ラッセルの名言
恋愛と結婚(携帯版)
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恋愛と結婚
現代の「男女)間のトラブルの多くは,詩的で無政府的な衝動であるロマンチックな恋愛を,単なる社会制度にすぎない結婚と混同することに由来している。
私は決して恋愛を信じなくなったわけではないが、私が信じることのできる恋愛の種類は、ヴィクトリア朝時代の人々が賛美したような性格のものではない。
結婚に際して新郎新婦は,今後末永くたがいに愛しあうことが「義務」だと教えられるが,所詮愛情は一つの情緒であって,意志の働きに服する余地はなく,したがって義務の部類には入りえない。
恋愛は,協力を生み出す感情の第一の,そして最も一般的な形であって,いかなる程度であっても,恋愛を経験したことのある人ならば,自分の最高の幸福(good)が愛する人の幸福(good)とは無関係であるとするような哲学には,満足しないだろう。
恋愛は,人間の生涯の大部分を通じて,大部分の男女が苦しんでいる孤独から逃れるための主な手段である。
相互の情熱的な愛は,自我の堅い壁を打ち壊し,二人が一つに解けあった新しい存在(人格)を生み出す。
幸福な,相互的な愛という,深い親密さと強い交わりを経験したことのない人びとは,人生が提供する最上のものを失ったことになる。
多くの夫婦は、自分の連れ合いが望んでいる快楽へのねたみから、自分の快楽の充足を差し控える。
女性によって影響を受けることを怖れる男性が多いが,私の経験による限りでは,これは'ばかげた怖れ'である。
私は,刑務所にいる間ずっと,嫉妬で苦しめられ,無力感から狂気に駆り立てられた。
親としての感情は,私も自分で体験してわかったことであるが,非常に複雑である。
本書(ラッセル『結婚と性道徳』)において私は,完全な貞節というものはほとんどの結婚において期待できないが,婚外の恋愛が生じたとしても,夫婦は良い関係を維持できなければならないという見解を展開した。
彼(注:私が載ったタクシーの運転手)は、私の講演を以前聴いたことがあるがそれは自分が知的であった過去のことだと言い、「今じゃ結婚して、ただの人間になってしまいましたよ(注:'主体的な人間'であることをやめてしまいましたよ)」と付け加えた。