戦争について
- 盲目的な衝動'は戦争の源泉ではあるが、またそれは科学、芸術、恋愛といったものの源泉でもある。・・・。
- 戦争、虐殺、迫害は、すべて退屈からの逃避の一部(→逃避から生まれたもの)であり、隣人とのけんかさえ、何もないよりはましだと感じられてきた(n.163に拡張版)。
- いかなる国家も,国民としての誇りを助長したいと望んでおり,この国民的誇りは偏見のない歴史(教育)によってはなすことができないという意識を持っている。
- 第一次世界大戦中,ケンブリッジ大学においてさえ,'知的誠実さ'に限界があることを発見したことは,私にとって打撃であった(注:戦争勃発前は,ラッセルが戦争反対の署名運動を行い,多くの仲間が署名して賛成していたにもかかわらず,戦争が始まると,ほとんどが戦争賛成に変わってしまったことを指している)。
- 正義と不正は,一緒に取り上げなければならない。
- 哲学者や政治家のなかには,国家は単に市民の福祉の手段としてばかりではなく,それ自体として優れた点をもち得ると考える人たちがいます
- 超大国(強国)は,今のところ,その気になればいつでも,他の(弱小の)国々の成員を殺す特権を持っている。
- だが私は,第一次世界大戦が勃発した時のことをはっきり覚えている。
- 私は愚かにも(甘い考えで),ほとんどの平和主義者が主張するように,戦争は,専制的かつ権謀術数に長けた政府によって,嫌がる(気の進まない)民衆に押しつけられるものである,と想像していた。
- 私は,大戦以前には,時々懐疑主義に陥って無力になったり,時々冷笑的になったり,それ以外の時には無関心になったりしたが,第一次大戦が勃発した時には,あたかも神の声を聞いたかのように感じた。
- 1914年のクリスマスの時期に,オットリンの助言で,この絶望感を堪え難いものにしない方法を見つけた。
- 私は,オットリン・モレル夫人によって始められ,第一次世界大戦によって継続された,若返り(回春)の過程を経験した。
- 人間性についての私の考え(理解)も一変した
- 我が国の軍国主義者達は,兵士に投票権を与えることに反対し,成功しています。
- もし毎日30分間黙想し,じっとしていれば,我々は,個人的,国家的,国際的なもろもろのものごとを現在よりももっと正常に取り扱っていけるだろう,と私は確信している。
- 異なった国家政府間の関係が(国際)法によって規制されなければ,即ち,それが人類の一部にどれほど不人気であっても,いかなる国家政府より強力であり,自らの決定を強制できる力で規制されなければ,世界の永続的な平和を望むのは無益である。
- しかし,戦争には反対であるが,各国政府が紛争時において自己の立場の'最終的判定者'である現在のシステムに賛成であるという意見にはいかなる'論理の見せかけ'すらないことは確かである。
- 非暴力による抵抗は確かに重要な役割をもっている。
- (ベルリンの破壊よりも)いっそう弁解できないドレスデンの完全破壊(抹消)を熟視し,私は胸が悪くなった。
- 対ソ封じ込め政策'は,愚かなことだと思った。
- ドイツ政府の敵側(注:連合国側)は,ドイツ人の間で政府に対する不服従行為をしなかったことを(ドイツ人に)有罪の宣告をする理由(弁解)として申し立てたが,もしそのような不服従行為をする兵士が自分たちの側(味方)にいたとしたらその者を(軍法会議にかけて)死刑にしてしまったことだろう。
- ニュルンベルク裁判の判事たちは,ドイツ人たちはドイツ政府に対する不服従行為を人間の品位と人道の名において行うべきであったという信念をもっていた。
- 世界が安定を回復する以前に行われなければならないことが3つある。
- 私たち一行が,ローマから世界政府協会の次の集会が開かれることになっていたパリに飛行機で向かっていた時,その機内でアインシュタイン逝去のニュースが,機長によってアナウンスされた。
- 会場は,人間だけでなく,録音機器や放送機材でギューギュー詰め状態であった。
- 少なくともアメリカにおいて,体制(側)の権力を例証するとても興味深い事件は,クロウド・イーザリー(Claude Eatherly, 1918-1978)の事件である。
- 1966年の夏,広範囲にわたる調査研究及び企画立案のもと,私は全世界の多くの人々に手紙を書き,ベトナム戦争犯罪国際法廷への参加を要請した。
- 私は最初に理性に訴える方法を試みた。
- その後,政府に対する一般市民の不服従運動という方法を試みた。
- 戦争,虐殺,迫害は,すべて退屈からの逃避の一部(逃避から生まれたもの)であり,隣人とのけんかさえ,何もないよりはましだと感じられてきた。
- 私たちは、一方の陣営に対し、他の陣営に対するよりも強く訴えるような言葉は、一言も使わないように心がけよう。
- ・・・。私は以前,この点について,米国政府の核に関する権威筋の主要人物の一人と放送討論を行いましたが,彼は,自分は'きれいな'核兵器(原水爆兵器)の製造法を発見した,またこの目的のための自分の研究は人道主義的動機からなされてきたものである,と誇らしげに言いました。
- その頃には(長男)ジョンはイギリスに戻り,英国海軍に入り,日本語の学習に従事させられていた。
- 正しく思考しようとする欲求は,戦争の情熱を統御するにふさわしい,ということを見出す人々は,その人々自身の正しく思考しようとする欲求が,それ自体一つの情熱となっているような人々だけである。
- 私は,偏見がないということと無知であるということとを取り違えた(混同した)ことはない。
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