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森恭三「バートランド・ラッセル氏との対談」

* 出典:森恭三『ヨーロッパ通信』(みすず書房,1959年8月)pp.140-143.
* 森恭三(1907~1984年)は、神戸市生で、1930年に東大法学部卒業し、朝日新聞入社。ニューヨーク特派員(1937~1942年)、ヨーロッパ総局長(1952~1959)を経て、朝日新聞論説主幹。氏はラッセル協会発起人の一人。森恭三関係文書は、東大経済学部図書館で所蔵している。)

森恭三氏の1958年頃の肖像写真  ぞうげの塔にこもらず、現実問題と取り組みながら、理論を発展させてゆくところに、イギリス学界のよき伝銃がある。哲学者バートランド・ラッセル氏は、あらゆる意味で、イギリスの伝統のなかに生きている。上院に議席を持つ伯爵でもある。最近数年来、ウェールズの片田舎に引込んでいるが、じっとしてはおれないと見えて、時々ロンドンに出てくる。その時の住居は、テムズ川沿いの典型的な中流階級の、つつましいフラットである。会って見るとイギリス人としては非常に小柄である。85歳とは思えぬ明白なことばで、静かな情熱をもって語った。

[問] ニュー・ステーツマン誌に発表された「アイゼソハワー米大統領およびフルシチョフ・ソ連共産党第一書記への公開状」、とくにその中で提唱された両巨頭会談に対する反応はいかがですか。(* 注:ラッセル氏の公開状に対するふるしちょふ・ソ連共産党第一書記の回答は、1957年12月21日付の英誌ニュー・ステーツマンに掲載された。その内容は、同年12月に開かれたソ連最高会議のおける平和提案の内容と同じもので、資本主義と共産主義の首脳会談、二つの体制をお互いに認め合い、戦争を非合法化するkとなどを骨子としている。)

[答] 米国の雑誌にも転載されましたが、共産側の方がはるかに好意的な反応を示しています。モスクワ・ラジオが放送したそうです。両巨頭「だけの」会談がひつようなのです。この二人が共存の条件について率直に話し合う。中立国にも呼びかけて、国際緊張緩和の方策を提案させる。これはどちらかの一方に有利な提案であってはならない。だから、中立国の選択が重要です。スゥエーデンとインドが共同提案してくれるとよいと思います。ブルガーニン・ソ連首相の手紙(1957年12月13日発表)は、いいことをいっているのだが、西側としては受入れられないでしょう。西側の中距離弾道兵器(IRBM)基地を放棄させることによって、ソ連が軍事的に非常に有利になるからです。

[問] 科学の進歩に比べて政治は非常に遅れています。人類破滅の危険をだれもが痛感しながら、、その方向に向って走っている。疑いと恐怖の悪循環を断ち切るためには、どうすればよいとお考えですか。
[答] 唯一の方法は、世界政府をつくり、これに武カを独占させることです。各国は国内治安を維持するための警察力を持たねばならぬが、他国を攻めるに足る武カを持つことは許されない。多くの人は、世界政府を夢だというが、紙の上の協定によって平和が保てると考えるのは、それこそ夢ではありませんか。力によって平和を築くことはできません。しかし軍縮討議では、双方とも相手が拒否することが絶対確かな案のみを提案し合っている。最初になすべきことは、善意を作りだすことであって、それができねば人類は絶滅するほかありません。

[問] しかしわれわれは、世界政府を夢見ることもできないほどはるかに低いところで悩み苦しんでいるのです。私はイギリスが水爆競争から手を引く模範を示してくれたら、進歩へのきっかけができるのではないかと考えていました。
[答] 私もイギリスが率先してそれを実行すべきだと思います。もちろん水爆を持つ国が全くなくなるといいのですが、これはユートピアでしょう。現在一番重要なことは、水爆を持つ国をふやさぬことです。小国の中には、核兵器使用の誘惑に抵抗できぬものが出てくるかも知れません。しかし、米ソ両陣営のどちらにも組しない国は、公平な提案をすることができるでしょう。しかしその際、イデオロギーの相違を決して問題にすべきではないと思います。理想主義的ではなく、現実的な生き方が必要です。

[問] 米ソ両巨人が、いずれも救世主的な物の考え方をする国柄であることは、世界にとって大きな不幸です。共産主義の脅威は、主として、軍事面政治面の、どちらにあるとお考えですか。
[答] 政治的問題があるとは考えません。共産主義になりたい国はそうする自由があり、共産主義を放棄したい国はそうする自由を持つべきです。共産主義は間違っており、したがって打倒すべきだというような伝道意識は捨てねばなりません。私自身は共産主義を好まない。それは圧制と残虐をもたらすからです。資本主義にせよ、共産主義にせよ、自分の体制がすぐれていることを確信するからといって、そのために世界を破滅させるのはバカげたことではありませんか。共存は完全に可能です。キリスト教徒と回教徒は、七百年間も戦ったあげく、戦いの無益を悟ったのです。

[問] 伝道意識はだんだん薄れていくとかお考えですか。
[答] そうです。しかし軍事的脅威がつづく限り、ダメでしょう。現在キリスト教の宣教師は、武器を背景として伝道しているわけではありません。両体制の宣教師が、それぞれ相手の国に行くのを許し、説得によって改宗させるよう、伝道させればいいのです。人間が何を信ずるかは問題ではなく、信じ方が問題なのです。人に強制を加えたくなるような信じ方をすべきではない。現在ロシア人は、西からの絶えざる脅威の下に狂熱状態をつづけている。脅威がなくなれば教条主義を捨てるようになるでしょう。

[問] 資本主義も、共産主義も変らねばならないし、それぞれに変りつつある。この変化がよりよい一つの文明へと発展してゆく可能性をお考えになりますか。
[答] 二つの体制は互いに似てくるだろうしそれを希望します。しかし意見の対立は、常にあるでしょう。また意見の対立がなければ、生命の失せた教条主義におちいることになります。対立によってはじめて思想は発展する。しかし思想は武力を背景としてはならないのです。両体制とも、個々の人間が自分の意見を持つ自由を許さねばならぬ。西は民主主義を信じ、東は独裁を信ずる。これは重要なことです。(皮肉な調子で)われわれといえども、独裁が可能であった時代には、たとえばインドやアフリカでは独裁を決して有害とは認めてはいませんでした。民主主義は、政治的に大人になった国には適しているが、そうでない国ではどんなものでしょうか。

[問] あなたは、日本の政治の根本問題に触れてきました。民主主義は多数決だと数学的(数字的)に考えられがちです。実はブラス・アルフアが必要なのです。たとえば寛容の精神をとり入れることは、容易な業ではありません。
[答] 多数派が少数派にたいして非寛容であれば、少数者もまた同じ態度をとり、多数にとって幸抱できない状態をつくり出すでしよう。英国民主主義の伝統である寛容の精神は、このような経験の集積なのです。私は、日本が民主主義的に十分おとなになった国だと考えていました。

[問] そうありたいと願っています。最後に日本の在り方、中立主義についてどうお考えですか。
[答] 日本はアメリカによりかかっているのではありませんか。しかし、たとえ中立主義をとっても、戦争が起これば、放射能などのため非交戦国といえども当然惨禍を免がれえません。戦争の防止が最大の任務なのです。中立主義が、このための正しい政策であるかどうかは私にもわかりません。日本政府としてなしうることはあまりなさそうです。日本としてなしうることがあるとすれば、国際問題について広い知識を持った人々が協力し、私がはじめに述べたような、米ソの緊張緩和への提案を推進することだと思います。(1958年1月)