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ラッセル=シュヴァイツァー_往復書簡 n.16 (1962.10.24)

* 出典:『シュワイツァー研究』第11号(シュワイツァー日本友の会、1982年9月)pp.35-37
往復書簡・索引

一九六二年十月二十四日
ガボン、ラムバレネ
A.シュワイツァー

 プラス・ペンリン
 バートランド・ラッセル様


吹雪をついてトラファルガー広場の核兵器撤廃集会で
演説するラッセル(1962年2月)
 親しい友よ、
 原子兵器の問題で、あなた自身お気づきになりましたように、新しい兆候があります。アメリカ合衆国の国防長官マクナマラとケネディ大統領自身が、公然と、もしキューバ問題とベルリーン問題で戦争にでもなれば、原子兵器もふくめてあらゆる種類の兵器を使うだろう、と言明しました
 これは原子兵器の問題における大へんな悪化です。米・ソ両国は原子兵器に関するすべてを無視しています。今まで原子兵器の使用は一つの問題であったし、またそのように認められてきました。原子兵器の廃止について交渉がなされましたし、なおも交渉は続いており、交渉が続いている間はいかなる文化国家も原子兵器を使用しないと受けとられています。ところがいまやアメリカ合衆国がこんな挙に出るとは!
 このことは事態全体が悪化した、非常に悪化したことを意味するでしょう。
 アメリカ合衆国は交渉に参加してきました。しかも同時に原子兵器を使うという信じがたい権利を行使するのです。これにより原子兵器に関するこの交渉はその意味を失いました。もしアメリカが原子兵器をじっさいに使用するならば、この交渉にはもはやいかなる意義もありません。
 しかもこの交渉は、たとい目標に達しなかったものの、進歩を示していました。雰囲気は事実よくなっていました。それは夏のモスクワにおける全面軍縮と平和に関する国際会議の経過から判ります。立派な精神が支配していました。このことは将来の政治家たちの交渉にとって意味のあることです。かれらは互いにもっと努力し合い、互いにもっと相手の意を迎え入れなければなりません。もし十分に時間をかけさえすれば成功すると私は思います。
 しかるにこの見通しをマクナマラとケネディは、かれらの原子兵器の使用によって無に帰せしめんとするのでしょうか。一体アメリカ合衆国はかれらの意図に合意したのか、アメリカの世論はかれらと一緒なのか。私は世界中でこれに反対しなければならぬと思います。新聞において集会において私たちは抗議の声をあげねばなりません。アメリカの二人〔マクナマラとケネディ〕は、私たちが屈しないであろうことを知らねばなりません! 事態はひじょうに重大です! 私たちは行動しなければなりません。
 あなたが同意見であるのか、また発言なさるおつもりか、お知らせ下さい。私はそれは絶対に必要だと思います。

  心からあなたに敬服する  アルベルト・シュワィツァー


(編著者による)注:当時の国防長官ロバート・マクナマラとケネディ大統領が、もし戦争が勃発したらベルリーンとキューバの衝突において原子兵器を使うだろうと公式に発言したというシュワィツァーのいう「報道」の源を私はまだ発見することができない。少くともロンドン・タイムズとニューヨーク・タイムズは、そんな報道をのせていない、たとい一般にはアメリカ合衆国がそのような兵器の先制の一撃を放棄せぬだろうと臆測されはしたが。じっさいマクナマラは、閣内の内政上の議論では、タカ派よりもハト派だった。シュワィツァーが言及しているモスクワの交渉は、一九六三年の第一回核実験禁止協定に至った交渉の筈である。たぶんこれが初めてシュワィツァーが手紙において、まだ当時じっさいには発送されていなかったが、二人の主要な犯罪者に対する共同の攻撃のために新聞や公開討論の利用を思いついたものであるが、新しい平和財団のことにはふれていないし、第一八の手紙(三九ぺージ)で少し形を変えてまた取り上げた提案である。じっさいシュワィツァーは十一月二十三日にケネディあてにその責任を指摘する手紙を書いたが、これはしかしながら決して発送されなかったであろう。なぜなら手紙の本文は、ギュンスバッハのシュワィツァー文庫にのみ見出されるから。B.ヴィヌプスト『アルベルト・シュワィツァーの平和思想』六七ぺージ参照。
 同じことは「一九六二年秋」の「マクナマラヘの公開状」についても言えるのであって、ドイツ語と英文の本文がシュワィツーアー文庫に残っている。同書六八ぺージ参照。