「R落穂拾い」索引-出版年順
落穂拾い(最新記事)
以下、出版年順にリストアップするのは、「R落穂拾い」でとりあげた(ご紹介した)本です。よいラッセル関係文献(ただし、哲学や論理学関係の論文等の専門的なものでなく、「落穂拾い」に適切なもの)がありましたら、松下()までご教授いただければ幸いです。
★著者名索引 ★書名索引-五十音順(未作成)
1950年代
荒垣秀雄「人口惑星第1号(と地上の生活) 『朝日新聞-天声人語欄』(朝日新聞,1959年1月5日付)
江戸川乱歩(編著)『推理教室』(河出書房新社,1959年)
「イギリス精神」 西脇順三郎『あざみの衣−西脇順三郎エッセイ集』(大修館書店,1961年)
1960年代
「外国語の本を読む「解読術」」 加藤周一『読書術』(岩波書店,1962年)
「二十世紀の思想」 荒正人『思想の流れ』(毎日新聞社,1963年)
小田実『壁を破る−世界のなかの体験と思想』(中央公論社,1964年7月)
戒能通孝『自由と権利の法構造』(日本評論社,1965年4月)
上山春平「中江兆民の哲学思想」 桑原武夫(編)『中江兆民の研究』(岩波書店,1966年2月)
「平和運動」 『高群逸枝全集第5巻:女性の歴史II』(理論社,1966年)
「現代における理性の回復」 藤田省三『維新の精神』(みすず書房,1967年3月)
貝塚茂樹『古代の復活』(講談社,1967年10月)
臼井吉見「解説」[現代の教養・第16巻『日本のヴィジョン』(筑摩書房,1968年)巻末]
石田雄『平和の政治学』(岩波書店,1968年4月)
「持続する志(pp.55-59の一部)」 大江健三郎『持続する志』(株式会社文藝春秋,1968年10月)
岡田渥美「新実在論の教育思想」 森昭(編著)『現代教育思潮』(第一法規,1969年3月)
1970年代
ヴェド・メータ(著),河合秀和(訳)『ハエとハエとり壺』(みすず書房,1970年1月)
「学問における東と西」 福原麟太郎『文学的人生−福原麟太郎対話集』(研究社,1970年3月刊)
田中慎次郎,朝永振一郎,山内恭彦(対談)「核時代と人間−シラード『イルカ放送』をめぐって」 『逆説としての現代−みすず・対話篇』(みすず書房,1970年6月)
「安楽死の問題」 『鈴木茂三郎選集』第2巻(労働大学,1970年)
「政防法反対市民会議」の構想 高畠通敏『政治の論理と市民』(筑摩書房,1971年11月)
「科学と人間」 末川博『教学半世紀』(栗田出版会,1971年12月)
「オーウェルからリチャード・リースへの手紙(1949年2月4日付)」 ジョージ・オーウェル(著),鮎沢乗光(他・訳)『ジョージ・オーウェル著作集 VI: 1945-1950』(平凡社,1971年)
上木敏郎「杏村とラッセル」 土田杏村『象徴の哲学』(新泉社,1971年)
「日本の作家たち」 ドナルド・キーン『日本の作家』(中央公論社,1972年2月)
「Egocentric Words」 毛利可信『意味論から見た英文法』(大修館書店,1972年4月)
「1923年(大正12年)2月1日の日記」 片山敏彦『自分に言う言葉』(みすず書房,1972年6月)
渡辺照宏『維摩経講話(改訂新版)』(大法輪閣,1972年10月)
「バートランド・ラッセルの無神論」 山内清海『現代人と無神論』(中央出版社,1972年)
1973
立野信之『黒い花(下巻)』(ぺりかん社,1974年5月)
「大衆文化論における二つの虚像−−変革と余暇」 『大岡昇平全集・第13巻』(中央公論社,1974年9月)
「諸価値の二者択一」 日高六郎『戦後思想と歴史の体験』(勁草書房,1974年10月)
坂野正高「中国と日本−バートランド・ラッセルの『中国の問題』(1922年)をめぐって」[『アジアの中の日本』(東京大学出版会,1975年3月刊/東京大学公開講座・第20巻)pp.245-284]
三島由紀夫「新ファッシズム論」[出典:三島由紀夫全集第26巻『評論』(新潮社,1975年6月刊)
北岡寿逸(編)『友情の人・鶴見祐輔先生』(発行=北岡寿逸,1975年11月刊/
『G. H. ハーデイ(著),柳生孝昭(訳)『一数学者の弁明』(みすず書房,1975年)
青木薫久「精神病犯罪者の'治療処分'」 青木薫久『保安処分と精神医療』(社会評論社,1975年)
「環境保全技術の課題」 『環境・エネルギー・技術への挑戦−三菱化工機四十周年を記念して』(三菱化工機株式会社,1975年)
加藤周一「文学概念の比較文化的考察」 『表現の方法1−世界の文学(上)』(岩波書店,1976年6月)
三宅鴻「代名詞的表現」 鈴木孝夫(編)『日本語の語彙と表現』(大修館書店,1976年12月)
『現代天皇制』(日本評論社,1977年2月)
井上ひさし(作)『(小説)ドン松五郎の生活』(新潮文庫,1978年5月)
『深代惇郎の青春日記』(朝日出版社,1978年9月)
『武田芳一『熱い港−大正十年・川崎三菱大争議』(太陽出版,1979年3月)
「アメリカ英語雑感」 『今川憲次『もんく・もんく・もんく』(中日新聞社,1979年9月)
『柳父章『比較日本語論』(バベル・プレス,1979年11月)
『開高健『開高閉口』(新潮社,1979年)
1980年代
「当世文士心得」 『加藤周一『真面目な冗談』(平凡社,1980年6月)
『森川金寿『昭和人権史への証言』(時事通信社,1980年3月)
『柳瀬尚紀『翻訳困りっ話』(白揚社,1980年9月)
「話半分、嘘半分」 『井上ひさし『私家版日本語文法』(新潮社,1981年3月)
「ラッセル=アインシュタイン宣言」 『金子務『アインシュタイン・ショック2−日本の文化と思想への衝撃』(河出書房新社,1981)
秋山安永「(研究ノート)翻訳についての一考察」[『八幡大学論集』(八幡大学法経学会)v.33,n.1/2(1982年9月)pp.63-82]
安西徹雄『英文翻訳術』(ちくま学芸文庫,1995年年5/1982年にバベル・プレス社から出された『翻訳英文法』を改題したもの)
「二人のラッセル」 小野修『政治における理性と情念』(世界思想社,1982年1月)
「国家と道徳(天野貞祐・野上弥生子・長谷川如是閑の3人の対談)」 『(野上弥生子)対談・座談1』(岩波書店,1982年6月)
1983
「誰のために書いているのか」 『中野好夫集IV:逆臣は歴史によみがえる』(再掲)(筑摩書房,1984年1月)
井上ひさし「だれのための教育か」 『毎日新聞』1984年1月5日[]
「怠惰の論理」 『加藤秀俊『余暇の社会学』(PHP研究所,1984年)
小島直記『志に生きた先師たち』(新潮社,1985年3月)
「1957年8月27日、ラッセル卿訪問」 『ヒロシマ四十年−森滝日記の証言』(中国新聞社(編),1985年7月)
「(森敦における)小説の変容」 富岡多恵子『表現の風景』(講談社,1985年)
「'猫と鼠の倫理学'から学ぶこと」 矢野暢『国際化の意味−いま「国家」を超えて』(日本放送出版協会,1986年)
小川環樹『談往閑語』(筑摩書房,1987年1月刊)
「時代錯誤的日本」 『内田魯庵全集・補巻1:随筆・評論V』(ゆまに書房,1987年5月)
「ヴェトナム戦争の影」('斉藤眞'との対談「新保守主義台頭の歴史的背景」の一部) 宇沢弘文『現代経済学への反省−対談集』(岩波書店,1987年5月)
「クリスマス・キャロル」 飯島宗一(著)『学窓雑記I』(名古屋大学出版会,1987年6月刊)
佐藤喬「(解説)詩人ラフカディオ・ハーン」 『ラフカディオ・ハーン著作集・第13巻^』(恒文社,1987年8月)
山田光成「私の履歴書」(『私の履歴書・経済人』第24巻/日本経済新聞社,1987年)pp.85-169.
チャード・ディーコン(著),橋口稔(訳)『ケンブリッジのエリートたち』(晶文社,1988年1月)
佐高信『師弟−教育は出会いだ』(講談社文庫-さ33,1988年11月刊)
「ヨーロッパから学ぶこと」 松本重治『国際日本の将来を考えて』(朝日新聞社,1988年1月刊)
「イノベーションの時代」 総合研究開発機構(編)『新聞に見る社会資本整備の歴史的変遷:昭和期』(日本経済評論社,1989年1月)
「レーニンの印象」 [馬場恒吾『自伝点描』(中公文庫,1989年8月)]
「農民芸術」 原子朗(編著)『宮沢賢治語彙辞典』(東京書籍,1989年10月)
レーリンク「ラッセル:戦争の廃棄の主張」 [細谷千博・他(編)『(国際シンポジウム)東京裁判を問う』(講談社学術文庫, 1989年)]
1990年代
「社会主義はいま」 石堂清倫『続・異端の昭和史』(勁草書房,1990年10月)
渡辺二郎「西洋思想から見た秩序と混沌」 『混沌』(東京大学出版会,1991年6月)
「(ケース・スタデイNo.9)92歳にして立つ」富永直久『彼らは何歳で始めたか』(ダイヤモンド社,1991年10月刊)
「読みやすい文章、内容のない文学−『ノルウェーの森』をめぐって」 『居酒屋の加藤周一』(かもがわ出版,1991年)
「バートランド・ラッセル(著)『西洋哲学史』 和尚(講話),スワミ・パリトーショ(訳)『私が愛した本』(和尚エンタープライズジャパン株式会社,1992年12月刊
「若き日の T.S.エリオット」 小野寺健『英国文壇史−1890〜1920』(研究社出版,1992年2月)
「最も狭義の経験とその純粋型」 後義輝『死刑論の研究』(三一書房,1993年9月)
[藤岡真(作)「笑歩」]『小説新潮』1992年12月号
井上義夫「政治の季節−−オットリーヌ・モレル、バートランド・ラッセル」 [井上義夫『新しき天と地−−評伝D・H・ロレンス II』(小沢書店,1993年10月)第9章(pp.150-165)に所収]
「怠惰の思想」 多田道太郎『日本人の美意識』(筑摩書房,1994年4月)
アンドレ・ヴェイユ(著),稲葉延子(訳)『アンドレ・ヴェイユ自伝(下巻)−ある数学者の修行時代』(シュプリンガー・フェアラーク東京,1994年5月)
「バートランド・ラッセル −若い人に学ぶ謙虚な反戦家」 鶴見俊輔(著)『悼辞』(SURE,1994年10月)
「学校」 [テッド・ネルソン(著)『リテラリー・マシン − ハイパーテキスト原論』(ASCII,1994年10月)
「逃避行」 『尾崎士郎(自伝)』(日本図書センター,1994年)
「『世界』1950年9月号掲載「私の信条」へのまえがき」
吉野源三郎『平和への意志−『世界』編集後記、1946〜1955年』(岩波書店,1995年2月)
「仕事かレジャーか」 尾高邦雄『仕事への奉仕』(夢窓庵,1995年4月/尾高邦雄選集・第5巻)
ヨースタイン・ゴルデル(著),須田朗(他訳)『ソフィーの世界−哲学者からの不思議な手紙』(NHK出版,1995年6月)
菊池寛『恋愛と結婚の書』(文藝春秋,1995年7月/菊池寛全集第21巻)
「酩酊(めいてい)は一時的な自殺である(B.ラッセル)」 『成語大辞苑−故事ことわざ名言名句』(主婦の友社,1995年)
「20世紀の経験主義−ラッセル、エイヤー、ウィトゲンシュタイン他」 ジョン・T.ウィリアムズ(著),E. H. シェパード(挿絵),小田島雄志(他訳)『クマのプーさんの哲学』(河出書房新社,1996年)
「現代における人間と政治」 『丸山眞男集第9巻(1961-1968)』(岩波書店,1996年)
ジョナサン・ローチ(著),飯坂良明(訳)『表現の自由を脅かすもの』(角川書店,1996年9月)
クラーク・カー(著),小原芳明(他・訳)『アメリカ高等教育の大変貌、1960-1980年』(玉川大学出版部,1996年12月)
「抽象的で厚みのない哲学のテクスト」 門脇俊介「哲学の言葉の翻訳」[川本皓嗣,井上健一(編)『翻訳の技法』(東京大学出版会,1997年4月刊)pp.247-260]
「文の構造の誤解」 冨田達彦『(小説)科学哲学者・柏木達彦の冬学期−原子論と認識論と言語論的転回の不思議な関係、の巻』(ナカニシヤ出版,1997年8月)
「アメリカ哲学と出会う」 鶴見俊輔『期待と回想(上巻)』(晶文社,1997年8月)
鶴見俊輔『期待と回想(下巻)』(晶文社,1997年8月)
「生活の中に品位を求める」 中野孝次『老年の愉しみ』(文春文庫,2000年11月/単行本:海竜社、1997年)
「反戦の立場−'愛国心'に抗して」 加藤周一『歴史としての二十世紀』(平凡社,1997年)
和田春樹「ソ連システムの挑戦とコスト」 東京大学社会科学研究所『20世紀システム1:構想と形成』(東京大学社会科学研究所,1998年1月)
三浦俊彦(作)『エクリチュール元年』(海越出版社,1998年2月)
「バートランド・ラッセルの波乱万丈」 ノーマン・マクレイ(著),渡辺正,芦田みどり(共訳)『フォン・ノイマンの生涯』(朝日選書n.610,1998年/原著:John von Neumann, by Norman Macrae, c1992)
「歴史教科書への問いかけ」 近藤孝弘『国際歴史教科書対話−ヨーロッパにおける「過去」の再編』(中公新書n.1438,1998年刊)
「ローゼンバーグ夫妻の減刑を嘆願」デニス・ブライアン(著),鈴木主税(訳)『アインシュタイン−天才が歩んだ愛すべき人生』(三田出版会,1998年12月)
柄谷行人「村上春樹の「風景」−『1973年のピンボール』」(『村上春樹スタディーズ01』(若草書房,1999年6月)
2000年代
「お釈迦様(岩崎民兵)の掌の孫悟空」 [斎藤兆史『英語達人列伝−あっぱれ、日本人の英語』(中公新書,2000年5月)]
鶴見俊輔×河合隼雄×埴谷雄高「文学の無限性」 『埴谷雄高全集第17巻 隠された無限』(講談社,2000年11月刊)
モーリス・フリードマン(著),黒沼凱夫(他訳)『評伝マルティン・ブーバー−狭い尾根での出会い』下巻(ミルトス,2000年12月刊)
「チョムスキーによるラッセル記念講義『知識と自由』」 [菊池久一『差別表現とは何か』(勁草書房, 2001年1月)
アントニー・ホーア「コンピュータと共に歩んで(受賞記念講演)」 『稲盛財団2000−第16回京都賞と助成金』(稲盛財団,2001年5月)
「近代兵器の変遷と戦争の性質と変容」 樺山紘一(他・編)『生きること/死ぬこと』(岩波書店,2001年5月)
「政府と学者」 [加藤周一・鶴見俊輔(対談)『二十世紀から』(潮出版社, 2001年9月)]
「女性国際戦犯法廷」 高橋哲哉『歴史/修正主義』(岩波書店,2001年)
田中眞紀子「日本に目覚めたアメリカ留学」 『早野透(インタビュー)『政治家の本棚』(朝日新聞社,2002年5月)
「懐疑する哲学者の孤独感:ラッセル(著)『西洋哲学史』」 佐高信『私を変えた百冊』(講談社,2002年5月/講談社文庫,2005年5月)
「日本語は日本語です」と「英語は日本語です」 『大人になるって何?−鶴見俊輔と中学生たち』(晶文社,2002年5月)
高杉良『不撓不屈(ふとうふくつ)』(新潮社,2002年6月)
『チョムスキー、世界を語る』(田桐正彦(訳)/トランスビュー,2002年9月)
「押しつぶされたアメリカ」 ディヴィッド・ナソー(著),井上廣美(訳)『新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストの生涯』(日経BP社,2002年9月)
「耳の形式」 外山滋比古『短詩型の文学』(みすず書房,2002年12月)
「カフェの娘」 猪瀬直樹『マガジン青春譜−川端康成と大宅壮一』(小学館,2002年)
「イメージの見せる世界(Bertrand Russell の英語が教材)」 大西泰斗『英文法をこわす−感覚による再構築』(日本放送出版協会,2003年1月刊)
「英語の名文例:Bertrand Russell, The Conquest of Happiness (1930)」 [斎藤兆史『英語達人塾−極めるための独習法指南』(中公新書,2003年6月)
小谷野敦『恋愛の昭和史』(初出:『文学界』2003年2月号〜2004年7月号)
マークス寿子『本当の英語力をつける本』(PHP,2003年7月)
中見真理『柳宗悦−時代と思想』(東京大学出版会,2003年11月)
渡辺一衛「春日庄次郎さんらの内ゲバ停止への提言」 いいだもも・蔵田計成(編著)『検証内ゲバ PART 2』(社会批評社,2003年)
柳瀬尚紀『辞書を読む愉楽』(角川選書,2003年)
「丸山眞男と竹内好」 『戦争が遺したもの−鶴見俊輔に戦後世代が聞く』(新曜社,2004年3月)
入江昭『二十世紀の戦争と平和(増補版)』(東大出版会,2004年5月)
「対談:'抵抗論'(三島由紀夫×寺山修司」 『思想への望郷 −寺山修司対談集』(講談社,2004年6月)
「クニヒト山麓にて」 エリック・ホブズボーム(著),河合秀和(訳)『わが20世紀・面白い時代』(三省堂,2004年7月)
「ファシズム批判とソヴィエト体制」 内田弘『三木清−個性者の構想力』(御茶ノ水書房,2004年8月)
加藤典洋「文学における公共性と私性−柳美里裁判を手がかりに」 [宮本久雄,金泰昌(編)『文化と芸能から考える公共性』(東京大学出版会,2004年11月]
「西洋の思考の習慣」 リチャード・E・ニスベット(著),村本由紀子(訳)『木を見る西洋人、森を見る東洋人−思考の違いはいかに生まれるか』(ダイヤモンド社,2004年6月)
「部分の観察で「敵・味方」と認識する誤り」 野口悠紀雄『「超」整理日誌−地動説を疑う』(ダイヤモンド社,2004年9月)
「ロンドンからの招待状」 立花隆『思索紀行−ぼくはこんな旅をしてきた』(書籍情報社,2004年10月)
山田昌弘『希望格差社会−「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』(筑摩書房,2004年11月刊)
小谷野敦『恋愛の昭和史』(文藝春秋,2005年3月)
スティーヴン・ホーキング(著),佐藤勝彦(訳)『ホーキング、宇宙のすべてを語る』(ランダムハウス講談社,2005年9月)
C. K. ステッド(作),大澤銀作(他訳)『小説マンスフィールド−愛と友情の変奏曲』(文化書房博文社,2005年10月)
「バートランド・ラッセルとウィトゲンシュタイン」 いいだ・もも『<主体>の世界遍歴−八千年の人類文明はどこへ行くか』(藤原書店,2005年11月)
サティシュ・クマール(著),尾崎修(訳)『君あり、故に我あり−依存の宣言』(講談社学術文庫,2005年4月)
児玉清『負けるのは美しく』(集英社,2005年9月)
K. ホフマン(著),山崎正勝(他訳)『オットー・ハーン −−科学者の義務と責任とは』(シュプリンガー・ジャパン,2006年9月)
寺島実郎『われら戦後世代の「坂の上の雲」−ある団塊人の思考の軌跡』(PHP研究所,2006年)
立花隆『ぼくの血となり肉となった500冊、そして血にも肉にもならなかった100冊』(文藝春秋,2007年1月)
ドナルド・キーン「講義のたびにラッセルとビール
(ケンブリッジにて)」[初出・読売新聞/『私と20世紀のクロニクル』(中央公論社,2007年7月刊)に再録
カー・バード+マーティン・シャーウィン『オッペンハイマー −'原爆の父'と呼ばれた男の栄光と悲劇』上・下巻(PHP,2007年8月)
「昭和後期の「受験英語」」 [斉藤兆史『日本人と英語−もうひとつの英語百年史』(研究社,2007年10月)
「愛国心について」 池澤夏樹『叡智の断片』(集英社,2007年12月)
「仮説と帰納」 米盛裕二『アブダクション−仮説と発見の論理』(勁草書房,2007年)
「習慣という名の鎖」 メアリー・バフェット、デビッド・クラーク(著),峯村利哉(訳)『史上最強の投資家、バフェットの教訓−逆風の時でもお金を増やす125の知恵』(徳間書店,2008年1月)
「ラッセル『幸福論』で考える退屈力」 斉藤孝『退屈力』(文藝春秋,2008年4月)
「学生運動にかかわった(菅直人の)東工大時代」 五百旗頭真(他・編)『菅直人−市民運動から政治闘争へ』(朝日新聞出版,2008年6月)
「那古井の宿」 森本哲郎『日本十六景』(PHP文庫,2008年8月)
「学位論文から書物へ」 ジル・ドスタレール(著),鍋島直樹・小峯敦(監訳)『ケインズの闘い−哲学・政治・経済学・芸術』(藤原書店,2008年9月)
「MBE勲章の返還」 巻口勇次『永遠のジョン・レノン−−愛と平和と音楽に賭けた男』(三修社,2008年11月)
「ラッセルのベーシック・インカムと労働倫理批判」 山森亮『ベーシック・インカム入門−無条件給付の基本所得を考える』(光文社新書,2009年2月)
「『間違いの悲劇』におけるパラドクス」 [小森健太朗『英文学の地下水脈:古典ミステリ研究−黒岩涙香翻案原典からクイーンまで』(東京創元社,2009年2月)
「証言:バートランド・ラッセル」 [リータ・リーヴィ・モンタルチーニ『老後も進化する脳』(朝日新聞出版,2009年3月)
「バートランド・ラッセルの生涯と嫉妬」 石川実『嫉妬と羨望の社会学』(世界思想社,2009年4月)
「講学社と新文化運動」 陳立新『梁啓超とジャーナリズム』(芙蓉書房出版,2009年6月)
『言語都市ロンドン1861-1945』(藤原書店,2009年6月)
鶴見俊輔×黒川創(=聞き手)『不逞老人』(河出書房新社,2009年7月刊)
小森健太朗「ライプニッツのモナドロジー/「モナドロギーからみた舞城王太郎」の一部」 限界小説研究会(編)『社会は存在しない−セカイ系文化論』(南雲堂,2009年7月
「茂木健一郎と白洲信哉との対談」 白洲信哉『白洲スタイル』(飛鳥新社,2009年8月)
不確かを前に人間が使う「二つの戦略」 レナード・ムロディナウ(著),田中光彦(訳)『たまたま−日常に潜む「偶然」を科学する』(ダイヤモンド社,2009年9月)
「国家とは何なのか−核時代における重ねての問いかけ」 大熊信行『日本の虚妄−戦後民主主義批判(増補版)』(論創社,2009年7月)
「仕事と幸福」 [『読売新聞-編集手帳』2009年7月5日付](
「探偵・推理小説の存在理由とバートランド・ラッセルの哲学的方法」 駒城鎮一『探偵・推理小説と法文化』(世界思想社,2009年8月)
「耳で文章を'読む'」 『読売新聞』編集手帳(平成21年9月24日付)
アリス・シュローダー『スノーボール(ウォーレン・バフェット伝)』上巻(日本経済新聞出版社,2009年11月)
「ポアンカレ vs ラッセル:数学の論理学的基礎」 ハル・ヘルマン(著),三宅克哉(訳)『数学10大論争』(紀伊国屋書店,2009年12月刊)
「バートランド・ラッセル」 [乙訓稔『西洋現代幼児教育思想史−デューイからコルチャックまで』(東信堂,2009年4月)
(アンケート・東大教師が新入生にすすめる本)川島博之「ラッセル『西洋哲学史』」[『UP』(東京大学出版会,2009年4月)]
「<インタビュー>ノーム・チョムスキー」(『Esquire(エスクァイア日本版)』2009年??月)
2010年代
「我慢できない大知識人−バートランド・ラッセル」 海野弘『名門大学スキャンダル史−あぶない教授たちの素顔』(平凡社新書,2010年9月)
「怠」−「1日4時間労働」の夢(ラッセル『怠惰への讃歌』) 辰濃和男『ぼんやりの時間』(岩波新書n.1238,2010年3月)
斉藤兆史,野崎歓(共著)『英仏文学戦記−もっと愉しむための名作案内』(東京大学出版会,2010年7月刊)
「技術時代の労働の変容」 伊藤誠『日本資本主義の岐路』(社会評論社,2010年7月)
「デモクラシー思想からラッセル、モームへ」 江利川春雄『受験英語と日本人−入試問題と参考書からみる英語学習史』(研究社,2011年3月)
古田博司「珍本通読(ラッセル『西洋哲学史』など)」[『ちくま』2011年5月号pp.58-59.]
三浦俊彦vs長滝祥司「(対談)小説、哲学、あるいは選択」 三浦俊彦vs長滝祥司「(対談)小説、哲学、あるいは選択」[『八事(中京大学評論誌)』no.27(Mar. 20, 2011)pp.8-48.]
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