ラッセル(著),大淵和夫・鶴見良行(共訳)『自由と組織』(みすず書房,1960年刊)

* 原著:Freedom and Organization, 1934.
* (故)大淵和夫氏略歴

訳者あとがき

 本書は、イギリスの哲学者 Bertrand Russell, Freedom and Organization, 1814-1914 (1934)の全訳である。ただ、原著は全1冊であるが、かなり大部の書であるので、邦訳では、上下2冊に分けた。

Freedom and Organisation, 1814-1914【電子書籍】[ Bertrand Russell ]


 ここで、ラッセルその人と、本書の内容について、解説を加えるべきかもしれない。そうすることが、この国の翻訳書刊行の慣習となっている。だが、私たちは、そうすることを、ここでは、あえてさしひかえたい、と思う。訳書というものは、なるべく原書に近い形で読者に提供されるべきだ、というのが、私たちの考えだからである。

 ラッセルは、われわれにとって、完全に知られていない人物でもないし、また、ラッセルを知らねば、この本の内容がよくわからぬ、ということもない。そして、何よりも、この本は、その内容の故に、本書だけのネウチで読まれるべきもので、ラッセルの著だから、読まれるべきネウチがある、というものではない。そして、この本自体にしても、解説を必要とするほどの難解な書ではない。現代的な視点をもち、健全な推理力さえあれば、誰でも、この本をたやすく理解できるであろう。このために、この訳書では、私たちの平素の考えを、そのまま実行することにした。
 だが、ラッセルについて、多少とも知りたい方も、読者の中には、いられるだろう。そうした方は、この著作集の他の巻の解説か、百科事典にあたってみられることを、おすすめする。(平凡社百科事典や、Encyclopedia Britanica など)。 また、訳者の一人(大淵)が、ラッセルについての論稿を準備中であり、近い将来に発表の予定であるから、これも参考になる、と思う。
 それと、この本を「読むべきか、読まざるべきか」とハムレット的悩みにとりつかれている方のために、一言だけつけ加えておきたい。「もし、あなたが現代のさまざまな社会的問題に少しでも関心をもち、不平不満があるなら、ぜひ、お読みなさい。自由の問題、組織の問題、マルクス主義や社会主義への疑問、こうした点についての、明解な説明と解答を見出せましょう」と。そして、こうした人びとには、本書のはじめのほうの、さながら歴史小説ばりの流麗な記述のみが、本書のすべてではない、ことをも、つけ加えておかねばなるまい。

 本書の訳文については、つとめて直訳調をさけ、'正確にして読みやすい日本語' とすることを心掛けた。ラッセルが、もし日本語で述べるとすればどう表現するか、を考え、われわれ両人が、ラッセルの英文からうける読感と同じ程度の読感を感じる日本人の著者の文体をえらび、それに近づけるよう努力した。だが、ラッセルの名文を日本語で再現するなど、思いもおよばないことであった。ラッセルの文は、日本語になりにくい、とまでは言わぬが、その名文の名文たるところは、とうてい、われわれの力では、それを日本語にうつすことはできなかった。この点については、日本語というものの、英語とはちがう語系に属する言語の、必然的な宿命として、止むを得ないことと、思っている。

 この上巻の分担は、第15章~第20章を鶴見が訳し、他は全部、大淵が担当した。でき上った訳稿はたがいに読みあい、なお、校正刷で、大淵がもう一度、原文と対照して全面的に筆を加えた。これによって、文体を比較的統一することができ、また、不慮の誤訳も、すべて訂正できた、と信じている。なお、訳注(本文中とくに原注と断らないものはすべて訳者の注である)を、必要と思われるかぎりつけたが、多少つけすぎた感がないでもない。適当に読んでいただければ、幸いである。この訳業をひきうけて、はや2年近い日がすぎた。その間、発行所みすず書房にかけた迷惑は、筆舌につくしがたい。世話をかけつづけた小尾俊人、富永博子両氏に、おわびと感謝の意を表したい。
 1960年1月 大淵和夫・鶴見良行

ラッセルと20世紀の名文に学ぶ英文味読の真相39 [ 佐藤ヒロシ ]



追記
 本書は、本来ならば、もう1年、早く出版されるはずであった。それがこのようにおくれて出版されたのには、理由がある。それは、訳者の1人、犬淵の、公的生活における環境の変化であった。日本の思想界にとっても、決して無関係ではないこのことを、少しばかり、記しておきたい。

 1958年は、文部省の反動文教政策の一環たる勤務評定規則の制定が、各都道府県教育委員会の手によって、ピークに達っした年であった。このことは、当然、日本教職員組合傘下の各府県教組の、反対運動をよびおこした。各地において、はげしい話し合いと反対運動が精力的に行われた。大阪において高等学校の教師をしている大淵も、この'さわぎ'からまぬがれることはできなかった。良心ある高校教師として当然なすぺき事は山積し、正式に学校教師としての職務以外に、必要な業務は天文学的にふえていった。たんなる分会代表者ではあったが、1958年の年末は、12月31日の午後8時すぎまで、組合業務に従わねばなさらなかったほどである。さらに、1959年4月、えらばれて大阪府立高教組の非専従執行委員となるや、闘争に多少の起伏はあったとはいえ、そのはげしい時には、日曜も休日もなく、早朝出勤深夜帰宅の日々が1ヵ月以上もつづくことも、稀ではなかった。こうした状況下においては、必然的に訳業の能率が低下する。深夜、帰宅後、筆をとるほか、原書と紙をつねにもちあるき、オルグと会議のあい間にさえ筆をとったが、全体としての時間不足は、ついに、十数度にわたる、みすず書房への期限違約となった。確信をもってきった期限を、わずか10日さきの行動予定がくみかえられ、1日1回が自己とは無関係にとびさってゆく執行委員生活の状況のもとに、つぎつぎと違約しなければならない苦しみに、幾度か、この仕事を、ほうりだそう、としたことであろうか。だが、それをひきとめたのは、ラッセルのもつ魅力であった。みすず書房には悪い、と思いつつも、ついに捨てきることができなかった
 私は思う。私と同じような状況に、全国で何千人の、否、何万人、何十万人の教師がおかれたことか。「勤評はよいものだし、その必要性を確信している。その理由についてはこれから研究するから、今は答えられない」などと非論理的言辞をもてあそぶ校長、教育長を相手に、苦難のたたかいがつづけられ、そこに支払われた時間と労力、それに金の浪費は、どれほど多く、この国の国力を侵害したであろう。反動自民党政府=文部省の文教政策は、たんにその反動性のためだけでなく、この点においても、責任を追求する必要がある。
 ともあれ、訳業は完成した。下巻の訳稿も、ほとんどでき、上巻につづいて出版されるであろう。時間不足のうちにも、仕事の質は十二分に確保してある。その訳の正確さについても、ラッセルに長年親しんできたものとして、万全の準備をしたことを確言したい
 1960年1月6日 大淵和夫