I appeal, as a human being to human beings: remember your humanity, and forget the rest. If you can do so, the way lies open to a new Paradise; if you cannot, nothing lies before you but universal death. (From: Man's peril, Dec. 1954)ラッセルが死んだ。(1970年)2月3日、福沢諭吉の墓参を終えて帰宅したわたしは、この訃報をきいた。奇しくも、わたしの尊敬するこの二人の人物が同じ日(正確にはラッセルの死は、英国時間では2月2日)にこの世を去った。そもそも、この二人は、わたしの心のなかで意味的な関連をもっている。福沢の一生(1835年1月10日~1901年2月3日)はイギリスの女皇ヴィクトリアの治世とほぼ一致する。ヴィクトリアの即位は福沢の出生に後れること2年、その崩御は福沢の死に先だつこと10日余りである。ラッセルもまたその青年時代をヴィクトリア治世下にすごした。福沢もラッセルも正しく「逝ける時代の最後の生存者」であり、その活動面では、旧時代の圧制、狂信や独断に対しては容赦なく理由ある抵抗を不断に試みた人でもあった。また、数多の著作を通して、並並ならぬ人間愛を示し、警鐘をならし、しかも自分自身の行動により、その理論を実践(証)した多角的な思想家であり、ある意味では、時代が生んだ英雄であった。
|
「わたしが死ぬとき、わたしは朽ち果て、わたしの自我はあとかたもなく残存しないとわたしは信じている。わたしは若くないし、わたしは生命を愛する。しかしわたしは寂滅の思想におそれおののくことは軽蔑すべきだと思う。幸福は、それが終らねばならぬからといっても、やはり真の幸福である。また思想と愛とはそれが永遠につづかないからといってその価値を失うものでもない」と。(1)堀秀彦訳「幸福論」(角川文庫)、22p.