愛国心教育(国益の名のもとに) the good of the State


【 バートランド・ラッセル(Bertrand Russell)の言葉 r366-c238】
 教師と対立したものとしての教育当局は,このような長所を持たず,子供たちに「愛国心」,言い換えれば,取るに足らぬ理由から進んで人(=外国人)を殺したり,殺されたりする心を,教え込み,彼らが国のため(国益!)と考えるもののために子供たちを事実上犠牲にしている。’権威’(権力)は監督下にある人たち(子どもたち)のために良かれと祈っている人々の手の中に常時あれば比較的無害であろうが,この結果を確保する方法はまったくわかっていない。
Education authorities, as opposed to teachers, have not this merit, and do in fact sacrifice the children to what they consider the good of the State by teaching them ‘patriotism’, i. e., a willingness to kill and be killed for trivial reasons. Authority would be comparatively harmless if it were always in the hands of people who wish well to those whom they control, but there is no known method of securing this result.
出典: Sceptical Essays, 1928, chap. 13:Freedom in Society

[寸言]
日本では戦死したら「英霊」とされ,国家犯罪が隠蔽される。(国家主義・政治的)愛国心」対「郷土愛や(文化的)愛国心」。
「国益追求」と「地球益と調和する自国利益の確保」。
「教育を国の発展に役立つ国民の養成を第一に考える教師及び権力者」対「一人ひとりの生きる力や想像力・個性の涵養を第一に考える教師及び社会」
XENOPHOB
(Illustration from: Bertrand Russell’s The Good Citizen’s Alphabet, 1953)

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