バートランド・ラッセルに関する徒然草_2009年04月
「ラッセル徒然草」では、ラッセルに関するちょっとした情報提供や本ホームページ上のコンテンツの紹介、ラッセルに関するメモや備忘録(これは他人に読んでもらうことを余り意識しないもの)など、短い文章を、気が向くまま、日記風に綴っていきます。 m
↑(最新の日付のものがいつも先頭です!)
[索 引]
2009年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2008年へ
ラッセル徒然草_2009年04月
[n.0059:2009.04.30(木) 昔の(?)朝日の論説委員はラッセル・ファンが多く・・・]
(故)笠信太郎(初代ラッセル協会会長、朝日新聞論説主幹)の影響も大きいと想像されるが、以前は、朝日新聞の論説委員等にラッセル・ファンが多かった。(故)森恭三論説主幹もそうだった。
ラッセルは、「天声人語」にもこれまでに数回引用されており、このホームページでも下記のように5件紹介している。
- 狂気の時代には、正気なことを言う者が狂気じみた人間にされ・・・(深代惇郎)
- 五月のゴールデン・ウィークにはもっと盛大に休もう(ラッセル『怠惰への讃歌』)(辰濃和男)
- 文明が人間のものの考え方まで画一的な型にはめてしまうことの危険を・・・(辰濃和男)
- ロックンロール(ロック)とバートランド・ラッセル(辰濃和男)
- 老いてなお、情熱を燃やし続け・・・(辰濃和男)
最近、名文家で名高い(故)深代惇郎氏(1973年2月~1975年11月1日(=絶筆)まで「天声人語」を担当したが、46歳で急性骨髄性白血病で急逝)もラッセルをけっこう引用しているのを発見した。それについては、本日、「言葉の落穂拾い」で、『深代惇郎の青春日記』の中で引用されているもの(3件)をご紹介した。
と、ここまで書いてきて、上記の5つの文章について、新聞掲載日を頼りに、ウィキペディアで執筆者を調べてみた。その結果(当時の「天声人語」の時期別・執筆担当者一覧から)、上記5件中、4件は辰濃和男(たつのかずお)氏が書いていることがわかり、追記した。→ さらに辰濃氏の著作を調べて見ることにしたい。(2009.05.02 追記:辰濃氏は、1975年から1988年まで「天声人語」に執筆を担当されている。ところが1976年から1988年までの「天声人語」で'人物'を扱ったもの約300人分を収録している『辰濃和男の天声人語-人物編』(朝日文庫 た20-1)には、バートランド・ラッセルについてふれたものは収録さていない。収録されなかった理由は、このホームページで紹介した4件はラッセルの'言葉'を引用しているが'ラッセルその人'を主題にしていないためだろう、と推測される。)
私が若い頃は、朝日新聞は知性派・良識派を代表し、新聞記事の内容やレベルも優れていた。しかし、だいぶ前から、朝日新聞関係者のスキャンダルなどがかなり報道されるとともに、新聞記者の質や記事のレベルが落ちてきているように思われるが、気のせいだろうか?