バートランド・ラッセル『宗教と科学』(松下彰良・対訳)
* 原著:Religion and Science, by Bertrand Russell (London; George Allen & Unwin, 1935)
第6章 決定論 イントロ累積版
- 知識の進歩とともに,聖書に述べられている聖なる歴史及び古代や中世の教会の精密な(複雑かつ精巧な)神学は,かって最も信仰の厚い人々に対してもっていたような重要性をもたなくなってきている
- 決定論と(人間の)自由意志の歴史に関しては,すでにある程度述べてきた。
- 因果律そのものの中には,過去によって未来が完全に規定されるということは必ずしも含まれていない。
- もし,我々は(が)検証可能な理論(説)を持つべきだとするなら,自然の全過程が因果律(因果法則)によって決定されなければならないと言うだけでは充分ではない。
- 我々は次のような方法でこのような困難から脱出を試みることできる。
- それゆえ,陳述(statement)がいくらか複雑ではないかと恐れるが,今や我々は,決定論の仮説を述べることが出来る。
- 量子力学によると,原子が一定の状況において何をするか(=どのような動きをするかまたどのような変化をするか)(我々は)知ることはできない。
- 決定論者にとって不運なことに,原子の気まぐれ(不確定性)に関する現代の理論にはさらなる一歩前進があった。
- このような議論に対し,決定論者は二つの異なったやり方で答えようとするかもしれない。
- このような議論(論証)によって提起されている問題(問い)は,原子とは特別な関係を持たないものであり,その問題について考える際,我々の心の中から量子力学に関するあらゆるややこしい事柄(complicated business)を放逐しても(dismiss from)よいだろう。
- 量子力学において新しいことは,統計的諸法則の出現(自体)ではなく,-個々の出来事を支配する諸法則から導きだされる代わりに- 統計的諸法則は究極的なものであるという示唆である。
- A. エディントン(Sir Arthur Stanley Eddington, 1882-1944:英国の天文学者)は,原子の自由 -それ(注:原子の行動は全て決まっているわけではないこと)を事実と仮定して- から情緒的に受け入れることができる結論に到達するために,彼自身認めているように,現在でもまったくの仮説に過ぎない想定をすることを彼は強いられた。
- 心理学と生理学は,自由意志の問題に関する限り,自由意志(の存在)を否定する(make improbable ありそうもないものとする)傾向にある
- 自由意志(の存在)を信ずる者は常に,他の精神領域においても,同時に意志作用(volition 意欲)には原因があると信ずる,
- 内省が(内省することによって)自由意志(の存在)を直接的に意識させる(気づく)と言われる。
- もちろん,「自発的(自由意志による)」行為と「非自発的(自由意志のない)」行為の区別を否定することは不合理であろう。
- 決定論と自由意志との間で行なわれるような絶え間ない論争(Perennial controversies)は,二つの強いけれども論理的に調和しない感情から生じる。
第7章 神秘主義