バートランド・ラッセルに関する徒然草_2009年02月
「ラッセル徒然草」では、(あくまでもラッセルに関したものという限定のもと)ラッセルに関するちょっとした情報提供や本ホームページ上のコンテンツの紹介、ラッセルに関するメモや備忘録(これは他人に読んでもらうことを余り意識しないもの)など、短い文章を、気が向くまま、日記風に綴っていきます。 m
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ラッセル徒然草_2009年02月
[n.0057:2009.02.19(木):「(n.0015:2008.01.19)ラッセルの著作における「版」と「刷」の違い」への補記]
R徒然草n.15で、次のように書きました。
「よく知られているのは、たとえば、Marriage and Morals, 1929 の初刷~第5刷(?)までと6刷では、一部記述が異なっている。よく言及される箇所は、5刷までは黒人とそれ以外(白人、黄色人種)との間には知能の面で差異があるかのごとく書かれているところがあり、知人に指摘されて、ラッセルは第6刷(?)から修正している。」
ところが、
一度掲載した後、誤って「ところが」以降を削除してしまいました。元原稿を保存していないので、残念ながら、このままにしておきます。
[n.0056:2009.02.02(月)『ラッセル幸福論』は哲学書?]
岩波書店の1月の新刊案内だったか、岩波ジュニア新書(中高生向け)の一冊として、左近司祥子(編著)『西洋哲学の10冊』という本が出版される予定であり、その本の中で、ギリシャから現代まで,10冊の本(10冊目にラッセルの本)がとりあげれていると書かれていた。(ちなみ紹介されているのは、プラトン,アリストテレス,アウグスティヌス,デカルト,カント,ルソー,ニーチェ,ベルクソン,ハイデガー,ラッセルの10人の著作)そこで昨日の日曜日、書店で'立ち読み'してみた。
驚いたことに、とりあげられているラッセルの著書は『幸福論』であった。『幸福論』はお薦めの、大変有益な本だと思うが、哲学書ではないので、意外であった。また、この本がきっかけでラッセルの他の著作を読む人が増えればよいかもしれないが、反面、ラッセルの哲学はこんなものかと即断する人が少なからず出てくる危険性もあると思った。
著者の'小島和男'という人がどのような人物か知らないため Google で検索してみたところ、1976年生まれで、学習院大学の博士課程で博士号(課程博士)を取得したギリシア哲学の研究者と書かれていた。ギリシア哲学専攻であれば、(ソクラテスやプラトンの思考スタイル・執筆スタイルから考えれば)ラッセルの『幸福論』を哲学書として紹介するのもわかるような気がした。そういえば、法政大学であったか、最近、大学哲学科の入試問題でこのラッセルの『幸福論』について論じさせる出題があった。
中高生に薦める以上当然のことであるが、好意的な記述がされており、中高生にも理解できるように分かり易く書かれている。しかし、立ち読みしていて、本書に書かれている幸福になるための(また不幸にならないための)処方箋は、ラッセルのように才能があり、環境のめぐまれた人には有効であっても、大部分の平凡な人間はラッセルの『幸福論』の処方箋に従っただけでは幸福になれるわけではない、と書かれているのが気になった。
もちろんそういった見方もあるだろうが、その反対の見方もある。即ち、ラッセルが書いている'処方箋'に忠実に従えば、大部分の普通の人々はかなりの確率で'幸福な人生'を送ることができるが、ラッセル自身は、'通常の人間の幸福'では満足できない(また、不幸になるとわかっていても普通の人と同じ行動をとることができない)ために、あえて不幸になる道を選ぶ・選んだことも少なくなかった、とも言えるだろう。
次のテレビ対談でのラッセルの発言はそれを例証している。
聞き手:「頭がよくなるとそれだけ不幸になるとしたら、どうなさいますか?」
ラッセル:「たとえ不幸になるとしても、もっと頭がよくなりたいですね、そう、そのほうがいいです。」