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バートランド・ラッセル 権力 第17章 (松下 訳)- Power, 1938, by Bertrand Russell

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第17章 権力の倫理学, n.11 - 権力行使の是非の判断基準


ラッセル英単語・熟語1500
 権力の倫理学は,ある種の権力を合法的としかつある種の権力を違法として区別することにあると言うことはできない(cannot consist in あるはずはない)。今(直前に)見たように,我々は皆,若干の場合において,本質的に強制力の使用である種類の説得を認める(承認する)。容易に想像される条件下において,肉体的暴力を -殺害すら- ほとんどの人が承認するであろう。(たとえば)ガイ・フォークス(注:1605年発覚したロンドンにおける火薬陰謀事件の「実行」責任者)列車にまさに火をつけようとしている時に,あなたが彼に遭遇したとしてみよう。また,彼を撃って(射殺して)初めて難を防ぐことができたとしてみよう。大部分の平和主義者でさえ,あなたの発砲行為を正しいと認めてくれるであろう。この(種の)問題を抽象的な一般的な原則 -あるタイプの行為を褒め,別のタイプの行為を非難すること- で処理しようとする試みは無益である。(即ち)我々は,権力の行使を,その結果(効果)によって判断しなければならないし,また,従って,まず,どのような結果が望ましいかということについて我々の心を決めなくてはならない。

Chapter 17: The Ethics of Power, n.11

The ethics of power cannot consist in distinguishing some kinds of power as legitimate and others as illegitimate. As we have just seen, we all approve, in certain cases, of a kind of persuasion which is essentially a use of force. Almost everybody would approve of physical violence, even killing, in easily imagined conditions. Suppose you had come upon Guy Fawkes in the very act of firing the train, and suppose you could only have prevented the disaster by shooting him; most pacifists, even, would admit that you would have done right to shoot. The attempt to deal with the question by abstract general principles, praising acts of one type and blaming acts of another, is futile; we must judge the exercise of power by its effects, and we must therefore first make up our minds to what effects we desire.
(掲載日:2018.04.24 /更新日: )