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バートランド・ラッセル 徒然草 2009年8月

★「ラッセル徒然草」では,ラッセルに関するちょっとした情報提供や本ホームページ上のコンテンツの紹介,ラッセルに関するメモや備忘録(これは他人に読んでもらうことを余り意識しないもの)など,短い文章を,気が向くまま,日記風に綴っていきます。 m
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索 引

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ラッセル徒然草_2009年8月

[n.0065:2009.08.25(火)「ポール・ジョンソン(著)『インテレクチュアルズ』(共同通信社,1990年9月刊)]
* ポール・ジョンソン(Paul Johnson, 1928年~ ):カトリック教徒で,イエズス会の教育を受けた後,オックスフォード大学卒。ジャーナリスト(ニュー・ステイツマンの記者及び編集長)を経て,評論家として活躍。2006年には,(キリスト教原理主義者の)ブッシュ大統領より,米国の最高勲章である,大統領自由勲章を授与されている。

 ラッセルを批判している著作を一つご紹介。


ラッセル関係電子書籍一覧
 ラッセルは1970年2月2日にインフルエンザに罹って97歳7ケ月で死ぬ直前まで,公的活動を行った。最後の公的活動となったのは,1月31日に書かれた(1970年2月にカイロで開催された)世界国会議員会議へのメッセージの執筆であり,98歳とは思えない明晰な文章を書いている。

 ラッセルの思想や意見は,長い生涯のなかで,様々な変遷をとげている。自分の意見が間違っていたということが分った時や,意見が変わった時には,ラッセルは,大体において,早めにそのことを公言している。しかし徐々に意見が変わった場合には,発言に混乱が見られたり,第三者から見ると矛盾したことを言っているように見えたりする。

 論理学や理論哲学のように,純理論的な意見の変化の場合には,意見を変える(まちがいを正す・認める)ことに対して非難はあまりない。しかし,政治的な発言,特に戦争と平和の問題に関する意見の変遷や発言の矛盾に対しては,強い非難を受けることになりやすい。ラッセルは東西両陣営から,持ち上げられたり,強い批判を受けたり,毀誉褒貶がはげしく,ラッセルを全体的かつ客観的に評価することは非常に難しい。

 英国のジャーナリスト,ポール・ジョンソンの『インテレクチュアルズ』は,ラッセルやサルトル,ルソー,シェリー,マルクス,ヘミングウェイなど,古今東西の著名な知識人(12名+α)をとりあげ,それら知識人の思想や発言の矛盾などを,膨大な資料をもとに指摘している。(それにしても,槍玉に上がっている知識人は'無神論者'が多い。ジョンソン氏はカトリック教徒だそうだが,そのことに関係があるのではないだろうか?)ジョンソンは,本書の謝辞のなかで,「・・・一流知識人が,道徳や判断の面で果たしてその資格があるのかどうかを吟味するものである。事実にもとづき,感情に走らないことを旨とし,できる限り,当該人物の著作,日記,回想録,講演記録を利用した。」と書いている。しかし,「感情に走らずに」と書いていても,いわゆる「進歩的知識人」に対する著者の嫌悪の情は隠しようがなく,第8章でとりあげているラッセルに対しても感情的な言葉がかなり散見される。
 第1章「ルソー」の初めの方で,ジョンソンは次のように書いている。「・・・。今や,っ知識人の記録を,公私両面にわたって,審理すべき時である。特に私は,人類にいかに身を処すべきかを教えた知識人に,倫理,判断に関する資格の有無に焦点を当てたい。彼ら自身はその人生をどう生きたか。家族や友人,仲間に対してどの程度正しくふるまったか。異性関係,金銭問題に不当なところはなかったか。いったい真実を語り,書いたのか。彼らの打ち立てた体系は,いかに時と実践の試練に耐えてきたか。」
 しかし注意しなければならない。俎上にのっている知識人本人が自伝等で書いていても,あるいはその肉親や親戚がインタビューで発言したり,文章を書いていても,事実をありのままに表現しているとは限らない。また,事実を書いている・言っているつもりでも,表現方法が悪く,誤解を与えることもありうる。ラッセル自叙伝の記述も,ラッセルの肉親の証言も,同様である。また,長生きした思想家の場合は,思想や意見に変化がかなりみられることがありうるので,思想が意見が変わったあとのものとそれ以前のもの(それも本人がその事実を認めているもの)との発言の矛盾をついても仕方がないし,フェアではない。ジョンソンはそれらの記録(資料)の扱い方が安易すぎるのではないか?(関係資料(や関係者の発言)の考証が余りなされていないのではないか?)
 以上のことを念頭におきつつ,ジョンソンによるラッセル批判を,以下,少し抜粋してみよう。
  1. (p.316)たしかに,ラッセルは凡人が送るような人生を通じての幅広い経験に学ぶとか,一般大衆のものの見方や感じ方に大いに興味を抱くような人間ではなかった。
  2. (p.318)主要な哲学書の最後の著作『人間の知識』は,1949年(→正しくは1948年)に出版されたが,学界の書評者はこれを本気でとりあげようとしなかった。
  3. (p.322)さらに重大なのは,一般の人々が非理(非合理のこと?)と感情の力に流されていると嘆く当の自分がそうであることを,まったく意識していないのである。(松下注:オットリーン・モレルやルシイ・ドネリ等の恋人や親友への手紙や獄中で嫉妬心にさいなまれたというラッセルの告白を読めば,様々な感情の影響を受けていることをラッセルが意識していることがわかる。)
  4. (p.323)男も女も感情に走らず理性に従い,直感に頼らずに論理をもって語り,極端に偏らず節度を保つなら,戦争など起こるはずもなく,人間関係は円満になり,人類を取り巻く状況は着実に改善されるだろう。(松下注:それは第一次大戦前のラッセルの考えであり,お粗末な断定)。
  5. (p.323)人道主義的な理想論を説くにあたっては,ほかのなによりも真実に重きを置く。しかし,窮地に追い込まれると,うそをついて言い逃れをしかねない--どころか,たいていそうなる
  6. (p.325)やがてアメリカが核兵器の独占を手にしていた1945年から1949年の間,この提案はおそろしいほど強力に再び推し進められた。後になってラッセルは当時の見解を否定しようとしたり,ごまかしたり,言い逃れをしたりしているので,ある程度細目にわたって年代順に整理しておく必要がある。
  7. (p.329)予防戦争にしろ,「赤化(共産主義支配)よりは死」にしろ,ラッセルの口から出るものは,人間性が無視されて論理ばかりが先走り,理性的であるべき議論が過激になってしまった格好の例である。ここに,まさしく,ラッセルの欠点がある。
  8. (p.331)客観的事実に関する関心の薄さ,自分と意見を異にする人間は邪悪な動機に動かされているとい思い込み,そして妄想狂(パラノイア)の兆候が,募りゆく怒りとともに,1960年におもてにあらわれた。
  9. (p.334)水爆反対運動を始めたときには,彼の反米主義はおよそ理性的でなくなり,死ぬまでそうだった。ケネデイ暗殺では幼稚な陰謀説を展開する。そして,水爆問題に飽いてくると--トルストイと同じで,ラッセルの関心も継続期間が短い--ヴェトナムに目を移し,アメリカの行為に対する世界的な中傷作戦の音頭取りになった。
  10. (p.335)秘書のシェーンマンに煽られ,ラッセルはやすやすととっぴな捏造の虜になった。
  11. (p.337)しかし,ラッセルは年をとるにつれ,その前の時代のヴィクトル・ユーゴのように,ますます好色となり,自分の都合のよいときだけにしか社会の法則に従わなくなっていった。
  12. ソ連のチェコスロヴァキア侵入のとき,他の大勢の作家とともにラッセルは抗議状にサインを求められた。私はこれを「タイムズ」紙に載せる仕事をしたが,習慣的にアルファベット順に書名を並べ,発信人は「キングスレイ・エイミスほか」とすることになっていた。私(=本書の著者ジョンソン)は,「メリット叙勲者ラッセル伯ほか」としたほうが共産主義者に与える効果が大きくなると考え,「タイムズ」抗議状編集者も同意見だったので,そのように変更することになった。しかし,ラッセルはこの些細な変更に気づいて腹を立て,抗議の電話を掛けてきた。ようやく,印刷所で「ニュー・ステイツマン」の印刷にかかっていた私をつかまえ,わざとたくらんで,彼(ラッセル)自身が手紙を組織したような誤った印象を与えようとしたのだろうと言う。私は,いやそんなことはない,ただ手紙に最大限の効果を与えたいだけと答えた。「ともあれ,この手紙にサインするのに同意なさるんでしたら,名前が一番はじめにきたって別に構わんじゃないですか。論理的じゃないですね」。「屁理屈屋!」。ラッセルは声を荒らげ,ガチャンと受話器を置いた。(松下注:本人の了解をとらずにやるのはジャーナリストとしてのマナーがないのではないか? 自分には甘すぎないか?)
 ジョンソンは,ラッセルに対する好意的な評価をほとんど書いていないが,めずらしく好意的な記述が一つあったのでご紹介しておく。
  1. (p.318)みごとな概説『西洋哲学史』はそれまでに書かれたこの種の研究のうちでもっとも優れたもので,世界中でベストセラーになるだけの価値を持っている。学者仲間はこの評判の著書を批判し,遺憾のポーズを見せ,おそらくはねたみもした。(松下注:面白く,大胆に書いているために,哲学の専門家でこの本を貶す人も少なくない。)

 ところで,本書の表紙・内扉・奥付には,別宮貞徳(訳)と書かれている。別宮氏は,誤訳の指摘をずっとされている方であり,私も別宮氏の著作を数冊愛読させてもらっている。しかし,「訳書あとがき」には,本書を実際に訳したのは,別宮氏が指導しているバベル学院の弟子8名であると書かれている。ただし,別宮氏は,監訳者として,「すべて原文と照らし合わせて,誤りを正し,文章を修正するなど,監訳者としての責務は遺漏なく果たしたつもりである。ただし,いつも同じ弁解になるが,それはなかなか言うに易く行うに難いもので,ある程度の妥協がどうしてもでてしまう。文体,用語の不整合,訂正漏れの誤りなどがあれば,僕の責任とお考えいただきたい。」と書いておられるので,文体や用語の不整合を気にしなければ,訳は安心してよいだろう。

 最後に,本書を実際に読まれる方のために,(ジョンソンの原文が間違っているかも知れないが)誤記や不適切な訳(誤訳とまでは言えないもの)と思われるものを以下,参考まで,あげておきたい。
(p.318)『西洋哲学史』(1946) → (1945)/ 『人間の知識』(1949) → (1948)
(p.319)罰金千ポンド → 罰金百ポンド(原文が間違っているかもしれないが,これは大きな間違い)
(p.324)「ローガン・パーサル・スミスのと結婚」 → 「・・・と結婚」
(p.338)「自分(アリス)は弟のところにいって暮らすことに同意した。」 → 「・・・のところに・・・」
 *そのすぐ後ろに,アリスがラッセルに百ポンドを提供したいという文章が続くが,これが上記(p.319)と対応するため,「千ポンド」というのは大変まずい,不適切な訳となる(原文が間違っているのかもしれないが)。
(p.346)ロンドン経済大学 → London School of Economics and Political Science(通称: LSE) は,経済学だけでなく,政治学も主な研究分野であるため,少し不適切と思われる。ロンドン政治経済大学もピンとこないが・・・。
(p.561)注5 The Principles of Mathematics ・・・出版されたのはようやく1930年になってからである。 → 1903年の誤記(あるいは原文の誤り?)
     注13 Dewy → Dewey

[n.0064:2009.08.09(日)「イアン・ジェイムズ(著)『アスペルガーの偉人たち』]
* イアン・ジェイムズ(Ioan James,1928年-):数学者。オックスフォード大学名誉教授

 病理学者による天才の病理の分析・紹介はめずらしくないが,本書は,病理学者ではなく,アスペルガー症候群の患者だった数学者による,アスペルガー症候群の可能性が高い'偉人たち'の病理を分析・紹介した本である。従って(本人も同病であるため),天才や偉人といわれる人々の病的な行状に対して一見厳しい目で見ているようで,同病相哀れむの感もある。
 本書でアスペルガー症候群の可能性が高いとしてとりあげられている'偉人'は,次の20名である。
  • 哲学者(3人):バートランド・ラッセル,ウィトゲンシュタイン,シモーヌ・ヴェイユ
  • 数学者(2人):アラン・チューリング,ラマヌジャン
  • 自然科学者(4人):ニュートン,キャベンディッシュ,アインシュタイン,キンゼイ(=性科学及び生物学)
  • 文学者(2人):スイフト,パトリシア・ハイスミス
  • 芸術家
     画家等(3人):ミケランジュロ,ゴッホ,アンディ・ウォーホル
     音楽家(3人):エリック・サティ,バルトーク,グールド
  • 政治家(1人):ジェファーソン,
  • 社会改革家(1人):ジョン・ハワード
  • 王侯貴族(1人):スペイン王フェリペニ世
  •  天才と言われた人や偉大な業績をあげた「偉人」には,'正常な'人間を基準に考えれば,'異常'あるいは'病的'と思われる現象が多々みられる。もちろん,「異常な」傾向は,多少なりとも誰にもあるので,「病的」でなければとりあげる意味は余りないであろう。天才と言われた人で,統合失調症,うつ病,躁うつ病などの,精神的疾患にかかっていた人は少なくないが,「誤診」もあると思われる。
     上記にあげられた人々が本当に「アスペルガー症候群」かどうか判断するためには,アスペルガー症候群の定義をしっかりする必要があるとともに,該当の人物をアスペルガーだと判断した事実(言動やその証言)の解釈についてもよく吟味(再吟味)を行う必要がある。
     著者(のジェイムズ)は専門の医学者・病理学者ではないので,ある程度は割り引いて考える必要があるが,彼によれば,多くのアスペルガー症候群の研究者が一致しているアスペルガー症候群の主な特徴(あるいは症状)は,以下の5つである。(これは,章末の「まとめ」のところに書かれている。これ以外に「運動の不器用さ」というのもあるそうだが,これについては,専門家の意見はかならずしも一致していないとのことで,ここではあげないことにする。)
     精神的な病(疾患)の場合には,先天的つまり遺伝的な要素や原因が大きいと思われ,その結果として,脳の特定の部位に通常の人とは異なる障害(損傷・機能不全)が発生していると想像される。後天的な要素はよほど強い精神的ダメージによって脳に損傷が起きるということがなければ,余り考える必要はないと思われるがいかがであろうか?
     アスペルガー患者の脳波を映像化し,患者共通の脳波の特徴を見せてもらえれば,納得しやすく,誤診はないだろう。しかし,そういうわけにもいかないので,とりあえず,下記の5つの特徴をそのまま受け取ることにする。なお,(  )内の記述(半角文字のもの)も,本書の最終章の「まとめ」の部分から抜書きしたものである。
    1. 社会的能力の欠如(人と相互にかかわりあうための社会的能力が大きく阻害されている。/そのために,他者の感情を察知できず,情緒的にも社会的にも適切でない行動をとってしまう。他人に好かれたい,社会の一員になりたい,周囲の人に受け入れられたいという強い欲求があるにもかかわらず,友情を保っていくのが非常に難しいと感じる。友人関係は突如として「すべてか無か」というほどの極端な冷淡さで断ち切られる。/ラッセルは親類や友人たちも含め,どんな相互関係も維持できず,彼を知る人は,ラッセルには通常の人間の持つ温かみや感情に欠けているのだと感じていました。・・・。ラッセルの態度は「形式ばって,丁重で古風」でした。・・・。ラッセルは生涯を通じて,孤独と寂しさを痛烈に意識していました。最初の3人の妻たちとの結婚生活は,精神的搾取,残酷さ,悪意,理解と愛情の欠如ゆえに破壊されたようなものでした。
    2. 狭い範囲の興味への専心(アスペルガー症候群の人は,自分が興味のある数少ないものごとに没入してしまい,限られた関心事に集中するあまり,そのほかの活動の時間はほとんどないのも同然です。また,興味の内容やその現れ方には繰り返しの傾向が認められる。/ラッセルの娘の話によると,ラッセルは汽車の時刻表が特に好きだったそうです。数学的正確さに対する彼の情熱的な探究心も,脅迫的なこだわりと関係するのでしょう。
    3. 反復的な日常行動(ここでいう「反復的な日常行動」とは,具体的には日課や儀式,ある種の興味などを,自己や他人に不当なまでに押し付けることをさす。自分たちの期待に沿わなかったり,日課がいつもどおりに果たされなかったりすると,たちまち動揺する。・・・。アスペルガー症候群の人々は概観には頓着せず,時と場所にかかわらず同じ服装をする傾向がある。/ラッセルは恐ろしいほど時間に正確で,すべてのものがあるべき場所に収まっていなければ気がすみませんでした。
    4. 話し言葉と言語の奇妙さ(アスペルガー症候群の人々は,抑揚や強弱のおき方が奇異で,話すときにも書くときにも学術的な言葉遣いをする傾向がある。・・・。アスペルガー症候群の人はしゃべりすぎるか,ほとんどしゃべらないかのどちらかになりやす,早口になたったり,話の統制がまったくとれなかったりする。/ラッセルはあえて意図したかのように単語を明瞭に発音し,表現も(日常会話としては)正確すぎる印象があった。
    5. 非言語コミュニケーションに関する問題(彼らのボデイ・ランゲージはかなり貧弱で,堅苦しくじっと座っているだけだったり,座ったまま身体をゆすったり,緊張や悲しみを感じたときには手をバタバタ振ったりします。また,ずっと表情を変えずに遠くをみるような顔つきをし,視線も奇妙にこわばっていて,奇妙な印象を与える。/ラッセルも変った硬直した目つきをしていました。
     上記の抜書きのラッセルに関する記述(茶色の部分/本書の「まとめ」の部分から採録)は,Ray Monk の『ラッセル伝』(2冊本)から情報をとったものが多く,納得いかないものが少なくないが,ここではコメントするのはやめ,本書で10番目にとりあげられているバートランド・ラッセルのところ(邦訳書では,pp.134-147)の記述を抜書きして,それについてコメントを付してみたい。(なお,ジェイムズが参考とした主な文献が章末にリストアップされている。ジェイムズが一番参考にしたのは『ラッセル自伝』とレイ・モンク『バートランド・ラッセル』と思われるが,どういうわけか(入手できなかったのか) R. Clark の『ラッセル伝』(R. Clark's The Life of Bertrand Russell. Jonathan Cape, c1975. 766pp.)を参照していないようである。
  • この症候群の中心となる,社会的孤立や孤独癖,感情的なやりとりに無関心で孤高の人として特定の興味をひたすら追及するという傾向 → これについてはそのとおりであり,異論はない。
  • 自分がアリスをもう愛していないことを悟ると,ラッセルは妻に対するありとあらゆる不満を並べたて,まったく思いやりのない態度と口調で愛情がなくなったことを伝えた。(ベアトリス・ウェッブは,アリスを慰めて次のように言っている。「バーティ(B.R.)は,常に完璧を求めなければ気がすまない哀れな性格の男です。彼が信じているのは,絶対的な論理,絶対的な倫理,完璧な美--,しかも,すべてにおいて非常に洗練された高い水準を求める。・・・。こんなふうでは,ラッセル自身の未来だけでなく,彼が愛し,また彼を愛する人々の将来のことを考えるとゾットします。」 → 第一次世界大戦によって,ラッセルの他人に対する態度はかなり変貌する。それ以前のラッセルの性格や他人に対する態度の描写としてはあたっていると思われる。
  • ラッセルは女性参政権を主張しながらも,女性の知力は男性に比べて劣っており,妻になり母になることが女の主たる役目だと考えていたのです。 → ラッセルは,生まれつき男性が女性より知力がすぐれていると考えていたのではなく,出生後の教育や環境によって,結果として女性は男性より知的に劣った状態になっていると言っている(参考)。また,一般論としてどう考えるかということと,ラッセルが「自分の」妻に対してどのような役割を期待するかということとは異なった問題であり,ラッセルがドラに対して母親としての役割を期待したとしても,「女性の主たる役目は母親になることだ」と主張していることにはならない。
  • 人との関係が行き詰ったと感じるたびに,ラッセルはそれを修復しようと努力する代わりに,その関係から逃げだすことしか考えませんでした。おそらくは'共感能力の欠如','非常さ','利己的な悪意'などがそうさせたのでしょう。 → 前半の記述はそうだろうと思いますが,後半は少し「決め付け」(言いすぎ)ではないか。
  • モンクは,ラッセルのことを「亡霊。周囲の人と部分的にかかわるだけの,確固とした実体のない存在。どんな人もありのままの姿で受け入れられない性格が,ラッセルをして,温かみと感情の欠けた死んだも同然の人間にしたのだ」と評しています。 → ラッセルを良く思っていない親族を中心に取材すればこのような結論になるのであろう。親族や関係者のなかには,ラッセルを慕っていた,また尊敬していた人間も多いということは忘れてはならないだろう。(参考:ラッセル卿の孫娘,焼身自殺-インドシナ戦に絶望?
  •  ラッセルの発言は,非常に率直に言っている場合と,率直にいっているように見えるが皮肉がこめられていて,そのまま受け取ると誤解する危険がある場合がある。後者が曲者である。後者の解釈の仕方によって,ラッセルの(発言の)解釈がかなり違ってきてしまう可能性がある。ラッセルは冗談をこめて言ったつもりが字句どおりに受け取られてしまい誤解を与えてしまったことも少なくなく,『ラッセル自叙伝』にも少し書かれている。モンクはラッセルの家族や親族の多数に取材しているが,彼ら(彼女ら)の発言が全て正しいとは思われず(あるいはラッセルを誤解して発言している可能性もあり),よく考えてそれぞれの証言を吟味する必要があるだろう。

     芸術家の場合は,病的であっても,作品の評価にはほとんど影響しない。また,科学者でも,自然科学者や数学者・論理学者などの場合は,たとえ特定の精神疾患にかかっていてもその業績の評価にはほとんど影響しない。しかし,ラッセルのように数学者や論理学者というだけでなく,哲学者,社会思想家,著作家でもある場合は,特定の精神疾患にかかっている場合,著作内容についても,どうしても偏見の目で見られやすい。
     ラッセルがアスペルガー症候群患者だったとは余り思えないが,いかがだろうか?