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REligion and Science, 1935

ラッセル『宗教と科学』(松下彰良・訳)

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第6章 決定論 n.3

 因果律そのものの中には,過去によって未来が完全に規定されるということは必ずしも含まれていない(involve 伴う,中に含む)白人の息子両親同様に色が白いというのは一つの因果法則であるが,これだけが既知の法則であるとすれば,白人の両親を持つ息子について,我々は多くのことを予言することはできない。一般理論(一般原理)としての決定論は,もし我々が過去(の事実)因果律(因果法則)について十分知っていれば,過去によって未来を決定づけること理論的には常に可能であると主張する。何らかの現象を観察している研究者は -この原理によれば- その現象(の生起)を不可避にしている(その現象発生)以前の状況や因果律を見つけ出すことが可能である。そうして,その法則(因果律)を発見してしまえば,彼が同様の状況を観察すれば,同様の現象が起こるであろうことを推論できるはずである。

 この理論(原理)を正確に(precisely 厳密に)述べることは不可能でないにしても困難である。我々がそうしようとする時,自分(たち)はしかじかのことが「理論的に」可能であると主張しているということに気付くが,「理論的には」とは何を意味しているのか誰もわからない。未来を決定する法則が「存在する」と主張することは,我々はその法則を発見しうるかもしれないということを付言するのでなければ役に立たない(注:たとえそのような法則が存在するとして,我々人間がその法則を発見できなければ意味がない)。未来はそうなるであろうところのものになるであろうことは明らかであり,そういう意味では(未来は)既に決定されている。正統信仰の人々が信じているような全知なる神は,現時点において,未来の成り行きを知っていなければならない(注:知っていると言わなければならない=それが「全知」の定義だから)。従って,もし全知なる神が存在するなら,現在の事実 -すなわち,神の予知- から,未来は推論することが可能であろう。けれども,このことは科学的に検証できることの範囲を超えている。もし,決定論(という原理/理論)が,証拠によって,可能性があるすることできたりあるいは可能性がないとすることができたりする何らかのものごとを主張するものだとしたら,それは我々人間の能力との関係において述べられなければならない。そうでないとしたら,我々は(J. ミルトンの)「失楽園」における悪魔たちと運命を共にする危険を冒すことになる。その悪魔たちは,次のように言っている(嘆いている)。
高邁な思想と議論にふける
神慮,先見,意思(意志),運命について
不動なる運命, 自由意思, 絶対の先見
そうして結論に至らず迷路に彷徨い行き暮れる。

Chapter 6:Determinism, n.3

Causal laws, in themselves, do not necessarily involve a complete determination of the future by the past. It is a causal law that the sons of white people are also white, but if this were the only law of heredity known, we should not be able to predict much about the sons of white parents. Determinism as a general doctrine asserts that complete determination of the future by the past is always possible, theoretically, if we know enough about the past and about causal laws. The investigator, observing some phenomenon, should, according to this principle, be able to find previous circumstances, and causal laws, which together made the phenomenon inevitable. And, having discovered the laws, he should be able, when he observes similar circumstances, to infer that a similar phenomenon is going to occur.

It is difficult, if not impossible, to state this doctrine precisely. When we try to do so, we find ourselves asserting that this or that is "theoretically" possible, and no one knows wha "theoretically" means. It is of no use to assert that "there are" laws which determine the future, unless we add that we may hope to find them out. The future obviously will be what it will be, and in that sense is already determined : an omniscient God, such as the orthodox believe in, must now know the whole course of the future ; there is therefore, if an ommiscient God exists, a present fact - namely, His foreknowledge - from which the future could be inferred. This, however, lies outside what can be scientifically tested. If the doctrine of determinism is to assert anything that can be made probable or improbable by evidence, it must be stated in relation to our human powers. Otherwise we run a risk of sharing the fate of the devils in "Paradise Lost," who
reason'd high
Of Providence, Foreknowledge, Will, and Fate,
Fixt Fate, free will, foreknowledge absolute.
And found no end, in wandring mazes lost.
(掲載日:2018.10.21/更新日: )