984年1月5日付
* 再録:『悪党と幽霊』中央公論社,1989年)(2010.10.12)
* 井上ひさし(1934~2010年4月9日):小説家、劇作家、放送作家。文化功労者、日本藝術院会員。日本文藝家協会理事、日本ペンクラブ会長(第14代)などを歴任。
(pp.57-61)「だれのための教育か」
・・・。子どもたちは性善でも、性悪でもない。バートランド・ラッセルの言い方を拝借すると「彼等は反射作用と少しばかりの本能をもって生まれてきた」可能性そのものである。性善説の立場をとって、子どもは純である、天使であるとむやみにありがたがっている人がいるけれど、それは、子どもは生まれつき性悪なものだから鞭できたえなければいけないと主張する人と、同じぐらい偏っている。
そしてわれわれ親たちは、自分たちの抱いている恐怖に屈服したまま、彼等にいろんなことを教える。潰れない会杜につとめなくちゃいけないよ、病気も老後も金次第でなんとかなるんだよ、大きなことを考えても個人の力じゃどうにもならないんだからね、 自分が損をしないようにする方が大事・・・。
このように言い含められた子どもたちが、その親たちよりましな人間に育つことなどあり得るだろうか。・・・中略・・・。
・・・。ふたたびラッセルによれば、臆病な人間ほど残酷になり得るという。肌の色のちがう人種とうまくやっていくことができないのではないか、いまの地位を異色人種に奪われてしまいやせぬか。この恐怖を智恵と勇気とで乗り越えることのできない臆病者が、じつは異色人種を殺して回ったりするのである。この論法でゆけば、相手国にいわれのない恐怖を抱き、その恐怖を智恵と勇気とで克服できずに、むやみに核兵器をためこんで睨み合う某大国も某々大国も、じつはネクラの臆病者の集団なのである。
正月だから、あまり憎まれ口を叩くのはよそう。・・・。
* 鈴木孝夫(編)『日本語の語彙と表現』(大修館書店,1976年12月/日本語講座・第4巻)pp.183~225.(2010.10.**)
* 三上鴻
(pp.190-194)「二 諸種の'示し方'」
(p.190~)・・・。さきの二宮金次郎の問題をここで解けば、固有名と代理語の間の親近性とは、つまりどちらも、大部分の語のように表示(シグニファイ)する語ではないという点が共通である。シグニファイする語というのは、'その語の内容を直接に示す'のであり、狭義のシグニフィケーションをもつ。こういう語が代表的であるから、世人は単語とはすべてシグニフィケーションをもつと思う(のみならず、表示される事物も必らず実在すると思い込む)が、それは誤りである。固有名は、 denotation しかもたず、ことばの意味(signification)としては「・・・という人・もの・所の名」であり、あとは事物知識である。ついで代理語は、ブルームフィールドの用語を少し内容を変えて用いれば、ドメーン(領域)しかもたない。関係語は relatum(関与範囲)をもつ。(いま数詞という抽象度の高い品詞は別に考える。)そこで、固有名と代理語の共通性も時に説かれ、またバートランド・ラッセルのごとき哲学者は、particulars(特定名)を egocentric particulars (自己中心的特定体)として用い、I, you, this, that, now, then などを示すとする。(なお past, present, futue も含めているが、いまは文法の論議であるから、このような三語は抽象名詞とのみしておく。)
ラッセルは、ふつう固有名という名で呼ばれているものを認めず、ある固有名はある時ある場所に存在している「諸性質の集合体」にすぎないとする。「性質」をさすのを「名前」とし、それに対して前述の「自己中心的特定体」がある。これは「本体」(on)というものを廃止した論であるように見える。
しかし日常言語においては、木下三郎というような固有名は、時々刻々と細胞の入れかわる諸性質の集合体とばかりは考えない。ある人は生まれてから死ぬまで、同一人としての法的人格(つまり natural person)の連続と考えられ、一個のものと考えられている。
チョムスキーの『文法理論の諸相』の訳に、「固有名は時空の連続性という条件を満たす物をさし示す」とあるが、原文は spatiotemporal contiguity であって continuity ではない。コンティギュイティーは「隣接性」と訳し、リゼンブランス(類比性)と並んで、心理学・哲学の用語である。きのうの我ときょうの我とは全く等しくはないが、その間に時空の「隣接性」があるからこれを同一人格とし、日常的にも法的にも同一として扱われる。・・・。
* 宮本久雄,金泰昌(編)『文化と芸能から考える公共性』(東京大学出版会,2004年11月/公共哲学・第15巻)pp.211-226.
* 加藤典洋(かとう・のりひろ、1948- ):文芸評論家、早稲田大学教授。
(p.212)・・・。(小説『石を泳ぐ魚』の)内容は,自伝的。若手の在日の女性劇作家梁秀香が,崩壊した家庭の身内の人間とつきあいながら,劇団内の葛藤の中で,演出家・写真家と交渉をもち,堕胎を経験する。一方,自分の作品の公演を機に韓国を訪問した際,顔に障害のある同年代の在日女性朴里花(パク・リファ)と知り合い,この女性の存在に衝撃を受けつつも,交遊を深め,世界との関係をつかみ直す,という話です。
裁判は,この顔に障害を持つ人物,朴里花のモデルとなった女性が,作中で自分の顔の障害を侮蔑的に表現されたとして,プライヴァシーの侵害,名誉毀損,名誉感情の侵害を訴因に,損害賠償とこの作品の単行本の出版禁止を訴え出たことではじまりました。・・・中略・・・。 裁判には,原告側として,原告の父のつながりから坂本義和東大名誉教授のほか,大江健三郎,奥平康弘などの進歩的文化人が証人,意見陳述人として参加し,一方,被告側でも,高井有一,島田雅彦,福田和也,竹田青嗣などの小説家,批評家が陳述書を寄せました。その結果,ここに,「プライヴァシーと表現の自由」をめぐる,これまでとは毛色の違う対立構図が生まれています。
これまでは、リベラルに「表現の自由」を擁護する側に立ってきたと思われる坂本義和,大江健三郎,奥平康弘といった革新派の文化人が,原告側に立ち,「表現の自由」に対する「プライヴァシーの尊重」を訴え,文学者の「表現の自由」に制約を加えるべきだという主張を行った。・・・中略・・・。
(p.220)・・・。また,里花のおばさんの家に一緒に泊まった際,秀香は里花の愛読するバートランド・ラッセルの『幸福論』を手に取ります。見ると,アンダーラインを施し,里花の愛読しているくだりには,きわめて凡庸なラッセルの言葉が記されています。里花は、この本の第一部「不幸の原因」では随所に線を引いて,「ほんとだ」、「あはははは」などと書き込みをしているのですが,第二部の「幸福をもたらすもの」は,読んだ形跡すらない。ここにあるのも辛辣きわまりない里花のあり方への(作家梁秀香の)冷徹な目です。たぶん,こうした下りを読んだときに,このモデル女性は,自分の困難克服の物語が温室外の他者の目に,かくもひ弱でぺらぺらな紙細工ぶりで描かれているのを見て,衝撃を受けたでしょう。そして,何より,「そうか,あなたはこんなつもりで私と付き合っていたのか。私のこういう所をこんな意地悪な目で見ていたのか」と思っただろうと思います。・・・。
* ジョナサン・ローチ
(p.95)
・・・。自由主義が文明に対して果たした大きな貢献は、紛争の処理方法にある。他のいかなる体制も、人々の様々な大集団が、構成員の相違点を抑圧することなく、さりとてまた紛争を手に負えなくしてしまうこともなく、うまく社会を運営していくということをなしえなかった。かつてバートランド・ラッセルは、「権威なしの秩序」を政治的自由主義および科学双方のモットーとなしうるだろうと述べた。・・・。
(p.187~)
・・・。そして、それこそ非自由主義的である。政治団体が、我々にとって知識であるものとないもの、あるいはどの考えが採用されてしかるべきであるかに関して発言権を持ちうるという原則が確立されるようなことになったら、それこそ警戒を厳にして油断してはならない。意見のある奴はどいつもこいつも忙しく立ち回るであろう。同一時間を与える法律を作れと議会に対してロビー活動をするもの、生物学の本に'祈祷'を癌に対する代替療法として記述せよと要求するもの、占星術の学部を作れと大学にピケを張るもの、反駁のスペースを与えよと学術雑誌を告訴するもの、脚注の引用に関しては比例代表制的考慮をしろとデモをするもの等々。そうなると我々は、知識が投票や煽動で作られていくような世界に住むことになろう。そのとき我々は本当に、バートランド・ラッセルが描いたような悪夢の中に生きることになろう。そこでは、「自分が'落とし卵'だと信じる狂人は、彼が少数者であるというただそれだけの理由で有罪判決を受けるであろう。」その点、科学を信じる者としての我々は、多数を説得して自分の側に人も集めることもできよう。ところが、占星術のような問題について、我々にそんなことができるか全くわからない。・・・。
(pp.123~146)「外国語の本を読む「解読術」」
(p.133) ・・・。しかし、急を要し、翻訳がとうてい間に合わないジャーナリズムの情報や記事、社説や論文のほかにも、日本語ではほとんど読むことのできないものがたくさんあります。その一つは、だれにも必要なものではないかもしれませんが、先にも触れた哲学書でしょう。そもそも少し英語ができれば、バートランド・ラッセル(1872~1970)を英語で読むほうが、日本人の私たちでさえも、西田幾多郎を日本語で読むよりもはるかに容易に理解することができるのではないかと思われます。また、ハイデッガー(ドイツの哲学者、1889~1976)のように、ほとんど翻訳が不可能なものもあります。もっとも、これはよほど特殊な場合であって、そういう西洋の哲学書をぜひ読みたいと思う人は、どうせ例外的な小数にすぎないでしょう。しかし、相手が詩人ということになれば、興味を持っている人の数はもっと多いに違いがありません。現に東京には「ボードレーヌ」「ランボウ」「リルケ」などという喫茶店さえもあるのです。・・・。
* 加藤周一(1919年-2008年12月5日):日本を代表する知識人の一人。
(pp.273-274) 「当世文士心得」
(p.274) 第4条 『不思議の国のアリス』を読むべし。
『不思議の国のアリス』を書いた人(ルイス・キャロル)の読んだ本を読めば、なおよろし。すなわち数学。これこそ経験に係わらぬ唯一の学也。詳しくは英国文豪ラッセル卿の所論においてみるべし。(参考:「対談:アリスの不思議な世界」)
* 石堂清倫
(pp.291-345) 「第9章 社会主義はいま」
(p.295~ )・・・。もう一つはベトナム反戦運動のほんの外側にいただけの私にバートランド・ラッセルの言葉が一つの啓示となった。彼は、平和を守るためとあれば、社会主義者は場合によって自已の階級的要求を後退させなければならないという意味のことを主張した。平和を守ることがことが第一義の任務であるとすれば、体制を守ることは第二義とすべき場合がある。もちろん、体制を守ることが平和にとって大切な場合もありうる。しかし、全人類的なものと階級的なものとが矛盾を来すときは、前者をとらなければならない。
・・・。
私たち何人かのものは「西武平和の会」という小集団をつくっていた。共産党が指導する平和委員会は私たちを拒否したから、独立して細々と活動していたが、あるときラッセル宣言を討議して、一致した意見をまとめてラッセルに支持と連帯の手紙を送った。ラッセルはよろこんで返事をくれた。それはベトナム・ティーチ・インの前後であったかと思う。あの徹夜集会で元軍人の佐藤賢了が、ラッセルをもちだして、共産党は、戦争の危機が迫ったとき、階級的要求を一歩退ける用意があるかと質問した。答弁にたった上田耕一郎は、それは困難な問題で・・・と明答を避けた。佐藤は戦前の軍のなかでも責任ある人物であり、その質問にも底意地が感じられないでもなかった。しかし集ってきた何百人の人にはそんな魂胆はないのである。上田の立場には徴妙なものがあるにせよ、はっきりと答えることを人びとは期待したように思う。上田の論理には党の家庭事情があったかもしれないが、残念に感じたのは私一人ではなかった。
* 伊藤誠
「捕論1 技術時代の労働の変容」
(pp.314-315) 「1 'ダモクレスの剣'になった科学技術」