倫理的知識などというものはない there is no such thing as ethical knowledge

【 バートランド・ラッセル(Bertrand Russell)の言葉 r366-c179】

 私が現在到達している結論は,倫理(学)は独立(自立)している要素ではなく,どこまでも分析していくと最後には政治(政治学の問題)に還元できるというものである。たとえば,(両)当事者(注:国,地域,民族,宗教など)が互角に対抗している戦争(の問題)について,われわれは何を言うべきであろうか。そのような情況では,どちらの側も,自分たちの側が正しい(正義であること)は明らかであり,自分たちの側(注:国,地域,民族,宗教など)が敗れるのは’人類の不幸’である,と主張するだろう。この主張を証明する方法としては,他の倫理的概念,たとえば’残酷(な行為)に対する憎悪’,あるいは’知識あるいは芸術に対する愛’といったような概念に訴える以外に方法はないであろう。セント・ピータース寺院を建立したことでルネッサンス時代を皆讃美するかも知れない。しかし中には,自分は セント・ポール寺院のほうがよいと思うといって皆をまごつかせる者がいるかもしれない。あるいはまた一方の側がついた嘘から戦争が勃発してしまったかもしれず,その嘘もついには他方の側にも同じような虚偽があったことが明らかになるまでは戦いのための賞賛されるべき根拠であるように思われるかもしれない。この様な性質の議論に対しては純粋に合理的な結論というものはまったく存在しない。もしある人が地球は丸いと信じ,他の人が地球は平らだと信じているのであれば,彼らは一緒に航海に出てこの問題を合理的に決めることができる。しかしもし,ある者がプロテスタントを信じ,他の者がカトリックを信じる場合は,合理的(理性的)な結論に達する方法というものは何一つ知られていない。そのような理由から,私は,倫理的な「知識」というものはまったく存在しないと主張するサンタヤーナと意見に同意するようになったのである。しかしそれにもかかわらず,倫理的概念は歴史的にみて非常に重要性をもってきたのであり,倫理をぬきにして人間の問題を概観することは不適切であり,かつ部分的なものになってしまうと感じないわけにはいかないのである。

The conclusion that I reach is that ethics is never an independent constituent, but is reducible to politics in the last analysis. What are we to say, for example, about a war in which the parties are evenly matched ? In such a context each side may claim that it is obviously in the right and that its defeat would be a disaster to mankind. There would be no way of proving this assertion except by appealing to other ethical concepts such as hatred of cruelty or love of knowledge or art. You may admire the Renaissance because they built St Peter’s, but somebody may perplex you by saying that he prefers St Paul’s. Or, again, the war may have sprung from lies told by one party which may seem an admirable foundation to the contest until it
appears that there was equal mendacity on the other side. To arguments of this sort there is no purely rational conclusion. If one man believes that the earth is round and another believes that it is flat, they can set off on a joint voyage and decide the matter reasonably. But if one believes in Protestantism and the other in Catholicism, there is no known method of reaching a rational conclusion. For such reasons, I had come to agree with Santayana that there is no such thing as ethical knowledge. Nevertheless, ethical concepts have been of enormous importance in history, and I could not but feel that a survey of human affairs which omits ethics is inadequate and partial.
 出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 1: Return to England, 1969]
 詳細情報: http://russell-j.com/beginner/AB31-250.HTM#r366-c179

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