ラッセル=シュヴァイツァー_往復書簡 n.3 (1957.12.31)
* 出典:『シュワイツァー研究』n.11(シュワイツァー日本友の会,1982年9月)pp.14-15.★往復書簡・索引
一九五七年十二月三十一日
フランス領赤道アフリカ
ガボン,ラムバレネ___
ロンドン
バートランド・ラッセル様
拝啓,
一九五七年の最後の晩に私は,今年あなたが平和の思想に道をひらくため始めて下さったことが,どんなに高く評価できることか,申し上げるために,あなたを思い出そうとしています。私はあなたが発動されたすべてについてよく知らされています。世界の実状についての会談のため,東西諸国の大立物の会合を組織することに,あなたがアメリカ合衆国の友人たちの協力を得て成功されたという事実を私は大へん重くみます。あなたの,アイゼンハウアーとフルシチョフヘの公開状は,私たちの未来の問題に専念している人々の間で往き交っている思想を表明してくれました。こんなにあなたの権威を用いることができて,心から敬意を表します。私は九月,十月,十一月とヨーロッパにいました。イギリスヘゆくことは考えられませんでした。数週間のうちになすべき仕事と,また疲労とのために,それは許されませんでした。私自身パリで数日を過ごす暇がありませんでした,ヨーロッパ滞在中に私が習慣としているようには。
私は一九五五年にあなたが,私のロンドン滞在中に私の友人メトラーのレストランにわざわざ挨拶に来られたことを忘れません。私はそのことで深く感動しました。
一九五八年おめでとうございます。あなた自身と,すべてあなたが平和問題の勝利を期してお始めになることのために
よき思いをこめて 敬具 アルベルト・シュワィツァー
註 一九五七年におけるラッセルの平和への努力に対するシュワィツァーの大晦日の手紙は,東西の科学者たちによる第一回パグウォッシュ会議の組織と,アイゼンハワー大統領およびフルシチョフ首相ヘラッセルが送った二通の手紙にとくに関連している。その二通の手紙でラッセルは両首脳に,アメリカとソ連は相違よりも共通の事がはるかに重要であることを思い出させた。アメリカは大統領に代ってダレスが返事し,ソ連はフルシチョフ自身が返事した。この年はまたシュワィツァー自身,四月二十四日に,ラジオ・オスロで「良心の宣言」を発表した年でもあった。