氏 名 | 氏名読み | 生没年 | 専攻等 | 備 考 |
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碧海純一 (写真) | あおみ・ じゅんいち | 1924~2013 | 法哲学 | 東大法学部名誉教授,放送大及び関東学院大教授を歴任。ラッセル協会創設時からの常任理事を務める。/昭和23年東大法卒、1950~1952までハーバード大留学。/発言1 発言2 |
赤井米吉 | あかい・よねきち | 1887~1974 | 教育者、ジャーナリスト | 北陸新聞社長、明星学園創設者、後にふじ幼稚園長。大正新教育の推進者。ラッセル協会の発起人の一人。『原子時代-変わりゆく世界への新しい希望-』の訳者。/遺稿集『この道』。 |
石本新 | いしもと・あらた | 1917~2005 | 論理学、哲学 | 京大動物学科卒、総司令部、文部省勤務を経て、東工大勤務。 発言から |
市井三郎 (写真) ホームページ | いちい・さぶろう | 1922~1989 | 分析哲学、社会思想 | 阪大理学部卒。マンチェスター大学、ロンドン大学大学院哲学科修了。鶴見俊輔らの思想の科学研究会に加わり、『思想の科学』を編集、成蹊大教授。転換期に決定的な役割を果たす「キーパーソン」を重視する歴史観を提唱/講談社版・人類の知的遺産『ラッセル』の著者、ラッセルの Principles of Social Reconstruction, 1916(河出書房・世界の大思想『ラッセル』所収)、A Free Man's Worship, 1902; Why I am not a Christian, 1927; How to Read and Understanding History, 1943(「自由人の信仰」「なぜ私はキリスト教徒でないか」「歴史を読むことと理解すること」→ いずれも河出書房・世界の大思想に所収)の訳者/新聞記事 発言から 著作 |
岩松繁俊 | いわまつ・しげとし | 1928~2020.9.23 | 経済学,平和運動 | 長崎大学名誉教授/1945年8月9日,長崎で被爆。1952年一橋大学卒。1966年,ラッセル平和財団日本資料センター設立。1997年から2007年まで約10年間,原水禁議長を務める。 追加情報(朝日新聞) |
江上照彦 (写真) | えがみ・てるひこ | 1910~1990 | 英米演劇 | 東大経済学科卒、相模女子大学教授、日本放送芸術学会会長、評論家、作家/教養文庫版『結婚と性道徳』の訳者 |
大竹勝 (写真) | おおたけ・まさる | 1909~1993 | 英文学 | 長崎県生まれ。シュラキュース大英文科卒、Ph.D. 東京経済大学教授。日本翻訳家協会事務局長、日本ペンクラブ会員。『宗教は必要か』の訳者。 発言から |
大出晁 | おおいで・あきら | 1926~2005 | 論理学専攻 | 慶應義塾大学及び創価大学名誉教授。 ラッセル関係論文:Principia Mathematica における命題関数I及びII |
大淵和夫 | おおぶち・かずお | 1927~1977.9.19 | 哲学 | 広島県生。京大哲学科卒。高校教師を経て、同志社大学?教授。『自由と組織』訳者。1977.9.19胃ガンにて死亡。『思想の科学』n.82(1977.11)より:「・・・大淵さんは、背が高いうえに、恐ろしく胸板が厚くて、体格が大きかった。一昨年は、欧米にも旅行し・・・」 |
金子光男 | かねこ・みつお | 1919~? | 教育学・倫理学 | 東京文理科大(現筑波大)倫理学科卒/柴谷久雄博士の薫陶をうける。また,藤本一雄博士に師事。東京家政大学名誉教授 追加情報 発言から |
沢田允茂 | さわだ・のぶしげ | 1916~2006 | 哲学、論理学 | 慶応大学卒。慶応大学名誉教授/ラッセル協会パンフレット『ラッセルの論理学』の著者 慶應義塾大学教職員組合初代委員長としての挨拶(動画) |
鎮目恭夫 | しずめ・やすお | 1925-2011.7.28 | 科学評論 | 東大物理学科卒。『人間の知識』の訳者/参考「炊事、洗濯、なんでもござれ 家(ウチ)のパパはお母さん!」(雑誌『微笑』掲載)。 |
柴谷久雄 | しばたに・ひさお | 1910~1996.7.29 | 教育学 | 広島文理大卒。大阪市立教育研究所長、広島教育大学教授、四天王寺女子大教授を歴任。『ラッセルにおける平和と教育』(本書によって広島大学から博士学位授与)の著者。 |
杉森孝次郎 | すぎもり・こうじろう | 1881~1968 | 倫理学 | 早稲田大学教授 追加情報 |
鈴木祥蔵 | すずき・しょうぞう | 1919~2009 | 教育学、部落差別研究 | 関西大学名誉教授、社団法人「乳幼児発達研究所」(現子ども情報研究センター)初代所長 |
谷川徹三 (写真) | たにかわ・てつぞう | 1895~1989 | 哲学、美学 | 京大哲学科卒。ラッセル協会第2代会長 発言から |
土田杏村 | つちだ・きょうそん | 1891~1934 | 評論家 | 1918年京大文卒。西田幾多郎に師事して哲学専攻、大正中期には文化主義を提唱 |
東宮隆 | とうみや・たかし | 1911~1985 | 英文学及び英国思想史専攻 | 東大英文科卒。東工大教授を経て武蔵大学教授。ラッセル協会理事/『懐疑論集』『権力』『ラッセルは語る』(いずれもみすず書房刊)及び『西洋の智恵』(社会思想社刊)の訳者 |
永井成男 | ながい・しげお | 1921~2006 | 科学哲学 | 東京医科歯科大卒+早大文学部卒。科学哲学会委員長を経験。東洋大学名誉教授/早稲田の卒論でラッセルの『プリンキピア・マテマティカ』をとりあげる 発言から |
中村秀吉 | なかむら・ひでよし | 1922~1986.12.25 | 科学哲学 | 埼玉県生まれ。東大数学科卒。金沢大学教員を経て、千葉大学人文学部長。ラッセルの The Problems of Philosophy, 1912(社会思想社・教養文庫版『哲学入門』)、Portraits from Memory, 1956 の訳者(みすず書房『自伝的回想』)及び、An Introduction to Mathematical Philsophy, 1919(河出書房・世界の大思想所収『数理哲学入門』)の訳者/発言から。 |
野田又夫 | のだ・またお | 1910~2004 | 西洋哲学(特にデカルト)専攻 | 京大教授を経て、甲南女子大学教授/私の哲学の発展』の訳者/ラッセル協会発起人. |
橋本峰雄 (写真) | はしもと・みねお | 1924~1984? | 哲学 | 京大哲学科卒。神戸大学教授、京都法然院貫主/仏門に入り西洋哲学を経由した異色の仏教者 |
長谷川如是閑 (本名は長谷川万次郎) | はせがわ・にょぜかん | 1875.11.30~ 1969.11.11 | 評論家、ジャーナリスト | 少年時代に坪内逍遥、中村正直らの塾で学び、イギリス文学、合理主義などの学問を身につける。1898年、東京法学院(現在の中央大学)を卒業。陸羯南(くがかつなん)主宰の『日本』につとめた末、『大阪朝日新聞』に入社。大正デモクラシ運動の論陣を張る。しかし、筆禍事件(白虹事件)の責任をとって大山郁夫・丸山幹治らとともに退社。1919年、大山らと雑誌『我等』を創刊。1934年廃刊までの15年間、国家主義・ファシズムを批判。1946年,貴族院議員として日本国憲法制定に参加、また同年,文化勲章受賞。1954年10月1日,東京都名誉都民となる。(参照「人物書誌体系」第6巻) |
服部弁之助 | はっとり・べんのすけ | 1904~1981 | 政治学 | 早稲田大学教授 |
日高一輝 (写真) | ひだか・いっき 本名=鈴木芳郎? | 1912~? | 平和運動家、ラッセル協会常任理事 | 明治45年1月6日、山形県鶴岡市に生まれる。京都帝国大学法学部卒業後、東京帝国大学で宗教学専攻。外務省勤務を経て、満州国開拓総局広報室長、王道書院大学教授、衆議院考査特別委員会専門調査員、世界連邦日本国内委員会事務局長(会長は衆議院議長)、世界平和アピール7人委員会事務局長、世界連邦世界協会本部執行理事、世界連邦建設同盟理事長を歴任。1959年12月に初めてラッセルに会う。1959年12月~1962年3月まで、ラッセルのそばで平和運動に挺身/『ラッセル自叙伝』(全3巻)、『人類に未来はあるか』、『拝啓バートランド・ラッセル様』、『幸福論(第2部のみ)』等の訳者。追加情報 発言から |
平野智治 | ひらの・ともはる | 1897~1980 | 数学(数学基礎論)専攻 | 東洋大工学部教授、日本工業大学初代学長(1971年)、日本教科教育学会初代会長(1975)/Introduction to Mathematical Philosophy(岩波文庫版『数理哲学序説』)の訳者/ラッセル協会発起人 |
堀秀彦 (写真) | ほり・ひでひこ | 1902~1987 | 教育学 | 明治35年金沢市に生まれる。東大哲学科卒。東洋大学総長、評論家。ラッセルの On Education, 1926 及び The Conquest of Happiness, 1930 の訳者。新聞記事 発言から 『ラッセル幸福論』(角川文庫,n.529)、『ラッセル教育論』(角川文庫,n.775) |
牧野力 | まきの・つとむ | 1909~1994 | 英語教育 | 元ラッセル協会常任理事、ラッセル協会事務局担当 |
三宅剛一 (写真) | みやけ・ごういち | 1895年-1982年10月8日 | 哲学専攻 | 京都帝国大学哲学科卒。旧制新潟高等学校や東北帝国大学理学部の教授を歴任した後、ドイツでフッサールから現象学を学ぶ。1954年~1958年まで京大文学部教授。1960年から4年間、日本哲学会会長。
『経験的現実の哲学』所収の「判断対象の構成に就いて」は京大哲学科の卒業論文であり、ラッセルの判断論について論じている。 |
室伏高信 | むろぶせ・こうしん | 1892~1970 | 評論家、小説家 | 時事新報、朝日新聞政治部記者を経て、雑誌『改造』特派員として第一次世界大戦後にヨーロッパに渡る |
山崎時彦 (写真) | やまざき・ときひこ | 1916~2001 | 政治思想 | 1967年大阪市立大学法学部長、1969年評議員を経て、1980年に大阪市立大学名誉教授/「ラッセルの Civil Disobedience 論-その成立の周辺」(『法学雑誌』v.12,n.4(1967年)。 |
山崎時彦 (写真) | やまざき・ときひこ | 1916~2001 | 政治思想 | 1967年大阪市立大学法学部長、1969年評議員を経て、1980年に大阪市立大学名誉教授/「ラッセルの Civil Disobedience 論-その成立の周辺」(『法学雑誌』v.12,n.4(1967年)。 |
吉田謙二 | よしだ・けんじ | 1938~2010 | 哲学 | 同志社大学哲学科・及び哲学専攻修士課程修了後、同大学教授(1982年)、文学部長、大学院文学研究科長を経て、池坊短期大学学長を二期にわたり務める。 |
吉田夏彦 | よしだ・なつひこ | 1928-2020 | 論理学・哲学 | 東工大名誉教授/後に、大正大学哲学科教授 |
由良君美 (写真) | ゆら・きみよし | 1929~1990 | 英文学・美学 | 東大教授、東洋英和女学院大 |
笠信太郎 (写真) | りゅう・しんたろう | 1900~1967 | ジャーナリスト | ラッセル協会初代会長/福岡県出身。大正14年東京商科大(現一橋大)卒。大原社会問題研究所研究員を経て、1936年論説委員として朝日新聞入社。欧州特派員、論説主幹、常務取締役を経て、1963年同社顧問。1966年1月ラッセル協会設立に伴い、初代会長となる。1967年12月4日、心臓病のため茅ヶ崎の自宅にて死去。 発言から |