第6章 決定論 n.7 - 切符売りと原子物理学者量子力学によると,原子が一定の状況において何をするか(=どのような動きをするかまたどのような変化をするか)(我々は)知ることはできない。原子には(可能性として)開かれている一定の範囲の選択肢(a definite set of alternatives )が存在しており,時にはある選択肢を,また時には別の選択肢を選ぶ。我々は,どのような比率の事例で一つの撰択がなされ,どのような比率の事例で2番めの選択が,さらにどのような比率の事例で3番めの選択がなされるか等々,について知っている。しかし,個々の実例における選択を決定する法則については,我々はまったく何も知らない。我々は(ロンドンの)バディントン駅の切符売り場の係員(booking-office clerk)と同じ立場にある。彼はその気になりさえすれば,パディントン駅からバーミンガム駅へ,パディントン駅からエクセター駅へ、また,パディントン駅からその他の駅へ,向かう旅行者の割合について知ることができるが,ある場合にある選択を行い、別の場合には別の選択を行うにいたった個々の理由については何も知らない。けれども,これらの事例は(物理学者の事例と切符売りの事例とは)「完全に」類似しているわけではいない。なぜなら,切符売りは,仕事以外の時(moments 瞬間,機会)を持っており,その時には,切符を扱っている時には彼らが言及しないような,人間に関するいろいろなことを発見できるからである。物理学者にはそういった利点(advantage 長所)はない。なぜなら,彼(物理学者)は仕事をしていない時には原子を観察する機会はまったくないからである。彼は,実験室にいない時には,何百万もの原子から成り立っている大きな塊(注:large masses 分子でできているもの;大きな質量)によってなされることを観察可能なだけである。そうして,(原子を観察できる)実験室においても,原子は,汽車が発車直前に急いで切符を受け取る人々(乗車客)よりも話しかけることができるということはほとんどありえない。従って,物理学者の(原子の行動に関する)知識は,切符売りが勤務時間外に常に居眠りしていた場合(時)の知識のようなものであろう。これまでのところ,原子の行動から導き出される,決定論に反対する議論(論拠)は,ほとんど我々の現時点での無知に基づいており,また新法則の発見によって近い将来(to-morrow = tomorrow)反駁されるかも知れない,と思われるかも知れない(it might seem that)。ある点まで,,それは真実である。原子に関する我々の詳細な知識はごく最近のものであり,それは今後増すだろうと考える充分な理由がある。どうして,一つの原子がある瞬間にある一つの可能性を選択し,他の瞬間には他の可能性を選択する理由を示す法則が発見されるかも知れない,ということを誰も否定できない。現在のところ,我々は二つの異なった選択がなされる先行(状態)(antecedent 前件;先立つもの,先行するもの)の相違について何も知らないが,何時かそのような相違が見出されるかも知れない。もし,我々が決定論を信ずる何らこの強力な理由を持つとしたら,この議論(論拠)は重要な役割を果たすであろう。(If we had any strong reason to believe in determinism,仮定法) |
Chapter 6: Determinism, n.7
So far, it might seem that the argument against determinism derived from the behaviour of atoms rests wholly on our present ignorance, and may be refuted to-morrow by the discovery of a new law. Up to a point, this is true. Our detailed knowledge of atoms is very recent, and there is every reason to suppose that it will increase. No one can deny that laws may be discovered which will show why an atom chooses one possibility on one occasion and another on another. At present, we know of no relevant difference in the antecedents of the two different choices, but some such difference may be found any day. If we had any strong reason to believe in determinism this argument would carry great weight. |