『バートランド・ラッセル自伝』(松下彰良・訳)
* 原著:The Autobiography of Bertrand Russell (London; Allen & Unwin, 1967-1969. 3 vols. illus. port. 25 cm.)* 総目次
第1巻(1872-1914)第2章:青年期 (Adolescence) イントロ累積版
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- 私は,幼少期には,概して幸福で,真っ直ぐに育った。・・・。(My childhood was, on the whole, happy and straightforward, and I felt affection for most of the grown-ups with whom I was brought in contact. )
- 性の事実を私がはじめて知るようになったのは,12歳の時であり,幼稚園時代の初期に,幼稚園で一緒だったアーネスト・ローガンという名前の少年を通して知った。・・・。
- 15歳の時,ほとんどがまんができないほどの強烈な性欲(←性的情欲)を感じ始めた。・・・。
- この頃までに私は,思春期以前にもっていた性についての合理主義者の見方を全く見失っており,伝統的な(かつ通俗的な)見解を全く十分なものとして全面的に受けいれていた。・・・。
- 私は,「イン・メモリアム(追憶-テニスンの詩)」というような(若者にとっては)非常に不適切(だとされている)詩から始まって,幅広く詩を読んだ。・・・。
- 詩に対する興味・関心とともに,宗教と哲学に非常に強い興味・関心を持った。・・・。
- この時期(松下注:15歳からケンブリッジ大学に入学する頃まで)ずっと私は,(いろいろの分野の書物を)乱読した。・・・。
- 十六回目の誕生日の直前頃まで,私は,家庭教師に対して,時々何か話しかけることができるようになった。・・・。
- 16回目の誕生日を迎える直前,私は,当時田舎にあったオールド・サウスゲートの陸軍のクラマー(受験準備のための学校)に上げられた。・・・。
- 以前こっそりと性に没頭していたにもかかわらず(そのような経験があるにもかかわらず),このような野蛮な形で性にふれたことにより,私は,強いショックを受けた。・・・。
- クラマー時代の一時期,エドワード・フィッツジェラルドという名前の友人がいた。・・・。
- 私は,非常に長い間孤独だったので,いくらかばかげているほど彼に愛情を注いだ。・・・。
- この時期を通して,私は,しだいに家族と意見が合わなくなっていた。・・・。
- ・・・。前略・・・。数学については,祖母は積極的に反対をしなかったが,祖母には,数学が何らか有用な目的に役立つものであると信ずることは困難であった。・・・。
- 私は,大人になったら数学で何か重要なことをなそう,という決意によって,精神的に支えられた。・・・。
- 私は,アガサ叔母さんと2度アイルランドに行った。・・・。
- 1883年(ラッセル11歳の時)に,ロロ叔父さんは,ハインドヘッド('Hindhead')の丘の斜面に一軒の家を購入した。・・・。
(付録)「ギリシア語の練習帳」より
- (1888年3月3日)私は,現在興味をもっている若干の主題について(これから)書いてゆくつもりである。・・・。
- (1888年3月19日)今日は,私が神を信ずる根拠を書くつもりである。・・・。