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<落穂拾い(中級篇)(2013年)>

2011-2012年 2014年 2015年

索引(-出版年順 著者名順 書名の五十音順

<R落穂拾い(中級篇)>は,ラッセルに言及しているもので「初心者向けでないもの」や「初心者向けではないかもしれないもの」を採録。初心者向けはR落穂拾いをご覧ください。


マーシャル・マクルーハン(著),後藤和彦,高儀進(共訳)『人間拡張の原理−メディアの理解』(竹内書店新社,1967年11月刊。 ix,468 pp.)(2013.12.23)
*
マクルーハン, M.(Marshall McLuhan, 1911〜1980):英文学者で文明批評家。メディア研究の先駆者。
* 後藤和彦(ごとう・かずひこ, 1929〜 ):NHK放送文化調査研究所研究部長,常磐大学教授を経て,同大学名誉教授。
* 高儀進(たかぎ・すすむ,1939〜 ):英文学者,翻訳家で早稲田大学名誉教授。マクルーハン『グーテンベルグの銀河系』訳者。
[(pp.81-95) 第7章 挑戦と崩壊−創造性の応報]

 二十世紀の大発見は,判断を先に引き延ばす技術である,と言ったのはバートランド・ラッセルである。一方,A・N・ホワイトヘッドは,十九世紀の大発見は,発見の技術の発見であったと述べ,その事情を明らかにしている。つまりその技術とは,発見すべきものから逆に一歩一歩さかのぼって,ちょうど流れ作業をたどるように,対象に到達するにはどうしてもそこから出発しなくてはならないという原点にまで至るテクニックである。これは芸術の場合,効果から出発して,その効果のみを実現する詩,絵画,建築を創り出すことを意味している。
 しかし,「判断を保留する技術」は,もっと進んだところにある。それは,たとえば成年になってから不幸な幼時の影響がでるといったような効果を予測して,それが発生する前に,その効果を取り除くものである。精神医学では,これは,患者が無感覚になるほど精神の抑圧をすっかり取り去り,その間に,誤った判断や認識から生まれた固着や道徳的影響を除去するテクニックである。
 これは,新しい技術のもつ麻酔薬的効果,つまり,その新しい形態が人間の判断と知覚の扉を閉ざしてしまい,注意力を鈍くさせるというものとは大変異なったものである。というのは,新しい技術を大衆の心の中に受け入れさせるには,社会全体に対する大規模な手術が必要なのであり,その手術は,前述した麻痺装置を,「大衆」という身体の中に埋め込むことによって可能となるのである。いまや「判断保留の技術」は,麻酔薬を拒否し,社会の精神の中へ新しい技術を導入する手術を,無期限に延期する可能性をもたらしつつある。そこには新しい「血行停止」の状態が起こるだろう。

柴田崇『マクルーハンとメディア論 −身体論の集合』(勁草書房,2013年9月刊。 xii,207,xx pp.)(2013.12.1)
*
柴田崇(しばた・たかし, 1969〜 ):北海学園大学人文学部准教授。博士(教育学/東大教育学研究科博士課程)。
* 参考:フィードバック制御とフィードフォワード制御
[pp.105-130:第3章 「探索の原理」への結実]
<pp.113-116:フィードフォーワードループの形成>

(p.113)フィードフォーワードループの形成

 フィードフォーワードの語は,1968年7月12日付けのマクルーハン(Herbert Marsahll McLuhan, 1911-1980)からリチャーズに宛てられた書簡の中に初めて登場する。二人の出会いは,マクルーハンがケンブリッジのトリニティー・ホールに留学していた時期(1934〜1936)に遡る。マクルーハンがリチャーズから修辞学と哲学を学んで以来,二人の交流は続いていたのである。
「『フィードフォーワード』というあなたがつくったすばらしいことばは,私に探索の原理,あるいは二〇世紀最大の発見と呼ばれる『判断中止』を連想させる」(Molinaro et al. eds.: Letters of M. McLuhan, 1987, p.355)。
 この書簡の後,1970年代のマクルーハンの著作にフィードフォーワードの語が見られるようになる。
 一般的な定義では,フィードフォーワードとは,フィードバックを補完するための概念であり,たとえば,平衡状態を保っているシステムに対してシステムの外から平衡状態を乱す作用がある場合,入力の段階でそれを検知し,出力に及ぼす影響を予測して前もって打ち消してしまう制御方式を指す。では,マクルーハンのフィードフォーワードは何を意味するのか。書簡中でフィードフォーワードは,「探索の原理 the principle of the probe」と「判断中止 suspended judgment」に対応している。まず後者から見てみよう。「判断中止」は,1968年の書簡以前に,『メディアの理解』第七章の冒頭に登場する。「二〇世紀最大の発見は判断中止の技法である,と宣言したのは,バートランド・ラッセルだった」「判断中止とは,たとえば,不幸な少年時代が成人に及ぼす影響を予測して,それが現実に生じる前に,その影響を相殺する技法である」(Understanding Media - the extentions of man, by M. McLuhan. McGraw-Hill, 1964: p.62)。 ラッセル(Russell, B., 1872-1970)が宣言したとされる「判断中止」が,未来の行動に及ぼす影響を現在の入力情報から予測し,前もって打ち消してしまう技法ならば,フィードフォーワードの一般的な定義の範囲で十分理解することができる。

[コメント:柴田崇氏が引用しているラッセルの言葉は,マクルーハンが1964年に出した『人間拡張の原理』で書いているものであり,ラッセルのどの著書に載ったものを指しているのか不詳です。ラッセルはからかって大げさな物言い(誇張した表現)をすることが好きなので,マクルーハンあるいは柴田氏のいう「判断中止 suspended judgment」の意味で言ったのかどうかわかりません。「判断中止」の重要性について私が知っているラッセルの発言は, Sceptical Essays, 1928(邦訳書:『懐疑論』)に見られるような,わりと常識的な意味合いのものです。はたしてどうでしょうか・・・?]

斎藤嘉臣『文化浸透の冷戦史−イギリスのプロパガンダと演劇性-』(勁草書房,2013年10月刊。 x,350,iv pp.)(2013.11.17)
*
齋藤嘉臣(さいとう・よしおみ, 1976〜 ):京都大学大学院人間・環境学研究科准教授。博士(政治学)。
 本書において,ラッセルは5ケ所(のべで6ケ所)で引用されていますが,いずれも少しふれられているだけです。歴史的な研究ですので,著者が参照した一次「史料」や関係図書・論文は多数あげられていますが,ラッセルの著書や論文名はまったくあげられていません。従って,斎藤嘉臣氏がラッセルをどれだけ実際に読んでおられるか(理解しておられるか)不明・不詳です。また,背景的知識がないと正確に理解できないことも少なくないかもしれません
 ある程度の背景的知識が必要という意味で,「中級篇」に収録させていただきました。詳細な説明のないものはあまり有益でないものがある一方,ラッセル理解に重要な情報やヒントを与えてくれることがありますので,ご紹介するしだいです。
 それから,本書のジャケット・カバーの裏に載っている紹介文を上げておきます。本書の性格が理解できると思われます。
<ジャケット・カバー>
文化外交がいつも相互理解の手段であるとは限らない。
それは非政治的な外套をまとっていても,つねに「観衆」を意識し,その心をとらえようとする権力的な動機に支えられている。
まるで演劇が上演されるように,
国家は競いあって自らの文化的魅力を発信するのである。
本書は,戦後イギリスのプロパガンダの系譜を解明することで,
このような国際政治の演劇性を描くものである。
[pp.47-80: 第二章 戦後ヨーロッパと同盟の文化的基盤−「イギリスの投影」から「同盟の投影」へ]
(p.52) ・・・。(英国)外務省は外部有識者にも見解を求めたが,その中にはオックスフォード大学で教鞭をとっていた哲学者アイザイア・バーリンもいた。外務省はバーリンに対して,西洋同盟の結束を強化する,芸術から社会サービスにまでいたる「精神的紐帯」について検討がなされていることを説明し,とくに哲学的領域での西欧の共通要素について見解を示すよう要請したのである。ただしバーリンの回答は,必ずしも外務省が求めていたものではなかった。外務省の目的を「幾分,そして非常に適切にも,プロパガンダ的」だと見抜く彼は,そのような任務は哲学者にふさわしくないとし,より雄弁な人物に依頼するよう回答し,バートランド・ラッセルやレナード・ウルフらの名をあげた。そのうえで彼は,あえて相違を挙げるならば,社会生活における見解の対立の許容や,国家介入なしに自らの幸福を追求する市民的自由の存在であると指摘している。

(pp.115-164: 第四章 東欧の共産化と補完するプロパガンダ − BC,BBC,大使館の役割分担−)
(p.132) しかし,当初の期待とは裏腹に,(チェコスロバキアで発行された))『ブリツキー・マガジン』 はイギリス大使館が直接発行する広報誌でなかったことで,イギリス政府の不満はしだいに高まっていく。・・・。たしかに発行した全部数が完売するなど,実績は良好であった。しかし,イギリス政府が当初対象としていた知識人層に関しては,同誌の存在すらほとんど知られていない状態であった。『ブリツキー・マガジン』は「誤った人々」に人気を博したのであり,よって現地社会において大きな影響を与えていないというのが,イギリス側の見立てであった。望まれた記事は,たとえば「バートランド:ラッセ執筆の原子力に関する記事」のような堅いものであり,知識人層の関心を誘うような記事であったのである。
 ・・・。ただし,一方ではラッセルが執筆した「人類の将来展望」に関する記事や,イギリス国内の政治経済状況に関する記事(イギリス産業フェア,イギリスにおける国有化,石炭危機に取り組むイギリス人鉱山労働者,近代ジャーナリズム,ジョージ・バーナード・ショーに関する記事など)も多い。しかし,イギリス政府にとってはその割合が問題であって,影響力を持つ知識人受けするような質の記事で占められた広報誌が求められていたのである。

(pp.205-232 第六章 国内冷戦と「抱擁」関係)
(p.215) 反共プロパガンダの遂行にあたり,知識人は目をつけられやすい時代であった。彼らの多くはリベラルな思想を持っており,反共右派グループによる言説よりも,より大きな利用価値を持っていると評価されたためである。
 ・・・。1949年5月には,「ヨーロッパが世界にもたらし,いまや全体主義により脅かされている文明,自由,価値を守るために,自由の力を結集し,すべての人々の救世的精神を鼓舞する」必要について政府高官が協議し,その結果「この国と大陸における知識人に影響を与える」ため,指導的人物から構成される組織の設立が検討されている。挙げられた名前には,ラッセル(哲学者),ニコルソン (外交官・歴史家),マイケル・オークショット(哲学者),アーノルド・トインビー(歴史家),バーバラ・ワード(経済学者)から,ケストラー(作家)さらにはヒーリー,フットのような労働党関係者・政治家までが含まれている。だが,IRD(注:Information Research Department 英国外務省のなかに設置された組織)と知識人との関係がいつもスムーズであったわけではなく,結局のところ当該提案は具体化していない。

(p.221) 文化的自由会議
 アメリカ政府もまた,イギリス国内の世論に影響を与えるべく画策した主体であった。イギリスにおける共産主義者や反米的な声を抑制し,反転させるために,アメリカ政府が利用したのが知識人であった。
 共産主義諸国による文化発信に対処し,西側の反共意識を高めるため,1950年6月に設立されたのが,文化的自由会議(the Congress for Cultural Freedom, CCF)である。これはパリに拠点を置きながら,CIAからの秘密裏の支援を受けて活動した非政府組織であった。潤沢な財政基盤を背景にCCFは,西欧各国でセミナーや音楽祭を開催し,さらには雑誌の発行を通してプロパガンダを展開した。
 西ベルリンでの設立大会には118名が招待され,「科学と全体主義」や「自由と芸術家」といったセミナーが設けられたが,参加者は小説家ケストラーから歴史家ヒユー・トレバー=ローパーまで,その顔ぶれは多士済々であった。名誉総裁には,ラッセル,カール・ヤスパース,ベネデット・クローチェらの哲学者が名をそろえた。ここに明らかな通り,CCFは欧米を中心とした知識人を積極的に関与させながら,スターリン主義による圧政や共産主義諸国下の自由の抑圧を非難し,西側文化の自由を発信する組織であった。

(p.222〜224) イギリス文化的自由協会

 引用を省略します。興味の有る方は現物図書をご覧ください。

高橋昌一郎『小林秀雄の哲学』(朝日新聞出版,2013年9月刊/朝日新書426)(2013.9.20)
*
高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう, 1959〜 ):国学院大学文学部教授。論理学・分析哲学専攻。
 高橋氏の著書からの,以下の引用を読むにあたっては,小林秀雄がベルグソン全集を読むほどベルグソンに傾倒していたという事実を知っておく必要があります。また,高橋昌一郎氏の立場(スタンス)は次の言葉(「おわりに」p.241)に表れています。
・・・。私の専門は論理学・哲学であり,学問的にはベルグソンを批判したラッセルの系統の弟子筋に位置する。その立場からしても,ベルグソンや小林(秀雄)のような「危険な思想家」の論法は単純に受け入れられるものではない。
 とはいえ,「論理」だけを武器にして小林を批判するのは嫌だった。・・・。
 それから,東北帝国大学学長を務められた高橋里美 氏(1886年-1964年/文化功労者)の次の論文も参考になると思われますのでご一読ください。
 高橋里美「ラッセルのベルグソン哲学批評」(1915年)
 
[pp.204-208:ラッセルの(ベルグソン)批判]

(p.204) ベルグソンが1913年に『哲学入門』(英訳版)を上梓したのとほぼ同時期の1912年,ケンブリッジ大学教授(注:教授ではなく,講師)の論理学者バートランド・ラッセルが『哲学入門』(注:実際のタイトルは The Problems of Philosophy =『哲学の諸問題)を発表した。この本は,かつてないほど明快な哲学入門書と評価され,多くの英米系の大学の哲学入門講座でテキストとして用いられるようになった。・・・。
(p.205)・・・。つまり,ラッセルの入門書は<思索する読者>を対象としているわけで,ベルグソンが<信仰する読者>を対象としているのと対照的なのである。・・・。
(p.206) 1912年,ラッセルは,哲学雑誌「モニスト」誌上でベルグソンの時間論を批判し,それにベルグソンの弟子ウィルドン・カーが答え,さらにラッセルが再批判を掲載する論争を行った。・・・。とくにラッセルが1946年(注:1945年の間違い。ラッセルは1944年まで米国にいた関係で,米国版は1945年に出され,英国版は1946年刊となった。)に発表した大著『西洋哲学史』では,徹底的にべルグソンを罵倒している。
 ラッセルによれば,ベルグソン哲学の大部分は,「分析」に対する「直観」の優位を説き,「知性」に対する「内的経験」の優位を説く膨大な<例証>であり,これらは何一つ<立証>されない「妄想」にすぎない(『西洋哲学史』)。
 ベルグソンの『創造的進化』は,「直観」を「本能」の進化した最良の形態とみなしているが,ラッセルによれば,「直観」は「成人より子ども」あるいは「人間より犬」の方が発達しており,「直観」に基づく哲学を信じる人は「森の中で好き勝手に生きるべきだ」という(『外部世界はいかにして知られうるか』)。
 「直観」が絶対に誤らない例として,ベルグソンが「自己」についての認識を挙げていることに対して,ラッセルは,「自己」に関する認識ほど「思い込みや錯誤」に陥り易いものはないとして,これを退ける。
 「知性」よりも「直観」を優先すべきであることを立証するためには,直観では認識できるが,知性では認識できない」具体例が必要となる。そのためにベルグソンが挙げた例証を,ラッセルは一つ一つ追いかけては論理的に否定し,「直観が最上の姿で現れるのは原始時代」であり,ベルグソンの「直観」のような概念が無批判に受け入れられることのない学問こそが「哲学」でなければならないと結論付けている(前掲書)
 改めてラッセルのベルグソン批判を振り返ってみると,中野重治が小林秀雄を罵倒したのと同じように,論理主義者の反論理主義者に対する強い憤りを感じる。そして,論理主義者の論法が「正しい」ことは明らかであるにもかかわらず,反論理主義者の気持ちの方が「わかる」という印象を読者に与えるのはなぜだろうか。・・・。
(松下注:結局,多くの人にとって「理詰めで考えることはめんどくさい」ということが一番大きな理由かもしれません。)

碧海純一「東大を去るに当たって− 一法哲学者の信仰告白:「自然主義的な」人間観」[『東京大学新聞』n.2552:1985年4月2日(火)号(2013.9.15)
* 碧海純一
(あおみ・じゅんいち, 1924-2013.7.18):東大法学部名誉教授。法哲学専攻。
* 東京大学新聞は週刊。
[自然諸科学との対話が不可欠]

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 昭和23年春に(東大法学部を)卒業して以来,私は法哲学を専攻してきた。法哲学者は自分の立脚すべき哲学上の立場を選ばなければならないが,私の場合にはこのような哲学的立場の探求が常に大きな関心を占めてきた。この面で私の大きな影響を与えてきたのは,マックス・ウェーバー(1864-1920),バートランド・ラッセル(1872-1970),ハンス・ケルゼン(1881-1973),およびカール・ポパー(1902〜)などであった。特に,ラッセルの影響は旧制高校時代から現在に及んでいる。
 「法哲学の課題に関する一反省」(1976)と題する論文において,私は,現代諸科学(人文・社会・自然科学/以下同じ)の与える世界像・生命像・人間像の中で,人間,その社会,その言語などを把えることが,法哲学の進展に寄与するだろう,という趣旨の所見を開陳しておいた。今日の諸科学の与える宇宙像は,人間のいかなる想像力も遠く及ばないほど壮大である。
 ・・・。中略・・・。
 法哲学を論ずるのに,なぜ現代諸科学の与える世界像・人間像について述べるのか,という疑問に答えよう。哲学が学問であるかぎり,私にとっては,諸科学との不断のフィードバックを欠く哲学というものはおよそ考えられない。(これは,ラッセルの終生の信念であった。)私は,人間というものを常にその生物進化論的な背景の中で把える立場を四半世紀来,一貫して維持してきた。このような「自然主義的な」人間観は,「人間の尊厳を冒涜するものだ」という非難は,すでにチャールズ・ダーウィンに浴びせられたところであるが,この種の非難に対する私の答えは次のとおりである。・・・後略・・・。

デイヴィッド・サルツブルグ(著),竹内惠行・熊谷悦生(共訳)『統計学を拓いた異才たち』(日本経済新聞社,2006年3月刊/日経ビジネス文庫・科学1143=2010年4月刊)(2013.8.29)
* デイヴィッド・サルツブルグ
(Salsburg, David, 1931〜 ):統計コンサルタント。
[(pp.270-289) 第18章 喫煙はがんの原因か]

(p.273〜276) 原因と結果,そんなものは存在するのか?

(p.275) ・・・。ラッセル,ホワイトヘッド,他の研究者たちは,数や算術を記述したシンボル(注:論理記号や論理式)の結合をつくることができた。さらにすべての論述の型を記述するかのように思えた。
 たった一つを除いては! 「Aが原因でBとなる(注:Bが生じる)」を意味する一組のシンボルをつくる方法がないように思えたのである。因果関係の概念は,論理学者がそれを記号論理学のルールのなかに押し込めようと精いっぱい努力しても果たせなかった。もちろん,私たちは誰でも「因果関係」が何を意味するのか知っている(松下注:知っていると思っている)。たとえばこうだ。・・・中略・・・。

 バートランド・ラッセルが一九三〇年代初めにかなり効果的に示したように,原因と結果の共通概念(?)とは矛盾した概念である(松下注:高山守『因果論の超克−自由の成立に向けて』でご紹介したように,1912年の On the notion of cause が最初)。原因と結果のさまざまな例を,同じ段階の根拠に基づいて両立させることはできないのだ。実際,原因と結果というものは存在しない。それは通俗的な妄想であり,純粋理性の攻撃に耐えられないあいまいな概念なのである。それは矛盾したアイデアにおいて相互に一致しないものを含んでおり,科学的言説においては,ほとんど,もしくはまったく価値を持っていないのである。

 実質含意

 因果関係の代わりにラッセルは,記号論理学の周知の概念,いわゆる「実質含意(material implication)」を使うように提案した。原子命題の原始的概念と「かつ(and)」「または(or)」「等しい(equals)」という結合シンボルを使って,「命題Aならば命題Bである」(訳注:ここでの「ならば」は命題Aが命題Bに含まれることを意味しており,この含まれるという概念が「実質含意」となっている。)という概念をつくり出すことができる。これは,BでないならばAでない(注:数学の対偶)という命題に等しい。・・・・。
 19世紀の終わり,ドイツ人医師のロベルト・コッホは,ある特定の感染力を持つ病原体が固有の病気を引き起こすことを示すために必要な前提条件を挙げた。・・・。中略・・・。
 肺がんと喫煙との関係がコッホの前提条件にどれほど当てはまるかを考えてみよう(そしてラッセルの実質含意にも)。ここでの病原体は喫煙歴であり,病気は「肺の類表皮がん」である。肺がんにならない喫煙者もいる。このことからコッホの第一条件(注:病原体が培養で検出されたときはいつでも,その病気が存在した。)は合わない。肺がんになったが喫煙者ではないと主張する人もいる。その主張を信じるならば,コッホの第二条件(注:病気が存在しないときはいつでも,病原体は培養で検出されなかった。)も合わない。がんのタイプを小細胞がん(燕麦細胞がん)に限定すれば,非喫煙者でこの病気に雁る人数はゼロとなり,第二条件は適合する。病原体がなくなる,すなわち患者がタバコをやめても,まだ病気になる可能性は残るので,第三条件(注:病原体が取り除かれたときは,病気もなくなった。)も合わない。コッホの前提条件(とそれに伴うラッセルの実質含意)を適用するにしても,それに合致する唯一の病気は急性のもので,体内の血液やその他の体液で培養可能な感染症の病原体によって引き起こされる。これは,心臓病,糖尿病,喘息,関節炎や小畑胞がん以外のがんには当てはまらない。・・・。

『新しい科学・技術を拓いたひとびと』(岩波書店,1999年12月刊/岩波講座「科学・技術と人間」別巻)(2013.8.11)
*
中村雄二郎(なかむら・ゆうじろう, 1925年〜 ):哲学者。
* G. ベイトソン(Gregory Bateson, 1904-1980.7.4):アメリカの文化人類学者・精神医学者。
* メタローグ:ベイトソンの作った造語で,その意味はメタ・ダイアローグ,つまり1次元上の対話。
[(pp.119-131) 中村雄二郎:G.ベイトソン−知の極地としてのメタローグ]

(p.122) ・・・。なにしろ,ベイトソンは,精神分裂病の病因論的解明としての「ダブル・バインド」理論の提唱者であり,『ナヴェン 三つの観点から引き出されたニューギニアの或る部族文化の合成図が示す諸問題』(1936年初版)や『バリ島人の性格 写真による分析』(1942年)などで知られるすぐれた人類学者であり,また,サイバネティクスを社会理論に最初に応用した人でもあり,さらに,イルカの知の高次機能を発見した比較行動学者でもあった。すなわち,このような知の最前線にある諸領域において,いずれも第一級の仕事をした,文字どおりの脱領域的な巨人であった。それだけに,彼についてまとまったイメージを持つことは難しい。
 ・・・
(p.126) ベイトソンとミード(注:ベイトソンの妻)がバリ島のフィールドワークで撮った写真と映画は,35ミリのステイールで25,000枚,16ミリのフィルムで22,000フィートに及んだ。しかも,このような写真や映画は,前著『ナヴェン』での言語的な記述と分析による方法への反省に基づいていた。すなわち,人間の自然的な振舞いが言語に表現されるときに侵害され,歪められることに対する反省である。こうして,25,000枚のステイール写真のなかから759枚が選ばれ,それが100の組写真にまとめられた。ここにユニークにして画期的な『バリ島人の性格』が誕生したのである。
 これらの組写真を通じて,きわめて特色のある「バリ島人の性格」が浮かび上がってくる。これこそ,対人関係のなかで,相互行為的な盛り上がりの途中でチェックしてエスカレートしないようにさせる「非分裂生成」的なやり方にほかならない。そしてそれは,幼いときから適当な「ダブル・バインド」によって締め付けることで,子供を鍛えていくという訓練の結果である。たとえば,母親は余所の子を借りてきて可愛がり,わが子にやきもちをやかせながら,同時に嫉妬心を表わすことを禁じる,というやり方までするのである。
 したがって,ベイトソンにおいて,人類学の「分裂生成」(シスモゲネシス)論とはまったく違った分野に現われたように見える精神分裂病の病因論としての「ダブル・バインド」理論は,このようにして,『バリ島人の性格』を介して『ナヴェン』の「分裂生成」(シスモゲネシス)論と結びつくのである。ここで,「ダブル・バインド」理論の説くところを要約しておくと,次のようになる。
 すなわち,ある人間が他の人間に,おまえはなにかをすべきだと伝え,同時にもう一つのレヴェルでおまえはそれをすべきでないとか,正反対のことをなすべきだとか,伝える。その上,状況は,彼がそこから脱出するのを禁ずる命令を出すことによって,まったく封鎖される。繰り返しこのような二重拘束的なジレンマ状況のうちにさらされるとき,およそ人間は正気のままでいることはできないであろう。このように,ベイトソン(『分裂病の理論に向けて』1956年)は述べている。
 ベイトソン自身も説いているように,このような「ダブル・バインド」理論の成立に際して導入された重要な考え方は,バートランド・ラッセルの「論理的階型(ロジカル・タイプ)」の理論である。この理論によれば,形式論理や数学的な言述においては,いかなる類(クラス)も,それ自体の項(メンバー)にはなりえないし,諸々の類は,それを自己の項として含む諸々の一つではありえない。たとえば,名前は名付けられた物とは階型を異にしている。だからこそ,「ディナー」のかわりに「メニュー」を食べるというわけにはいかないのである。

中村雄二郎『術語集−気になることば−』(岩波書店,1984年9月刊/岩波新書・黄版276)(2013.8.5)
*
中村雄二郎(なかむら・ゆうじろう, 1925年〜 ):哲学者。
* G. ベイトソン(Gregory Bateson, 1904-1980.7.4):アメリカの文化人類学者・精神医学者。
[(p.121-125) ダブル・バインド(二重拘束:double bind) ]

(p.123) ・・・。ところで,このような人と人との間の象徴的相互行為がもっともドラマティック−その本来の意味で惨劇的−にあらわれるのが,G・ベイトソンが(ダブル・バインド)つまり二重拘束の典型的な例として示す次のような場合である(「分裂病の理論へ向けて」一九五六年)。
 重い精神分裂病(注:統合失調症)からかなりよく恢復した若者の病室に母親が見舞いに訪れた。若者は母親に会えたのが嬉しくて,
  1. 思わず片方の腕を母親の肩にかける。
  2. すると彼女は身をこわばらせる。
  3. 彼はその腕を引っこめる。
  4. すると彼女は,《もう私を愛してくれないの?》と訊ねる。そこで彼は顔を赤らめる。
  5. すると彼女は言う。《ねえ,そんなにまごつかなくてもいいのよ,自分の気持をおそれてはだめよ。》
 この患者はそれからほんの数分間しか母親と一緒に居ることができなかった。いたたまれなかったのであり,母親が帰ってしまうと,付き添いのものに激しく殴りかかった。そのため保護室に入れられてしまった。
 ここに見られる関係は,次のように捉えなおされる。母親に会って,態度つまり身体言語で示したことが,ことばで言い表わされていることと相反し,ことばで勧めていることが態度(注:身をこわばらせたこと)によって打ち消される。そのどちらの言い分(指示)に息子が従っても母親は満足しないから,いきおい息子はジレンマに陥る。ある行動を勧めながら同時にそれを禁止する。そしてジレンマに陥って困惑している息子に対して,さらに母親は相手の気持を先廻りして追い打ちをかけるから,退路を断たれてしまう。
 この(ダブル・バインド)理論の基礎になっているのは,ベイトソンがB・ラッセルから示唆を得た論理的階型(logical type)の混同が病理的コミュニケーションを惹き起こすという考え方である。すなわち,ラッセルによれば,ある集合においてクラス(松下注:入れ物としての集合)とそのメンバーは不連続であり,クラスとメンバーとは同一視できない。両者に対して用いられる言葉は,相異なる抽象レヴュルあるいは論理タイプに属するからである。
 元来この<二重拘束>理論は,ベイトソンがその共同研究者たちとともに,現代の代表的な精神疾患と目される分裂病の解明に際してその中心モデルとして提出したものである。が,そういう精神医学モデルを超えて私たちにつよく訴えかけてくるのは,人間コミュ:ケーション −−さらに母と息子をはじめとする親子関係−− の核心に迫っているからであろう。

加藤正明(編集代表)『新版 精神医学事典』(弘文堂,1993年2月刊)(2013.7.28)
*
花村誠一(はなむら・せいいち, 1947年〜 ):精神科医(精神病理学専攻)で,現在,東京福祉大学社会福祉学部教授。
* G. ベイトソン(Gregory Bateson, 1904-1980.7.4):アメリカの文化人類学者・精神医学者。
[(p.601) 二重拘束 double bind ]

 [二重拘束(double bind)とは] 人類学者ベイトソン(G. Bateson, )を中心とする,いわゆるパロ・アルト・グループによって,1956年,分裂病(注:現在では「統合失調症」)の発生因として概念化されたもので,その構成要件として,以下の5つが必要とされる。
  1. 二人あるいはそれ以上の人間
  2. 繰り返される経験
  3. 第一次的な禁止命令
  4. より抽象的なレヴェルで第一次の禁止命令と衝突する第二次的な禁止命令
  5. 犠牲者が現場から逃れるのを禁止する第三次的な禁止命令
 要件1は,分裂病(統合失調症)を個人が'持つ'病としてではなく,その個人を'犠牲的な端'として組み入れるコミュニケーションの病い,つまり'関係の病理'としてとらえることを明言したものである。要件2は,精神分析のように幼児期における何らかの心的外傷を重視するのではなく,学習心理学的な意味で,「連続して生起する特徴的なパターン」が問題であることを強調している。要件3と4は,理論の中核をなす B. Russell (バートランド・ラッセル)の論理階型論(logical type theory)によって定式化されており,分裂病者はこういう抽象的なレヴェルの識別に失敗すると理解される。二重拘束から逃れるには,背後のコンテクストだけを隠喩的に捏造するか,すべてのメッセージを字義どおりに受け入れるか,どちらも無視して外界から引き籠るかするしかなく,それぞれ妄想型,破瓜型,緊張型に対応する。ベイトソンらは,医療環境や治療環境も不可避的に二重拘束をもたらすことになると考え,逆に「治療的二重拘束」を介し,病者を「病因的二重拘束」から解き放つことが重要であると主張する。この理論は分裂病(統合失調症)の病因論はもとより,症状論,さらには治療論まで統一的に整序しためざましいものであり,サイバネティックス的認識論に裏打ちされている点で,生物学的研究とも十分な接点をもつ。(花村誠一)

ハーバート・A・サイモン(著),安西祐一郎・安西徳子(共訳)『学者人生のモデル』(岩波書店,1998年1月刊)(2013.6.19)
*
ハーバート・A・サイモン(Herbert Alexander Simon, 1916〜2001):政治学,認知心理学,経営学,情報科学などで業績をあげる。「人口知能の父」と言われ,1975年にチューリング賞(コンピュータ分野のノーベル賞),1978年にノーベル経済学賞受賞
* 安西祐一郎(あんざい・ゆういちろう,1946〜 ):元・慶應義塾大学塾長(学長)。出版当時は慶應義塾大学理工学部長。現在(2013年)は日本学術振興会理事長。
 ロジック・セオリスト(LT)については,2013年6月6日付の「落穂拾い(初級編):松原仁「ロジック・セオリスト」」でもご紹介しましたが,本書ではより詳しく記述されています。ラッセルとホワイトヘッドは『プリンキピア・マテマティカ』で,論理主義の立場から,数学を論理学(記号論理学)から導出しようとしましたが,ゲーデルの不完全性定理によってそれは理論上不可能だと証明されたということで,ラッセルと(ホワイトヘッド)の『プリンキピア・マテマティカ』は'もう古い'と一刀両断に(短絡的に)切り捨てる人がけっこういるようです。まあ,いろいろなものに対して「それはもう古い!」と言ってすませられれば「勉強しなくてすむ」ので楽ではありますが,そういった人は'自分の頭で'物を考える習慣があまり育たないのではないでしょうか。
 サイモンは,本書でラッセルについて10ケ所以上で言及しており,ラッセル宛の手紙2通とラッセルからの返事2通も収録されています。ここでは,2回目のやりとりとそのことに関する感想を述べたところを引用させていただきます。
 興味を持たれた方は,購読するか,図書館で借りてお読みください。
(M)


[pp.301-310:ロジック・セオリストを考えつく]
・・・。
 一年後,再び私たちは,LT (Logic Theorist) による学習実験の結果をラッセルに書き送った。

                       一九五七年九月九日
親愛なるラッセル閣下

(p.305) 私どもは,コンピュータによって人間の問題解決プロセスをシミュレートする研究を行なってまいりましたが,同封しました別刷は,研究のその後の発展を示すものです。また,これらの別刷に報告されている仕事より後,私どもは問題解決を遂行する基本的なプログラムに簡単な学習プログラムを重ね合わせたときの効果を研究し,興味深い経験をいくつか積んでまいりました。たとえば,特定の証明方法の中で特定の定理が以前問題を解くときに役に立ったということをコンピュータに記憶させ,利用させることによって,問題解決能力が多少とも驚くほどに改善される,という結果を得ております。
 ロジック・セオリスト(LT)が発見した証明は,一般的に申しまして『プリンキピア』(注:ラッセルとホワイトヘッドの『プリンキピア・マテマティカ』)に書かれている証明にかなり近いものですが,ある問題では,シンプルな美しさを持つ証明を作り出しました。この証明に比べますと,御著書にあります証明はずっと複雑なものであります。つまり,命題二・八五,すなわち
 p∨q. → p∨r: → p.∨q → r では,まず p∨q.→ .p∨r: → q.∨.p∨r に結合法則一・五を適用して右辺の項を整理してから,三段論法を用いて導けます。すなわち新しい表現は,二・〇五に対して,一・三から直接に,モーダスポーネンスの規則(訳注・形式論理学で使われる推論規則の一つ)を適用して得られます。証明終わり。機械がこの証明を見つけるのに五分とかかりませんでした。機械による証明はストレートでありながらしかも自明でなく,この例での機械の有効性にはたいへん驚かされました。
 私どもの論文の二二九ページには,博学な人と賢い人が必ずしも同じ人とは限らない,ということの証拠があげられており,これにつきましても閣下の御関心を呼ぶかも知れません。もちろんこのこと自体は昔から知られておりますが,わけ知り顔の空論家にこうした動かぬ証拠をつきつけるのは愉快なことと存じます。一般に機械による問題解決は,うまく使えそうな定理だけを選んで証明を行なったほうが,御著書の中でそのページより前に証明された定理すべてを記憶して使おうとするよりも,はるかに洗練されたものになります。図七と図八の対照的な形は,この違いを典型的に表わしております。ただし,こうした事実を学校の生徒たちに教えるべきかどうかは定かではありません。
 御許へ
  経営学教授
  ハーバート・A・サイモン


                       一九五七年九月二一日
親愛なるサイモン教授殿

 九月九日付けの御書簡と同封資料を頂き大変有難く存じます。貴兄の機械の方がホワイトヘッドと私よりも優れているという例は,自分の喜びとするところです。この事実を学校生徒からは隠すべきだとすることについての貴兄の考えは,十分に理解できるところであります。自分より機械の方が良くできるということがわかっている生徒たちが足し算のしかたを習おうとするなど,期待できるものではないでしょう。また貴兄が,知恵が知識と同じではないという古い格言をきちんと示されたことも,自分喜びとするところです。
 御許へ   バートランド・ラッセル


 一方,バートランド・ラッセルを楽しませたのと同じ,LTによる新しい証明を,ロジック・セオリストという名前を共著者に入れた論文に書いて,『ジャーナル・オヴ・シンボリック・ロジック』の超一流の編集長だったステイーヴン・クリーネに送った。ところがクリーネは,新しい結果を述べたものではないとして,論文を不採録にしてしまったのである。クリーネが言うには『プリンキピア・マテマティカ』の方法はすでに古いものであり,『プリンキピア』の方法を用いて定理を証明しても成果を得たことにはならない,ということであった。失礼ながら,クリーネとラッセルの返答の違いが知識と知恵の違いのさらなる証明になっている,ということであろう。いずれにしてもこれで私たちは,LTの成功を論理学者たちに誇る機会を失ってしまったのである。
 ラッセルへの手紙には,私たちが初めから「人間の問題解決」をシミュレートすることに関心があり,単にコンピュータがどのようにして難しい問題を解けるかを示すことだけに興味があったのではないことが示されている。さらにこれらの手紙は,私たちが『プリンキピア』の論理体系の外でそうした定理を証明するもっと簡単な方法をはっきり意識していたこと,また『プリンキピア』の体系を単に例として用いただけで,私たちの方法はどんな論理体系についても同じように使えるものであったことを示している。後になって論理学者のハオ・ワンのような人たちが,計算の効率だけを基準として,真理値表や自然演繹の手法を用いた,コンピュータによるもっと速い証明手続きを作り上げ,ロジック・セオリストのことを原始的だと誹謗した。そういう人々は単にLT研究の目的を誤解していただけなのである。最後に,ラッセルへの手紙はまた,もともとの初めから私たちが機械による学習や自動プログラミングの可能性を意識していたことも示している。(実際それから後私たちはこうした可能性のいくつかを探求していった。)・・・。

高橋昌一郎『理性の限界−不可能性・不確定性・不完全性』(講談社,2008年6月刊/現代新書n.1948)(2013.5.15)
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高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう,1959〜 ):国学院大学文学部教授。論理学・哲学専攻。
高橋昌一郎氏の著書はまだ『理性の限界』と『知性の限界』しか読んでいません(これから『感性の限界』を読む予定です)が,大変わかりやすく,面白いと思いました。まだ読んでおられなかったら一読をお薦めします。まだ2冊しか読んでないので断定はできませんが,私の印象では,現代論理学や理論哲学を専攻しているわりには,バートランド・ラッセルについてはあまりふれてないような気がします。
 『理性の限界』のなかでラッセルについてふれているのは下記に引用する1ケ所だけです。よく言及される「不完全性定理」とではなく,「完全性定理」との関係で触れていますので,引用させていただきます。(M)
[pp.206-:ゲーデルの不完全性定理]
(pp.217-219: 述語論理と完全性)

論理学者 ペアノの自然数論を,さらに厳密に公理化したのが,ケンブリッジ大学の論理学者バートランド・ラッセルとハーバード大学の論理学者アルフレッド・ホワイトヘッド(松下注:当時はケンブリッジ大学教授/ハーバード大学においては「哲学者」というべきか)でした。一九一〇年,彼らは,それまでは暗黙の了解として用いられてきた「述語論理」を人工言語上に構成し,論理そのものから自然数論を導こうとしたわけです。

司会者 また難しくなってきましたね。その「述語論理」とは何なのでしょうか?


論理学者 命題論理では,「すべての花は美しい」のように「すべて」で量化された文の真偽を決定できません。たとえば,この文の否定を日常言語で考えると,「ある花は美しくない」(部分否定)と「すべての花は美しくない」(全部否定)のように,二つの意味の生じることがおわかりでしょう。このような問題を解決するために,ラッセルとホワイトヘッドは,命題の主語・述語に相当する部分にも踏み込み,量化された命題も厳密に記号で扱えるようにしました。これが 「述語論理」で,要するに,命題論理よりも通用範囲の広い論理なのです。
 彼らの述語論理においては,「すべての]について,]は性質Pを持つ」という命題や,「性質Pを持つ]が,少なくとも一つ存在する」などの命題を厳密に記号で表現できます。その後,さまざまな改良が加えられ,一九二八年,ゲッティンゲン大学の数学者ダヴィツト・ヒルベルトとウィルヘルム・アッケルマンは,最も完成度の高い述語論理の公理系を構成しました。
 その翌年,ウィーン大学の大学院生だった二十三歳の論理学者クルト・グーデルが,述語論理の「完全性定理」を証明しました。この時点で,ゲーデルは,アリストテレス以来の論理学を完成させたのです!

司会者 ちょっとお待ちください! ゲーデルが証明したのは「不完全性定理」でしょう? 「完全性定理」とはどういうことですか?


論理学者 そこがよく誤解される点なのですが,ゲーデルは 「述語論理の完全性定理」と「自然数論の不完全性定理」の両方を証明をしているわけです。
 「述語論理の完全性定理」は,述語論理のすべての妥当な推論規則が公理化されることを示しています。つまり,述語論理においては,すべての「真理」が公理系の「証明」と同等であることが証明されたわけです。
 このことは,簡単に言えば,論理の世界では,「真理」と「証明」が同等だということです。論理的に真理であるということは,公理系で証明できるということと同じであり,その道もまた成立するということです。
 ところが,数学の世界では,「真理」と「証明」が同等ではないわけです。つまり,数学の世界には,公理系では「汲みつくせない」真理の存在することが明らかになったわけです。このことを証明しているのが,「自然数論の不完全性定理」なのです。

安川寿之輔『<増補>日本近代教育の思想構造』(新評論,1986年4月刊)(2013.4.29)
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(やすかわ・じゅのすけ,1935〜 ):本書出版当時は,名古屋大学教養部教授。現在は,名古屋大学名誉教授で専門は近代日本社会(教育)思想史。不戦兵士・市民の会副代表理事,日本戦没学生記念会元事務局長,イラク派兵違憲訴訟の原告(東京地方裁判所)。
 慶應義塾大学の創設者である福沢諭吉は,多くの日本人に敬愛されており,私も好きな思想家の一人であるが,現在の観点からみると,福沢の「脱亜論」や「能力遺伝決定論(安川氏の物言い?)」は,残念ながら,あまり感心しない。
 福沢諭吉とラッセルの考え方は似ていると指摘する識者もおり,このホームページにもそのことについてふれているコンテンツが下記のように2つある。しかし,ラッセルが福沢諭吉の考えを詳しく知れば,「脱亜論」については日本が当時おかれた立場に理解をしめしつつも批判するであろうし,「能力遺伝決定論」については,遺伝の影響力の大きさを認めつつも,その政治的利用や,その考えにもとづいた教育政策や,実際の教育への適用に対しては厳しい批判をするものと思われる。
  なお,ラッセルも Marrige and Morals, 1929 の初期の刷りで,人種による能力の差について不用意な書き方をしている(=悪い「冗談」を言っている)が,知人に注意をされて,一部修正を行っている。(注:ラッセルの場合は,黒人の能力が(現在=当時)劣っていると書いていても「能力遺伝決定論」の立場からではなく,女性の能力が劣っていると(当時)言うのと同様に,適切な教育によって能力向上は可能だと考えていたと思われる。残念ながら,岩波文庫の安藤貞雄・訳『ラッセル結婚論』では,原著の修正版がでていることをご存じなかったらしく,修正前の第6刷を邦訳の底本として使用されている(巻末の解説もそれを前提にして書かれている)。(松下)
・市井三郎:福沢諭吉の思想との比較(講談社版・人類の知的遺産『ラッセル』pp.65-67)
・野阪滋男:一高校生の心をとらえたラッセルの言葉」(『ラッセル協会会報』n.15(1970年5月),p.8 )

[pp.1-4:増補版へのはしがき]

(p.1) 日本の近代社会では,権力者も民衆も,ともに教育を人間形成としてではなく何らかの手段として,不当なまでに重視する。権力者は教育を政治的支配と「安くて優秀な労働力」陶冶の手段とみなし,学歴偏重社会に生きる民衆は,よりよい生活への最良パスポートとして,受験学力の獲得に血まなこになる。民衆は,教育へのその異常な熱意にもかかわらず,むしろこの異常な熱意のゆえに,教育の中味にたいしては極度に無関心となり,その教育内容は,支配者によって長年にわたって恣意的,独占的に支配されてきた。・・・。

(p.261) ・・・。福沢はまた,「財産の安寧」のための,官立学校の私学化による貧民子弟の中・高等教育機関からの排除という,みずからの教育論の正当性を主張するために,ふたつの論拠に基づいて,それを合理化しようと試みた。彼がそのひとつの論拠に利用したのは「遺伝絶対論」である。ハートランド・ラッセルは,人間形成にはたす遺伝と教育の役割を論じたさいに,「保守主義者と帝国主義著とは,遺伝に力点をおく」のに対して,「進歩主義者は,教育の方に力点をおく」と主張し,また,優生学の創始者であるイギリスの遺伝学者ゴールトンの研究について,彼の学説には「ある種の真理が含まれているにもかかわらず,科学的に確信させるものに不足している」という批判を提起している。ここでラッセルと福沢をそのまま対比することの当否は別として,福沢は,みずからの教育論の正当性の論拠として,右のゴールトンの遺伝学説を積極的に利用することによって,ラッセルのいう「保守主義者」としての面目を,遺憾なく発揮したのである。

鈴木健『なめらかな社会とその敵 − PICSY・分人民主主義・構成的社会契約論』(勁草書房,2013年1月刊)(2013.4.14)
* 鈴木健
(すずき・けん,1975‐):1998年慶應義塾大学理工学部物理学科卒,2009年東京大学総合文化研究科博士課程修了。学術博士。現在,東京大学総合文化研究科特任研究員。専門は,複雑系,自然哲学。
[pp.213-217:構成的社会契約への道]

(p.213) ・・・。ロックとルソーはこの問題(注:国家の「正当化」と「正統化」のロジック)を引き継いだが,既存の国家権力を正当化するのではなく,人権思想の基礎づけを重視する点でホッブズと異なっていた(Locke,1690年; Rousseau,1762年)。この2人の言説は,近代国家システムの成立に直接的・間接的に重大な影響を与えたのである。だが2人の考え方は幾分か異なっていた。バートランド・ラッセル(哲学)は,このことを以下のように表現している(Russe11,1945年)。
「ルソー以降,みずからを社会改革者と目するひとびとは2つのグループ,すなわち,ルソーに追随する者とロックに従う者にわかれてきた。時には両者は協力したのであり,両者が互いに相容れぬものだと考えない個人も多くいた。しかししだいにその不両立はますます明白になるにいたった。現在では,ヒットラーはルソーの帰結であり,ルーズヴェルトやチャーチルはロックの帰結である。」(バートランド・ラッセル『西洋哲学史』(Russe11,1945)
 なぜラッセルはこのように考えたのだろうか。ルソー『社会契約論』を読めば,その理由は明らかだ。
「社会契約は,契約当事者の保存を目的とする。目的を欲するものはまた手段をも欲する。そしてこれらの手段はいくらかの危険,さらには若干の損害と切り離しえない。他人の犠牲において自分の生命を保存しようとする人は,必要な場合にはまた他人のためにその生命を投げ出さねばならない。そして統治者が市民に向かって「お前は死ぬことが国家の役に立つのだ」というとき,市民は死なねばならない。なぜなら,この条例によってのみ彼は今日まで安全に生きてきたのであり,また彼の生命は単に自然の恵みだけではもはやなく,国家からの条件つきの贈物なのだから(である)。」(ルソー『社会契約論』(Rousseau,1762),傍点著者
(p.215)・・・。
 ルソーに対し,ロックは,国家の絶対性をいかに排除するかに腐心する。そのため,国家が暴走した場合,国民は抵抗権革命権を行使することができるものとした。
 2つの社会契約論に見られる差異は,社会契約の成り立ちに由来する。ルソーにおいて社会契約は「全体と個人」の間に行われるが,ロックにおいては「個人と個人」の間で行われる。
(付言:皆さんは,「愛国心」を必要以上に強調する人(たとえば安倍首相や石原慎太郎)はどちらの立場にたっていると思われますか? 石原氏は公言しますが,安倍首相のほうは本音を言ったら大変なので決して言わずに,「美しい日本」などとぼやかしていますが・・・。)

井村恒郎・他(編)『精神病理学3』(みすず書房,1973年5月刊)(2013.4.7)
* 井村恒郎
(いむら・つねろう,1906‐1981):1929年に京都帝国大学文学部哲学科卒業。1940年東京帝国大学医学部卒業。同大学付属病院精神科副手ののち,1940年外来診療所医長。下総療養所,国立国府台病院等を経て,1952年国立精神衛生研究所心理学部長。1955年日本大学医学部精神神経科教授。1973年同大学名誉教授。
[pp.212-247:井村恒郎+木戸幸聖「コミュニケーションの病理」]

(p.230)7 逆理的コミュニケーション(paradoxical communication)
 ワツラビックは,逆理(パラドクス)を「一貫した前提から演繹される矛盾(a contradiction that follows correct deduction from consistent premises)と定義して,論理数学的逆理(logico-mathematical praradoxes),逆理的限定(paradoxical definitions)および語用論的逆理(pragmatic paradoxes)を区別する。第一のものはラッセルの集合の逆理(パラドクス),たとえば全ての概念の集合は,それ自体概念であるという自己否定にみられるような集合の構造自体のなかにある矛盾をさしている。ラッセルは悪循環の原理(vicious circle principle)−−集合のすべてを含むものは,その集合の一つであってはならない−−を提唱して,階型の理論(theory of logical types)でこの逆理(パラドクス)を排除した。ラッセルの逆理は,低い階型と高い階型の混同によるから,それは偽ではなく無意味である。低い水準(クラス)における概念とその上の水準(集合)での概念は同一の意味ではなく,混同することは無意味なわけである。
 論理数学的逆理は階型理論で解決されたが,「私は嘘をいっている」という例で,示される−−エピメニデスの嘘つき論−−逆理的限定は言語の使い方に関するものである。この逆理を解決するためタルスキイは,高次言語(meta-language)を設定した。もっとも低い水準の言述(language statements)は対象についてのものであり,これは対象言語(object language)とよばれる。同時にこの言語について述べる言語は高次言語(meta-language)であり,さらに,高高次言語(meta-meta-language)もありうる。言語の意味限定のうえでおこる逆理は,このような高次言語の設定によって解決される。日常の会話では,このような逆理を含む言表がしばしば用いられているのであるが,それは高次言語あるいはメタ・コミュニケーションによって解決している。
 ワラビックはこれらの逆理よりも重視しているのは,語用語的逆理(語用論的逆理?)で,・・・。

ジェイムズ・グリック(著),楡井浩一(訳)『インフォーメション − 情報技術の人類史』(新潮社,2013年1月刊)(2013.3.25)
* ジェイムズ・グリック
(James Gleick, 1954〜 ):サイエンス・ライター。
* 楡井浩一(にれい・こういち,):翻訳家
[pp.212-47:第6章 新しい電線,新しい論理]

(p.232〜) ゲーデル(Kurt Gödel, 1906-1978)が公の場で初めて自分の発見に触れたのは,1930年にケーニヒスベルクで催された科学認識論会議の3日目と最終日だったが,そこではなんの,反応も得られなかった。・・・。ノイマン(John von Neumann, 1903- 1957)は,ゲーデルの説の重要性を即座に理解した。当初は動揺したが,研究ののちに納得した。ゲーデルの論文が出るとすぐに,プリンストン大学の数学研究討論会に提出した。不完全性は現実だった。それはつまり,数学は自己矛盾なしに証明されることは二度とありえないという意味だ。しかも,フォン・ノイマンいわく「重要な点は,これが哲学的原理でも,信憑性のある知的態度でもなく,極度の洗練されたたぐいの,厳密な数学的証明の成果であることだ」。数学を信じるにせよ,信じないにせよ。
 (もちろん数学を「信じていた」)バートランド・ラッセルは,もっと穏やかな種類の哲学へと移行していた。ずいぶんあと,晩年になってから,ゲーデルの説に悩まされたことを認めている。
自分がもう数学的論理に取り組んでいなくてよかったと思った。もし与えられた公理群から矛盾が導かれるのなら,その公理の少なくともひとつが偽であるに違いないことは明らかだろう。
 これに対し,(基本的には数学を「信じていなかった)ウィーンの最も有名な哲学者ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは,不完全定理をぺてん(「手品」)としてかたづけ,論破を試みるよりは,単に受け流すべきものだと切り捨てた。
数学が不完全なものでありえないのは,「意義」が不完全なものではありえないのと同様である。わたしは理解できることはなんであれ,完全に理解しなくてはならない。
 ゲーデルの論駁は,両者を射程に人れたものだった。「ラッセルは明らかに,わたしの成果を誤解している。しかしながら,非常に興昧深いやりかたで誤解している。対照的に,ヴィトゲンシュタインは・・・まったく取るに足りぬ,退屈な,誤った解釈を唱えている。」

朝永振一郎『物理学と私』(みすず書房,1982年1月/朝永振一郎著作集・第2巻)(2013.1.27)
*
朝永振一郎(ともなが・しんいちろう, 1906-1979):物理学者で,1956年から1961年まで東京教育大学(現・筑波大学)学長,1963年から1969年まで日本学術会議会長。1965年にジュリアン・シュウィンガー,リチャード・ファインマンと共同でノーベル物理学賞を受賞。
* 桑原武夫(くわばら・たけお,1904-1988):フランス文学者で1959年4月〜1963年3月まで京都大学人文科学研究所所長。1987に文化勲章受章。
* 小谷正雄(こたに・まさお,):物理学者。東京大学・東京理科大学名誉教授,東京理科大学学長を歴任。1980年に文化勲章受章。
* 渡辺格(わたなべ・いたる,1916-2007):分子生物学者。東京大学及び京都大学教授を経て慶應義塾大学医学部教授。日本分子生物学会初代会長,日本学術会議副会長などを歴任。

[pp.173〜211:「討論 科学と私」− 桑原武夫×小谷正雄×朝永振一郎×渡辺格(東京理科大学特別教室セミナーでの討論会,1977年7月19,20日)]
(p.193)・・・。
★桑原 社会科学の話が出て,社会科学者が(この討論会に)いないからというご発言がありますけれども(笑),私は学術会議(注:日本学術会議)で人文社会科学の副会長をしておりました(笑)。社会科学者の相当有名な人がここの壇の上にいらっしゃっても同じことだと思います。渡辺(格)さんが指摘されたように,日本の社会科学者でもちろん例外はありますよ,例外はありますけれども,おおむねいま渡辺さん,あるいは小谷さんが提起されたような問題とまでは言わなくても,問題意識をお持ちになっている方は少ないように思います。社会科学という言葉も大変問題でありまして,日本ではマルクス主義の勉強を社会科学だと思って,勘違いしている人があります。東京大学社会科学研究所が戦後できましたら,自民党(内)で絶対これをつぶせということになった。これは実話です。その程度(の認識)ですけれども,社会科学が科学であるかどうかは大変疑問だと思います。
 このごろはやりのレヴィ=ストロース先生という方に,ユネスコで「人文社会科学のあり方」というシンポジウムにお出ましを願うように手紙を(ユネスコの)事務局長が出しましたら,長文の返事がきました。「社会科学というのは,自然科学に対するほかの領域の学者のあしき模傲,または嫉妬の産物であって,これは学問とは認めない。それのあり方を討論するのにこの尊い研究時間を割こうとは思わない」(と)ものすごい返事で,ユネスコでも弱ってしまった。
 バートランド・ラッセルの,人間の知識の獲得に2つあるというのは(という指摘は)ご承知だろうと思います。knowledge by reasoning というのと,knowledge by appetency と2つあります [松下注:正しくは,knowledge by description (記述による知識)と knowledge by aquaitance (直接知(直知:じきち)による知識)。ちなみに,appetency という言葉で,ここで何を意味しているのかよくわかりませんが・・・?]。片一方のは,積算していって推論していけばこうなる。片一方のは理屈は言わない。たとえば日本舞踊を踊るときに,ここで左手を伸ばせではなしに,お師匠さんがこう踊ればこうする。これも知識なのです。人文という勉強はそれが大変多いのです。ですからレヴィ=ストロースは,それを認める。しかし社会科学というものは(科学としては)絶対認めない。こういう考えもあるということを,教養講座ですからちょっとご紹介しておきます。・・・。
(松下コメント:社会科学の方法は中途半端であり,社会科学は科学(学問)としてはあまり認められない,という主張だろうと思われますが,そういう言い方をすれば,人文科学も科学(学問)としてはあまり認められなくなってしまうだろうと思われますが,いかがでしょうか?)

スティーブン・ピンカー『思考する言語−「言葉の意味」から人間性に迫る』上巻(日本放送出版協会,2009年3月刊)(2013.1.7)
*
スティーブン・ピンカー(Steven Arthur Pinker, 1954〜 ):ハーバード大学教授(心理学専攻)。2004年にタイム誌で「世界で最も影響力のある100人」の一人に選ばれたとのこと。
[pp.46-47:ののしり言葉をめぐる奇妙な現象]

(p46) 人の名前にまつわる連想が変化することは,感情的な色合いを吸い上げる言葉の力を浮き彫りにしている。つまり,言葉には,明示的意味だけでなく,暗示的意味があるということだ。暗示的意味とは何かを説明する際には,1950年代にバートランド・ラッセルがラジオ・インタビューのなかで発案した「活用の公式」がよく使われる。これはたとえば,「私の考えは揺るがない,あなたは頑固だ,彼は石頭だ」という具合に,基本的には同じことを三種類にいいかえるもので,当時ラジオ番組や新聞の特集でゲームとして取り上げられ,何百種類もの組み合わせが生まれた。「私はスマートだ,あなたはやせている,彼はガリガリだ」「私は完璧主義者だ,あなたは潔癖症だ,彼は執着魔だ」「私は自分の性欲の可能性を追求している,あなたはプレイボーイ(プレイガール)だ,彼女は尻軽女だ」などなど。どの組み合わせも,字義通りの意味は同じだが,感情的なトーンは好意的,中立的,侮蔑的と,それぞれ異なっている。・・・。