【 バートランド・ラッセル(Bertrand Russell)の言葉 r366-c167】
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家柄崇拝は,それが誤った価値基準や社会的不平等の容認に結びつく時,重大な悪となる。父親の七光りで特別扱いされる人間は,有益な努力をしようとする正常な動機を失なってしまう。そのような人間は名家に偶然生れたという事実に不当な重要性を与える人生観を身につけがちであり,また,自分が存在するだけで周囲の尊敬を受ける資格があると考えがちである。自分は他の人間よりもかなり優れていると信じるがゆえに,逆に彼らよりずっと劣ることになる。
本人に固有な長所にもとづかない差別待遇は全て,人間性に悪影響を与えるために,他に理由がなくてこの理由一つだけしかないとしても,廃止すべきものである。
Snobbery becomes a serious evil when it leads to false standards of value and to tolerance of social inequality. The man who is respected merely for being the son of his father loses one of the normal incentives to useful effort. He is likely to develop views of life which attach undue importance to the accident of birth and to think that by merely existing he does enough to command respect. He believes himself rather better than other men and therefore becomes rather worse. All distinctions not based upon intrinsic merit have this bad effect upon character and on this ground, if on no other, deserve to be abolished.
出典: On snobbery, written in Dec. 30, 1931 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報: http://russell-j.com/SNOB.HTM#r366-c167
[寸言]
家柄ではなくても(あるいは広い意味での家柄とも言えるが),「親の七光り」の恩恵を被っている人間は政治の世界でもかなりいる。安部首相が自民党総裁に選ばれた時の自民党総裁選挙を記憶されているだろうか? 自民党総裁候補が確か5人立候補しましたが,その5人ともが全て二世議員であった。これは大変異常なことであり,危機感を持つべきことであるが,どれだけの人がそう思ったであろうか? たまたま複数,二世議員だったということではなく,全員二世議員であった。大きな組織の支援を受けるか,二世議員か,タレントでなければ政治家になれない状況をどう思われるだろうか?