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小野修「バートランド・ラッセルにおける科学と道徳」

* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第6号(1966年12)p.6-8.
* 小野修(1931~ )は当時、同志社大学講師で、ラッセルがかつて学んだ)ケンブリッジ大学トリニティ・コレッジに留学中であった。

1 「二人のラッセル」説

 ラッセルの思想について学ぶものは、いつか必ず、「二人のラッセル」説とでも言うべきラッセル批判に出会う。これは、およそ次のような考え方である。

ラッセル協会会報_第6号
「バートランド・ラッセルという人は2人いる。1人は冷静な科学者であり、今1人は熱情的な社会運動家である。両者は互いにほとんど無関係なかたちで、ラッセルのうちに存在しつづけてきた。ラッセル自身、自分の政治的主張は自分の哲学上の立場とは(理論上は)何の関係もないとのべている以上、ラッセルがこうした2側面を持つと主張して間違いない。彼の学問と実践は全くそれぞれ別箇の領域にあって独立しており、彼の哲学上の立場の研究を通じて彼の政治的実践の理論に迫ろうとすることは不可能であるばかりか徒労である。彼の哲学理論そのものが、もともと実践上の指針を呈示することを拒んでいるからである。このことから、ラッセルの実践運動には、信念はあっても、何か確固とした理論的な裏付けが存在しないことが明らかになる。ラッセルは自己のつくり出した哲学理論を一向に自己の社会的実践の上に用いようとしない。そればかりか、彼は社会運動家たるために哲学者たることをわざとやめた人である。」

「もし、ラッセルの政治、社会的著作に歴史的法則の洞察に欠けるところがあるとすれば、それはほかならぬ彼の依って立つ分析哲学の帰結にほかならない。そこに見られるものは、科学と道徳にかんする頑固な二元論であり、人間を社会から切りはなし、孤立した現象としてしかとらえ得ない極端な個人主義的見解である。しかも、科学を単に手段にすぎないと見る彼の見解からは、およそ未来に対する希望など生れてくるはずもなく、そこにはつねに厭世観がつきまとっているのである。彼のとる倫理学説が、価値はすべて主観的情緒的なものによってきまるにすぎない、という見解に立っている以上、そこには客観的な指標は何も示されておらず、彼の言動は、判断の基準を求めるわれわれを徒らに迷妄に導いてゆくばかりである」
 以上引用した文章は、ラッセルの批判者たちの主張を私なりに集約し、やや誇張して代弁してみたものであって、必ずしも、特定の批判者の所説を紹介したものではない。
 「2人のラッセル」説は、W.デュラント、J.ルイス、E.C.リンドマン、V.J.マックギル、M.コーンフォース、P.マーティン(注1)等によって唱えられており、その論難の中心部分は、やはり、彼の科学と道徳の二元論(あるいは理論と実践、存在と当為の二元論)に向けられている。これらの主張者のうち、J.ルイスとM.コーンフォースは共にマルクス主義の立場から批判している。言うまでもなく、マルクス主義は、へーゲル哲学の流れを汲む一元論である。
(注1)ピーター・マーティン氏の『二人のラッセル』(Two Bertrand Russells)と題された講演の録音テープは京都英国文化センターにあり、興味深いものである。

2 ラッセルの二元論

 言うまでもなく、ラッセルは事実判断と価値判断をきびしく区別する点において、従って科学理論と道徳的実践を別系列の知識の体系とみなしてきた点において二元論者であり、また、同時に、論証しうるものを真、されないものを偽とする経験主義者である。しかし、こうしたことは、決して彼を科学万能主義者たらしめるものではない(注2)。彼は科学を、それがもたらした結果のためにではなく、それが真理に肉迫する最も優れた方法であるとして尊重する。ラッセルは『神秘主義と論理』(Misticism and Logic, 1918)の中で次のように述べている。
(注2)この点については、碧海純一「'科学的なものの考え方'と'科学万能主義'」(『ラッセル協会会報』第5号)を参照されたい。なお、碧海教授はその著『ラッセル』の中で、ラッセルの哲学理論と政治思想との間には心理的な関連があると指摘しておられる。
「哲学に導入して利益のあるのは、科学の結果でなくて方法である」
 こうした点から明らかなように、ラッセルの二元論も、それは事実と価値という対象の二領域の性質の違いにもとづくのであって、真理へのアプローチの方法においては共通している。従って、ラッセルの見解を、デカルトなどの、物質と精神の二元論などと混同することは避けねばならない(注3)
 ラッセルは科学と道徳を全く別個の体系の知識として区別しながら、それら双方に冷静な科学心を向け、確固とした理論を構築しようと努力した。科学の分野における努力は論理分析の哲学として結実し、道徳については、彼の倫理学的著作となってあらわれた。倫理学的研究は「倫理学の基礎」(The elements of ethics, 1910: Philosophical Essays, 1910に収録)にはじまり、『倫理と政治における人間社会』(Human Society in Ethics and Politics, 1954)に至る幾つかの著作において示され、さまざまな問題を投じた。ラッセルは、科学を目的でなく目的達成のための手段と見て、道徳倫理を科学技術の上に位置させたが、その倫理の原理は、科学的思考の方法の賞揚を反映して、非独断的、非体系的で経験論に基くやや功利主義的なものである。「私の立場は、経験主義的自由主義である」と、ラッセルは『反俗評論集』(Unpopular Essays, 1950)の中で述べている。
 彼の倫理学説は、L.エイケンも指摘するように、直覚主義から情緒主義、更には自然主義的傾向へと推移したが、こうした変貌自体が、ラッセルの、より正しいと思われる理論へいつでも自説を修正しうる柔軟な科学者的態度を示すものであろう。しかし、こうした見解は、科学的価値相対主義に導き、無責任で優柔不断な態度を生み出させはしないだろうか、という疑問が次に生じてくる。
(注3)ちなみに、ラッセルは物質と精神は区分し難く、そこには記述上の差異があるにすぎないという中立一元論に立っている。

3 ラッセルの科学観


 ラッセルは第一次大戦頃を契機として、倫理学説上において主観的情緒説をとるようになり、道徳は、もともと「ある集合本能の産物にすぎず、他人に自己の属する集団の犠牲になることを薦めるもの」と見なされた。しかし、ラッセルは、ファシズムの台頭を見ながら、それを非難する究極的な根拠が「自分はそれを好まないから」というのでは不充分であることを感じはじめていた。彼は「残虐行為は悪である」という陳述が、自分の学説からは「自分は残虐行為はきらいだ」ということ以上を意味せず、悪の客観性を論証しえないことをひどく苦にしていた。論理分析の哲学は、ラッセルの言うように、質問それ自体を明確にすることはできても、それから答えを得ることはできない。こうしたことから、ラッセルは、自らのつくり出した論理分析の哲学の学派にも、決して満足することはできなかった。
 この当時におけるラッセルのファシズム批判は、この近代的な専制体制が個人の自由と創意を圧迫すると共に、国家を好戦的な兵営と化す傾向をもつことに強調点があった。この当時のラッセルの倫理観から、善なる行為は、個人の利益と社会の利益との一致に求められた。一方、人間の行動の起動力として欲望を重視するラッセルは、人間の行為に影響を与えるためには、まず、その欲望に影響を与えねばならないと説いた。
 こうした主張は彼の『宗教と科学』(Religion and Sciecne, 1935)の中によくあらわれている。- だが、如何なる基準にもとづいて望ましい行為が定まるのかという点については、公私の利益の一致という観念以上の解答を示さなかった。というのも、ラッセルは、倫理的な問題における抗争において勝を占めるのは何よりも力であって、客観的価値の存在を認めることによってではないと力説する現実主義者であったからである(松下注:現実はそうなっているといっていのであり、それがいいといっているわけではないことに注意)
 しかし、彼も後に至って、この客観的価値の存在を肯定しはじめるようになる。第二次大戦後、核戦争の脅威が高まるにつれ、ラッセルは、「競走より協力を」の理念を強く打ち出し、それはやがて、「人類の生存の目的はすべてに優先する」という、イデオロギーや国家の利益を越えた最大公約数的な倫理目的を提示して平和を呼びかけるに至った。ラッセルは科学を全く倫理的に中立的なものと見たが、それは科学が事実についての一般法則を解明する一方、倫理的に何らの示唆を与えるものではないと考えたためである。もちろん、ラッセルは、科学が人間の諸行動のかなりの部分について、法則性を見出すことを可能ならしめるだろう、と考えており、それが同時に倫理学の科学性を高めるだろうと予想している。

4 科学の善用

 ラッセルは『科学的展望』(Scientific Outlook, 1931)において、ヒューマニズムを失った科学的専制国家の未来の恐怖を語り、また彼の小説のあるもの- たとえば「ザハトポルク」(『ラッセル協会会報』第5号掲載・拙稿)もそうした世界を描き出しているが、今日では、彼の最も憂慮する未来像は、核戦争による人類の死滅の姿である。
 ラッセル=アインシュタイン宣言をはじめ、数々のたゆまない彼の平和運動の実践は、こうした緊迫した課題に対決すべき科学者の理想像を自ら卒先して示したものと言えよう。
 ラッセルは「科学と人間社会」(Science and Human Life, 1955)の中で次のような意味のことを述べている。
「科学者は科学のもたらした恐るべき諸結果に対し、責任を担わねばならない。科学の力が悪用されないように努めねばならない。今後科学は人間をより協力的なものへと改造してゆくために用いられねばならない。鎖につなぎとめるべきものは、人間の破壊的情熱である」

ラッセル英単語・熟語1500
 ラッセルは科学が有益に用いられる必要を痛感し、科学を善用することによって、必ず人類の三大難問、即ち、資源の窮乏、人口の増大、戦争、を消滅させうると信じている。彼は、われわれが狂信に駆られて破壊的な行動を起すことを戒めると同時に、科学への過信によって科学的価値相対主義にかくれた責任回避と傍観者的態度に陥らぬよう戒めている。『科学の社会への衝撃』(The Impact of Science on Society, 1952)の中でラッセルは、狂信と並んで危険な現代病として無関心 listlessness をあげている。これこそ今日の科学者、知識人が心すべき問題であろう。目前の不正や悪を見ながら、なお逡巡し、科学の没道徳性の口実のもとに権威に迎合し、私利私欲に走るといった似而非科学者からは、ラッセルは、およそ程遠い人である。ラッセルは科学的な理論家であると共に、不正と圧迫に敢然と挑戦する実践運動家である。

5 むすび

 すでに述べてきたことからも知れるように、『二人のラッセル』という見方では正しいラッセルの姿をとらえることはできない。そればかりか、『二人のラッセル』説は、何か分裂症的な性格をすら想い起こさせる。今日、94歳の長寿を保ち、なおも精力的に活躍しつづけるラッセルのうちに、われわれは、人類の未来について深刻に憂う一人の情熱的な科学者の姿を見るのである。

(付記) 以上のような簡単なスケッチのみでは、ラッセルの真意は仲々図り難いと思われますので、関心のおありの方は是非次の論稿を御参照下さい。
・拙稿『政治理論の哲学的連関に関する一考察-バートランド.ラッセルを中心として』(一)及び(二)(『同志社法学』第97号及98号)