バートランド・ラッセル『権力』(松下彰良・対訳)
* 原著:Power; a new social analysis, by Bertrand Russell (London; George Allen & Unwin, 1938)総目次
第17章 権力の倫理学 イントロ累積版
- 我々は,これまでの諸章で,権力と結びついた悪徳に非常に多く関心を持ってきたので、禁欲的な(厳しい)結論を引き出し,個人にとって最善の生きかたとして,良かれ悪しかれ,他人に影響を及ぼそうとする試みは全て完全に放棄することを勧めるのが,自然と思われるかも知れない。
- 最も広い意味(広義)での権力愛は,人間の世界であろうと人間以外の世界であろうと,外側の世界に対して意図した効果を生じさせることができることへの欲求である。
- 荒野に立ったキリストが受けた三度目の誘惑は、両者の欲求(手段としての権力を欲求することと権力自体を欲求すること)の区別を例証している。
- 権力愛が(人や社会に)恩恵を与えるものであるべきだとすれば,権力愛は権力(獲得/増大欲求)以外の何らかの目的と結びついていなければならない。
- けれども,武力(強制力)の要素がある程度なければ,文明社会の存在は不可能である。
- 権力愛は,色欲と同様に,人々がそうだと思う以上に(想像する以上に),大部分の人々の行動に影響を与える強い動機(の一つ)である。
- 権力愛がどのような形態をとるかは,その人間の気質と(権力行使の)機会や技能に依存している。
- 機会(確保)の問題には,積極的な面と消極的な面の両面がある。
- 権力愛の形態を決める際の技術(skill 技能)の重要性はとても大きい。
- 説得と強制力とは別ものだというのは,必ずしも真実ではない。
- 権力の倫理学は,ある種の権力を合法的としかつある種の権力を違法として区別することにあると言うことはできない。
- 私としては,善悪は個々人のなかに具体的に表現されるものであって,主として社会の中に表現されるものではない,と考える。
- 論理的に(考えると),欲求(欲望)の対象には,全ての人々が享受できるものがある一方,その性質上,社会(共同体)の一部に限定されなければならないものがある。
- 我々は,今や権力の倫理学という問題について,一定の結論に到達することが可能であろう。