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『バートランド・ラッセル自伝』(松下彰良・訳)

* 原著:The Autobiography of Bertrand Russell (London; Allen & Unwin, 1967-1969. 3 vols. illus. port. 25 cm.)
* 総目次

第1巻(1872-1914)第7章 再びケンブリッジへ イントロ累積版


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  1. 『プリンキピア・マテマティカ(数学原理)』の執筆が終了したので,私は何もやることがなくなったような気分にいくらかなった。・・・。(In July 1900, there was an International Congress of Philosophy in Paris in connection with the Exhibition of that year. )
  2. しかしながら,それは事実ではなかった(新しい人生の門出にはならなかった)。・・・。
  3. 1910年1月の選挙期間中,私はほぼ毎晩,フィリップ・モレル(Philip Morrell)を支持する集会で演説をし,ほとんど毎日,選挙運動に時間を費やした。・・・。
  4. アリスとのこの(出来事の)現場から,--まだ自分は癌だと信じつつ--私は,まっすぐにスタッドランド(Studland)に向かった。・・・。
  5. オットリンはとても背が高く,馬をおもわせるような長くほっそりとした顔と,非常に美しい髪--多少マーマレードの色に似ていたが,それよりもやや色の濃い,珍しい色をした髪(右写真参照)--をもっていた。・・・。
  6. スタッドランド以後,様々な困難な事態がトラブルをもたらし始めた。・・・。
  7. 1913年末,私は,彼女に会いにローマに行った。・・・。
  8. 1913年における,私にとって重要な出来事は,ジョセフ・コンラッドとの友情の始まりであり,それは,私たち2人ともがオットリンと親しかったおかげである。・・・。
  9. 彼が創作したもののなかで,私が最も賞賛したのは「闇の奥」と題する恐ろしい小説であり,その小説の中で,一人のやや気の弱い理想主義者が,熱帯(地方)の森の恐怖と野蛮人の間での孤独から発狂する。・・・。
  10. コンラッドの想像(力)をもっともとらえたと思われる2つの事は,(人間の)'孤独'と,'見慣れないもの(全て)に対する恐怖'であった。・・・。
  11. 第一次世界大戦の間,また大戦後も1921年に中国から(英国に私が)戻ってくるまで,私は,コンラッドにはまったく会わなかった。・・・。
  12. 私は,1914年の春,ボストンにおいて,ローウェル記念講義を行うとともに,ハーバード大学で哲学の短期客員教授となるようにとの,招待を受けた。・・・。
  13. 私は,ニューヨークからまっすぐボストンまで(汽車で,約350km)旅をした。・・・。
  14. 他方,学生たち,特に大学院生たちは,私に非常に強い印象を与えた。・・・。
  15. ハーバード大学における自分の任期が終わると,私は,他の2,3の大学で1回ずつ講義をした。・・・。
  16. 私は,アナーバーからシカゴへ行き,シカゴでは,著名な婦人科医とその家族の家に滞在した。・・・。
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