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バートランド・ラッセル落穂拾い_初級編 2023

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 ★R落穂拾い-中級篇


索引(-出版年順 著者名順 書名の五十音順
(ラッセル関係文献「以外」の図書などでラッセルに言及しているものを拾ったもの)


ラッセル『怠惰への讃歌』への讃歌-楠木建氏のエッセイ

 楠木建「現代にも示唆を与える90年前のラッセルの名著」
  出典:日経 BOOK PLUS, 2023年12月21日付
https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/121200323/121200003/

 著者は一橋ビジネススクールの特任教授をされていて、読書家としてもしられているそうです。
 楠木のこの文章は、少し眺めで、読み応えのある良いエッセイです。
 少しだけ、引用しておきます。

・ 1932年から35年にかけて書かれた15編のエッセイが収録されています。仕事場の本棚を整理していて、はるか昔に読んだ本書が出てきたので再読してみました。表題作『怠惰への讃歌』はラッセルの思想が凝縮されている名文として有名です。議論が上手い巧い。
・ ラッセルは仕事を3つに分類しています。第1のタイプは、「地球の表面上、またはその近くにある物体の位置を相対的に変えること」。要するに肉体労働なのですが、こういう定義を与えるところが数学者らしい。第2は、人々にそのような仕事を命令する人。第3に、土地を所有しているために、人々に居住し働くことを許可する代わりにその対価を支払わせる地主階級。
 地主は怠惰で仕事をしていないのですが、彼らはラッセルの礼賛の対象とはなりません。怠惰でいられるのは他人の勤勉のおかげだからです。歴史的に見ると、彼らの怠惰への熱望が勤労至上主義を生み出している。
・ 言うまでもなく、ラッセルの怠惰礼賛は彼の自由、平等、平和を希求する反権力的社会主義についてのひねりを利かせた主張です。相当のヒマがないと人生の最も素晴らしいもの――文明と教育――と縁がなくなる。この素晴らしいものを奪われている理由はヒマがないということにある。ばかげた禁欲主義に突き動かされて犠牲的に働く必要がなくなった1932年でも、過度に働く必要があると思い込んでいる。

 後は、興味のある方は上記のURLをクリックしてお読みください。

鎌田浩毅「『二重らせん』と『論語』」

* 出典:『文藝春秋』2023年5月号「私の人生を決めた本」特集号所収
* 鎌田浩毅(1955~ )氏は、京都大学名誉教授。専門は、火山学・地球変動学・科学教育他


 ・・・前略・・・。
 高校生になると英語の授業で、バートランド・ラッセル著『幸福論』(岩波文庫)を読まされた。授業が退屈だったので私は勝手にテキストを読み進めていった。文意が明快でウイットに富み、「英語なのに」するすると頭に入る。
 教科書の英文で興味を持てるものなど皆無に等しかったが、ラッセルは格段に知的でセンスが良い。おかげで英語がいっぺんに好きになり、後に米国カスケード火山観測所へ2年留学した折には、古書店に立ち寄り原書を買い集めた。
 本書には人生を気分や感情に任せるのではなく、理知的に扱う姿勢が貫かれている。ドライな人生論は日本の風土と正反対のもので、理性の働きを重んじる「主知主義」に私は限りない親近感を覚えた。
 一方、著者(ラッセル)はゆっくりと流れる時間軸で世界をとらえる。「私たちの生は〈大地〉の生の一部であって、動植物と同じように、そこから栄養を引き出している。〈大地〉の生のリズムはゆったりとしている」。後年、地球科学を専門にする萌芽を与えられた。
 ラッセルは、核兵器廃絶を目指す平和運動家としても大活躍した。科学者が社会に出て行動する姿は私のロールモデルとなり、基礎研究の教授からスピンアウトするきっかけとなった。そして、東海トラフ巨大地震・首都直下自地震・富士山噴火を迎え撃つ「科学の伝道師」となって今に至る。
 ・・・後略・・・。


ヨーロッパ人とキリスト教的な道徳観 (2023.03.17)

* 出典:落合陽一『忘れる読書』(PHP新書、2022年11月)

(p.38)「・・・。私は中学時代からニーチェを読み、「ツァラトゥストラはこう言った」は、少なくとも4回は読み返しています。
 ある時期は虚無主義に傾倒し、ニーチェと食い合わせの悪いバートランド・ラッセルとの併読で精神的にすっかり参ってしまったこともあります。ニーチェとラッセルの食い合わせは最悪で、内省と内省がかけ合わさって虚無の二乗になる、というような状態でした。 ・・・。」

(p.92)「・・・。ヨーロッパ人にとっての世の中の常識は、さしあたりキリスト教的な道徳なのだと思っていますが、そういった価値観をニーチェがことごとくひっくり返していきます。同時期に読んでいたバートランド・ラッセルも、ある意味「合理的に」、ニーチェの思想を包括する形で一定の理解は示すのですが、「やっぱり、ニーチェが言っていることはグロいな」と感じたものです。前述したように、ニーチェをインストールした上でラッセルを読み始めた私は、一時期、頭の中がぐちゃぐちゃになりました。
 とはいえ、この2人の「同時読み」のおかげで、ヨーロッパ人的な思考の仕方が嫌という ほど身につきました。ヨーロッパ人的な思考から抜け出て、それを批判できるレベルにまで到達したという意味では、貴重な思考の鍛錬になったと思います。・・・。」
 落合陽一氏もそこそこラッセルを読んでいるようですが、それでもラッセルの膨大な著作の中の一部しか読んでいないと言えそうです。ラッセルの考え方ははげしく変わっていますので、どのように変化・発展していったかという視点で読まないと、理解しそこねるだけでなく、誤解をしてしまいます。
 落合氏はラッセルの思想は虚無主義だと断定してはいませんが、上記を読めばそうとらえていたらしいことが伺えます。
 ラッセルは哲学の一つの方法論として(徹底した)懐疑主義のアプローチの仕方をとったり、宗教、特にキリスト教に対して強い批判をしたり、神の存在については不可知論の立場をとったりしましたが、決して虚無主義者ではありませんでした。それは『ラッセル自伝』やラッセルの書簡などを読めばよくわかると思いますが、ラッセルの著書を数冊読んだだけである程度理解したとして、ラッセルの思想を虚無主義だと決めつける人が時々います。
 日本の保守主義者に人気のある福田恆存(ふくだ・つねあり、1912- 1994)もその一人で、今でも保守系の雑誌の『月刊Will』や『月刊HANADA』などで、自分の主張の権威付けに使ったりする人がいます。

戦時中における幼児教育

* 出典:山本義彦(編)『清沢洌評論集』(岩波文庫、2002年9月刊 (2023.02.17)
 
清沢洌(きよさわ・きよし、1890年2月8日-1945年):ジャーナリスト、評論家


 清沢洌は太平洋戦争下における日記である『暗黒日記』で有名です。以下は、『清沢洌評論集』pp.177-195(=『非常日本への直言』(1933年2月刊)からの抜粋)の中で、息子の質問「・・・じやあ、あの人(中国人)と戦争するんですね」に答えたなかで、バートランド・ラッセルについてふれている部分です。

(pp.178-179)[『清沢洌評論集』pp.177-195の一部]

 親父がジャーナリストだから、この子も時代の空気を嗅ぐことは早い、と笑ってしまうのには、お前の疑問はあまりにお父さんの神経を刺激したんだ。

「この空気と教育の中に、真白なお前の頭脳を突き出さねばならんのか」

 お父さんは、お前の教育について始めて真剣に考えたよ。それと同時に、思わずバー トランド・ラッセルのことを想い出したんだ。かれの教育に関する著書の中に、かれの息子が教育期に達して、その教育問題に直面するようになってから、始めて真剣に教育のことを考え、その思索の結果がその著だという意味のことを書いてあった。 そしてその後、かれは夫人とともに少年のための学校を経営するようになったはずだ。
 ラッセルとお前のお父さんに、 天分の相違がどれだけあったところが、子供に対する 責任を感ずる点において相違があるものじゃない。お父さんも、今朝、今更ながら人間 を偏に(ひとえに)敵と味方に分ける現代の教育に、お前を託さねばならぬことにいい知れぬ不安を覚えたのだ。壁にかかっている写真は、みんなお父さんの先輩や友達なんだ。 比較的に世界を旅行したから、人の写真もあれば、アメリカの人の写真もあり、またお前が見つけ出したように、支那人の写真もある。 しかしこれはお父さんのお友達なんだよ。お父さんのお友達が、たまたま支那人であったり、アメリカ人であるが故に、 お前の家をタンク(注:戦車)で撃つということがあるもんですか