【 バートランド・ラッセル(Bertrand Russell)の言葉 r366-c143】
心の道徳律は,主に思いやりの感情と気だての良さからなると,私は思う。しかしこれらの性質はお説教によっては生み出されず,十分な消化力と健全な分泌腺と恵まれた環境によって生みだされる。「関係者がみな不愉快な思いをしたとしても,自らの義務を果たせ」というのは教化(善導)であり,迫害本能に訴えるものである。
The morality of the heart, as I see it, consists in the main of kindly feelings and good nature. But these cannot be produced by sermons: they are produced by good digestion, sound glands, and fortunate circumstances. “Do your duty, however unpleasant it may be for all concerned” is edifying and appeals to your sadistic instincts.
出典:On being edifying, written in June 11th, 1932 and pub. in Mortal and Others, v.1, 1975
詳細情報: http://russell-j.com/EDIFY.HTM#r366-c143
[コメント]
我が子の教育にあたる教師は,高い道徳的な感性を持っていてほしいと多くの親が望む。しかし,ラッセルが言うように,「正しいことを教える(あるいは説教する)」ことばかりに力をいれる教師は余り良い教師とは言えない。 現代日本ではむしろ,受験を意識した「知識の詰め込み」教育をしている教師の方が多いかもしれないが,ラッセルがこのエッセイでのべているような ,教化(善導)を主張する教育関係者の悪意や迫害性を自覚している人はどれだけいるだろうか?
(Illustration from: Bertrand Russell: The Good Citizen’s Alphabet, 1953)