バートランド・ラッセル「少年と少女の知能の差」(1932年4月6日)(松下彰良 訳)* 原著:On mental differences between boys and girls, by Bertrand Russell * Source: Mortals and Others, v.1, 1975 |
* 改訳及びHTML修正をしました。(2010.10.2*) ラッセルはごく常識的なことを言っていると思います。もちろん個性の差はありますので,男性的な女性や女性的な男性,また両性具有の男性あるいは女性はいますが,傾向としてみれば,男女の生物学的な差異はありますので,それに関係した得手不得手があるのは不思議ではないと思われます。(2002.06.10)< /FONT> 一世代前のフェミニスト(女権拡張論者)は,男女間に当然ある差異を過小評価し,その差異を,'生れつき'というよりも教育のせいにしがちであった。彼らは,わずかの女性的な専制で男は女と同程度まで有徳になり,わずかな男性的訓練によって,女性も男性と同程度まで知的になると思っていた。このような希望を抱きフェミニストは,女性解放の英雄的な運動に乗り出した。けれども,その夢は今日まだ実現されていない。(確かに)男女間のある程度の同化は果たされた。即ち,(性別による)二重の基準(尺度)はもはや存在しなくなった。しかし,この結果は,若者に関するかぎり,女性を男性の基準(尺度)に近づけることによってもたらされたものであり,女権拡張運動の先覚者が望んでいた,男性を女性の基準(尺度)に近づけることによって実現されたものではなかった(訳注:中野氏の訳は,「婦人解放運動の先駆者が望んでいた,女を男の水準に近づけるというのではなく,大部分は男の水準を女のそれに近づけることで実現された。」となっている。'standard' の訳語が不適切ではないか?)。知能に関しては,男女の生れつきの差異を無視することは,間違いであると思われ始めている。男性が現在受けている学校教育の非常に多くのものが無意味であり,それを女性にも課するのは気の毒である。男性が受ける教育の最も重要な部分は,最も男性的な学問,即ち科学や機械に関係した分野であり,とりわけ女性の興味を喚起することにほとんどいつも失敗し続けている分野である。 最近私は,男女間の差別がないように配慮された環境で育てられた幼い少年と少女の集団を観察する機会をもった。(訳注:ラッセルが創設し経営した幼児学校 Beacon Hill Shcool のことを指していると思われる。)そこでは,男女の別なくまったく同じ教育がほどこされていた。そこでは,両性に提供される教育はまったく同じであった。少年も少女も自由を与えれば与えるほど,より一層少年は男らしく,少女は女らしくなるのを私は発見した。少年は,(授業以外の)余暇には飛行機や自動車や電気といったものについて話をし,少女は人形を好み,玩具の家を組み立てたり,ペットの面倒を見たり,裁縫や手芸といったものを好んだ。少女のより広範な知的興味が喚起されるとしたら,それは物理学よりも生物学を通してであろう。少年と少女の間のこれらの差異は,生得的であり,ほとんど普遍的なものであろう。 この事実から,女性は男性よりも知能の点で劣っているという推論を行うのは愚かだろう。男性は知能の基準(尺度)を決めたが,彼らはそれを本能的に男性に都合の良いように定めてきた。即ち,男たちは,人間の価値を大幅に無視する機械文明を創造した。女性は,もし自由にさせていたら,決して機械を発明しなかっただろうと私は思う。しかし女性が,人類の文明全体に対して自由に貢献できる立場にあったならば,女性は人間の生活の中の価値ある部分を保持することを忘れなかったであろうし,男性のように機械を発明する才能を盲目的に崇拝することによって,道を誤まるようなことはなかったであろう。 初期のフェミニストは,男女は生まれながらにして一様であり,訓育によってのみ差が生じると考えた点で誤っていたと思う。しかし,男女が平等であるべきであり,人類の文明に同等の貢献をすべきだと考えた点で,彼女ら(及び彼ら)は正しかった。女性はこれまで自由でなかったので,女性が本来可能な貢献をこれまで行うことができなかった。女性は男性向けに立案(意図)された教育を課せられてきた上に,上品な淑女たらんとする気持ちのために,女性本来の能力を最大限に伸ばす教育を受けないままでいる。しかしこの事態は急速に改善されつつあり,遠からぬうちに,男性の能力よりも女性の能力に適した重要な点において,女性は,もはや制限を受けず,また(男性の)物真似ではなく,真に創造的な立場にたてるようになると期待してよいだろうと,私は考えている。 |
I have had in recent years opportunity to observe a group of very young boys and girls brought up in a careful atmosphere of sex equality where the education offered to the two sexes is precisely the same. I have found that the more freedom boys and girls have, the more masculine and feminine they respectively become. Boys spend all their leisure talking about aeroplanes and motor cars and electricity, and such topics. Girls like dolls, constructing play houses, looking after pet animals, sewing, arts : and crafts, and so on. If their wider intellectual interests are to be aroused, it must be through biological rather than physical sciences. I think this difference between boys and girls is innate and nearly universal. It would be foolish to draw the inference that female intelligence is inferior to that of the male. Men have set a standard of intelligence and have instinctively set it to suit themselves; they have created a mechanical civilisation which largely ignores human values. Women left to themselves would, I believe, never have invented machines. But if they had been able freely to contribute to the sum total of civilisation, they would not have forgotten to preserve what is valuable in human life and would not have been led astray, as men have been, by a blind worship of mechanical ingenuity. The older feminists were wrong, I think, in supposing men and women to be alike by nature and differing only by training, but they were right in thinking that men and women should be equals and have an equal contribution to make to civilisation. The contribution which women's nature would enable them to make, they have not yet been able to make, because they have not been free. They have been exposed to an education designed for men, and they have been debarred by prudery from the kind of education which would have most developed their faculties. This state of affairs, however, is rapidly improving, and I think we may hope that before many decades have passed women will be in a position to be no longer either restrictive or imitative but genuinely creative in important ways for which their faculties are more adapted than those of men. |
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