H.スピーゲルバーグ編「ラッセル=シュワイツアー往復書簡一覧」
* 出典:『シュワイツァー研究』n.11(シュワイツァー日本友の会、1982年9月)pp.76-78.* (注) R = B. Russell / S = A. Schweitzer / AS = A. Silva / M = Metler / H = Hutton / S = R. Schoenman
受信者 | ||||
1955年 01.(10月?) 02.11月26日 | S→R R→S | 仏語 英語 | ラッセルの訪問に対する感謝 ラッセルの返礼 | 1955年 4月 バンドンでアジア・アフリカ会議 7月 ジュネーヴで米・英・仏・ソ首脳会議 |
1957年 03.12月31日 | S→R | 仏語 | ラッセルの平和運動に対する賛同 | 1956年 7月 エジプト、スエズ運河国有化宣言 10月 ハンガリー事件 1957年 3月 欧州共同市場、原子力共同体条約 12月 NATOパリ憲章、カイロでアジア・アフリカ会議 |
1959年 04.2月19日 05.2月23日 06.(?) | M→R R→M H→S | 英語 英語 欠 | K.ペータースの論文を送る ラッセルの返事 ラッセルの名でベルリン問題とホウリ・ロッホ基地反対声明の起草を依頼 | 1958年 3月 ソ連核実験停止(10月再開) 7月 イラクにクーデター(10月、米英軍撤退) 1959年 1月 キューバでクーデター(F.カストロ首相) 9月 フルシチョフ訪米(国連総会で軍備撤廃を提案)、北京も訪問 1960年 7月 コンゴにベルギー・国連軍介入/ガボン独立 |
1961年 07.2月9日 | S→R | 仏語 | ラッセルの抗議デモを支持、ハットンの要請は断る | 1961年 6月 ウィーンでケネディ=フルショチョフ会談 8月 東西ベルリンの境界閉鎖/国連軍、カタンガ作戦 9月 コンゴでハマーショルド国連事務総長墜落死 |
1962年 08.6月5日 09.6月10日 10.6月27日 11.8月10日 12.9月2日 13.9月7日 14.10月11日 15.10月18日 16.10月24日 17.10月30日 18.11月11日 | R→S R→S S→R R→S AS→R +S→R R→S R→S S→R S→R R→S S→R | 英語 英語 独語 英語 英語 仏語 英語 英語 独語 独語 英語 独語 | 大衆の無感覚/9月9日デモ参加 前者の要約 ラッセルの見解と計画に賛成(しかし不参加) 百人委員会の支援要請 返事の遅れの説明 ラッセルの企てに賛成 シュワイツアーの病院の仕事諒解 ラッセル平和財団発起の勧誘 財団支持、「人から人へ」 アメリカの核兵器使用発言に抗議するよう要請 平和財団の仕事を説明 マクマナラ非難の必要性を強調 | 1962年 3月 アルジェリア停戦協定 7月 モスクワで「全面軍縮と平和の世界大会」 10月 中印国境紛争/キューバ危機/第2バチカン公会議 |
1963年 19.1月2日 20.1月14日 21.1月15日 22.2月1日 23.1月26日 24.5月20日 25.5月29日 26.6月10日 27.7月2日 28.7月2日 29.9月9日 30.9月25日 31.9月27日 32.10月22日 | S→R S→R R→S S→R R→S R→S S→R R→S R→S F→S R→S R→S R→S S→R | 仏語 仏語 英語 独語 英語 英語 欠 英語 英語 英語 英語 英語 英語 欠 | カタンガ問題で意見の相違 国連軍の介入に意見を求める ベルギーによるコンゴ搾取を非難 カタンガの分離の権利を弁護 カタンガは資本主義の搾取の好例 エジプト及びイスラエルの核兵器反対の要請 (署名には応じた) 東洋諸国との交渉の報告 平和財団の仕事の進行 それに関する親展の記録 (ソ連在住ユダヤ人のための)フルシチョフへの要望 平和財団設立公表の日程 フルシチョフへの要望の修正(たぶん要望には賛同) | 1963年 1月 チョンベは国連軍とカサヴブ政府軍に破れてヨーロッパへ亡命;ルムンバ・ギゼンガ派の反政府運動続く 5月 アジス・アベバでアフリカ独立国首脳会議、「全アフリカ憲章」採択 8月 モスクワで米・英・ソ核実験停止条約に調印(宇宙空間を含むが、地下を除く;フランス、中国は不参加 11月 ケネディ大統領、ダラスで暗殺される |
1964年 33.4月15日 34.7月15日 35.8月15日 36.8月28日 37.9月10日 38.9月17日 39.10月19日 | R→S R→S S→R R→S S→R R→S S→R | 英語 英語 仏語 英語 仏語 英語 仏語 | 平和財団の半年の活動状況 ケネディ暗殺究明会議発起人要請 発起人を断る 発起人となることのみ再度依頼 再度固辞 平和財団の宣言文を送る 公式参加はことわる。 | 1964年 2月 キプロス紛争 6月末 コンゴ派遣国連軍撤退 7月 チョムベ帰国し、中央政府首相となる(レオポルドヴィル) 8月 コンゴ民主共和国紛争再発 9月 コンゴ人民共和国革命政府(スタンリーヴィル) 11月ベルギー降下部隊、白人傭兵反政府側を制圧 |
1965年 40.1月14日 41.2月2日 42.3月19日 | R→S S→R S2→S | 英語 独語 英語 | 90歳誕生の祝賀(電報) 返礼と多くの共通の問題について 財団のための論文送り意見を聞く | 1965年 2月 米空軍、北ベトナムを爆撃 4月 ワシントンで反戦デモ 9月 カシミール紛争 9月4日 シュワイツァー、ラムバレネで永眠 11月 モブツ将軍のグーデター、コンゴ共和国(キンシャサ)の大統領となる。 |