【 バートランド・ラッセル(Bertrand Russell)の言葉 r366-c160】
実際のところ,罪の意識は,良い人生の原因(源)になるどころか,まったくその逆である。罪の意識は,人を不幸にし,劣等感をいだかせる。自分が不幸なので,他人に対し過大な要求をしがちであり,人間関係において幸福を享受することをさまたげる。劣等感を持っているので,自分よりもすぐれていると思われる人たちに対して’恨み’を持つようになる。
As a matter of fact the sense of sin, so far from being a cause of a good life, is quite the reverse. It makes a man unhappy and it makes him feel inferior. Being unhappy, he is likely to make claims upon other people which are excessive and which prevent him from enjoying happiness in personal relations. Feeling inferior, he will have a grudge against those who seem superior.
出典:Bertrand Russell: The Conquest of Happiness, 1930, chap.7: The sense of sin.」
https://russell-j.com/beginner/HA17-080.HTM#r366-c160
[寸言]
言うまでもなく,犯罪をおかした場合でも「罪の意識」を持つ必要はないと言っているわけではない。ここで言っているのは,次のラッセルの説明のように,キリスト教における「原罪」や,不合理な社会道徳が醸成するような「罪の意識」のことを言っている。
「その罪の意識が,合理的な道徳が非難するようなある種の行為によって引き起こされたものでない限り,それは(罪の意識を持つことは)1つの病いであり,1つの弱さであると考えなければならない。私は,人間には道徳が不要だと言っているのではない。人間には迷信に基づくような道徳は必要ないと言っているにすぎないのであり,両者(合理的な道徳と迷信に基づくような道徳)は,非常に異なったものである。
(Illustration from: Bertrand Russell: Nightmares of Eminent Persons, 1954)