市井三郎 (日本のバートランド・ラッセル研究者)の発言
* 市井三郎 (いちい・さぶろう、1922-1989):成蹊大学教授、哲学専攻
・・・・。その精神を「理解」するためには、個々の問題についてラッセルがどのような状況下にどのような具体的結論を出したか、を当然知らなければならない。下線をつけた条件が大切なのであって、その歴史的状況なるものは時々刻々に変わってゆく。変わったあとで、ラッセルのこの意見はもう古くなった、などと指摘することはたやすいのである。
(→ 詳細は、ラッセル協会会報n.23,p.8参照)
・・・・。彼(ラッセル)の場合、そのような哲学の努力を進める過程で、いくたびか当初の見方を放棄せざるを得なくなり、半世紀におよぶ努力にもかかわらず、それが「未完の」哲学に終わっていることを強調しなければならない。しかしそれは、科学の理論がいつまでも未完だ、という意味に近いのである。・・・。
「それに向かってある距離を歩む」過程で、彼の理論哲学は内容の変化をとげていった。対象というものを感覚データにもとづく「論理的構築物」とみなすという1910年代の結論は放棄されてゆき、感覚データのみから対象は構築できず、「準恒存の公準」と彼が呼んだものが付け加えられなければならない、-もっと平たくいえば、「動物的信念」が加わらねばならない-、ということになった。(これはホワイトヘッドへの立場への接近である。)その他、因果性、原因、帰納等々についても彼の見解は変わっていった。
理性的な自己吟味によって、自説の誤りを公に認めること、しかもなおそこから、「ある距離を歩む」努力を更新すること、ここにラッセル哲学の真骨頂があるといえよう。
(→ 詳細は、ラッセル協会会報n.3,p.2-3参照)