バートランド・ラッセル『宗教と科学』(松下彰良・対訳)
* 原著:Religion and Science, by Bertrand Russell (London; George Allen & Unwin, 1935)
第2章「コペルニクス革命(コペルニクス的転回)」 イントロ累積版
- 神学と科学との間における最初の,またある意味で最も注目すべき,激戦(pitched battle )は,我々が今日太陽系と呼んでいるものの中心は地球かあるいは太陽かということに関する天文学上の論争であった。
- コペルニクス(1473-1543)は,もしかするとそれに値しないかも知れないが,コペルニクスの体系(=地動説)にその名(自分の名前)を冠する栄誉(名誉)を持っている。
- 当初,彼(コペルニクス)に対し,ほとんどのプロテスタント(新教徒)はカトリック(旧教徒)より厳しかった。
- この点,ウェスリーは,ある意味では,正しかった,と私は思う。
- 天文学における次の偉大な歩みは,ケプラー(1571-1630)によってとられた。
- ケプラーの知性(面)における性格はとても特異なものであった
- ケプラーの法則のなかの最初の二つ(の法則)は1609年に,3つ目(第三法則)は1619年に,発表された。
- ケプラーの法則は,(ニュートンの)引力の法則とは異なり,純粋に記述的なものであった。
- ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)は,彼の発見(発見した事柄)及び異端審問所との闘いの両面において,当時の最も注目に値する科学者であった。
- 彼(ガリレオ)はこの原理(慣性の法則)を落下する物体に関する実験結果を説明するのに適用した。
- 落下する物体についての実験は,衒学者たち(学者ぶる人たち)をいらだたせたであろうが,異端審問所によって咎められることはなかった。
- 木星の衛星(の発見)の他にも,望遠鏡は神学者にとって恐るべきこと(ぞっとさせる事実)を明らかにした。
- これら全てが相まって,異端審問所は天文学をとりあげ,そうして,聖典のいくつかの文句(聖句)から2つの重要な真理に到達した。
- しかし,科学界は賞讃した一方,(キリスト教の)聖職者たちは怒り狂った。
- この判決が比較的寛大であったことには,自説撤回という条件が付いていた。
- プロテスタントの神学者たちは(が),当初は,カトリックよりも,新説(地動説など)に好意的だったと想ってはならない。
- 神学者たちは,ガリレオに対する悲惨な「勝利」の後,この例で示したような公的に明確な態度をとること(official definiteness)は避けた方が賢明である(分別がある)と気づいたけれども,科学に対して敢えて蒙昧主義をとることに反対し続けた。
- まず法則の支配(から取上げてみよう)。
- これらの2つの見解,即ち,彗星は何かの前兆であるという見解及び,彗星は地球の大気中にあるという見解は,神学者たちによって大変な熱意をもって支持された。
- カトリックとプロテスタントとの間における他の(様々な)相違がなんであれ,両者は慧星の問題については同意見であった(be at one)。
第3章 進化